今回は考え方について
お話をしたいと思います。
信じるというのは難しいです。
特に、「自分を信じる」というのは、
超難関な業となります。
いや、そんなの簡単だよね。
と、思える人は出来ているから
そう断言することが可能なのですね。
(これは厭味ですからねw)
色々な場面で、
出来事や事象の大小を問わず
「自分を信じる」ようにするには、
「覚悟を決める」という意味なのです。
何の覚悟かと云うと、
「誰の所為にもしない」
と、いう覚悟です。
正直なところ、
これを実行するのは本当に困難を極めます。
人の所為や物の所為にする方が
自分の所為にするよりも簡単です。
責め立てれば良いだけですからね。
つまり、自分を信じるよりも
他人を信じる方が100倍は簡単なのです。
覚悟を決めなくても、
何かあった際にはそいつの所為にして
責め立てればいいだけですからね。
また、言う事も聴こえも
周りからすれば格好良く響きますからね。
尚、ここまで話しておいて何ですけども、
これって何も信じている事には
なりませんからね。
また、
「自分の事しか信じない」のと
「自分を信じる」というのは別物です。
「自分の事しか信じない」と口にする人は、
大抵の場合、自分の事も信じていません。
単に責任を逃れてフラフラとしているだけで
その場その時で、信じる先を変えていて
他者の話をあたかも自分に照らし合わせて
さも自分が生み出したり、
自分が口にしたかの様に
言いたいだけの人であって
覚悟を決めて口にしているなんて事は
萬に一つもありません。
以前にも話していますが、
自分の事しか信じないなら
周りの存在も信じないという意味ですからね。
前段でも話しましたが、
自分を信じるというのは
どんな場面だったとしても、
自己の動きや考えに責任を持つ事を指します。
当然、文句も言えば愚痴も口ずさみますから
100%完璧にという事は
原理原則としてあり得ないですが、
それを加味したとしても、
可能な限り自己の責任の名に於いて
覚悟を決めて行動をする。
自分を信じるという事は、
相手を信じるという話に繋がるのです。
何故なら、自分が覚悟を決めて
そうしようと決断した事なのでしょ。
相手を信じようと決めたは自分なのですから。
そういった覚悟を常々秘めながら
日頃の業を熟していく事が、
「自分を信じる」という事なのです。
どうしても善い事ばかりを想像して
自分を信じると使いがちになるでしょうけど、
自分を信じる先には結果として
失敗や自分にとって都合の悪いことも含まれます。
それらの全てをひっくるめで
「自分を信じる」が成り立つ訳ですから、
自分達がやれる事と云ったら
「信じられるに値する為の努力をする」
「覚悟を決める事が出来る様な知と経験を得る」
まずはここが基本となる訳です。
この基本を育てる場が「日頃の業」なのですね。
さて、貴方は自分を信じられていますか。
難しさが身に沁みる
それが自分を信じる
という業なんやで


