皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人は自身が痛みを知らないと
それが如何に大変なのかを
他者と共感する事が出来ません。
身体的な痛み然り、
心の痛み然りです。
また、個々人で
痛みに対する耐性も異なります。
ほんの少しのチクッとする注射を
この世の終わりと言わんばかりの
痛みと形容する人も居れば、
10針を無麻酔で縫合する様な
人も居たりします。
心の痛みについても同様ですね。
特に心の痛みに関しては、
本当の痛みを経験して知っていないと
まず共感する事が難しいです。
痛みを知る者からすると
共感を得たいと考えますが、
実際のところそれはナンセンスです。
知らないものを体験は出来ませんし、
体験談を通じて話を見聞きしたとしても
他人事には変わりないので、
「そういうものなのか...」
と、いう程度で終わります。
また、非現実の話題を出して
疑似的な体験をさせようとしても、
これもやはり他人事ですし
一過性の物となりますので、
共感までには至りません。
つまり、
経験者が分かってもらおう
分からそうとしても、
相手にその受け皿的経験が
存在しなければ、
それは決して叶う事が無いのです。
それであるならば、
理解を得ようと感情論に
任せるのではなく
「意思を伝える」
と、いう点に特化させる事の方が
明らかに効果は出ます。
体験を理解させるのではなく、
知識として記憶させるのです。
その為には、感情論ではなく
冷静な理論が必要となります。
それには、
非現実的なフィクションや
ファンタジーなどではなく
圧倒的に現実的な話の方が有効です。
状況にオブラートを被せずに
そのままを伝える勇気も必要です。
それほどまでに人は、
他者の痛みに関する事に対しては
無知蒙昧を晒している生き物です。
あくまでも現実の中で
現実的な話を伝える。
日々の生活の中で、
ファンタジーに逃避しても
何一つ改善されないですよね。
本来のスピリチュアルというのは、
現実の中でこそ
活かされるものです。
実戦型スピリチュアルであり
攻撃型スピリチュアルというものだと
忘れない様にしなければなりません。
非現実に逃げても
何一つスピ的には
成就出来ないんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
日常生活を営んでいると
あらゆる場面で貧乏神や
その類の輩と遭遇してしまう
そんな事が多々あります。
これらの存在を見極める事も
大切なのですが、
見極めはとうの昔に出来ているけど
どうしても接触を
避けられないのであれば、
対処が優先順位の第一位となります。
様々な方法がありますが、
何よりも大切になってくるのは
「なぁなぁにしない」
と、いう点です。
貧乏神の特質や特性を
既に掴んでいるでしょうから、
この所作が如何に大切かは
理解して頂けるかと思います。
貧乏神らは、ありとあらゆる方法で
「揺さぶり」を掛けてきます。
その揺さぶりに乗ってしまえば
自身の中に混乱が生じ始めてしまい
貧乏神の良い様にされて終わりです。
それまで培ってきたものは
無残にも崩れ去ります。
それを避ける為にも
「ハッキリと物を言う」事が
必須条件となる訳です。
この時にただ突っぱねるのではなく
論理的な説明に徹するのがコツです。
決して、感情論になってはいけません。
それでは貴方が流されて終わりです。
感情の片鱗は出すのは善いですが、
それはあくまでも「フリ」であり
内容は必ず論理的なものに徹する。
以前の記事にも書きましたが、
貧乏神というのは、
自身の様に思考停止をしている
「感情論者」を求めます。
言い換えればそれは、
「論理的思考を嫌う」という意味。
ですから、貴方はそこに徹すればいい。
その為には、リアルタイムでの分析と
冷静さを維持しながらの組み立てが
必要となります。
「よく視て、よく聴いて、よく考える」
諄い程にこの考え方を
教え込んでいるのは、
いざという時に必ず対処が出来る様に
という思考回路の構築の為なのですね。
最大の攻めでも
あるんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回はあにきの考え方についてです。
持って生まれた自分の能力を
どういった面で誰の為に使うのか?
仕事だけなのか?
プライベートでもなのか?
あにきと似た体質の人は
凄く葛藤するのではないかと思います。
よく耳にするのは、
自身の能力について
「オンオフを切り替えてる」
という話です。
「疲れるから」とか、
「大変だから」など、
様々な内容で話には聴きます。
かく言うあにきも昔は場面場面で
オンオフ切り替えをしていましたが、
今はずっとオンです。
生まれ持った能力ですし、
体質ですからね、
下手に切り替えるよりも
こっちの方が普通なので疲れないんですよ。
自分がちゃんと世渡り出来てれば、
何も悪戯に人様へ合わせる必要なんて
全くないですからね。
そうなると、
どうしても公私混同という言葉が
頭を過ると言いますか、
色んな方から
「仕事じゃなくても浄霊とかするの?」
「アドバイスとかするの?」
みたいな事をよく問われます。
確かにそうなんですよね。
公も私もあったもんじゃない様に
思える筈ですし。
結論から言うと、
仕事じゃなくても浄霊するし、
アドバイスとかもしますよ。
ただ、一線は引いてます。
あにきの仕事は
一般的には目に映らない仕事なので、
そういう意味では分かり難いですが、
話し方や内容でちゃんと線引きしています。
でないと、
態々お越し頂いているお客さんに
申し訳が立たないですからね。
ただ、例外も二つばかしありまして、
1つはお化けからのお願い。
もう1つは自分の役割に則した事象。
お化けからのお願いなんて
不思議でしょうけれど
年間通じて地味に件数がありまして、
その内容も多岐に渡ります。
自分を向こうの世界へ送ってほしいとか、
変な霊が居るからどうにかしてほしいとか、
お墓を直してほしいとか、
お話ししたいとか、
死んでるだけで人ですから、
生きてる人と似た様な話もあれば、
死者ならではみたいな事も多いです。
中には無理難題を
吹っ掛けようとする奴も居ますが、
そういうのは相手にしないか、
立場を分からせた上で
逆に無理難題で返します。
そんな奴に答える義理なんて
これっぽっちも無いですからね。
これらとは違い、
自分の役割に則した事象というのは、
簡単に言えば仕事ではないけど
突き動かされる事とか、
巡り巡って仕事に活かされる様な事、
教える人として必要なこと。
という感じの出来事ですね。
これも年間通じて大なり小なり
そこそこな件数があります。
2023年12月25日現在での
直近ですと、
とある施設の悪霊祓いになりますね。
ここで事象の詳細は書けませんが、
そこそこ重たい内容です。
実際に、この1か月で2人が
憑り殺されていますからね。
名誉もクソも無い話で
馬鹿らしく聞こえると思いますが、
自分の役割に忠を尽くすというのは、
こういう事すらも愉しむという事ですからね。
皆さんも、自分の役割に則した場面に
出くわす事が増えてくると思います。
その時は損得勘定ではなくて
愉しむ事を考える様にしてみて下さい。
必ず道が開けますから。
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は死んだらどうなるの?
天国へ行きたいよね?
誰でも行けるの?
という事で、天国へ行くための話を
してみたいと思います。
ー守るべきルールを守るー
日本人ですから天国というか
『浄土』とあにきは教えています。
浄土は8つあります。
それぞれが個別の世界で成り立っており
生前の罪と霊格で行き先が決まります。
霊格はその人に元々備わっているもので
早い話が輪廻の回数と総数で決まります。
そして、生前の罪ですが、
これは別に犯罪を犯してしまったか否か?
では、ありません。
もちろん、殺人や窃盗、詐欺、等々
当然に裁かれる罪もありますが、
ここでの話は浄土へ行けるか行けないか?
と、なってきますので、
いくら生前の罪でも内容が異なりましてね、
【 向こうの世界の理 】
が、ベースとなります。
ーなかなか難しいルールー
向こうの理は大枠で8つのルールがあります。
【業の断ち切り】
【業の放棄】
【他への辱め】
【自への辱め】
【信に徹さない】
【伝に務めない】
【勇を用いない】
【自に堕ちる】
この8つです。
これを破ると浄土以外の所へ行く権利を
手に入れる事が出来ます!
但し、これは破ったとしても、
善行を積み重ねる事によって、
相殺することも可能ですので、
必ずしも嫌な所へ行ってしまう訳では
ありません。
ですが、善行と簡単に言ってもそれがなかなか
難しくてですね。
単に良い事をしていればオッケーか?
というと、それが違うから困りものなんですね。
ー何を原動力にして行動するかー
向こうの世界というのは、
現世つまりこの世とは違い、想い(気持ち)が
原動力となって皆が行動する世界です。
お金どころか肉体も存在しませんからね。
ですから、
人に対する想い、家族に対する想い、
大切な人に対する想い、自分に対する想い、
様々な想いの中で動いているのが
向こうの世界の基準です。
話を戻しますが、
この世で善行を行った際に
一体何が原動力となって行動をしたのか?
という点がキーとなるのは、
この基準がベースとなっているからです。
つまるところ、
この世でありながらあの世の基準を意識して
行動すればいいという事。
想いをベースとするって事ですね。
ー感情はとても大切になるー
ここまで話すと分かってくると思いますが、
自分勝手な事をしてみたり、
自分だけが助かる為に他を蹴落としたり、
もしくは、他に罪を着せたりする様な振る舞いは
向こうの世界基準ですと、
極刑に近い処分となります。
また、虐めなんかもそうですね。
下手すると一発アウトのレベルです。
80過ぎの大往生で皆に看取られて亡くなったけど
子供の頃に行った凄惨なイジメのおかげで、
一発地獄行き!なんてケースもありますしね。
では、どうすれば良いのか?
一つ手頃な面で話すと、感情を豊かに大切に
心を育てていけばいいんです。
感情を凍らせると人とのコミュニケーションは
相当に劣化します。
喜怒哀楽を大切にして生きていけばいいんです。
決して楽ではないし、苦境だって多々ありますが、
怖い思いをしたくなければそうすればいい。
自分のエゴで他人に嫌な思いをさせない工夫を
すればいい。
自分が助かりたいが為に、人を窮地に追いやる…
笑顔で厭味を言い放つ人だけじゃない、
泣き真似で同情を誘う人も、
無表情で自己の悦に誘う人も、
皆、人を窮地に追いやっているのと同じです。
そうしない様に、そうさせない様に、
そうならない様に、ちゃんと自分で思考して
流されずに個を維持していく。
自分は自分、周りは周りです。
イイところへ行きたかったら
心を育てていきましょう。
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は、『こんな風にしていきたいな!』
という、あにきの目指すスピリチュアルの
形についてお話をしようかと思います。
ー業界に興味のない本物ー
昨今、本物偽物が多々あれども
スピリチュアル業界というのは
多種多様な形で存在をしています。
ぶっちゃけた話なのですが、
あにきはこの業界に全く詳しくありません。
何故かというと、
元々不思議な体験を重ねてきているので、
人が作ったアレヤコレヤに対して
まるで興味がないというのと、
そもそも、そういったのが大概の場合
的を外しているという点で話にならないのと、
金儲けに走っている人達の始めたものが
多すぎて根本的にうんざりしているからです。
なので、あにきよりもお客さんの方が
専門用語とかにはお詳しいといった現象が
日々普通に起きています。
(よく教えて頂いていますw)
ー先入観を逆手に取った淘汰ー
スピ好きな方から見れば、
そんなふざけた男ですから、
お会いして出だしで残念な顔をされる事も
以前はよくありました。
けれども、これって重要な面だと思っていて、
誰しもが思い描いているスピに対する先入観や
固定概念をぶっ壊すには丁度良かったんですね。
先入観というのは、己の目線や意識を曇らせます。
時に判断力すら奪います。
だからこそ、スピを騙った偽物が多いし
ねずみ講の様に膨れ上がっている。
その結果、本物と呼ばれる希少種は
どういう訳か奇行種の扱いに分類されてて
剰えスピ好きの方々の間でも邪険に扱われる始末。
(まぁ、いつの時代でも前任者達は皆同じ苦境を
味わってきていたんですけども…)
とは言え、
それはそれで本物を選ぶ為の淘汰には都合が良い。
何の本物か?
本当に困っているお客さんを選べるからです。
つまり、本物の お 客 さ ん 。
ーカタチに囚われないという大切さー
そんな細かい面で残念な顔をする人や
よく分からない理屈を捏ねる人、
自慢のスピ知識(贋作)を披露したい人は
そういう人の所へ行けば宜しいし、
あにきとしては、本当に困っている人を
助けられるならば助けてあげたい訳ですね。
なので、カタチには拘らない。
この業界人ってやたらと神秘性をその姿に
出そうと必死だったりするんですよね。
神々しく魅せたいのか何なのか...
そんな事しなくても、神秘性ってのは
そこら中に転がっているし、
着飾ってどうなるものでもない。
服装をキンキラキンにすれば
神秘性が湧くものでもないし、
ジャラジャラを沢山付けていれば
力が宿るものでもない。
そういう意味でも、どこにでもいる
おっさんを貫いているし、
なにせ一人称は「おじさん」ですからね。
パッと見の神秘性なんて皆無です!
ー眉唾物が当たり前の常識にするー
本当の神秘性というのは
仰々しく着飾って見せるものではなくて
『言葉を通じて知らせるもの』
であり
『当たり前に触れられるもの』
であり
『得も言われぬ感覚で目の当たりにするもの』
なのです。
ならばこそ、既存の情報を払拭してこそ
意味があるものですし、
聞こえの良い言葉や都合の良い見た目よりも
当たり前に溶け込んでいる方が善いのです。
それをもっと浸透させ、
誰しもが神秘や奇跡を身近に感じられる...
そんなのがあにきの目指す
スピリチュアルの形です。
恐らくこれが本当に叶うとしたら
軽く1000年以上は必要になると
思っていますけどねw