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2025年8月27日水曜日

自分本位の行く末(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




我儘だったり理不尽だったり
どうしようもなく自分本位な人
というのが、
現世には一定数存在します。

寧ろ、そっち側の人の方が多いです。
それと言うのも当然で、

人は"楽"をする生き物です。

産まれてくる前に
誰でも無く
自分自身でそう設定しています。

つまり、
己から努力をしないで
漫然と流されて生きていけば

自然と自分本位となりますし
果ては貧乏神となって地獄堕ちとなる。

これが現世に於ける
僕らのデフォルトでの設定なのです。
要は、地獄へ行く切符は
最初から持っているという事なのですね。




浄土に居た存在が
何故に転生してまで地獄行きの切符を
初期装備で手にしているのか。

答えは単純で、
「現世には苦痛を得に来ている」からです。

実のところ浄土では苦痛を味わえません。
一口に苦痛と言いますと
物理的な痛さとかを想像しがちですが、
ここでの苦痛は全然違いまして。

では、何が苦痛なのかと申しますと、

「意思疎通」の苦痛です。

浄土という場所は、
想いを具現化した場所です。
文字だと表現が難しいのですが、
簡単に言うなれば

考えている事が一瞬で伝わる環境
一瞬で理解出来る環境

だと、理解してくれれば良いです。
もっと細かくお話は出来るのですが、
この場ではこの程度の認識で結構です。

で、
そんな浄土はとっても楽チンなのだけど、
想いやその先にある

「愛」や「愛情」

と、いう存在や概念は

意思疎通の過程に於ける苦痛、
端的に言うと「煩わしさ」なのですが

その苦痛を経る事でないと
入手は疎か触れる事すら難しいのですね。




浄土に居れば「愛」を知っていると思いきや
その本質など、実は分かっちゃいない。

浄土は全部で8つ在るのですが、
その中でも一番深い浄土でないと
ハッキリとした理解をしている人は居ません。

それを理解出来る様になる為に
苦痛を求めて輪廻を通して
現世へ"自ら望んで"赴いているのです。

この「苦痛」は現世でしか得られませんからね。
長い期間を掛けて、少しずつ積み重ねていく。

これが現世へ赴く最大の目的の一つです。
では、何故に自分本位が駄目なのか。

そもそもが意思疎通の「苦痛」を

肉体という不完全な代物を纏って、
俗欲という使い方を間違えると
一気にヤバくなる劇物を身に付けてまで
収穫しに来ているのに、

端っからそれをぶっ飛ばしてしまう業が
自分本位だからです。

自分から進んでお勉強したい
頑張ってくるよと言って
色んな人の助力を得てまでして
この現世へ来ているのに

全力で苦痛から逃れエンジョイかましている
そんな状態だからです。

不義理にも程がある。




但し、この状態というのは、
肉体を纏って俗欲を手にした瞬間から
誰にでも起こり得ることなのですね。

意識の有無は別として
当初目的を思い出すか思い出さないか
気が付くか気が付かないかは本人次第。

浄土の記憶は基本的に
現世へ来た段階で忘れますからね。

そんな状態ですから、
自分本位を謳歌してしまうリスクがある。

それを見越して地獄行きのチケットは
既に配られているという事なのです。

浄土に戻りたければ、
それなりの努力をして
切符のグレードアップを
自分で施さないといけない。

それが出来ないのであれば、
あとで後悔するだけの話です。

「あとで」と言うのは、
死後だけでなくそこに至る迄の間の
生前の期間も含みます。

自分本位で周りに迷惑を掛けた代償は

人によっては天罰として
人によっては過酷な生き恥として
人によっては満たされぬ欲として

その他縷々様々な酷がありますが、
必ずツケを支払わされる事となるのです。

自分ばかりを
考えてたら
エライ目に
遭うんやで

2023年4月15日土曜日

かまって系人間(気付きの応用)





皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は自分の弱点についてです。
誰にでも弱点は存在します。
それが人間味ってやつでもあります。

この自分の弱点を知るんじゃなくて、
ちゃんと視る。理解する。
というのが、今回のテーマです。




まず、何で『知る』ではなくて
『視る』なのかというと、
自分の弱点などは、
とっくに御存知だろうからです。

少なくとも今回はそう仮定して話します。
(めんどくさいんでwww)

人には色々な弱点があります。
肉体的にも心的にもね。
ここでは心的な弱点を主観に捉えたいのですが、
気付きを得る事において、自身の弱点を
しっかりと据えて視るのは必要不可欠な行動です。

これが出来ないと、多くの気付きを逃す事になります。
どうしてか?




簡単な話で自分の事すらちゃんと視ようとしない人が、
他人はもとより、周りの事なんて気にすることなど
絶対に出来ないからです。

自分自身の弱点や弱みを晒すのではなくて、
ただ自分で理解して直視する。

それすらも何やかんや言い訳をして、
臭い物に蓋をする事宜しく、行わない、
やる勇気を持たない人が、
他者の事など直視出来るはずがありません。

精々、上っ面だけを見て知ったか振るのが関の山です。




泣こうが喚こうが、自分の事くらいちゃんと視る。
その努力をする。それができなければ、
どんな人からアドバイスを貰っても
活かすことは疎か、活かし切る事など到底出来ません。

トラウマだから…
     怖いから…
        嫌な思い出だから…

逃げ口上は幾らでもありますよ。
作りたかったら作ればいいし、言いたきゃ言えばいい。

けど、それに甘えていたって前には進めないんです。



辛い経験をしたのは分かります。
実際にあにきだってそりゃ辛い思いをしてますよ。

でもね、どんなに辛い経験をしたとしても、
そこへ甘えていいなんて事はないんです。
いずれは乗り越えなきゃ意味がない。

では、どうしてそれが出来ないのか?

人にもよりますけど、
辛い思いをしてる姿を見せたら、
人が優しくしてくれる。
その優しさに甘えて楽をしているからです。

言わば他力本願なだけ。




人の厚意を逆手に取った楽というのは、
本当に厳しい時、初歩の歩、
回復に向けた最初の一手では有効ですし、
お言葉や優しさに甘えるのは良い事だと思います。

困った時はお互い様ですからね。

ならばこそ言いたいのですが、
では、あなたは何を助けたのですか?
その恩に報いて何かをしたのですか?
ちゃんと前を向いて弱点を視て理解したのですか?

していないから、周りも呆れる。
そして、一人また一人と離れていき、孤独に苛まれる。

それを補うために可哀そうな自分をまた演じて、
安っぽい辛さを餌に新たな恩を貪っていく。

これが、かまって系人間の正体。




かまって系人間の行き着く先は何でもない
言わずと知れた貧乏神です。
更にその手の人が亡くなった後に行く所は、
イイところな訳が無い。

人は死んだら終わりじゃないです。
記憶が無くなる?!まさか^^
肉体が無くなるだけで、記憶は保持します。

亡くなってからが長いんですよ。
生きてた時の倍以上はそのままの人格で
過ごすことになります。

イイところじゃない場所へ行ったとすれば、
その糞長い時間を今のあなたが
そのままの状態で過ごす事になるんです。
しかも、今度は逃げられませんからね。
助けてもくれません。どこまでも続く苦痛です。

そうなるのは嫌でしょ?
だから、自分の弱点をちゃんと視なきゃいけない。




自分の弱点を視る。理解する。
人に晒すのではなく、ただ自分で理解をすればいい。
克服をするのでもない。ただ視るだけ。

そこから反省と学習をして、
次にどうやって繋げるのかを思考すればいい。
そして、実行に移す。当然に失敗だってする。
そしたらまた反省と学習を繰り返す。

こうやって自分を紡いでいく。
その過程の中でヒントになるものが転がっている。
それが【 気付き 】であり【 小さい幸せ 】。

こういう流れに持って行かなきゃならないから、
自分の弱点をちゃんと視て理解しないといけないんです。




ま、壮大な話だし、死んだ後の事なんて
映像とかで証明が出来るものでもない。
元々、眉唾物だと思われてるから
信じる信じないなんてどうでもいいけど。

せっかくだから、
かまって系を拗らせた人間が亡くなった後に
どうなるのかをチラッとだけ書きましょか...

いずれ寿命を全うしたらお迎えが来ます。
(狭間で彷徨わなければ)誰でもお迎えに乗ります。
そのあと一瞬真っ暗になったら、その後に視界が開けます。

目の前に広がる荒涼とした空間。
そこで初めて真実を知って、すべてを思い出します。

後悔先に立たずです。

2022年9月18日日曜日

三途の川のことを楽しく語ってみたwww

皆さんこんにちは、あにきですよ^^

明日は今月の飛込み相談日で、
明後日は秋のお彼岸入り(-人-)
何となく丁度いい気がするから、
今回は三途の川について、
チャラっと語ってみたいと思います^^




恐らくだけども、死んだ後に三途の川を渡るのは
みんな知っていますよね?
Q:実際にあるのか無いのか?

A:ある

んじゃ次に、どのタイミングで三途の川を渡って
GO TOあの世するのかというと、
簡単に言えば霊体が肉体から乖離して、
お迎えが来たあとね(-_-)
(だから、一人で勝手に行くと「まだ早え!」って
引き戻されるわけさね(´・ω・`))

あと、よくあるご質問で、
臨死体験なんかの話を聞いたり見たりすると、
川のサイズや見た目が様々すぎて
本当のところどんな感じなん?

ってのが、あるんだけどもね。
これは、その人その人によって変わってきますから、
本当に千差万別なんだよね。

例えば上の写真は恐山にある宇曽利湖なんだけどさ、
こういう感じで湖みたいに見えたり、
めっちゃ川幅が広く見えたりする場合もあれば、


こんな感じでめちゃ狭かったりもするのね。
ちなみに、こちらも恐山ね。

これ、川幅が広いのと狭いのと、
どっちが良いとか悪いとか、そういうのは無いの。

問題はね、川幅よりも深さなのね(._.)

どんなに広くても、水深が浅ければまだ帰って来れるし、
深くて舟を使ったりする様な場合は、
まず帰って来れないと思ってもらって良いですよ(^^)

あと、上の写真の様に橋が掛かっている場合なんかは
帰ってくる事も出来るんだけど、
これの場合は死ぬか生きるか選んで良いよ~!

って、場合が多いかな(゜.゜)
年齢を問わずね。
あと、橋の見た目も色々なんで、
上の様に古風な橋の場合もあれば、
瀬戸大橋みたいなのもあるし、
吊橋みたいなのもあって様々ですよ。

まぁ、臨死体験談なんかだと、
大概の場合は川の途中とか橋の上とか、
川の手前なんかで声が聞こえたり話しかけられたりして
戻っていくよね。

それと余談だけども、
お花畑みたいなところで声を掛けられて...
なんて話も聞いたことある人がいると思うんだけど、
あれは三途の川の手前の話ですね。

んでさ、じゃあ川を渡るとどうなんの?
って話なんだけど、ここから先はいよいよ向こうの世界です。

それともう一つ、所謂お化けも川を渡ったの?
という点なんですけどね。

これは渡っていないから厄介なんですよ(-_-;)
死んでいるけど、あの世に行っていない。
でも、肉体は無いから彷徨っている。

ん?彷徨っている?(゜.゜)この世を?

いいえ、あの世とこの世の境目の狭間の世界です。

という感じで今回はここまで
それではまたね(*´ω`*)チャオー♪