今回は動き方について
お話をしたいと思います。
みんな大好き個人力。
あんな力やこんな力など
能力には様々なものが存在します。
実際に、感覚を基礎として
僕のところでも色々なものが使える様に
やり方だけではなくて、
個人力としての力の開発や
どうやったら元々備わっているその力を
呼び戻す事が出来るのかなど、
色んなことを教えているのですが
その中に俗欲の制御というのがあります。
何度となくお話をしていますね、
「俗欲の制御」。
俗欲の制御というのは
やりたい事をやらないとか、
無闇矢鱈と我慢をするとか、
煩悩がどうのこうのとか、
そう云った様な
単に欲を抑えるという意味ではなくて
相手を想い、思い遣った上で
その場その時々での最適解を導き出す為の
「自身の気持ちのコントロール」となります。
キーワードは「自分以外のため」です。
単に各種俗欲を我慢するみたいなのは
その場凌ぎに過ぎませんから
「意味を考えない」
と、いう動きが出て来てしまうのですね。
これですと中心核となるのが
自分になってしまうのです。
要するに、自分本位を誘発するだけなのです。
それでは本末転倒です。
思い遣るなんて何処吹く風に等しくなります。
そうではなくて、
あくまでも自分以外の相手を想って
発動させる「動き」が
「俗欲の制御」なのですね。
例え、その場に居ないとか、
自分以外には視えていなかったとしても
自分を中心核に据えずに思考して
相手を思い遣り動く。
この動きが出来ないとどんな個人力を
使えたところで自己満足で終えてしまう。
「自分の能力が凄いでしょ」
「こんな事が出来るの」
「私は分かる力を持っているから」
と云うようなクソ程くだらない自己陶酔に
陥る様になってしまうんですね。
そして、高確率でその際には
誰かをダシにするのです。
何でもかんでも伝える事や教える事が
全て正しいのか、最適解とは何なのか。
生きている存在のみならず、
生きていない存在について能力を使う時でも
歓びに溢れる事ばかりではなく、
そこには遺族や関係者など知ったら傷付くであろう
存在が居るという事を考えて動いているのか。
個人力というのは「想いの延長線上」に在って
「俗欲との境界線上」に在るものだというのを
理解しないといけないのですからね。
使っている内は
能力なんてのは
堕ちていくのみやで

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