皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、近い将来についての
話をしたいと思います。
セッションやイベントでは
ちょろりちょろりと近い将来に
ついての話をしています。
ここでも少しだけ触れていますね。
では、あにきには
一体何が視えているのか?
悲惨な将来なのか、大災害なのか、
戦争なのか、幸せな将来なのか…
ぶっちゃけた話ですが、
そういう小さな視点での視え方は
全然していません。
あまりにも局所的過ぎますし、
検知見分が矮小過ぎます。
世の中は一極性ではなく多極性です。
1つが動けば多数が動くものなのです。
視えているもの全てをここで書く事は
恐らく無いです。
少なくとも“ 今は ”無いと思います。
あにき自身が言葉として
纏め上げられていないのもありますし、
情報として未精査な部分も多いからです。
全てが全て、現時点で科学的で現実的な
エビデンスがある訳でもないですからね。
要は、どんなに精細に書いたとしても
「間違ったメッセージを与えてしまう」
という懸念点が多いという意味です。
ですので、
今後はイベントを中心に細かな点を
話していくつもりです。
1つだけ確かな事は、
「人々の、人類の将来は明るいです」
これだけは間違いないです。
それはハッキリと視えてますからね。
但し、それまでの間に
天災にしろ人災にしろ、
大なり小なり悲劇は起きます。
これは避けられないと言いますか、
避けようと努力をする人はいますが、
人々のリテラシーがそれに追いつかずに
「自身で悲劇を招く」
という表現が合っています。
また、シンギュラリティが起きたり
通信インフラがより高速化したり
BMI技術が進んだその先で
死生観や死そのものの概念を
嫌でも考えさせられる時期が来ます。
新世界秩序ならぬ
「死生観の新秩序」という感じです。
これは輝く将来へ必須な条件です。
実際にBMIとなるのか、
疑似BMIとなるのかは知りませんが、
他者への意思の伝達速度が
己=他となれば、個=多の完成ですからね。
と、同時にその達成に必要な基礎技術が
今後の争いの火種の一つです。
そこへ、現行の経済観や宗教観、倫理観、
エネルギー関連、政治的思想が相まって
争いは起きます。
現行維持の新世界を望む者は多いです。
また、既存の団体や組織、国家などの
枠組みで人や個人を判断してる内は、
先になど進めないと理解した方が良いです。
本来の意味での人ではなく
畜生を続けたければ別ですけどね。
意識の共有と意識の具現化は
最終的にはアナログでもデジタルでも
実現が可能なのですが、
何よりも問題となってくるのは、
その技術に対して人のリテラシーが
追い付かないという点です。
平たく言えば
「愛とは何なのか?」
「愛情とは何なのか?」
これらですね。
そこで、現行の死生観が覆ります。
この時の状況を現時点の観点で表わすと
相当数の人々が死に該当します。
それは、
とても儚く馬鹿らしいものなので、
そこから初めて人々が纏まります。
つまり、
実際の戦争や天変地異では何も変わらず、
「その後の世界で静かに巨大な変化は起きる」
という意味です。
今、産まれてくる子が成人となる頃には
早ければ纏まり始めてるかな...
いや、おっさんになる頃くらいですかね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は正の力について
お話をしたいと思います。
万物には正の力と負の力が存在します。
スタンダードな表現をすると、
正の力=「想いの力」
負の力=「念の力」
となります。
もう少し掘り下げて種類を
考えてみましょう。
想いの力とは、
愛、愛情、思い遣り、集中、友好、断言…
念の力とは、
恨み、嫉妬、殺意、散漫、敵対、優柔…
という感じです。
この様に文字に起こすと分かり易いですが
正の力は相対的であり、
相手と向き合い事を成す力で、
対して負の力は一方的であり、
自身の中で混沌を成す力です。
正の力は
「相手と向き合って事を成す力」ですから、
「自身の決定を信じつつ、
相手の意を汲み前に向く」
という点が重要となってきます。
相手に負の力が多い場合、
もしくは、多くなりつつある場合、
そういったケースの場合に
自身が理解していなかったら、
反発しか生まない事になるので
相対的ではなくて一方的な業となり、
それは正の力ではなく負の力となります。
なので、
正の力を扱うには必然的に負の力も理解して
自身に備えておく必要がある訳です。
つまり、正の力を存分に発揮するには、
「正負のバランスを常に意識して、
負の力を飼い慣らす」
と、いう思考が大切になる訳ですね。
必要であれば負の力も使えるし、使う。
正の力を扱うのに負の力を全面排除すると
結果として、
愛情欠落【バランスブレイク】を
引き起こしてしまう訳です。
そうなると、本来の正の力が反転して
心に隙が生じてしまい、
厄を誘い込む事になり、
負の力へと転じてしまう。
バランスブレイクについては、
こちらでも書いています👆
要するに、
綺麗事ばかりを並べて正の力を強調しても
負の力に恐怖して排除をしても
どの道、
宜しくない方向へと進んでしまいますから
負の力を認めた上で、共存をする。
これが出来ないと正の力を正の力として
扱う事は難しいという訳なのですね。
ですから、その器たる自分自身に至っても
自分の汚い面に蓋をするのではなくて
ちゃんと見つめて理解して
認めてあげないといけないのです。
綺麗事ばかりを言ってるスピ系の人に
言ってる事とやってる事が真逆の連中や
貧乏神が多い理由が分かるでしょ?
ちなみにですが、
負の力に溺れた場合や負の力を主に扱う場合は
正の力の事なんぞ考える必要はありません。
そもそも考えられないから、
負の力に溺れているんですからね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は想い返しについて
お話をしたいと思います。
前回お話をした念返しが
負の力とするならば、
「想い返し」は、
正の力を使う事です。
相手から受け取った想いに対して
想いに則って返答や返礼を行い
素直さ度や愛情の理解度を高める事で
結果として運気UPに繋がる業が
「想い返し」です。
そして、想い返しは何か特別な事を
するという訳ではなく、
相手から何かを得たら「ありがとう」
相手に何かをしてしまったら「ごめんなさい」
こういう普通の事を普通にする事が
想い返しの基本です。
とても簡単でいつでもどこでも
誰でもすぐに出来るのが想い返しの利点ですが、
注意点も当然にあります。
何かと言うと、相手は人だけでなく
「万物様々な存在が対象」だということ。
万物なので、動植物のみではないです。
勿論、目に見える存在のみでもないです。
ここで問題となってくるのは
皆さん相手を人中心で考えてしまい、
「その他の存在に対しては同じ様に出来ない」
という点です。
人のみに対して行っていても
当然一定の効力はありますが、
人中心で思考し続けていると
視野が狭くなってしまい、
人以外の万物に対する想い遣りが
どうしても薄くなってしまい
万物からの恨みを買いやすくなります。
では、
どうして万物に対して同じ様に出来ないのか?
それは、
「社会的エゴイズム(俗欲)」
と
「自我」
が
普通に邪魔をするからです。
俗欲というと難しいのですから、
世間体と解釈すれば分かり易いかと思います。
自我は自分の意識ですね。
「(周りから)変に思われる...」
「恥ずかしい...」
「本当にそこに居るのかな?...」
「見えないし...」「聞こえないし...」
等々、色々と考えてしまってやれなくなる。
気持ちは理解出来ますが
これって、全て負の思考ですよね。
正の力を使って
素直さ度や愛情の理解度を上げて
結果として運気UPに繋げられる
とても簡単な業なのに、
自分自身が最大の障壁となる。
「人は人のみで生きている訳ではない」
「人は独りでは生きられない」
とても簡単な業ですが、
この考えを理解できないと難しいのが
想い返しです。
現在、
普通に生活していて便利になった反面、
根本的な事を忘れてしまっているのが
今の我々です。
感謝をしなさい、敬意を払いなさい
謙虚になりなさい、
色々言っていても、その相手は誰ですか?
そこに対する考えが浅いから、
中々自分という壁を越えられないのですね。
ほんの少しだけ、視線を変えて
視野を拡げて、耳を澄ませてみれば、
貴方は色んな存在からの想いの力を受けて
人として生きているのだと、
口で説明は出来なくても
肌で実感は出来る筈です。
そして、
それは負の力とも常に背中合わせで
張り合っているのではなく
「共存」しているのだと分かると思います。
どうしても負の力を忌避して、
正の力を全面的に頼りがちですが、
それは
虹に見惚れ過ぎて
反対側を視ていないのと同じです。
正の力も負の力も
どちらも大切な構成要素です。
忘れないで下さい、
想い返しをする時は
「必ず相手を特定すること」。
正の力と負の力の
「バランス」と「制御」を
必ず意識すること。
想い返しをしていても、
貴方の器が小さくなると
想いの力の裏側にある念の力に
飲み込まれますからね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、幸せ効果の最大化について
お話をしたいと思います。
皆さん日頃より小さい幸せを見付けたり
それとは限らずとも
「ラッキー!」とか、「善き!」とかを
得ていると思います。
幸せのサイクル、つまり回向ですが、
これは思った以上に分かり易く起きて
想像以上に目に見える形で表れます。
自分の引き起こした善き業(おこない)から
巡り巡って自分に戻ってくるのが
回向というものですが、
これは決して同じものが
巡ってくるという意味ではないです。
寧ろ、同じもの同じ事象なんて
返ってなんかきません。
形を変えてその時その場の
自分に於いての「善き」で
ふわっと返ってくる感じです。
このサイクルの中で
善き業を良い事と解釈していると
回向を最大限に発揮する事は出来ません。
善き業とは、日頃の業からくるもので、
それの最たるものが「小さい幸せ」です。
良い事というのは、小さい幸せと違い
いわゆる一日一善的な行動になりますが、
これを中心に意識していると、
思わぬものに足元を掬われます。
何かといいますと、
「小さい悪意」です。
良い事と小さい幸せの最大の違いは、
その意識の方向にあります。
小さい幸せはあくまでも
自分だけに価値のある善きな事象。
意識の方向は内側から外側を向きます。
良い事とは基本的に
自分以外の周りの価値に合わせる
良い行動となります。
意識の方向は外側にだけ向いてます。
意識の方向が外側にだけ向いていると
自分を褒めたり他を慈しんだりするよりも
「他より褒められたい」という
承認欲求が強くなってきてしまいます。
陰徳に尽きないといけない業が
陽徳へと極振りしてしまって、
徳どころか欲に溺れてしまうんですね。
これを続けていくと、
「このくらいなら良いだろう...」
「私の仕事ではないし...」
「何で私がやらないといけない?...」
「汚れるのは嫌だな...」
という様な、囁きが
心の中で大きくなっていきます。
以前にこんな事がありました。
家の周りのゴミ拾いが日課だという
知人がおりまして、
ある日、コンビニのコーヒーコーナーで
顔を合わせた際に、
自分が落としたガムシロは拾っても
他のゴミは拾いませんでした。
「拾えば良いのにw」
と、冗談気味に聞いたところ、
返ってきた答えは
「だって、手が汚れるからね」でした。
これが「小さい悪意」です。
勘違いしないでほしいのですが、
陰徳も陽徳もどちらも悪い事ではないです。
また、承認欲求そのものも悪ではないです。
ただ、陽徳は意識が外に向きすぎているので
承認欲求が渇き過ぎてしまって、
この様に反作用的な隙が
生じやすくなりがちなのです。
小さい幸せの場合は、本当に小さくて
自分だけの価値ですから、
承認欲求も自身で収める事が出来ます。
先述した「小さい悪意」の発生率も
自己完結型なので、ほぼゼロに近いです。
ですから、事象を最大限に活かせるので
幸せのサイクルの効果も最大となります。
よって、
「効果が想像以上に早く出現する」
という事なのですね。
良い事を中心に据えて行動していても
当然に効果は出てきますが、
「小さい悪意」の発生率は高くなるので
事象を最大限に活かせずに
幸せのサイクルの効果も目減りしますし、
下手をすれば、
マイナスとなる場合すらあります。
早い話が、良い事をしているにも関わらず
「小さい悪意」の誘惑に負けてしまうと、
せっかく頑張った良い事が帳消しとなる。
という事です。
それでは元も子もないですよね?
なので、地味な業ですし
理解をするにはセンスが必要となりますが、
あにきとしては
「小さい幸せ」を見付ける努力を
推奨しているんですね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回はあにきの考え方についてです。
持って生まれた自分の能力を
どういった面で誰の為に使うのか?
仕事だけなのか?
プライベートでもなのか?
あにきと似た体質の人は
凄く葛藤するのではないかと思います。
よく耳にするのは、
自身の能力について
「オンオフを切り替えてる」
という話です。
「疲れるから」とか、
「大変だから」など、
様々な内容で話には聴きます。
かく言うあにきも昔は場面場面で
オンオフ切り替えをしていましたが、
今はずっとオンです。
生まれ持った能力ですし、
体質ですからね、
下手に切り替えるよりも
こっちの方が普通なので疲れないんですよ。
自分がちゃんと世渡り出来てれば、
何も悪戯に人様へ合わせる必要なんて
全くないですからね。
そうなると、
どうしても公私混同という言葉が
頭を過ると言いますか、
色んな方から
「仕事じゃなくても浄霊とかするの?」
「アドバイスとかするの?」
みたいな事をよく問われます。
確かにそうなんですよね。
公も私もあったもんじゃない様に
思える筈ですし。
結論から言うと、
仕事じゃなくても浄霊するし、
アドバイスとかもしますよ。
ただ、一線は引いてます。
あにきの仕事は
一般的には目に映らない仕事なので、
そういう意味では分かり難いですが、
話し方や内容でちゃんと線引きしています。
でないと、
態々お越し頂いているお客さんに
申し訳が立たないですからね。
ただ、例外も二つばかしありまして、
1つはお化けからのお願い。
もう1つは自分の役割に則した事象。
お化けからのお願いなんて
不思議でしょうけれど
年間通じて地味に件数がありまして、
その内容も多岐に渡ります。
自分を向こうの世界へ送ってほしいとか、
変な霊が居るからどうにかしてほしいとか、
お墓を直してほしいとか、
お話ししたいとか、
死んでるだけで人ですから、
生きてる人と似た様な話もあれば、
死者ならではみたいな事も多いです。
中には無理難題を
吹っ掛けようとする奴も居ますが、
そういうのは相手にしないか、
立場を分からせた上で
逆に無理難題で返します。
そんな奴に答える義理なんて
これっぽっちも無いですからね。
これらとは違い、
自分の役割に則した事象というのは、
簡単に言えば仕事ではないけど
突き動かされる事とか、
巡り巡って仕事に活かされる様な事、
教える人として必要なこと。
という感じの出来事ですね。
これも年間通じて大なり小なり
そこそこな件数があります。
2023年12月25日現在での
直近ですと、
とある施設の悪霊祓いになりますね。
ここで事象の詳細は書けませんが、
そこそこ重たい内容です。
実際に、この1か月で2人が
憑り殺されていますからね。
名誉もクソも無い話で
馬鹿らしく聞こえると思いますが、
自分の役割に忠を尽くすというのは、
こういう事すらも愉しむという事ですからね。
皆さんも、自分の役割に則した場面に
出くわす事が増えてくると思います。
その時は損得勘定ではなくて
愉しむ事を考える様にしてみて下さい。
必ず道が開けますから。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は運気と素直さについて
少しお話をしたいと思います。
皆さん様々な理由で運気を上げたいと
考えていると思います。
今が嫌だからとか、駄目だからとか…
どんな理由でも良いのですけど、
利己的になっている内は、
運気なんてものは上がりませんし、
ましてや、
自身の思った事が叶うなど
決してありません。
何故かと言うと、
あまりに利己的、
自己中心的な思考となっているので、
そこに「素直さ」が欠如しているからです。
早い話、
心が載っていないという意味です。
心が載っていない。
つまり、薄愛となっている。
愛情欠落が起きている。
自分の事ばかりを見て周りを見れていない。
愛情よりも欲が勝っている状態。
利己的だったり、自己中だったりするのは
こういう状態になっていると言えます。
これをもっと簡単に表すと、
「素直さが低い」状態と言えるのです。
素直さというのは、
人により元々持っている量が違います。
それが、生きていく中で
増えたり減ったりするのですが、
基本的に今の現世というのは、
素直さが低い方が生き易い様になっています。
どうしてかと言うと、
常々お話をしている通り、
思い遣り(愛や愛情)よりも金(俗欲)
多>個という状態になっているからです。
この状態でいると、
「周りに流された方が楽チン」
という形になりますから、
素直さが増えるよりも、
減っていく方が圧倒的に多いです。
ここで、自分の素直さが減っている事に
気付ける人と気付けない人が
出てくるのですが、
気付ける人はまだ素直さを
元に戻したり増やしたりする事が可能です。
何故かと言うと、
このパターンの方は日頃から
素直さという点に於いて、
何とも言えない違和感を覚えているからです。
相談に乗るという行為が
分かり易いと思います。
元より素直さが高い人というのは、
相談事を受けた時に、
自然と真摯に向き合えます。
相談をされたので真剣に考えて、
時間が掛かっても答えを出そうとしたり、
気に掛けてあげたりします。
ですが、当の相手は
ただ話したかっただけとか、
言いたかっただけで、
酷い時は相談した事すら
覚えていなかったりする。
そんな最中、後日に話したりした時に
小馬鹿にされたり、辱めを受けたりする。
「元より素直さが高い人」というのは、
大なり小なりこういう経験をしています。
なので、
「素直に考える自分」と
「考えても意味が無いと思う自分」が
存在しているから、
それを違和感として抱えている事が多いです。
では、逆に
自分の素直さが減っている事に気付けない人は、
どういう感じかと言いますと、
どの様な局面であったとしても、
最終的な判断は、俗欲的価値観となります。
金銭的な面だったり、
世間体的な面だったり、
「相手がどう思う?」とか、
「こうしてあげたい!」などの気持ちよりも
「自分だけは助かりたい」
「(この場から)逃げ出したい」
「自分は損をしたくない」
みたいに利己的な感覚が主となるので、
そもそも先述した様な違和感を
覚えていないとか、消し去ってしまうのです。
これでは、素直さを増やすなど
土台無理な話です。
素直さが足りていないと、
人の話をちゃんと聴いたり、精査したり
また、人に話をちゃんと伝えたり、
人の事をよく視たりする事が
出来なくなってきます。
運気を上げるには、
信に徹するという業が必要になります。
自分も相手も信じる、それに徹する。
そう出来る様に努力するという意味です。
それには素直さというのが必須となりますが、
欲が勝っている以上は、
他者は疎か、自分を信じる事すら出来ません。
神聖な場所へ行こうが、人と話そうが、
神秘体験をしようが、
奇跡を目の当たりにしようが
それを受入れられないという事ですからね。
どう足掻いても運気なんぞ上がらないのです。
それよりも逆に恨みや念が募っていき
やがては貧乏神へと堕ちていく。
そろそろお正月です。
気になる方は、
初詣などでご自身の素直さの高さを
試してみるのも良いかも知れませんね。