2024年10月30日水曜日

覚える(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





運気UPを考えるとなると

心を癒したり
落ち着かせたりといった

リラクゼーションを中心に
皆さん考えがちになりますが、
本当に大切なのは危機管理です。

何とまぁ大袈裟な...
と、思われるかも知れませんが、

運気UPというのは
嫌な事を回避させるという
意味なのですから

危機を回避させる事ですよね。
ですので、
危機管理というのは
全く以て間違っていないのです。

この危機管理の上で
非常に重要となってくるのが
普段からお話をしている

「よく視て」
「よく聴いて」
「よく考える」

この一連の所作となります。





これらを行う上で
意外にも忘れがちになるのが

「覚える」

という動きです。

よく視ても
よく聴いても
よく考えても、

その内容を覚えていないと
全く意味を成しませんし、

所作そのものを消失させます。

よく視たのなら、
よく聴いたのなら
よく考えたのなら、
それを確実に覚えておく。

覚えていないと、
その先にある「使う」という事が
出来なくなってしまうのですね。

つまり、
何をする時でも
「覚えようとして所作をする」
動き方がとても大切になるのです。

何となく視聴きするだけでは
絶対に覚えられません。
という事は、
「使えない」という事。





どんなに有効な手段や知識を
教わったとしても、
使えないのであれば意味が無い。

それは危機に直面する事を指します。

普段の見聞きや五感の全てというのは
その状況を如実に教えてくれてます。

そこの感覚を覚える様にしないと
何をやっても運気UPには
結び付きません。

感覚というのは、
感じ覚えると書きます。

何となくで済ませるには
勿体無い程の高出力センサーです。

そこをしっかりと覚える事は
危機情報を即座に得る
という事に他なりません。

よく視てよく聴いてよく考えるならば
そこに生じている感覚の全てを
覚える努力をしてみて下さい。

危険は確実に回避出来て
運気UPを実感できますよ。

何となくで
済ませていると
善き事にも
気付けないんやで

2024年10月26日土曜日

会話をする(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





生活をしていて、
なかなか調子が上がらなかったり
倦怠感が拭い去れない状態ですとか
過度のモヤモヤが続いていたりとか
とにかく疲れが取れない、
取れにくい...

そういう時があると思います。
病院へ行ってもテキトーな事を言われ
検査をしても何も出て来ない。

この手の場合の時、
必ずしもとは言いませんが

「会話不足」の場合が多いです。

誰との会話かというと、
「気の置けない相手」です。

要は、気兼ねなく表も裏も無く
何でも話せる人。
友人かも知れないし、
子供かも知れないし、
それは人によって変わります。





何故にそういう会話が不足すると
肉体へ影響が出てくるのか。

普段、我々の生活というのは、
想像以上に緊張感に溢れています。

会話という一点に絞ってもそうですが
日々様々な人との会話というのは
一言で表わせば

「探り合い」です。

ご近所さんやお知り合い、
職場の人や取引先の人、ご親族、
どれもこれも探り合いです。

当たり障りない会話をしながら
当たり障りのない着地点で納める。

それが人間の社会通念ですので
これそのものは問題ではないのですが、

気にしない内に緊張感は
溜まっていきます。

例えば、
楽しそうに話してた井戸端会議の後で
何やかんやと見苦しい文句を言うのは
この緊張感の反動です。





こうした日頃の緊張感は
日常レベルであればちょっとした
リラクゼーションで解れます。

お風呂に浸かるとか、趣味とか
好きな事をするとかアロマとか
人ぞれぞれ色々あるでしょ。

ですが、色々な事情で
それらが出来ない叶わない場合が
生じたりします。

そうした場合にその緊張感は
解消される事無く蓄積を続けます。

そして、ある一定の量を超えると
小手先のリラクゼーションでは
どうにも解消が出来なくなる。

そもそもリラクゼーションすら
しなくなります。怠くて。

そうなると、肉体に影響が出てきて
病気や怪我を引き起こします。





この流れの中で、
気の置けない相手が存在している人は
ほぼ必ずその人との会話を
日頃から愉しんでいます。

寧ろ、それがリラクゼーション
だったりする事もあると思います。

日常の中で何かしら会話をしていて
それが緊張感を
増幅させているにも関わらず

気の置けない相手との会話であれば
例えどんな会話であっても
リラックスが出来る。

何故かというと、
余計な事を考えなくていい程に
相手の事を想っているからです。

「(互いを)信じ切っている」

という意味ですね。
これを「想いの力場」と言います。

そういう人は身の回りに
多くは存在しません。
精々多くても2人くらいです。

では、もし、その人達との会話が
愉しめない状況に陥ったとしたら。

まぁ、結末は視えてきますよね。
先述の通り、肉体を壊します。





ですから、
どうにも具合が上向かない場合は、
少し目線を変えて
会話をしているかどうかを
考えてみて下さい。

恐らくですが、話していない事に
気が付ける筈ですよ。

尚、貧乏神という存在の場合は
この真逆でして
綺麗事の中でしか安らぎを得られません。

なので、気の置けない相手
という存在そのものが
居ない存在なのです。

信じるという事を放棄した存在が
貧乏神ですから
想いよりも「念」の中でしか
生きられないのですね。

これを「念の力場」と言います。

つまり、貧乏神は会話で緊張感を
緩和するのではなく、
自身の自尊心を振り撒く事で
誤魔化すのです。

会話で緊張して会話で解す
人は何とも不完全な生き物ですよね。

こんなに
不完全なんやから
完璧主義が
貧乏神の入口
言うんも何となく
分かるやろ

2024年10月25日金曜日

想像する力(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





縷々様々な感覚を養う上で
重要となってくる要素は多々ありますが
その中でも
「想像する力」というのは、
欠かせない素養の一つです。

想像というのは、
ある一定の知識に基づいて
心の中で形を作る意識の一つです。

物、人、風景、動植物、色、
匂い、触感、味覚、音、
万物に於ける総てを再現もしくは
疑似生成させる力が、

「想像する力」です。

何故に、これが感覚を養う上で
重要となるのかというと、

「意識」の一つだからです。

意識というのは、
その方向性と具体性が
より現実に近いものとなった時に
物質化が始まります。

物質化を進める為には
先述した「感覚」が必要なのですが、
その感覚というのは
「想像」の中で具体性を
増幅させる事が出来ます。

言い換えるなら、
想像の中でないと具体性を増し難い
という意味です。





例えば、
眼の前にある物というのは
肉体の眼で視認出来てしまいます。

視認が出来る反面、
過ぎ去っていく風景と同様に
自身の中に確固たる”物”として認識せずに
スルーしてしまいがちなのですね。

「心に留めない」とか
「真剣に向き合わない」

と、いう表現が近いと思います。

これですと、
意識の方向を定めるのが難しく
見てる様で視ていない状態ですから

肉体的な感覚は持ち得ても
幽体的な感覚は知り得ずに終わります。

つまり、
あにきの話している”感覚”というのは、

「肉体的な感覚+幽体的な感覚」

の事を意味しています。

で、この二つの感覚というのは、
自身の想像の中でないと
具体性が増す事はありません。

肉体的な感覚と幽体的な感覚を
想像の中で「融合」させる事で、

本来持ち得ている
より具体性のある感覚を
身に付ける事が出来るという意味ですね。

「意識の具現化」を実践しているお客さんは
何となく意味が分かる筈です。





余談となりますが、

この想像する力というのは、
あくまでも一定の知識に基づいた力です。

要は、現実的な知識(情報)でないと
意味を成しません。

よく、妄想と勘違いする人がいますが、
妄想というのは、

「何の知識にも基いていない
自分本位な思考による産物」であって、

想像とは全くの別物です。

想像する力には触媒として
「自分を信じ切る力」が必要となりますが、

妄想にはそれが不必要です。

ここまでお話しすると
はたと気が付く人も居ると思います。

そう、
貧乏神は「妄想する人」が多いです。





要は、想像する力を育てる事で、
必然的に貧乏神化防止に繋がります。

そして、その想像する力を育てれば
各種感覚を養う事になります。

簡単に言うと、
様々な事をよく考える様になる。

それは現実をよく視定める為の
目利きする力を養うという事に
繋がりますので、

運気UPという形となるのですね。

余談が長くなりましたが、

想像する力というのは、
感覚という物を通じて
自身の中で万物を画一化させるのに
とても重要だということ。

貴方が肉体と幽体を
得ているのですから、
万物に於いてもそれは同じです。

その万物を意識する際に
同様に肉体と幽体を画一させないと
それ以上のアクションを行うのは
難しいと思いませんか。

言葉にすると
えらい難儀やけども
もう既にそれを
セッションや
秘密結社で
実践してるんやで

2024年10月23日水曜日

己が事(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





想い。
特に相手への想いというのは
至る場面で必要となりますが、
意外と見失いがちになるのが

己が事、
自分自身の事をする時です。

誰でも何でもいいです
相手が眼の前に居る時に、

相手への想いを抱くのは
何も難しい事ではないですよね。

ターゲットが鼻先に居るのですから。

では、自分が自分の事をしている時は
どうですか

炊事、洗濯、家事全般、食事、睡眠、
学習、運転、仕事、娯楽...etc

自分の事というのは
数えきれない程に滅茶苦茶あります。

相手が眼前に居ない事の方が
圧倒的に多いのですね。





そういう孤立した状況下で
如何に相手を想うか。
想定した相手の為に動けるか。

それをきちんと意識できるか。
途切れる事無く想えるか。

相手への想いの有無によって
己が事の中身が変化します。

例えば、ダイエット。

理由はどうあれ
自分の体形が気になるから
ダイエットを考えるのですよね。
そして、実行をする。

その実行をしている際に
自分の意識はどこへ向いているのか。
相手への想いはどこへ向いているのか。

自分が気になるだけでは、
なかなか続かないのがダイエット。
苦しいですからね。

でも、頑張ってやったとして、
結果が出ない場合も多々あります。

やり方があっていないとか、
間違っているとか
技術的な側面の話や
肉体的な側面の話を
ここでするつもりはないです。

そういうのが
間違っていなかったとしても
問題が無かったとしても、
どういう訳か
結果が出ない事があります。





こういった場合、
想いの欠如が原因だったりします。
ちょうど1年前に


これについて話しました。
愛情欠落(バランスブレイク)です。

まさに、これが起きているという事。
自分の意識はどこへ向いているのか。

相手への想いというのが
置き去りになっていれば

それは自己の悦に浸っているのと
何ら変わりませんから、

ただ、頑張っている風の自分の姿に
溺れているだけの状態です。

それでは、結果も出てきません。





こういった事は全て己が事の時に
発生しやすいのですね。

先述しましたが、
日常というのは
一人の方が圧倒的に多いですから。

こういう事に気が付かない状態となると、
普段の生活時も似た状況となってきます。

ありとあらゆる場面で、
バランスブレイクが発生する、
もしくは、
している状態や状況となってしまう。

過去に自分が出来ていた
相手を想うという事や、
相手への想いというのは、

あくまでも過去の状態です。
一秒でも過ぎればそれは過去です。

それが何の問題も無しに
整然と今も引き継がれている事は
ほぼ無いのです。

ですから、
常に意識の方向を意識したり
相手への想いを自己確認する必要がある。

これが、
自分は出来ていると思っている人ほど
出来ていない。

相手への想いを想像以上に
向けていないという状態です。

そこに気が付けば戻れますが、
気付けなければ堕ちるだけです。

人は生き物です。
常に変わり続けるものですよね。
想いはそこへ遵ずるものです。
であるのですから、
想いも常に動き続けます。

それを阻害する自己の俗欲もあります。
静観していられる程
想いというのは落ち着いてませんよ。

自分は大丈夫だと
思ったその瞬間から
貧乏神化は
始まるんやで

2024年10月20日日曜日

普段の所作から(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





「常に冷静」にというのを
皆さん意識をしていると思いますが、

これは
「落ち着いて思考する」
「落ち着いて行動する」
という意味でもあります。

という事は、
日頃からお話ししている通り
普段の考え方や感情の扱い方だけでなく

行動も含むのですから
普段の所作の中にも
冷静に繋がる改善点がある
という意味にもなります。

例えばですが、
どんなに感情を意識したり
考え方を意識していたとしても

思考よりも先に反応してしまう様な
行動に於いては、

事前ではなく事後に気付いて
訂正ないし修正を施す必要があります。

分かり易い点で言いますと、
「誤字脱字」です。





誤字脱字というのは
事前にどうこう出来るものではなく
全て事後に気が付けるかどうかの代物です。

その誤字脱字というのは、
事前に意識して改善出来るのであれば、
軽い方ですが

意識していても改善が出来ない場合は、
何かを言い訳にしている可能性があります。

よくあるケースですと、
自身の忙しさに甘えた集中力の欠如、
もしくは意識の散漫です。

文字を書くというのは、
意思を伝えるという所作です。

早い話が礼儀なのですから
その中で、「確かめる」という行為が
必然となってきます。

けれども、その時点で
「忙しいから...」というのを言い訳に使い
おざなりにしている自分がいる。

その結果、心の内は気にしているのに
誤字脱字が治らない。

つまり、自身に甘えるという
駄目な自分を見つめていないので
認めてもいなければ
理解もしていないのです。

こういった、
自身のちょっとした所作の中にも
駄目な自分というのは潜んでいて
それが行動という形で露見するものなのです。

比喩ではなくて
その言葉の通りに
自分を見直すのも
大切なんやで