皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
「祓い」という動きがあります。
悪霊を祓ったり生霊を祓ったりする
あの「祓い」です。
この動きは中々に労力を要します。
取り分け集中力の消費は結構なもので、
数時間ぶっ通しでやるのが常になりますからね。
僕の場合は、祓いに道具も何も使いません。
使う必要が無いからです。
どうしても、祓いと云うと
仰々しいものを想像してしまいがちですが、
実際にはどんなに
リンリンシャンシャンしたところで
一時的に気分は逸れたとしても、
あんなもの効果もクソもありませんからね。
何をしていても、話さえ出来れば
事足りるのが現実です。
そして、祓い自体の時間は掛かりません。
悪霊にしても生霊にしても
やっつける事自体は簡単なのです。
力を振りかざせば良いのですから。
事実、ものの数分で終わります。
ですが、それよりも祓いというものを
困難なものにさせているのは、
相手さんのケアなのです。
以前にもどこかでお話をしたと思いますが、
結局のところ相手さんの状態そのものを
改善させる方向へ進めないと
意味が無い話となるのです。
付け入られたりする"隙"が
相手さんに生じているから、
憑依されたり家に居座られたりするのですね。
その"隙"をどうにかしない限り、
いつまで経っても同じ事を繰り返します。
それどころか、確実な悪化を招きます。
要するに、単に悪霊や生霊を
追っ払ったり、やっつけただけでは
付け焼刃に過ぎないのです。
では、何をするのかと云うと、
ここも内容的にはかなりシンプルで
相手さんの考え方を変えるのです。
ご自身の持っている"隙"
つまり、弱点であるポイントを
再認識させて改善する方法を教えてあげます。
与えるのはきっかけのみです。
そこへ至る経緯と主だった原因なども
かなり細かく説明をします。
正直なところ、相手さんにとってしてみれば
耳の痛い話になる事が多いです。
そこをまずは懇切丁寧に話します。
素直に聞き入れられない様であれば、
素直に聞ける様になるまで話します。
何で素直になれないのか、までも話します。
祓いに必要なのは、
神秘性でも仰々しさでもなくて
「論理性」と泥臭いまでの「忍耐力」なのですね。
こちら側が何をどうしたところで、
相手さんに変わってもらえなかったら意味が無い。
更には、24時間手取り足取り
サポートする事なんて出来ないのですから、
改善や同じ轍を踏まない様にするには
相手さんご自身に
日々頑張ってもらわないといけません。
なので、「きっかけ」と「方法」を
その場で納得出来るまでお話をして、
あとは後日のケアとフォローが
重要になってくるのです。
ここも理屈は簡単でして、
自身の弱点だった訳ですから
油断をすればいつでも元に戻ろうとしてしまう。
その作用が僕らには例外無く存在します。
「楽をする」と、いう動きです。
新しく変わろうとするというのは、
非常に疲れますし、
場合によっては苦痛すら伴います。
それでも、二度と憑依などを
受けたくないのであれば、
悲しい方向へ進みたくないのであれば、
ご自身で頑張るより方法が無いのです。
しかし、それだけでは危険性の回避に
暗雲が立ち込めてしまい易くなるので、
長い目で見てケアとフォローをして
いずれはご自身で
対策や対処が出来る様になってくれれば
それが一番なのです。
その為に身を粉にして動けるのが
ホンモノなのですから。
必要なのは意地と根性です。
力と威厳を振りかざすのが
ホンモノではないですからね。
自身でどうにか
するのが基本です
その為の知識を
ちゃんと教えるのが
本物ってもんや
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
人や物、仕事や商売、
そして、その能力に至るまで
困惑させられるのが、
「見極め方」です。
俗欲が原動力でもあり温床でもある
この現世の中に居ると
黙っていても俗欲に俗欲で返すという
流れが出来上がってしまっています。
これ自体は否定もする必要も無ければ
徒に嫌悪する必要もありません。
誰しもがその流れの中に居て
その循環の中に居るからこそ
想いという他の面に気が付く事が出来る
「きっかけを得る」事が可能となるのですから。
だからこそ、
見極める時に失敗をするのも事実です。
自身が何かの選択をする際に、
相手の何を視ているのかを考えてみると
見極め方は意外なほど簡単に分かります。
ってかさ、
もう既に何度も教えてるんだけどね。
大枠で云うと、ポイントは二つです。
1:
善い面と駄目な面の両方を伝えているか。
2:
どこの誰を向いて話をしているか。
この二点だけです。
1の場合は、相互関係性の話です。
善い面があるという事は、駄目な面もあります。
所謂「メリットとリスク」ですね。
例えば、スーパーでの割引シール
安いというメリットの反面、
日持ちしないというリスクがあります。
そのリスクを認識出来れば
メリットの方が強くなるというだけの話です。
リスクの認識を怠れば
ただのゴミとして終わるだけですね。
ここまではどこでも話していますし、
言われなくても分かるでしょう。
では、常識や忖度という思考が絡んでくると
どうでしょうか。
こういうのは医療系や治療系、
スピ系などに多く存在します。
スピ系で云うと、
運気アップの事ばかりを話して
そこに確実に存在する反対側の事を話さない。
運気アップの反対側は運気ダウンですが
厳密にはそこではなくて
その人の内面改善の苦痛です。
運気アップというのは
何かをするだけでアップするのではなくて
対象者自身の中身を善くするから
アップするという流れになります。
但し、それにはかなりの苦痛を伴います。
簡単に話すのであれば、
今まで散々楽をしてきたのだから
楽をしないという自身にとっては過酷な状態に
自分からならないといけない。
それが不可能であれば、運気ダウンとなる。
その苦痛の話を一切しないで
善くなる善くなるアップする
みたいな事ばかりを言うのはおかしいでしょ。
ですが、一般常識や通念的なものでいうと
そんなの一言も話していない人が多いですよね。
辛いものは見たくないし、聞きたくない。
もっと手軽で楽に善くなるものがいい。
探す側がそういう俗欲的な思考で居るから、
リスクを説明するまともな相手は
寧ろ、変人扱いをされてしまう。
何なら、一方的に叩かれて終わります。
多勢に無勢というやつです。
それを理解しているから
本物は可能な限り表に出てくる事は無い。
早い話が、しっかりとメリット&リスクの
理解すらも出来ない様なバカを
相手にする暇は無いと
ちゃんと認識しているのですよ。
これはスピ系に限らず、他の業種業界でも
みんな同じ事です。
外面ばかりの善を標榜しているのは
そのバカを相手にしているという事。
そんな程度の存在が、
相手を思い遣る訳が無いでしょ。
だから、皆さんはその反対側を
視れば良いだけの話なのですよ。
そうすれば、見極めというのは
普通に出来るようになる。
そして、
その反対側を視ない様にしていたのは
誰でも無い自分自身だという事にも
気が付くでしょうからね。
つまり、自分はバカだったと。
内なる悪に
埋もれていく
駄目だったのは
単に自分がバカだったと
認めるかどうかなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は想いの繋がりについて
お話をしたいと思います。
スピ系の仕事をやっていますと
自分以外の誰かを視たり
知ったりする為に
写真が必要ですかとか
何かしらの物が必要ですかとか
その手の台詞をお客さん側から
質問される事があるのですが、
その手の物は一切必要無いです。
何故かと言うと、
その物から視えてくる事よりも
ターゲットはそのお客さんと
何かしらの想いや念で
直接繋がっているのですから
それを汲み取った方が確実なのですね。
おまけにですけど、
いきなり物から入ってしまうと
お客さんにとっても不利になります。
つまるところ能力者側の
逃げ道を作ってしまう事になるからです。
貴方の持ってきた物のせいにすれば
言い訳が作れてしまいますからね。
それに、根本的な事ですが、
物で左右する能力なんて素人レベルです。
そんな輩に時間を使う事自体が
お客さんにとって損だと言えます。
ですから、
「責任を以て相対する」
という意味合いも込めて
あにきは物に頼らずその身一つで
やっている感じです。
同時にこれはお客さんにも言える事で、
「人の想いの繋がりを大切にする」
という事の「基本概念及び基礎所作」
となります。
一にも二にも物に頼るというのは、
想いそのものを無碍にする愚行です。
「想いを保持させる」
「増幅させる」「抑える制御する」
という様な目的で持つのが最適です。
物先行となってしまうと、
想いは減衰して念が増加します。
つまり、恨みが増えるという事です。
考えてみて下さい。
貴方に大切な人が居て、
その人と共通の物を持つ。
指輪とか何でも良いです。
それは、大切な人との想いが
お互いに繋がっていて示し合わせたから
持つ訳ですよね。
この順番が逆ならどうですか?
想いの矛先は人ですか物ですか?
物ありきで繋がっている事が分かった時、
その人が貴方に向けるのは
想いですかね?念ですかね?
こういう事になる訳です。
なので、物は後回しで
想いや念の検索を最重要事項とするのが
正しいやり方なのですね。
それを応用しているのが霊視や遠視です。
会ってもいないのに分かるってのは
これを常にやっているからなのですよ。
皆さんも慣れれば出来ますからね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は現実的なお話を
したいと思います。
あにきみたいな体質に関わらず、
科学の分野やその他の分野でも
本物と呼ばれる人ってのは、
いつだって少数派です。
世の中が、特に日本の場合は
多数決の世相ですし、
「みんなの意見が正義!」
ってのが、普通ですからね。
ぶっとんだ事を言ったり
やったり提案したりする人ってのは
相手にされないのが現状です。
その中で、いずれ評価される。
過去にそうして地味に功績を残した人達が
今になって偉人として崇められたり
評価されたりしています。
では、この多数決というのを
無くせばいいのかというと、
そう簡単な問題ではなくて、
現状のまま無くしてしまうと、
ただの混乱しか生まない訳ですね。
少数派はどこまでも少数派で良い。
それが向こうの世界の理です。
もし、それに則って
この世を再形成させるとしたら、
物的価値基準をゼロにしないといけない。
つまり、金の価値を失くすか、
ただの手段として紙切れにするしか、
方法が無いですね。
今の現世でそれが可能かどうかは
分かりませんが、
供給エネルギー関して
抜本的な変革が起きれば
別かも知れませんね。
その代わり、その時には
高確率で戦いが発生すると思います。
そして、
そのくだらなさの先にあるのが、
「新しい世界」
高次元な話なので無理ですが、
戦争を避ける方法を一つだけ
そっと書いてみます。
「軍事があるからテクノロジーが進歩する」
この考えがそもそも間違いで、
「愛や愛情を中心に捉えて、
自分以外の為にテクノロジーを作り使う」
こっちの方が
全然進歩するという事に気が付けば
戦争なんか起きませんよ。
起きたとしても、その後に
この考えに気が付けばステップアップだし
気付けなかったら滅一択。
そんな選択を迫られるのも
年明けに話したこの10年間です。
以上、少数派の意見でした。
2024.01.07追記:
「軍事があるからテクノロジーが進歩する」
これ自体は過去の流れでは
間違いではないです。
ただ、これからステップアップするには、
「愛や愛情を中心に捉えて、
自分以外の為にテクノロジーを作り使う」
じゃなきゃマズいよ、という意味です。
また、いきなり軍や軍事組織を無くすのも
今は無理です。
各国とも抑止で成り立っていますからね。
なので、現実の状況から鑑みた時に
高次元過ぎて無理なんだけど、
もし、実現出来るとしたら、こうなるよ。
という話です。
一応、言っておきますが、
あにきは間違っても考え無しの
反戦反軍事論者ではないです。
寧ろ、現行での軍事面の大切さや
そのシステムを人並ですが
充分に認知している側の人間です。
間違ったメッセージで捉えられると
嫌なので追記しました。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、あにきから視た
本物と呼べる教える人の特徴について
一部をお話をしたいと思います。
ー現状把握能力ー
まず第一に、
自身の置かれている状況や
世間や社会というものを
ちゃんと理解しています。
その分野に詳しいのは当たり前ですし、
それが間違いではないと
しっかりと信じている反面、
自身の体質やその経験が
マイノリティというのも
充分に理解しているので
現実的過ぎるほど現実的な思考も
持ち合わせています。
ー多角的視点による思考ー
ですので、多角的な視点と
様々な分野の知識量が多いです。
例えば、霊的な方面での教える人は
霊的な物事に詳しいのは当たり前として
社会的分野や国際的背景、
経済的側面や軍事的分野などなど、
多岐に渡った知識を有しており
造詣が深いです。
また、一般的に話されている
論理的ではないオカルトや都市伝説などは
重視する事がなかったり、
完全にフィクションとして理解する
傾向が強いと思います。
つまり、
何でもかんでも霊的なものへ繋げる
と言った短絡的思考が無く、
様々な現実的背景や歴史的動向、
社会情勢、国際情勢などを鑑みて
説明をしてくれます。
ーリテラシーの見極めー
前項の様に、分析解析が常なので
問い掛けに対する説明が分かり易いです。
また、比喩表現や現実的な物事や
科学的、医学的な用語など、
普段の生活で慣れ親しんだ言葉を使い
自然と受け入れられる工夫をしてくれます。
その中で、
猜疑心の強い人や疑義的な人に対しては、
言葉を受け取る程度を瞬時に見極めて、
ある程度の望みがあれば
更に嚙み砕いて分かり易く話し、
望み薄であればお互いの為にも
全くと言っていい程相手にしません。
ー死と孤独と思い遣りー
人生の中で人の生死に関わる事が
多い傾向にあります。
職業としての関わりもありますが、
人生経験として自然と関わる事も
多々あります。
生きる死ぬという事象を
自身の中で明確に理解しているので、
生きる愉しさ死の悲しさを持ち得ながら
死への恐怖心など一般的な思考からは
数歩離れています。
また、人生経験が人並以上なので
孤独を経験しながらも、
一人では生きられないという事も
ちゃんと理解しています。
なので、
常に思い遣りを胸に抱えていますから
向ける相手への区別も明確に出来ます。
ー愛情と愛への理解度ー
漠然とした言葉としての
愛情や愛を話す事は無く、
目に見えない愛情や愛を
目に見える形のものとして分かる様に
話して施す程度には愛情と愛の
理解度が高いです。
よって、心や意識という存在への
理解度も高いものとなっているので、
意識の共有や意識の物質化などについても
説明が出来る程度には理解しています。
とまぁ、あくまでも一部なので
こんな感じですが
最も顕著な特徴として、
明確なカテゴリーが本人には無かったり、
生業を持っていたりする事が多いです。
霊能者だぞー!とか
スピリチュアリストだぞー!
みたいには、なっていないという意味です。
かく言うあにきも、
ピッタリのものが無いから、
とりあえず
スピリチュアルと言ってるだけですしね(笑)
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は、『こんな風にしていきたいな!』
という、あにきの目指すスピリチュアルの
形についてお話をしようかと思います。
ー業界に興味のない本物ー
昨今、本物偽物が多々あれども
スピリチュアル業界というのは
多種多様な形で存在をしています。
ぶっちゃけた話なのですが、
あにきはこの業界に全く詳しくありません。
何故かというと、
元々不思議な体験を重ねてきているので、
人が作ったアレヤコレヤに対して
まるで興味がないというのと、
そもそも、そういったのが大概の場合
的を外しているという点で話にならないのと、
金儲けに走っている人達の始めたものが
多すぎて根本的にうんざりしているからです。
なので、あにきよりもお客さんの方が
専門用語とかにはお詳しいといった現象が
日々普通に起きています。
(よく教えて頂いていますw)
ー先入観を逆手に取った淘汰ー
スピ好きな方から見れば、
そんなふざけた男ですから、
お会いして出だしで残念な顔をされる事も
以前はよくありました。
けれども、これって重要な面だと思っていて、
誰しもが思い描いているスピに対する先入観や
固定概念をぶっ壊すには丁度良かったんですね。
先入観というのは、己の目線や意識を曇らせます。
時に判断力すら奪います。
だからこそ、スピを騙った偽物が多いし
ねずみ講の様に膨れ上がっている。
その結果、本物と呼ばれる希少種は
どういう訳か奇行種の扱いに分類されてて
剰えスピ好きの方々の間でも邪険に扱われる始末。
(まぁ、いつの時代でも前任者達は皆同じ苦境を
味わってきていたんですけども…)
とは言え、
それはそれで本物を選ぶ為の淘汰には都合が良い。
何の本物か?
本当に困っているお客さんを選べるからです。
つまり、本物の お 客 さ ん 。
ーカタチに囚われないという大切さー
そんな細かい面で残念な顔をする人や
よく分からない理屈を捏ねる人、
自慢のスピ知識(贋作)を披露したい人は
そういう人の所へ行けば宜しいし、
あにきとしては、本当に困っている人を
助けられるならば助けてあげたい訳ですね。
なので、カタチには拘らない。
この業界人ってやたらと神秘性をその姿に
出そうと必死だったりするんですよね。
神々しく魅せたいのか何なのか...
そんな事しなくても、神秘性ってのは
そこら中に転がっているし、
着飾ってどうなるものでもない。
服装をキンキラキンにすれば
神秘性が湧くものでもないし、
ジャラジャラを沢山付けていれば
力が宿るものでもない。
そういう意味でも、どこにでもいる
おっさんを貫いているし、
なにせ一人称は「おじさん」ですからね。
パッと見の神秘性なんて皆無です!
ー眉唾物が当たり前の常識にするー
本当の神秘性というのは
仰々しく着飾って見せるものではなくて
『言葉を通じて知らせるもの』
であり
『当たり前に触れられるもの』
であり
『得も言われぬ感覚で目の当たりにするもの』
なのです。
ならばこそ、既存の情報を払拭してこそ
意味があるものですし、
聞こえの良い言葉や都合の良い見た目よりも
当たり前に溶け込んでいる方が善いのです。
それをもっと浸透させ、
誰しもが神秘や奇跡を身近に感じられる...
そんなのがあにきの目指す
スピリチュアルの形です。
恐らくこれが本当に叶うとしたら
軽く1000年以上は必要になると
思っていますけどねw