皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
常に自分自身の意見を最優先とするか
適宜他者の意見を優先とするか
耳を傾けて声をよく聴いて
相手を尊重する事によって
繋がっていく現実があります。
こう話すと
どうしても生きている人同士の話で
結論を出してしまいがちですが、
ここには単に死んでいる人や
自分をサポートしてくれている補助霊、
様々な場所に点在している自然霊と
呼ばれる存在なども
多分に含まれています。
霊の言葉や声なんて聴こえない
そう思っているのは貴方の勝手で
実際には聴けているのが現実です。
実のところ、
視えるよりも聴こえるの方が
遥かにハードルは低いんですよ。
霊的な存在というのは、
直接幽体に語り掛けてきます。
それを肉体に落とし込む形で
言葉として認識をします。
早い話が、
霊的存在の音声データを
ダウンロードしている感じです。
ちなみにですが、
霊的存在の声を聴くための
アプリケーションに相当する部分は
既に皆さんはインストール済です。
それが、幽体ね。
このダウンロードが中々難しいもので
幽体から肉体へ落とし込む際の
データ量に対して
接続速度が非常に遅いため、
途中で接続が切れてしまうのです。
なので、断片的だったり
薄っすらとしか聴けなかったりします。
夢で例えると分かり易いのですが、
憶えていられないですよね、夢。
ハッキリと憶えているものと
薄っすらとも覚えていないものとの
差の激しさが物凄いでしょ。
あれが、
幽体から肉体への落とし込みの
難しさを表す典型的な例です。
全てのデータだと容量が大きくて
非常に大変になりますが、
そこを聴覚だけに限定すれば
結構な容量が節約できます。
霊的存在との遣り取りに於ける
コツみたいなもんですよ。
皆さんはどうしても
視覚に頼り過ぎてしまう。
見たいという願望が強いとも言えます。
目で視えた方が安心もするし、
恐怖も抑えられますからね。
ですが、
その願望が却って皆さんの感覚を
面倒なものにさせてしまっているのです。
なので、少し考え方を変えてね、
例えば、聴覚に頼る率を高めて
視覚に相当する部分を
想像で補ってみて下さい。
CGイメージ補強みたいなもんです。
自身の中の知識や経験が相当数あれば
一部の感覚を基にしてVRを構成できます。
何も全てが全てを物質に触れる感覚で
どうにかしようとするから
無理が生じてしまうんですよ。
何だか、ぶっ飛んだ事を言ってると
思うでしょうけどね、これってさ
普段から皆さんもやっているからね。
声だけを聴いたりして相手を認識する
電話とかで普通にやってるでしょ。
あれをそのまんまやればいいの。
簡単でしょ。
見た目を盾に取って
邪魔をしてしまう
からなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
自然霊に対する一般的な認識ですと
神様扱いとされていますが、
実際のところは位置付けが
かなり異なります。
俗に言う神様よりももっと身近で
親しい存在が自然霊です。
何せ、狭間を介して現世の中に
身を乗り出しているのですから、
この段階で所謂神仏とは
同じではないです。
ただ、人の作りし世界の中で
人智を越えた存在である事に
変わりはないので、
そういった意味合いでは
神さんと呼んでも遜色ないのも事実です。
そんな自然霊ですが、
彼等は常に現世について学んでいます。
人についてではなくて、
「人を含めた現世」についてです。
一見すると管理する側の様な立ち位置で
考えられてしまいますが、些か異なります。
確かに、自然霊が管理をしている側面も
有るには有りますが、
それはあくまでも現世という領域を
彼等自身の立場に於いて学ぶ渦中の
一環でしかありません。
そして、
彼等が現世について学ぶ中の一つに
「人との繋がり」
と、いうものが存在します。
自然霊とは
一度も人に転生した事の無い霊体です。
そんな彼等が人という歪な存在を学ぶ。
その学ぶ中の一つが「繋がり」です。
如何に想いという要素を用いて
肉体を得て俗欲を纏う存在と繋がれるか。
動物や植物、虫やその他の構成元素では
経験し得なかった本能的でも直感的でもない
複雑な繋がりを肉の身体を持たずして
学んでいく。
それが彼等の目的の一つです。
何故なら、彼等の次の転生は人なのですから。
うちらは
人をやってるんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
霊というのは至る所に居ます。
それは自然霊も動物霊も同じです。
ありとあらゆる場所に存在して
私達の傍で生活をしています。
と、いう事は
常に何かしらの霊的な存在に
私達は触れていると考える方が妥当です。
にも、関わらず場所や場面を特定させた
物の捉え方でしか判断をしていない人が
多いのが現状です。
例えば、
神社へ参詣したりパワースポット等に
足を運んだ際は、龍神さんなどの
自然霊を意識しようとしたり。
はたまた、夜や薄暗い場所に行くと
悪霊を意識したり、
一人の時に生霊を意識したり。
良い事があったりすると
ご先祖さんを意識してみたり。
等々、思い当たる節が結構あるのでは
ないでしょうか。
そんな限定的な場面のみでしか
存在しないほど彼等は少なくないです。
街中にも自然霊は居ますし
神社にだって悪霊が居る事もあります。
つまり、
視えない何かに対して
漠然とした恐怖を一方的に覚えたり
こちらの都合で考えも無しに信望をするのは
実は危険だったりするという事です。
もし、あなたが勝手に恐怖した存在が
善い霊だったらどうしますか。
貴方が信望した相手が悪霊だったら
どうされますか。
ご自身が思い描いていた結果とは
全く逆の結果になる事は必至です。
そうならない様に
善い霊体には敬意を払い。
悪しき霊体は回避する。
その方法が、「感じ取り」です。
その場に至った際に、
「善い感じがするのか」
「嫌な感じがするのか」
を、色眼鏡を掛けずに感じ取ります。
ここで言う色眼鏡というのは、
様々な「俗欲」を指します。
恐怖心や思い込みなど、
余計なバックグラウンドを意識しないで
単純な感覚に身を寄せて、
善いか嫌かのみを「素直に」感じ取る。
非常にシンプルな所作ではありますが、
これが「よく視てよく聴いてよく考える」の
第一歩となる重要な業となるのです。
真実は意外と分かり易いものです。
それを惑わせているのは
誰でもない自分自身なのだと、
はたと理解する事が出来ると思います。
貴方が素敵だと思えた霊的な経験、
貴方の恐怖した霊体験、
その事象とその後の結果の乖離。
善い筈なのに嫌な事が起きたり
怖かったのに善い事が起きたり
これらは、この「感じ取り」を
怠っていた故の因果でしかありません。
ほんの少しの一手間が
総ての結果を変えてしまうものなのですよ。
善い結果など
来ないんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
人が人に対して好き嫌いがある様に
自然霊も人に対しての好み
というのがあります。
自然霊が好むタイプは
その種類と個体によって
大きく変わってくるので
一口に言えたモノではないのですが、
嫌うタイプというのは、
逆にかなり統一されています。
その中で最も分かり易いのが、
「自分本位な人」です。
自分本位な人、つまり俗欲の強い人
俗欲に溺れがちな人、
周りに流され易い人となるのですが、
このタイプが嫌われる理由としては、
何かを願う事のみに必死となって
自然霊への思い遣りに欠けるからです。
また、自然霊というのは
確かに願いを聞き入れる事もありますが、
どちらかと言えば我々と同じスタンスに
近い存在です。
神さん扱いをされてはいるけれども、
その実はかなり我々に近い思考回路を
持っています。
人間と違うのは、
まず一度も人を経験した事がないので
人の社会性を知りません。
野蛮という意味ではなく
本能的な動き方や考え方が多いです。
感情を基にした動き方と言えば
分かり易いかも知れません。
その上で、個体毎に性格もありますし、
やるべき事も理解している。
幽界と呼ばれる領域の存在なので、
人が浄土に居る時と同様に
「想い」を軸にして活動をしています。
その想いを芯に据えた存在が一番嫌うのが
念を芯に据えた思考です。
この思考を嫌う理由の大なる点の一つが
「恨みを向ける」です。
自分本位な人は、願うだけ願って
何かあればあっさり自然霊を忘れたり
都合よく恨みを当ててきます。
その恨みを投げつけられた時の
寂しさや哀しさが自然霊は嫌なのです。
只でさえ現世の存在からすると
視えるようで視えない存在なのに
一方的に恨みをぶつけられる。
その理由や会話すらままならない。
そこから自分が仕返しをするのも
みすぼらしいので嫌う。
そういう存在なのですね。
贄と引き換えに色々とやる稲荷みたいな
存在も居ますが、その稲荷ですら
自分本位な人の事は、やはり嫌っています。
人は万物の中の一存在に過ぎません。
その万物には視えない存在も含まれます。
周りに目を向けたり、思い遣りを向けるのは、
何も人限定ではないというのを
理解する必要がこういった点でも
分かる様にならないといけません。
そういう考えが
思い遣りなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
スピリチュアルや霊的な事を
仕事としてやっていますと、
超自然的な話とか
非科学の話が
確かに多めになってしまいますが、
そこへ主眼を置いてしまうというのは
ハッキリ言って間違いです。
霊的な事もスピリチュアルも
現実を現実として捉える事が出来て
初めて機能するものですし、
間違っても現実を越えたり
ましてや、
優先させる様な事でもないです。
と、言いますのも、
どうしても現実逃避が目的で
霊やスピを使う人が多いからです。
現実を生きる中で、
少しでも「善くさせる」
その「きっかけ」を作る
というのが、
本来あるべき姿です。
その最中や行き着く先に、
「幸せ」や「運気上昇」
等があるわけで、
現実を現実として受け止めない
というのは、
思考停止したり
思考停止させたりするのを
助長させてるに外なりません。
例えば、
世の中のシステムが間違っているから
新しいものへと変わろう
ステップアップしようと、
大抵のスピ系の人は言っています。
あにきもステップアップについては
何度も話しています。
ですが、現行のシステムや
既存の社会が間違っているとは
思いませんし、それを言うならば、
これまで培ってきたものを
全て否定する事になります。
要は、先人さん達ご先祖さん達を
全力で否定拒否するという事です。
そんな馬鹿な話はないし、
先人さん達が居たから今があるんです。
その中で、ステップアップして
いずれは現行の社会基盤や規範が
新技術や新らしい概念に変わる時が
来るでしょうし、
そうなると信じていますが
かと言って、今すぐにそうなる事は
有り得ないんですね。
その手の与太話を推奨している人は
今すぐに変わる事を仄めかします。
また、それを信じる人は
あまりにも現実を視ていなかったり
現実から逃避していたり、
現実よりも理想に埋もれていたりと
見るも無残な状態となっていたりします。
神秘と言うのは、
現実社会があるから成り立つのであって
現実を見れなくなれば
神秘にも気が付けなくなります。
もっと簡単に言うならば、
この世があるからあの世があるし
あの世があるからこの世がある。
お互いがお互いで作用しているから
お互いが成立しているのが現実です。
ちゃんと現実を知らずして
理想は成り立たないのですね。
スピや霊は存在
しているんやない
豊かにさせる為に
存在してるんやで
科学も非科学も
目的や到達点は
同じなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
龍神や鳳凰などの自然霊の事が
皆さん大好きだと思いますが、
彼らとの触れ方、触れあい方は
なかなかどうして
教えてくれない人が多いです。
まぁ、そこら中に居るけど
普通は目に視えないし
仕方ない事ではあるんだけど、
結構勘違いしてる人も多いので
改めて基本を書いてみようかなと。
自然霊というのは、
その各々が
云わば万物それぞれを司る存在であり
万物に影響を与え、
影響を受ける存在なのですね。
影響下という事なのだから
そこには動植物のみならず
虫もそうですし、
鉱物、液体、気体、
様々なものがその影響下にあり
同時に影響を与えるという事です。
これを「相互作用」と言います。
つまり、簡単な言い方をすると、
自然霊本体が視えなくても
その各々が司る種別の存在や物を
人から見た勝手な認識をするのではなくて
「万物という目線」で
視ればいいだけなのですね。
例えば、家の庭に蛇が出た。
うひゃーっ と、なるけれど
蛇ってのは言わずもがな
龍神の眷属です。御遣いですね。
それを身勝手な理由で嫌がるという事は、
遠巻きに龍神を嫌がるという事。
そこに龍神の意思が入ってる事も
毎度毎度ではないにしろ、
多々あるんですよ。
そこで、蛇=龍神という認識を以て
接すればまた違った見方になるでしょうし
触れ方も変わってきます。
嫌いだったりキモかったりしても
何が嫌いでどこがキモいのかを
ちゃんと考えるきっかけにもなるし、
恐怖の源をしっかりと認識した上で
それを伝えれば
自然霊は理解が早いので納得します。
同じ事がその他の存在全てに言える。
要するに、
木は木、水は水、石は石、虫は虫
みたいな人本位の目線や思考を
一時的に外してみれば
実は自然霊というのは
人よりも身近な存在だと分かるし、
実は、いっつも視えているというのも
理解出来る様になります。
その中で、自然霊と上手く付き合えると
本当に姿を見せてくれたりするのです。
なので、
「自然霊との触れ方」というのは、
「万物との付き合い方」
なのだと解釈が出来る訳ですね。
そこには
人工物も
含まれるんやで。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は無知による恐怖について
お話をしたいと思います。
先日のインスタにも少しだけ
書きましたが、
霊や霊らしい存在を見たり
感じた時に怖いと思うのは
霊という存在の事だけでなく
霊の居る世界観など基礎的知識を
知らないからです。
ある程度の情報を知ってしまえば
恐怖心など無いに等しくなります。
少なくとも従前の様な怖さは消えて
本当に恐怖を感じなければならない点を
しっかりと踏まえる事が出来ます。
そうでないから、
矢鱈めったら怖がるだけで
そうなれば一方的にやられてしまうし
善い霊や自然霊に相対しても
悪霊だと断じてしまって
結果として罰を受けます。
生きてる人や動物が相手でも
同様の事が言えますよね。
視えていれば対策が取れるけど、
いきなり出くわすとなると
例えそれが虫の一匹でも
ひえっ!ってなるでしょ?
同じことなんですよ。霊も。
それに、皆さんが思っているほど
霊は憑いてきません。
それを駄目な事だと認識しているから。
非常識な事だと分かっているから。
それでも憑いてくる奴というのは、
生きてた時から普通じゃないです。
普通に罪人とか
そういう目に視える奴も居ますが
それよりも、普通に生きていた貧乏神
なんかの方が多いです。
要は、そこら辺に居る人って事です。
そういう人はね、生きてる時から
片鱗が出ています。
けど、それよりも圧倒的に多いのが
普通に良識のある霊。
つまり、善い霊。
どうしてそんなに多いのか
なんでそんなに少ないのか
そもそも何処に居るのか
成仏ってなに
そういった情報を知らなすぎるから
怖い。
世に出回っている下らない些末な情報
稚拙な話、中途半端な能力者の話
そんなのに踊らさせれいるから怖い。
実際に知ってしまえば
本当に徒な恐怖心は消えます。
現に、あにきのお客さん達。
とりわけレクチャーを受け続けている方々は
そういう陳腐な恐怖心は消えています。
今更悪霊なんてと、
鼻で笑うレベルになってるという事です。
知るというのはこういう意味ですからね。
それとね、憑依される人。
憑く悪霊が悪いと断罪しているけど、
憑かれる原因を作っているのは
される側の人間ですからね。
それを理解出来なければ、
どこまでも憑依は続きますからね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は前向き思考について
お話をしたいと思います。
人には
「幸せを呼び込みやすい人」
というタイプが居ます。
自然と幸せを呼び込んでしまうタイプ
って意味です。
このタイプの人には
幾つか特徴が出ます。
<素直さ度が高い>
とても素直さ度が高く、
疑うよりもまずは実行に移します。
とは言っても、
漫然と信じて疑わないのではなくて
その場その場で善し悪しの判断は
きちんと行えます。
即断即決が基本ですので、
動きがいつもパパっとしていて
「とりあえず様子を見よう…」
という様な、後手に回る行動を嫌います。
また、一方からの意見だけでなく
他方からの話を
ちゃんと聞いて判断する耳を持っています。
ですから、常に冷静です。
<感情の出し方が上手い>
喜怒哀楽がハッキリとしているので、
少しの事でも感動を覚えます。
性格は物凄く明るいです。
逆に、
大衆的なものや
明らかな宣伝や喧伝による
感情の誘導などには目もくれない!
と言った、目利きが出来ます。
(全米が感動した!が効かない)
あくまでも自身を基準にして
感情の判断をしますので、
感情移入による誤作動が少ないです。
ですので、
逆の立場の人からすると、
感情の出し方が下手くそとか
感情が無い様に思われがちな面があります。
<嫉妬や妬みを持たない>
人を羨んだり妬んだりする事を
何よりも嫌います。
「自分は自分!」
というのをハッキリと持っているので
人様と比べる事自体に
価値を見出していません。
また、その価値観は生まれながらにして
持っている事も然りですが、
生きてくる中で、
人様と比べて優位性や優越感を覚えても
そのせいで酷い目にあったりと
体験や経験から裏取りが出来ている事も
多いので、芯がとても堅いです。
では、競争心が無いのかというと
そうではなくて、
勝負事はちゃんと心得ていますから、
大義を視る事に長けています。
<小さい幸せを見付けやすい>
自分の内側も外側もバランスよく
視る事が出来るので、
ありとあらゆる場面において
小さい幸せを人一倍
見付ける事が出来ます。
自然霊をキャッチする能力にも
長けているので、
常に何かしらの自然霊と交流したり
自然霊から傍に寄ったりしています。
そして、霊という存在への偏見が
殆ど無いに等しいので、
不可思議な事を目の当たりにしても
愛を以って接する事はあっても、
恐怖を広める事がありません。
また、愛情と愛の違いを明確且つ
詳細に説明ができる程に理解しています。
如何でしたか?
貴方は該当していましたか?
これらは大枠での特徴に過ぎませんが
もし、貴方が該当していなかったとしても
努力次第で本当に身に付く事が
出来ますからね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は自然霊について
お話をしたいと思います。
龍神や稲荷、狛犬など、
様々な自然霊が存在していますが、
彼らの特徴は知っていても
彼らの「本質」を
ご存じ無い方は多いと思います。
本来はこの本質を
ちゃんと抑えておかないと
自然霊との向き合い方は
とても難しいものとなります。
そもそも自然霊とは何なのか?
随分と以前に解説をしたと思いますが、
簡単に言いますと
「一度も人として受肉をした事の無い霊体」
の、最上位が自然霊です。
ですから、当然に殆どの人よりも
霊格が高いです。
また、肉体が存在しませんから
100%想いを基準とした
向こうの世界の理の象徴的存在でもあります。
つまり、
常に想いと気持ち、
感情の遣り取り100%で
こちら側に関係してきているという意味です。
これが何を意味するのか?
彼らは彼らの都合で
相手の意識を操作するという事です。
意識の操作なんてwww
と、思われがちですが、
こんな事ありませんか?
今の今まで使っていた物が、
どういう訳か無くなった!
どこを探しても見当たらない
見付からない。
数秒前まで使っていたのに…
仕方がないからそのままにしたら、
数日したらいつもの場所から出てきたとか
とんでもない場所から出てきたとか、
と、いう様な事ありません?
これ、自然霊の仕業が多いです。
実際にあにきもお客さんから相談を受けて
幾度となく解決をしてきています。
自然霊からの様々な思惑が
原因としてありますが、
今回の話で重要なのはどうやって
自然霊が関与して物を無くしたのか?
という点です。
ここがまさに自然霊の本質でして、
物自体は無くなっていません。
最初から最後までそこに在るままです。
では、どうやったのか?
単純に視えなくさせられているだけです。
意識を操作するのが自然霊の本質ですから
貴方の意識に作用させて、
その物に意識を向けさせない様にしているだけ。
見ているようで視ていない状態へと
意図的に意識操作しているんですね。
そんな事を平然とやってのけるのが
自然霊であり、彼らの本質です。
また、自然霊自身の感情や意識を
そのままぶつけて来ることもあります。
A:自然霊の意識=貴方の意識
B:自然霊の感情=貴方の感情
と、いう様に誤認をさせる感じです。
貴方からすると自然霊に流されている
とも言い切れる状態ですね。
ここが自然霊の本質であり、
一番恐ろしい点でもあります。
自然霊と意識を一つにするという事は
完全同意しているとみなされます。
そこで、もし、
自然霊と約束を交わした後だとしたら
その確実な履行を求められます。
それが不履行と至った場合は
自然霊は当然に怒ります。
また、人にとって厄介なのは
時間や事情を加味してくれない点です。
諄い様ですが、
殆どの人よりも自然霊の方が霊格は上です。
ですから、
同意したのだから直ぐにやれ!
という、ダイレクトな感覚となるのが自然霊。
で、やらなきゃ問答無用の天罰を下します。
それの回避策として、
自然霊の意識面や感情面で流されない為に
自分の意識を強く保つ、
冷静さを維持する
という事が必要となります。
先述した完全同意をしないという意味です。
話や意味は理解したけど、
貴方の事情を分かってもらうには、
瀬戸際で完全同意を回避するしか無いのです。
A’:自然霊の意識≠貴方の意識
B’:自然霊の感情≠貴方の感情
この状態とすれば良いだけ。
けれど、問題はB’の面でして、
感情というのは、喜怒哀楽があり、
善いとされる感情もあるという点です。
流されるのは決して怒と哀だけではなく、
喜と楽でも平然と起こります。
感情を抱いた直近の事象をよく考える。
喜を得る事だっただろうか?
楽を得る事だっただろうか?
怒や哀を得る事だっただろうか?
果たしてこれは、
本当に自分の感情なのだろうか?
自然霊の感情操作は、
人のそれとは段違いですからね。
常に裏側も意識しましょう。