今回は動き方について
お話をしたいと思います。
自分の動きが鈍っていたり、
思うように動けない事があります。
記憶の混濁などもその内の一つで、
話を聴いていないと
思われてしまう事があったりします。
前に話した事をつい忘れてしまう。
会話をしていてちゃんと聴いていても
パッと出て来なかったり
うっかりしてしまったりする
なんて事がありますね。
聴いている事は確かだから
落ち着いて考えれば
割とハッキリ思い出す感じです。
そのタイミングで
「聴いてなかったからだ」
などと断罪をされると心を閉ざします。
考え事というのは誰にでもあります。
心が忙しない時などは特にそうで、
全てにおいて集中が出来る訳でもありません。
また、忙しなくなればなるほど
特に責任感が強くて
集中力の高い人であるならば
情報のソートが強めに出て来ます。
記憶の優先順位と切り分けですね。
未解決の話なのか、解決済みの話なのか、
重要度合いの区分です。
失敗が起きない為ではなく、
間違いが起きない様にする為に
ソートをきつめにセットするのですね。
そういう状況下に於いて
自身の動きを断罪される様な感じになると
そのダメージはかなりなものとなります。
一体何が起きているのかを
見詰めてあげて聴いてあげたりする事が
その人を救う手立てとなるのですね。
これが「器のサイズ」における
「寛容性」が具現化する瞬間です。
相手の状況に
寄り添うとは
程遠い動きです
これが自分本位に
溺れるなんやで