2023年11月11日土曜日

休息の大切さ(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

日々お疲れ様です。
生きていると家事に仕事に
大変ですよね。

そんな時には休息が必要です。
身体も心も休ませないと、
みんな疲れておかしくなっちゃいます。





今日は土曜日ですから、
お休みの方も多々いらっしゃると
思いますが、
休息についてちゃんと考えた事は
ありますか?

自分が休めればそれでいい。
家族が休めればそれで良い。
自分も家族も休みたい。

何でも良いです。
どれが当たりもハズレもないですから。
ご家庭によって様々ですからね。

ただ、
思い遣りというのは必要です。

「いつも頑張っているのに!」
「どうして休ませてくれないの!」

みたいな事、思っていませんか?





それ、貴方の補助霊さんにも
言えますか?
補助霊さんをちゃんと休ませて
あげていますか?

まさかとは思いますが、
霊的な存在だから休みなんていらない!
なんて、勝手な解釈をしてませんか?

毎日毎日、いつでもどこでも、
補助霊さんに問いかけたりして、
お話をするのは良いですけども、

「何だか今日は聞き取りにくい...」とか、
「元気なのに感覚がおかしい...」とか、
「風邪でもないのに具合が...」とか、
「小さい幸せが見付けにくい...」とか、

そんな事ありませんか?

あのね。
補助霊さんだって人なんだよ。
ただ死んでるだけ。
向こうの世界に居るってだけ。





貴方と同じ人なのね。
そりゃ休みたい時だってあるし、
「今かよ!」みたいな時だってあるし、
「自分で考えろよ!」って時もあります。

寧ろ、
自分は週に一度の休息を取っているのに
その自分を庇護してくれている存在は
休息すら与えられない?

そんなのあまりにもブラックだと
思いませんか?

自分が休みの時は補助霊さんにも
休んでもらうとか、
休みの日をセットしてあげるとか、
シフト制にするとか(笑)

こういうのも思い遣りなのですよ。





それに、優しさや愛情でもあります。
補助霊さんはいつでも貴方の傍で
貴方を視てくれている。
お手伝いをしてくれている。

家族と同じ様に、いや、
家族として疑う余地も無く接する
それが普通だと、あにきは考える訳です。

視えない存在だから
疎かにしてしまいがちですが、
そこを意識する事が、
愛情を知る上で重要なポイントにも
なってくるものなのです。

馬鹿らしいと思うのは勝手ですが、
騙されたと思ってやってみれば、
その変化にも気付ける筈です。

あ!
やるんなら重労働を課していた事を
ちゃんと補助霊さんに対して
謝りましょうね。


2023年11月8日水曜日

悪魔(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

前回は天使についての見解を
お話しましたので、
今回は悪魔についての見解を
お話したいと思います。





あにきの中では悪霊が
悪魔としての位置付けで
考えていますが、

悪霊というカテゴリーはありますが
種類としては存在していません。

悪霊の中にも種類が多々ありまして、
その内で、個我を維持している
野良化した自然霊と、
複数体が合わさった人の霊を
悪魔と考えています。

普通の悪い霊というだけでは、
悪魔と位置付けるには
ちょっと生易しいんですよ。

悪意というか殺意が足りていない。
それと、見た目もまだ人です。





ここまでの悪霊となると、
殺意しかないです。

普通の霊というか、
皆さんがよくビビるのは
”悪さをする程度”の霊です。

それが憑いてきても
気付かないで放っておくから
悪化しているだけで、
死ぬまでには時間が掛かるでしょ?

先ほど話した悪魔と呼べるレベルの
悪霊ともなると、
憑いてから死に導くまでの時間が
普通のそれと比べると
段違いに早いです。

条件さえ整えば1日とかって程です。
そのくらい殺意の濃度が高いんです。





殺意しか無い存在なので、
見た目もどす黒いです。
ハッキリ視えてても
黒いモヤみたいなのを纏っていますし、

薄っすらで視えたとしても
影よりも黒い影みたいな人型の
形を成していて、
その頭部のモヤの揺らめき方が
角みたいにも視えなくも無いです。

ただ、気を付けてほしいのが
普通の生霊とか霊とかでも
時間が経てば見た目が似てきます。





ここで注意してほしいのが、
強烈な霊でも、自然霊でない限り
元は人間という点。
生霊なんてまさに生きてる人ですからね。

つまり、誰しもが悪魔となり得る
ということ。
その素養を元々備えているという事。

これは天使にも同じ事が言えます。

なので、
存在している存在していないを
議論するのが寧ろ馬鹿らしい。
人を否定するのと同じですからね。

天使になるのも悪魔となるのも、
鍵となるのは、生きている内の業です。
それ如何で、どちらに転ずるのかが
決まるんです。

だから、いつも言ってるんです。
貧乏神になる様な業はダメですよとか。
そういう輩には近付くなとか、
善い業をしていきましょうねとか、

意味も無く言ってるのではなくて、
誰でも悪魔になれる訳だし、
なってほしくないから言ってるんです。





2023年11月7日火曜日

天使(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

天使って何ですかね?
見た事ありますか?
今回は天使について
あにきの見解をお話します。





天使という存在についての
公式的な意味合いは
皆さんご自分で調べて頂くものとして、
あにきの見解としてはですね、
実は一貫していまして、
天使は霊だと認識しています。

霊は霊でも、補助霊と自然霊。
主にこの2種類です。

補助霊というのは、
守護霊のサポート役で
皆さんの補助役になります。
別に仕えている訳ではないけれども、
サポートしている事には変わりはないので、
広義の意味で天使とも取れます。





自然霊に関しては、
見た目としての意味での
天使と言えます。

どういう意味かと言いますと、
例えば、
自然霊が普通に視えてしまう場合は、
龍神は龍神に視えるし、
鳳凰などは鳳凰に視えますけど、

問題はね、
薄っすらと視えた時の場合でして

視え方がかなり独特で、
白いモヤが人の様な形になって
視える時があるんです。

この時に、
人っぽい形をしているんですが
モヤが浮き立っているので、
背の部分から翼が生えている様にも
視えるんですね。

なので、見た目としての意味での
天使と位置付けています。





あにきの見解としてはこんな感じです。
まぁ、別に色々な呼び方があって
良いと思うんですよ。

天使じゃなくて補助霊と呼べとか、
またはその逆とか、
そういう決め付けや強制は好きじゃないし
間違っていますよね。

ただ、国も違ければ土着の宗教も
概念も違う中で、
似た表現の存在が確かに語り継がれている
そういう部分にロマンと言いますか、
神秘性や愉しみを感じますよね。

一つ確かに言える事は、
補助霊の存在を肌身で感じたり、
声を聴き取れる様になったり、

自然霊の存在を視たり聴いたり、
やはり身近に感じたりする事は、
運気を上げるという点では
間違いないという事です。

あと、嬉しいですよね。
ナチュラルに♡

運気を上げるという点では...?
という事は、
その逆の存在も居るという事に...


2023年11月6日月曜日

ステップアップ・アンソロジー(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^





人が人として存在していく上で
何よりも重要になってくるのが
『心の大きさ』
となります。

「生きていく上で」ではなくて、
「存在していく上で」です。

ここで気を付けてほしいのが、
死んだ後も含んでいるという点。

時間換算すると生前よりも死後の方が
圧倒的に永いです。
そこまでの全てを鑑みてでの
人としての存在という意味です。

肉体が無くなってからが本番
という解釈にも取れますが、
それは正解であり不正解。

どちらも重要になってくるので、
死に希望を見出したり、
終末論を望んだりするのは
大きな間違いとなります。





死後の霊体(魂)の選別時に
念想の天秤というのが用いられます。
個々人の善悪を見極める物の総称で
ここの判別で行き先が決まります。

これの基準となっているのは、
見た目でもなければ何でもなくて、
罪の重さと愛情の理解度のバランス。

恨み、思い遣り、寛容性、恐怖心、
心を構成するもの全ての中で、
愛情をどれだけ理解したのか?
という点を、自身の犯した八罪との
バランスで決めるという事ですね。





人は、苦労や苦悩の中で答えを導き出し
形を成していきます。
ここで愛情の尊さ、愛情の理解度を上げて
心の大きさを拡げていく。
多よりも個の心の広さを重視しています。
これは向こうの世界の構成要素として
重要ですし何よりも自分達の為だからです。

これが誰しもがこの世に産まれてくる
最大の目的なのですが、

肉体を持ったこの世では欲という因子が
必要でもあり邪魔もしてきますから、
愛情よりも欲が増してしまう。

個の苦悩を多の欲で補うから、
愛情の理解度を上げる以前に、
心が狭小化していってしまう。

そもそもがこの世では
心の大きさを拡げるのが目的なのに、
淘汰されるべき点が増えてきたのでは
死後の濾過が進まなくなり
結果として滅という形となってしまう。

それではお話にならないので、
物質的な淘汰というのが
定期的に起こる様に出来ているのです。





この淘汰時に、ポイントとなるのは、
多の意識がどこへ向いているのか?
という点です。

前々回でもお話しましたが、
人は意識をした段階で現実となりますし、
そこへ向かって動き始めます。

もし、滅>生存という意識となれば
過去帰りとなりやがては滅亡。

生存>滅となれば、
未来への共歩となるので
間引きは完遂されるけど生存となります。

淘汰時の基準となるのは
この世の理での善悪ではなく
向こうの世界の理での善悪です。

つまり、念徳ということ。
心の大きさ、愛情の理解度を推し進める事が
出来る可能性が少ない人が
淘汰の基準となっていくという事ですね。

詰まるところ、本来ならば死後に
向こうの世界に帰る時に行われる
念想の天秤をこっちの世界で引き起こす。
という意味です。





現フェーズの黎明期では、
この意識のコントロールと
個>多というのは
実際に行われていましたが、

意識の物質化の論理的理解や
空間認識を行うまでの知識と知恵が
まだ足りていませんでした。

ですから、一番の難関である
個>多と、意識のコントロールを
最初に実現させておいて、
科学的な知識と知恵が一定数に満ちるまで
それを意図的に忘失させたのが、
このフェーズの始まりです。

精神的側面の発展には
物質的側面の発展が必要だけれども、
それには数が増え続けて
心の品質は悉く落ちてしまうという
リスクが絶対的に発生をします。

けれども、それを乗り越えないと
ステップアップ事態が完遂はできない。

なので、このフェーズでの事象の流れは
とりわけ精神的側面の流れは、
未来(過去)→現在→未来
となるのです。



2023年11月3日金曜日

ステップアップ・ネサシティー(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^





前回の記事中に次のステップと
記載をしましたが、
一体何のステップなのかというのを
お話していきます。

人、つまり人類の事ですが、
我々はずっとずっと昔から段階を踏んで
今の状態へと辿り着きました。

現状の我々はフェーズ3です。

次のステップという事は、
フェーズ4に進むという話になりますが、
その前に1と2は何だったのかを
説明します。

フェーズ1は、猿人期です。
野性的で本能的な黎明期であり
「生きる」という点から始まり、
道具を使い始めるという点まで。

フェーズ2は、石器時代です。
常態的に道具を使い、
同族との円滑なコミュニケーションと
言葉等を使い熟し、社会性を得て
確立した文化的行動を始めるまで。


フェーズ3は、日本の時代で表わすと
縄文時代~現在に至るまでの期間であり
進行中。準備期。

社会性と人類としての文化を確立し
物質的側面と精神的側面の均衡を目指し、
意識の物質化を論理的に理解し、
空間認識基準を3次元から4次元以降へと
移行する為の構成要素の概念を
個人単位での理解が始まる点まで。





フェーズ4は、当然ながら3以降の
世界を示していて、簡単に言いますと
同種での争いの終焉から始まり、
個=多を純粋に理解する期間であり、
精神的側面の物質化の黎明期です。

これ以上をここでお話しても
仕方ないですし、
今回の内容からも反れてしまうので
とりあえず止めておきますが...

重要なのは、
何にしても我々にはステップアップが
必要なのだということ。

今ここで話した事が眉唾で
少々キショい内容なのも分かりますが

それでも人が進化してきたのは
紛れもない事実ですし、
それはこれから先も変わる事が無いですよ。
という事なのですね。





その中で、
今まで築き上げてきた物を踏襲しつつも、
概念自体を変えていかないと
先には進めないし、
多>個ではなく多=個であり、
多<個としての認識が、
そう遠くない将来に必要となってくる。

過去帰りを選ぶのか?
未来への共歩を模索するのか?

恐怖心(俗欲)に負けて犍陀多の如き
業をしていけば過去帰り待ったなしですし、
とりあえず、身近なところで
小さい幸せを見付ける努力を
今の時点からしておいて、
是が非でも生き延びるという選択をするのか。

という感じで、
必要性についてのお話でした。