皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
今この瞬間を大切にする。
一瞬一瞬を愉しむ。
これを実現させるには、
自身の中の優先順位を明確にして
それを基準に動く必要があります。
但し、その優先順位ってやつは
変動的ですから、
馬鹿の一つ覚えの如く
決めた通りに熟そうとしてはいけません。
刻一刻と変わっていく優先順位。
自身の力量で変える場合もあれば、
外からの影響で変わる場合もあります。
それをしっかりと認識して、
適宜判断して最善の選択をしていくのです。
その結果、
今この瞬間を大切にする事が出来、
一瞬一瞬を愉しむ事が可能となります。
目的を設定して、優先順位を作る。
内容的にはそれで良いのですが、
そこに固執し過ぎてしてしまうと
この流れは単なるルーティンとなり
貴方は楽をしている事になります。
つまり、念基軸が主たる状態となるのです。
善いと思った事や善いと教わったことを
淡々と熟すだけというのは
決して善い結果を産みません。
そこには「柔軟性」という
触媒が必ず必要になるのです。
淡々と熟しているというのは、
「思考を停止している状態」です。
例えば、ここを読んでいるだけとか
会って話をしたとしても
教えてもらった事を熟すだけ。
最初は善いかも知れませんが、
段々と思考しなくなっていき
いずれは必ず思考停止します。
そこに気が付けるかどうかは
完全に貴方次第となりますが、
1つ断言出来るのは
「ほぼほぼ自分では気が付かない」
と、いう事実です。
何故にそう言い切れるかと言うと、
もし、貴方が自力で気が付けるなら
端からそんな動きをしませんからね。
念想は常に表裏一体の
相互関係状態にあるのを忘れずにね。
我々です
そこを理解せんと
どこまでも
堕ちてしまうんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
善い状態を維持したいから、
善い事ばかりに注力をする。
こういった思考や動きを
してしまいがちですが、
非常に安直な行動であり
これでは決して善くもならなければ
維持も出来ません。
それどころか、
確実に貧乏神へと堕ちていきます。
では、どうすれば良いのか。
「善い」を伸ばすのであれば
「悪い」を理解する
善くなりたいからと
「想い」ばかりを得ようとするのは
良いとこ取りであり、
俗欲塗れの念基軸状態です。
そうではなくて、
想いを真に得るためにこそ
「念」を理解しないといけません。
想いと念は表裏一体の相互関係です。
想いの裏には常に念が存在し
念の裏には想いが必ず存在します。
単純な善悪ではないけれども、
善い状態の真の価値を知り得るには
その逆の状態を理解していないと
本質を得る事は出来ません。
「喧嘩する状態を理解するからこそ
平穏無事な状態の価値が分かる様に」
「生活が苦しい状態を知っているからこそ
足るを知る事が出来る様に」
「独りよがりの惨めさが分かるから
人の有難さが理解出来る様に」
念の状態を理解しているからこそ
想いの本質を述懐する事が出来るのです。
光の本質は闇を知らないと理解出来ない。
想いというのは、
その中に埋もれていると本質が視えません。
住みやすい場所に居る人は
それが普通だから漠然とした住み易さしか
理解出来ないし口にもしないですよね。
想いを得たいのならば
必ず念を理解し認めてあげないと
その先にある維持には繋がりません。
よくよく考えてみれば分かりますが、
貧乏神って必要以上に
験を担いだり想いを重視しているものです。
そして、自分には念など無いと
思っていますからね。
汚い部分に
目を向けられて
直視出来てこそ
想いの意味は
理解出来るんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
「想い」というのが善いことで
「念」というのが悪いこと
とてもシンプルな解釈ですが、
皆さんこの様な感じで覚えている筈です。
何も間違っていないですし、
全然それで結構なのですけども
ただ、人はこれが故に
善きことだけを意識しようとして
悪しきことを意図的に意識から
遠ざけようとします。
問題はここです。
物事というのは、
どちらか一方へと偏ってしまうと
碌でもない事しか起きません。
とは言え、
勘違いしないでほしいのですが
何も悪しきことを推奨も助長もしていません。
思い出してほしいのですが、
現世の様々な物事というのは
相互関係で成り立っています。
それは自身に於ける想念でも
同じだと教えましたね。
「想い」の対局には「念」が必ず存在する。
この自身の中の念を認知して
確実に理解する事が、
想いの本領発揮へと繋がります。
善い事が起きてほしいからと言って
「想い」ばかりを注視する様にしていても
それは良いとこ取りですから、
「想い」ではなく
「俗欲の塊」に過ぎませんよと
以前にも記載しました。
また、
自身の汚い面や汚い動きを認めもしないで
「これは誰ダレのため」
「これは何々のため」
と、己の動きを正当化させる為に
想いという「言葉」だけを盾にしたりする。
想いは貴方にとっての
都合の良い言い訳ではないのです。
真に想いを発揮するには
念の存在を常に認めないといけない。
自身の中の念の存在を認めるからこそ
想いの尊さが理解出来るし
相手への敬いや己よりも優先させるなど
想い基軸とした業を初めて実行出来るのです。
貴方が決して悪人ではないのに
これまで嫌な事が続いていたり
今一つパッとしなかったのは、
ここの理解が為されずに
最終的には「自分」を取っていたからです。
色んな物事を学習しても
人に縷々様々な事の教えを請うても、
自分に都合が悪くなったり
自分の嫌いな事や苦手な事へと至ると
言い訳としての「想い」を利用して
それまで貴方に教えてきた数々の人の
「想い」を自身の歪な「似非想い」で
いとも簡単に塗り替えてしまう。
つまり、自分優位な思考回路に陥る。
それは想いでも何でもなく
非常に強い俗欲であり、高濃度の念です。
貴方が想像している以上に
扱いに苦痛を伴うのが「想い」です。
辛さを伴うのが「想い」です。
苦痛を緩和したり、
辛さを消すのが「想い」だと考えているから
いつまでも己の中の念を
理解してあげられないのですよ。
強烈で効き目抜群な痛み止めは
想いではなく
楽を優先させる「俗欲であり念」なのです。
だから、使い方を間違えると
あっという間に依存をしてしまう。
そんな危うい代物には
目を見張っておくのが普通です。
これとは違い
「痛みや辛さ」を引き換えにするもの。
つまり、
「努力や鍛錬」を糧として
その後の善き事へと導くものが
「想い」というものですからね。
だから俗欲塗れの
人の方が
現実を直視せんと
無駄に綺麗事や
詭弁を述べたり
しまくるんやで