皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、自分を善くさせる為に
気を付ける事について
お話をしたいと思います。
自分を善くさせる為や
自分を変える為には、
自身の駄目な点や嫌な点、
過去の過ちなど
要は、自身の弱点・汚点を認める
必要があります。
そして、
その弱点というのは
面白い程に自分の足を引っ張ります。
特に、
その弱点を素にした思考や言葉などは
さも当たり前の様に
頭に浮かんできたり、
口から飛び出してきます。
ですが、それを使ってしまうと、
結局のところ
何も変わらないという事ですから
善くなるには程遠くなるのですね。
自分の弱点というのは、
ある意味では何よりも慣れ親しんだ点
という事でもあります。
なので、
使ってはいけないのに
不意に使ってしまう。
常時意識をしていないと、
これを回避する事は難しいですし、
どうして使ってはいけないのかを
納得いく理論や理屈で
しっかりと理解する必要もあります。
つまり、相当な覚悟が無いと
気が付いたら思考したり発したりを
してしまうという事なのですね。
重度の依存症患者が
知らず知らずの内に手を付けているのと
同じ様な状況となるのです。
また、
自分の弱点というのは、
本当に自分の隙を突いてきます。
楽をするという観点からすると、
見ようによっては
とても優しいとも思える程です。
しかしながら、
そこへ甘んじてしまうと
前に歩みを進める事は出来ませんし、
甘んじ楽をすればする程に
自分自身の重力へ引っ張られて
内側へ堕ちていきます。
自分自身に圧し潰される
という表現でも良いかも知れません。
これを絶対回避させる為の思考が
「思い遣り」です。
常時、何をする時でも、
「何のためなのか?」
「誰の為なのか?」
を考えるのです。
そして、
その先にある自分の周りや
自分にとって大切な人達の事を
しっかりと思い浮かべる。
例えば、
息をするのも水を飲むのも
自分が死ぬからではなくて、
「自分に何かがあっては、
自分を頼ったり気にしてくれる人達を
哀しませる事になるから!」
と、思考できるか出来ないかです。
こうして話すと極々当たり前の事ですが、
実際にピンチやテンパる状況となると
思考のベクトルが内側に向いてしまって、
「自分のために...」
という回路になってしまう。
その瞬間、自身の弱点が牙を剝いて
飛び掛かってきたり、
厭らしい卑屈な笑みを浮かべて
貴方を引っ張るのです。
なので、
常に意識を弛ませない様に
しないといけませんし
貴方は貴方の闇を
常時監視しないといけない。
その闇を見たくない聞きたくないで
蓋をしたり目を背けたりしていると
動向が分からないので、
逆にチャンスを与えてしまう事になる。
ですから、
常に監視する意味も込めて
自分の弱点や汚点には
首輪を付けて貴方が手綱を握ってる
必要があるのです。
その上で、想いのベクトルも
常に考える。
やる事はこれだけで簡単ですが、
気を付けて下さい
貴方の闇は常に貴方を視て
貴方の隙を狙っていますからね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回も自分を善くさせる事について
お話をしたいと思います。
これまで、
自分を善くさせるという点に関して
縷々話をしてきました。
日頃から皆さんも
自分を善くさせる為に
色々な事をしてみたり、
気を付けてみたりされてると思います。
物を身に付けてみたり、
逆に捨ててみたり、
占いをしてみたり、
それを聞いてみたり、見てみたり
パワースポットへ出向いてみたり
験を担いでみたり...
本当に多々あると思いますが、
何をやるにしても
「実行力」が伴っていないと
まず善くなる事は無いです。
何はともあれ、
まずは動くという事ですね。
考えてから動くのは、
ある程度の知識が身に付いた後の
動き方です。
知識が乏しい状態ですと
考えたら考えただけ
動きが鈍くなりますし、
それどころか
動けなくなる事の方が多いです。
なので、まずは動く。
その後、ちゃんと考える。
動きながら考える。
と、言う事はですよ、
どんな事でも
「踏み込む勇気が必要」
という話になる訳です。
「勇を用いる」ですね。
怖気付いたり何もしない内は
変える事など不可能です。
同時に信じる事が必要です。
「信に徹する」ですね。
教わったのなら、
教わった人の言葉を信じれば良いし
自分で思い付いたのなら、
自分をちゃんと信じ切らないといけない。
その上で、
しっかりと伝えなければいけません。
自分に対してもですし、
神社仏閣で願掛けをするなら
神様仏様に対しても真摯に伝える。
それが人でも物でも何でも同じです。
そこには言霊という形で
「想い」が宿ります。
つまり、
「伝に務める」ですね。
伝えるという事は、
汲み取るという事でもあります。
ちゃんと聞き取るという意味です。
普通に考えて、
言いっ放しで善くなる訳がないでしょ?
どんな相手でも会話が成立して
初めて善くなる方へ進みますから、
その意思を汲み取れなければ
どうにもこうにも変わりゃしません。
この様に、ご自身を善くさせる為に
何をやっても結構ですが、
ご自分の中で留まっている内は
善い方向へ舵取りなど出来ません。
理由は簡単で、
ご自身の中でウズウズしているだけなら
それは自分本位に他ならないからです。
要するに、
貧乏神と同じという事。
自分の中だけに留めとくのは、
自分だけが善くなりたい
という意思の表れにすぎません。
その欲中心の思考では、
実行に移すという行動が出来なくなります。
実行に移せないという事は、
「維持継続が出来ない」
という結果にも繋がります。
そんなんで善くなる訳がないですよね。
それに、実行力の後ろ盾として
信に徹する、伝に務める、勇を用いる
この三つの理を律しないという事は、
聞くだけ聞いて何もしない
願うだけ願って何もしない
見るだけ見て何もしない
思うだけ思って何もしない
という意味ですから、
こうして書いてある文字を読むだけでも
善くならないのは分かりますよね?
また、目線を変えれば、
手伝ってくれてる人や物、存在に対しての
裏切りそのものなんですよ。
いや、誰にも頼んでないし、
願掛けも話もしていないし、
という人も居ると思いますが、
ここにはね、第三者だけでなく、
貴方自身も含まれているという事です。
自分をも裏切っていれば、
自分を善くさせるなんて夢物語ですよ(笑)
総じて言える事はですね、
何をするにしても
自分を善くさせたいのであれば、
まずは、
「自分の思考と意識を見直す事が
第一歩となってくる」
という事なのですよ。
自分を善くさせてる人は、
大なり小なりこれを理解していますから
善くさせる事が出来てるんです。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回も自分を善くさせる事について
お話をしたいと思います。
自分を善くさせるというのは、
端的に言えば
貧乏神にならない事を指します。
では、
貧乏神というのは何か?
今までにも散々書いてますので
ここでは細かい事は述べませんが、
自己中心的な思考
自意識過剰
自己研鑽
自己満足
自画自賛
自己顕示欲過多
承認欲求過多など
これらを基にして
万物への想いが中心ではなく、
「自身の欲を中心に」
活動している存在です。
これらの要素を持ってはダメ
という事ではないです。
間違いなく誰でも持っていますし、
失くす事など無理ですからね。
肝心なのは、これらを制御する事。
自分の中身を構成する物なのですから
制御すれば良いだけです。
制御させるには行動の基準が
想い中心となれば必ず可能です。
想い中心と言うと、
いつも優しくニッコニコ♡
怒る事なんてないよ♡
を連想しがちですが、
それは
人間味を殺している馬鹿者です。
寧ろそういう人は
貧乏神やその眷属ですね。
想いが中心というのは、
喜怒哀楽を保持して
感情をしっかりと表に出し、
相手が人に限らず、
自分の意思をハッキリと伝える。
という事です。
これが欲中心となると、
何をするにしても
「自分!自分!自分!」
という様になりまして、
自分だけが良くなりたい
自分だけは嫌われたくない
自分だけが見られたい
自分だけが思われたい
どうして自分だけ
どうせ自分は
などといった事が行動概念となって
動く様になります。
どんなに綺麗事を並べても
どんなに丁寧な言葉を使っても
所詮はこの行動概念ですから、
ふとした瞬間に化けの皮が剥がれます。
これらを如何に失くしていくのか
真逆の方向へ変えていくのか
それが自分を善くさせるという事に
繋がっていきます。
あにきの所へお越しになる方も
多かれ少なかれ
最初はこれらが発現しています。
けれども、
ご自身で違和感を覚えていたり
良くない事が多発していたりで、
どうにもこうにも良くなりたいから
来られる訳ですね。
その中で、こういう事があります。
あにきがインスタ(#やストーリーズ)に
載せた事を
「自分の為に載せてくれて
ありがとうございます。」
みたいに言う人が結構いるのですが、
ハッキリ言いますけどね
どなたか特定の存在に向けて
書いてる事は殆ど無いです。
本当にお陰様をもちまして、
結構な数の方とお話を
させて頂いておりますから、
お一人お一人に対して、
それをやるなんて事が無理なのですよ。
自分の為に…
と、感じるのは結構ですが、
それは、
偶々貴方の中に合致しただけであって
決して特定はしていません。
完全な勘違いですよ。
もし、勘違いでなければ、
貴方の中で自意識過剰が過ぎている
という事になりますから、
それは貧乏神の兆候そのものですよ。
自分を善くさせたいのならば、
こういう面から
本当に気を付けないといけませんね。
で、
こういう事を書くと、
「自分に対して書かれた…」
って、言うんでしょ?
だから、
それが駄目なんだって(´Д`)ハァ…
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回も自分を善くさせる事について
お話をしたいと思います。
前回お話をした内容を踏まえつつ
頑張っていたとしても、
また、同様の事やご自身に沿った
アドバイスをしてもらえて
やり続けていたとしても、
気が付いたら
「手段が目的となっている」
というケースが多いです。
どうしてこの様な事が
起きるのかと言いますと、
自分で定義した若しくは、
他者から定義してもらった課題、
つまり、目的や目標ですね、
これをクリアさせる為に
努力をしていた筈なのに、
自身を見つめるという点を
疎かにしてしまって、
「何の為に...」といった
前回お話をした肝心要の部分を
忘れてしまう。
何でもそうですが、
努力や尽力というのは
往々にして苦しいものです。
その苦しさのあまり、
自然と楽な方へと思考が流れてしまう。
「もう少し簡単な方法は無いかな...」
「今日くらいはやらなくても良いかな...」
「忙しいから後でやれば良いや...」
「今は忙しいし…」
自身で決意や覚悟を表明しても
いざ苦行を味わうと避けたくなる。
人の為だなんだと
格好良い事を言いながらも
それよりも苦しさから逃れたい。
そんな意識が出てきてしまうから
結果として、
御大層な大義名分よりも
自分を取ってしまう。
故に起こるのが「手段の目的化」です。
何かを達成させるというのは、
生半可な意識や気持ちでは難しいです。
前述した話などは、
身近なところで言うと
ダイエットなんかがそうですよね。
最初こそ、意気込みはあるけれども
ただ痩せたいというだけでは、
きつくなってくれば
「休む」という二文字が出てきて止まる。
運動自体そのものが続かない。
続かないから簡単な方法でやってても
今度は思った様に成果が上がらないから
優先順位を切り替えて辞めてしまう。
色々やって仮に痩せられたとしても、
今度はそれを維持する事が出来ずに
リバウンドで悪化してしまう。
自分の中の悪魔の囁きに
耳を貸したが為に、
本来の目的を忘失して
手段が目的となった典型例ですね。
これらを回避して、
自分を善くさせる為の
達成率を上げるには
色々あると思いますが、
何はともあれ第一には、
「断言する」というのが重要になってくる。
と、あにきは考えます。
本当にヤバいと思えば
「誰の為に」という言葉にも重みが出ますし、
形振りも構ってなんかいられません。
それまでが善くなかったから、
善くなろうとしているのに
自身の意識の度合いが弱いから、
途中で諦めてしまう。
苦しいとは言っても
別に死ぬ訳でも無い程度の苦行ですよ。
それらを乗り越える為に
自分の中に意識を強く打ち込むには、
断言すれば良いんですよ。
考えてみて下さい。
普通に生活をしていて、
断言する機会ってありますか?
ほぼほぼ無いと思いますよ。
というよりも、
断言とは真逆の曖昧な状態や
中途半端な甘やかしばかりですよね。
だから、
人に言われたからでも何でも良いから
断言するんです。
ちゃんと目的も謳った上で、
「私はやる」「俺はやる」って。
断言するんです。
あにきのセッションでも
しっかり言葉に出して
断言させる事はあります。
その結果は歴然で、
やはり断言した人の方が
ご自身に打ち勝っていますもの。
もし、ご自身で善くさせる為に
何かを頑張りたいという人は、
断言を是非お試しになってみて下さい。
とても小さな行動ですが、
貴方にとっては
とても大きな一歩となりますよ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、自分を善くさせる事について
ワンポイントアドバイス的な
お話をしたいと思います。
自分を善くしたい、
今よりも善くさせたい
というのは、誰しもが考える事ですが、
実際には何をすれば良いのでしょうか?
物に頼る、神頼み、独力、
その方法は色々とありますが、
何よりも重要になるのは
結局のところ
「他への思い遣り」です。
何を頑張ってたとしても、
ここが理解出来なければ
善くなるなんてのは難しいです。
そして、その思い遣りを考える上で
とても大切になってくるのが、
「何の為に?」
という目的です。
自分を善くさせるというのも
目的ではあるのですが、
これを主たる目的としてしまうと
自分本位になってしまいがちです。
ですから、
主たる目的の為に
「自分を善くさせる」という様に
修飾させる考え方でいかないと
なかなかどうして難しくなります。
家族の為になのか、
子供の為になのか
大切な人の為になのか
会社の為に、
組織の為に、
生徒さんの為に、
言い出したらキリがありませんが、
自分自身の為にというよりも前に
「何の為なのか?」
を、ちゃんと言葉に出来て、
それに向かう事が出来るのかを
自分がしっかりと認識する事が
自分を善くさせる為の第一歩でもあり
思い遣りへと繋がる思考となります。
この考え方が出来ると、
目的がハッキリとしますから
行動の優先順位を設ける事が可能なので、
より一層、自身の動きが活性化して
善くするぞ!
という方へと頑張れる様になる訳です。
しかしながら、
これが自分の為にという感じになると、
責任感が薄れてしまうのと、
どうしても甘えが生じてしまい
弱気になったり、憐れんだり、
下手をすると自己憐憫に陥ります。
また、思い遣りよりも
自己を優先させる事にも繋がるので
善くなるどころか、
気が付けば貧乏神の入口に居る...
なんて事も往々にして有り得ます。
今の世の中は、
色んな方が色んな事を好きに言えたり
教えたり勧めたりする事が可能な時代です。
あにき目線で見ると怪しい奴が殆どですが、
選ぶのは皆さんです。
その方法を選ぶ際に、
誰の為になのかをご自身で考える事と、
その点を教えてくれたり補佐してくれたり
助言してくれる人や方法を選ぶ様にすると、
ご自身の事を善くさせるのに
効率良く動けると思いますよ。