皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
自身の意識の方向を常に確認します。
慣れてくればその確認方法は
セルフで行う事が出来ますが、
殆どは他人さんから教えてもらう形が
メインになってきます。
ですが、ここで一つ問題がありまして
教えてもらうにしても
善き方向に向いている時ですと
人はあまり教えてくれません。
善い事や褒める事を嫌うからです。
役割がしっかりしている人や、
常識を持ち合わせている人は
嫌な顔をしないで教えてくれます。
但し、
対象者が嫌な奴じゃない場合に限ります。
誰にでも教えないのは
世の中のルールですものね。
人は、駄目な方向へ向いている時
ここぞとばかりに指摘してきます。
それは指摘というよりも
「鬼の首を取った」
と、いう感じになります。
それほどに人の不幸は蜜の味なのですね。
これを話すと高確率で
「そんな事は無い」と、
心の中で反論しようとする人が居ますが
そんな貴方はどうですか。
善い事よりも嫌な事や駄目な事の方が
ナチュラルに出来たり動けたりするでしょ。
それが普通なのですよ。
ですから、普段からしっかりと
意識をしないといけないのです。
悲しいかな、
人と云うのは善い事をする場合は
意識を強く持たないと出来ない仕様なのです。
それを繰り返していると
その動きが自然となっていきます。
暫く頑張っていれば、
今度は通常の逆の思考回路となっていきます。
善い事を中心に考えられるようになる
という事ですね。
善い事は甘くてとろける蜜の味ではなくて、
濃くてビターな苦みのある大人味です。
それは想いや念にも当て嵌まります。
想いは苦くて
念は甘い
ここを履き違えて幻想に溺れると
どえらい事になりますからね。
根本をちゃんと
理解する事が
大切なんや
甘い言葉に
躍らされずに
現実を視るんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
色々な物事を考えたり
実際に行動したりする際に
人の言われたままに
何も考えず動いてしまって
「あとになって大騒ぎする」
なんて事が結構多いですよね。
人は人を動かそうとする時に
善い事と罪悪感や正義感を
刺激する様なことを言います。
例えば、選挙。
皆さんの一票で決まります。
選挙は国民の権利です。
行かないとダメだよね。
何で一票を投じないの。
まぁ、言い出したらキリがないですが
この手の台詞で動かします。
「行かなきゃね」
という善い気持ちを誘い出しつつ、
「行かないなんてのは非国民」
みたいな罪悪感を刺激する。
ですが、ここで気にすべきは
何の為の選挙なのか。という点と、
選挙というその本質を
しっかりと理解しているか。
と、いう点です。
本質というのは、簡単に言えば
「システム」の事です。
選挙って、票を投じるのが簡単ですよね。
書けば良いだけですし、
たったそれだけで有権者の義務を
達する事が出来る。
善い事をしたと実感が出来る。
ですが、その反面一度選ぶと
数年間はそのままですし、
気に入らないからと言って
辞めさせるなんてのが
非常に難しい仕組みとなっています。
これは中学校の社会科でやりましたね。
首長を選んでその後に変な事になって
辞めろ辞めろと言ったところで後の祭り。
選ぶ際に感情論で突き動かされたりせずに
見た目とかで動かずに
ちゃんと候補者の情報を集めて
そこの部分の本質も調べてさえいれば
間違った候補者を選ぶ事は無いですし、
少なくとも自分の自由意思で選んだなら
また違った結果となっていた筈。
(何処とは言いませんが、詐称は見抜けずとも
太陽発電もその他についても
おかしな事を公言していましたからね。)
なんて事が起きるのが選挙であり、
本質を視ずに軽んじた動きをする怖さです。
本質という現実を視ずに、
目先の幸福感や一時の快楽という
幻想への逃避をすると碌な事が起きません。
以前にも話しましたが、
僕らは現世という
現実の中で生きているのですから
どんな時でも「現実的思考」を軸に据えた
動きをするのが重要なのですね。
世の中、知らないでは済まされない事は
本当に多々あります。
知っている人は知らない人に対して
ありとあらゆる誘惑を施し
レッテルという重荷を上手く使って
他者を貶めたり、貴方自身を嵌めたりします。
どの様な事でも社会的な事でも
例えばスピ的な事でも
知らない分からないで済まさずに
知る様に努力をする。
その際は部分的な一過性の面と、
全体的な構造と永続性の面についても
自分から知る努力をしましょう。
少なくとも僕の掲げている
本来のスピリチュアルという姿は
ただ只管に皆さんへそれを提唱しています。
昔の人は言いました。
「知は力なり」
何事に於いても
言われるまま
成すが儘では
あかんのやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
昨年の10月にもお話をしましたが、
スピリチュアルというのは、
「幻想への逃避」を勧めるものではなく
現実を現実として愉しむ為の
「きっかけの一つ」です。
普段から現実を意図して捉えずに
ファンタジーへ逃げていては、
本来のスピリチュアルを
身近なものとする事は叶いません。
私達は常にあらゆる面で
相互性や相互作用といった
「螺旋運動」の中に身を置いています。
これが現世という現実の一つです。
現世は決して自分を中心に
動いているのではなく
自分以外の存在に作用して動いています。
貴方は貴方以外の存在からの力、
つまり、万物から発生する力場の
影響を受けつつ
現世の中を螺旋状に動いているのです。
その螺旋の軸となっているのは
あくまでも「念想」であって、
「自分」ではないのです。
ここを自分に置き換えてしまう思考が
「自分本位」と、いうものなのです。
万物や念想を芯に置かずに否定して
自分を中心に据えてしまうのは、
その場の状況で善し悪しを決めてしまう
と、いう事ですから、
全く以て理に適っておりませんし
「自分が中心という幻想」
への逃避となります。
物凄くミクロな単位で
考えてみると分かります。
例えば、
家庭というコミューンの中で
自分中心などと云うのは
ただの我儘者です。
それが如何に社会的に問題なのかは
真っ当な思考回路であれば
自ずと理解が出来ますね。
スピリチュアルというのは、
こういった幻想に逃避する為や
もしくは、それを勧める為の
ビジョンやツールではないのです。
これらを是正して現実を視て
愉しめる様にする為の一概念が
本来のスピリチュアルです。
幻想への逃避も
貧乏神へ堕ちる
要因の一つやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
スピリチュアルや霊的な事を
仕事としてやっていますと、
超自然的な話とか
非科学の話が
確かに多めになってしまいますが、
そこへ主眼を置いてしまうというのは
ハッキリ言って間違いです。
霊的な事もスピリチュアルも
現実を現実として捉える事が出来て
初めて機能するものですし、
間違っても現実を越えたり
ましてや、
優先させる様な事でもないです。
と、言いますのも、
どうしても現実逃避が目的で
霊やスピを使う人が多いからです。
現実を生きる中で、
少しでも「善くさせる」
その「きっかけ」を作る
というのが、
本来あるべき姿です。
その最中や行き着く先に、
「幸せ」や「運気上昇」
等があるわけで、
現実を現実として受け止めない
というのは、
思考停止したり
思考停止させたりするのを
助長させてるに外なりません。
例えば、
世の中のシステムが間違っているから
新しいものへと変わろう
ステップアップしようと、
大抵のスピ系の人は言っています。
あにきもステップアップについては
何度も話しています。
ですが、現行のシステムや
既存の社会が間違っているとは
思いませんし、それを言うならば、
これまで培ってきたものを
全て否定する事になります。
要は、先人さん達ご先祖さん達を
全力で否定拒否するという事です。
そんな馬鹿な話はないし、
先人さん達が居たから今があるんです。
その中で、ステップアップして
いずれは現行の社会基盤や規範が
新技術や新らしい概念に変わる時が
来るでしょうし、
そうなると信じていますが
かと言って、今すぐにそうなる事は
有り得ないんですね。
その手の与太話を推奨している人は
今すぐに変わる事を仄めかします。
また、それを信じる人は
あまりにも現実を視ていなかったり
現実から逃避していたり、
現実よりも理想に埋もれていたりと
見るも無残な状態となっていたりします。
神秘と言うのは、
現実社会があるから成り立つのであって
現実を見れなくなれば
神秘にも気が付けなくなります。
もっと簡単に言うならば、
この世があるからあの世があるし
あの世があるからこの世がある。
お互いがお互いで作用しているから
お互いが成立しているのが現実です。
ちゃんと現実を知らずして
理想は成り立たないのですね。
スピや霊は存在
しているんやない
豊かにさせる為に
存在してるんやで
科学も非科学も
目的や到達点は
同じなんやで