ラベル 貧乏神の入口 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 貧乏神の入口 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年1月29日水曜日

常に敵なし(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




日常生活を営んでいると
あらゆる場面で貧乏神や
その類の輩と遭遇してしまう
そんな事が多々あります。

これらの存在を見極める事も
大切なのですが、
見極めはとうの昔に出来ているけど

どうしても接触を
避けられないのであれば、
対処が優先順位の第一位となります。

様々な方法がありますが、
何よりも大切になってくるのは

「なぁなぁにしない」

と、いう点です。

貧乏神の特質や特性を
既に掴んでいるでしょうから、
この所作が如何に大切かは
理解して頂けるかと思います。




貧乏神らは、ありとあらゆる方法で
「揺さぶり」を掛けてきます。

その揺さぶりに乗ってしまえば
自身の中に混乱が生じ始めてしまい
貧乏神の良い様にされて終わりです。

それまで培ってきたものは
無残にも崩れ去ります。

それを避ける為にも

「ハッキリと物を言う」事が

必須条件となる訳です。
この時にただ突っぱねるのではなく
論理的な説明に徹するのがコツです。

決して、感情論になってはいけません。
それでは貴方が流されて終わりです。

感情の片鱗は出すのは善いですが、
それはあくまでも「フリ」であり
内容は必ず論理的なものに徹する。




以前の記事にも書きましたが、
貧乏神というのは、
自身の様に思考停止をしている
「感情論者」を求めます。

言い換えればそれは、

「論理的思考を嫌う」という意味。

ですから、貴方はそこに徹すればいい。

その為には、リアルタイムでの分析と
冷静さを維持しながらの組み立てが
必要となります。

「よく視て、よく聴いて、よく考える」

諄い程にこの考え方を
教え込んでいるのは、
いざという時に必ず対処が出来る様に
という思考回路の構築の為なのですね。

日頃の努力は
最大の防御であり
最大の攻めでも
あるんやで

2024年8月7日水曜日

嫌な事と善い事(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は大切な考え方について
お話をしたいと思います。





日頃の生活の中で、
嫌な事というのはどんなに小さい事でも
記憶に残ります。

例えば、
今朝から今の今に至るまでの間でも
キレたりムカついたり

純粋に嫌だと思う事の方が
頭の中を占めている人が多いと思います。

ですが、
少し疑問に思いませんか?

本当に嫌な事ばかりでしたか?
善い事なんて一つも無かったですか?

嫌な事は覚えているのに
善い事は覚えていない?

そんなに嫌な事だらけでしょうか?

半々とかならいざ知らず
全く覚えていない
全くないというのは、
普通に考えておかしいと思いませんか?





ぶっちゃけた話、
1(嫌な事):9(善い事)の割合で
実際には善い事の方が多いです。

では、どうして善い事というのは
覚えていないと錯覚するのか。

それは、善い事があまりにも小さいのと
本当の意味での善い事というのは
俗欲に属さない事だからです。

あまりにも小さくてあまりにも多いから
感覚がバグっていて視えなくなっている。

森の中に居ながら
「木はどこにある?」と、
間抜け面して探している様なものです。

普段の生活の中で、
特段の嫌な事が無い状態が普通なのに、
どういう訳か嫌な事を作ろうとする。

少なくとも自分には善い事尽くめだなと
思う事が出来るのなら、
ほんの少しの嫌な事などは
気にも留めない筈です。

ですが、気に留めるどころか
気になって仕方ないレベルまで
嫌な事を記憶してしまうのは、

思っている以上に善い事に
囲まれているから。





善い事というのは想像以上に小さいです。
当たり前の事が当たり前に行える。
それが本当の意味での善い事の典型。

この理の中に属しながら
この理屈が理解出来ない。

だからこそ、

(欲を芯に据えた)
自分にとっての善い事
皆が羨むような善い事

を探そうとする。

けれども、それは欲中心ですから
善い事ではなく嫌な事の方に
属するものなのですね。

つまり、
善い事=小さい幸せ
という事に気が付けないと、

嫌な事を忌避すると言いつつ
嫌な事を望む様になっていき

本当に嫌な事が重なっていって
貧乏神の入口に立ち、
やがては地獄堕ちする。





欲と言うのは消せません。
寧ろ、この現世で生きていくのに
必須のものです。

欲は手段でありきっかけです。
決して目的とするものではないのです。

だから、制御をしなければいけないし、
欲というものを理解しないといけない。

自分は幸せな環境にいる
というのを理解しないで、

もっともっと moer and more と
あれやこれや欲し続ける。

結果、善い事が分からなくなって
嫌な事ばかりが目に付いていく。

もっと周りを視て、
もっと自分を覗いてみましょう。

足るを知る事に注力すれば
善い事の数や輝きがハッキリと視えますよ。
善い事を決して忘れる事はありませんからね。




2024年3月20日水曜日

自分を善くさせる(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、自分を善くさせる事について
ワンポイントアドバイス的な
お話をしたいと思います。





自分を善くしたい、
今よりも善くさせたい
というのは、誰しもが考える事ですが、

実際には何をすれば良いのでしょうか?

物に頼る、神頼み、独力、
その方法は色々とありますが、
何よりも重要になるのは
結局のところ

「他への思い遣り」です。

何を頑張ってたとしても、
ここが理解出来なければ
善くなるなんてのは難しいです。

そして、その思い遣りを考える上で
とても大切になってくるのが、

「何の為に?」

という目的です。





自分を善くさせるというのも
目的ではあるのですが、
これを主たる目的としてしまうと

自分本位になってしまいがちです。
ですから、
主たる目的の為に
「自分を善くさせる」という様に

修飾させる考え方でいかないと
なかなかどうして難しくなります。

家族の為になのか、
子供の為になのか
大切な人の為になのか
会社の為に、
組織の為に、
生徒さんの為に、

言い出したらキリがありませんが、
自分自身の為にというよりも前に

「何の為なのか?」

を、ちゃんと言葉に出来て、
それに向かう事が出来るのかを

自分がしっかりと認識する事が
自分を善くさせる為の第一歩でもあり

思い遣りへと繋がる思考となります。





この考え方が出来ると、
目的がハッキリとしますから
行動の優先順位を設ける事が可能なので、

より一層、自身の動きが活性化して
善くするぞ!
という方へと頑張れる様になる訳です。

しかしながら、
これが自分の為にという感じになると、
責任感が薄れてしまうのと、

どうしても甘えが生じてしまい
弱気になったり、憐れんだり、
下手をすると自己憐憫に陥ります。

また、思い遣りよりも
自己を優先させる事にも繋がるので
善くなるどころか、
気が付けば貧乏神の入口に居る...

なんて事も往々にして有り得ます。





今の世の中は、
色んな方が色んな事を好きに言えたり
教えたり勧めたりする事が可能な時代です。

あにき目線で見ると怪しい奴が殆どですが、
選ぶのは皆さんです。

その方法を選ぶ際に、
誰の為になのかをご自身で考える事と、
その点を教えてくれたり補佐してくれたり

助言してくれる人や方法を選ぶ様にすると、
ご自身の事を善くさせるのに
効率良く動けると思いますよ。


2024年2月24日土曜日

欲を制御しよう(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は基本的な動き方について
お話をしたいと思います。





本日のインスタにも記載しましたが、
あにきの教えている
この手の知識というものは
使って初めて得られるものです。

実践をしないと、
全くと言っていい程に無意味ですし
糞程も役に立ちません。

インスタには、
逆にマイナスとなりますよと、
書きましたが本当にその通りでして
単に覚えて身に着けた気持ちとなっていると、

貧乏神化が進みます。
何故かと言うと、
想いよりも欲が勝ってしまうからです。

覚えたいという知識欲があるのは
当然ですし、大変結構な事です。

けれども、欲は欲ですから
そこに溺れすぎると当たり前に沈みます。

なので、制御が必要となる訳です。





ここでの制御というのは、
使う事で覚えられます。

また、使わないと次のステップへと
進んだ際に、確実に躓きます。

どうしてかと言いますと、
次のステップでは、
もう既に使って制御が出来てる前提で
あにきは話をするからです。

出来なければ聞けばいいし、
やってみたけど分からなければ
やっぱり聞けばいいし、

やってみた上で疑問や質問が出てきたら
尚の事聞けばいい。

聞いて良いですよ!
聞くのは善きですね!

と、こちらから申し出ているのですから、
そうすれば良いだけなのに、
それをしようともしない。

その流れのままに知識を上書きしても
間違って覚えるのが関の山ですし、

「使うべきタイミングで使えない」
とか、下手すれば
「覚えてすらいない」

という事になります。





当然に指摘をされて挫けますね。
ここで反省が出来る様な
メンタルであれば全然善いのですが、

そうでなければ、
自分に言い訳して終わりです。

この程度の事が出来ない人が
他の事をやれる訳が無いですし、
欲に負けた上に自分にも負けたのですから

慰めを求めて彷徨い始めて、
似た者同士で上っ面な慰め合いをしつつ
傷口に汚泥を塗って化膿させ、
腐らせる。

こうして貧乏神化が始まります。

それらを避ける為の
「使う」という業。

使わないでも覚えていられる
制御が出来るというのであれば、

学校で学習した知識は
全て覚えていますか?

ここで答えが出ているんですよ。





敢えてあにきの事を
引き合いにしましたが、
これはどんな事象でも同じです。

仕事でも趣味でも習い事でも
家事でも何でも同じ。

自ら進んでやり始めたのだから、
自らの意思と覚悟で使う。

使う為の努力をする。
使う為の知恵を絞り考える。

こんな誰でも分かる当たり前な話なのに、
聞きもしないで

金や時間などと身勝手な理由を
縷々述べ立てて
欲に負けて自に堕ちる。

善意でお薦めされた事を
利己的な要因で履行しないのは
信じていないのと同意義ですし、
汲み取る事もしていないのと同意義。

つまりは、
信に徹しておらず
伝に務めてもいなくて
自に堕ちている訳ですから、

当然に貧乏神へと堕ちる訳ですね。

傲慢や怠慢というのは
恐ろしいものです。


2024年2月8日木曜日

知識の価値(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は知識について
お話をしたいと思います。





何に於いても基本的な事ですが、
知識というのは、
憶えて終わりではなくて
それを使ってなんぼのものです。

「知識は使って初めて価値が出る」

という事ですね。
幾ら念入りに知識を身に着けていても
使う事が無いと、
覚えたと思っているその場から
どんどんと忘れていきます。

覚えたつもりで終わるという意味ですね。

これは持論ですが、
人は脳みそで知識を覚えますが、
それを確固たるものへと定着させるのは

「肌や五感を利用した場合」
ではないかと、
あにきは思っています。

見たもの、聞いたもの、嗅いだもの
味わったもの、触れたもの、
ちょっとしたニュアンスなどの微小感覚...

ましてや、
霊的な存在や目に視えない事象、
人との思いの遣り取りなどに至っては、

五感だけでなく六感も含めて
複合的に使用し続けないと
必ず鈍りますし、
使いたい時に使えません。





なので、日頃より自分から
その知識を使う努力をしていないと

ちゃんと覚えたつもりの知識も
気が付いたら全然間違った内容へと
変貌していたりするものなのです。

何故ならば、

自分はちゃんと覚えて
使っているつもりの知識だとしても

確固たるものへと昇華させて
自身のものにさせない内は、

それを間違いないものだと
確認する術など
教えてくれた人にしか出来ないのです。

それが眼に視えない映らないものなら
尚更ですからね。
その事実に気が付いた時の落胆は
きっと想像以上ですよ。

それまでの時間を無駄にしたのですから。

怠慢や傲慢な思考は
貧乏神の入口ですからね^^