皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、あにきユーザーではない方々の
キッズから頂いたご質問についての
回答になります(^^)/
Q1:
「お化けってどんな所にたくさんいるの?」
A:
お化けは色んな所にいるけど、
たくさんいる場所というと、
普通に生活していて人が集まる所にいるよ。
身近な場所で言うと、
みんなが住んでる住宅街とか
駅とかショッピングモールとか、
観光地とか、遊園地とか、病院とか
ネズミーランドとか、
あとは会社がたくさん集まっている
オフィス街とかだね。
これとは逆に学校はね、
実はそんなに見掛けないかな。
Q2:
「(お化けは)どんな風にみえるの?」
「(お化けは)どんな形なの?」
A:
↓の記事に書いてありますよ^^
(画像をタップすれば読めます☆)
Q3:
「良いお化けっているの?」
A:
圧倒的に良いお化けの方が多いんだよ^^
そんじゃどうして怖いのかって?
それは皆がお化けの事をよく知らないから
皆が勝手に怖がっているだけなんだよ~!
お化けって人が亡くなったら
お化けになるんだよね?
君の周りは悪い人だらけなのかな?
たぶん良い人が多いよね!
それなのに、亡くなってお化けに
なっただけで悪い存在…怖い存在…
っていうのは、ちょっとお化けが
かわいそうだよね|д゚)チラッ
Q4:
「お化けがついて来ちゃったら、
どうしたら良いの?」
A:
お母さんやお父さんにお話をして、
優しく抱っこしてもらったりすると
お化けは自然と離れていく事が多いよ!
もし、離れていかなかったら、
お母さんとかに頼んで
おじさんを呼んでね( ´∀` )
Q5:
「神様仏様って、本当にいるの?」
A:
いるよー(^^♪
けど、みんなの知ってる神様仏様とは
少し違っているから、
もし、視れたら驚くと思うよ^^
Q6:
「お化けって、足が無いの?」
A:
昔話みたいなお化けはいないよ☆
足のあるお化けがほとんどだけど、
死んじゃった時に足が無かったりすると
足がないお化けになっちゃうね。
Q7:
「日本のお化けは、ほかの国では出ないの?
逆に、日本ではドラキュラとかはいないの?」
A:
外国でも日本人のお化けは出るし、
日本でも外国人のお化けもいるよ。
けど、ドラキュラはお化けではないから
ちょっと難しいね(;'∀')
Q8:
「妖怪って本当にいるの?」
A:
鬼太郎やジバニャンみたいな妖怪は居ないね。
けど、妖怪みたいな存在は居るよ。
Q9:
「あにきさんは、意識しなくてもみえちゃうの?
それとも意識した時だけみえるの?」
A:
おじさんは24時間年中無休で
視えっぱなしだぞッッッ👁👁✨
Q10:
「怖くないお化けっているの?」
A:
もし、きみがお化けになったら
怖くなっちゃうのかな?
なってほしくないだろうけど、
例えば、お父さんやお母さんが
お化けになって君の前に出てきたら
怖いお化けになっちゃうのかな?
絶対に怖くないよね^^
Q11:
「ひとだまって本当に出るの?」
A:
でるよ~🔥
見れたらとってもラッキーさ。
もし、見た時はゾクッとするけど
怖がらないでお手々を合わせて(´-人-`)
「見せてくれてありがとうございます!」
って、言ってあげようね☆
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は少々難しい内容となりますが
先生方なら大丈夫ですから
頑張って付いてきて下さいね☆
欲・欲求についてです。
ー言葉の独り歩きー
色んなところで聞く言葉ですが、
「幸せになりたければ欲を捨てなさい」
この台詞、あにきは大嫌いです。
だってさ、元々備わっているんだよ、
捨てようにも捨てられないよ。
人を辞めろってこと?
生物を辞めろってこと?
どうしてこの台詞を
あにきが大嫌いなのかというと、
途中がすっ飛ばされて
完全に違った意味となっているからです。
正しくは、
「幸せを掴みたければ、目的を持ちなさい。
そして、もし欲を目的とするならば
その欲は捨てなさい。」
これです。
ー主たる目的を理解せよー
何事に於いても、何をするにしても
目的をしっかりと持つ事が大切。
目的を持たないと、順序が作れない。
順序が作れなければ、
歩むべき道(やる事)も作れない。
結果としてダラダラでなぁなぁとなり
いつの間にか手段そのものが目的となる。
例えば、お金が欲しいとする。
どうしてお金が欲しいのか?
そこを考えると、それが目的となる。
お金はあくまでも手段ですね。
そして、その目的とは
誰に向かっているものなのか?
自分なのか?他人なのか?
別にどちらでも良いんだけど、
そこもハッキリとさせる。
すると、
今現在での自分が出来る事ってのが
わりと鮮明に見えてくる。
これが先述した「歩むべき道」。
やれる事なんて限られていて、
みんなが同じ事を出来る訳ではないし
やりたい事だって千差万別です。
スキルだって十人十色ですからね。
この歩むべき道が、さも一つしかないと
誤認するからおかしな方へ向かってしまう。
永年でやり続ける事が歩むべき道ではない
「今現在の自分がやれること」が歩むべき道。
要は、仕事や生業なんてものは、
コロコロ変わって当たり前って話。
やる前に悩むだけ野暮って話なんですね。
悩むならやり始めた後ね。
ー忘却した主たる目的ー
生きる上でこれを繰り返している内に
いつの間にか手段たるお金が目的となってしまう。
お金が生活の基盤で指標でもあるから
ある程度は仕方ないのだけれども、
その数字だけを目的にするのは愚かだよね?
ってのが、先述の
「...もし欲を目的とするならば
その欲は捨てなさい。」
って、件(くだり)。
何故に愚かなのかというと、
主たる目的を見失っているからですよ。
他人の為に!とか
自分の為に!
自分の老後の為に!とか
家族の為に!とか
様々な主たる目的が有った筈なのに、
それが見えなくなってしまい、
ただの数字を目的としてしまう。
ー忘らるる目的のツケー
例えば、先月比とか前年比みたいな
指針や指標として数字を据えて、
それを超える様に頑張る!みたいなのは
有りですよ。
だって目標としては分かりやすいもの。
けど、これはあくまでも
指標の類なのだから
ハッキリとした主たる目的を
忘れてはダメよね。
いつでもどこでも主たる目的を
胸に抱き続ける。
これを蔑ろにしてしまうと、
自身の中での人への思い遣りなどが
どんどんと薄くなっていってしまう。
人への思い遣りってのは、
とても疲れるし気を遣うし、
心を傷付けやすくなるから、
なるべくそうならない様に
楽をしようとする。
私は人を信じない!と宣言するのが
その典型例の人とも言えますね。
ー生まれる前の自分への裏切りー
最初こそは大したものではないけれど、
それがいつの間にか目に見える様になり
似た思考の、努力をしない思考の人が
自分の周りに集まったり、
自分が引き寄せられたりするようになる。
気が付けば人として大切な何かを見失い
大切な人を失っていく。
それだと、何の為に産まれてきたのか?
産まれてきた目的や、
個人個人の人生のお題目を
達成出来ないどころか、
暖かさや痛みから勉強する人の想い
生きるもの全ての想いを理解できないし
成長そのものが滞ってしまう。
それはとても情けない事だし、
知っていても知らなくても、
自に堕ちるという罪なのだから
あまりにも下らな過ぎるよね?
という事で、愚かという意味になるんです。
なので、先述した、
「幸せを掴みたければ、目的を持ちなさい。
そして、もし欲を目的とするならば
その欲は捨てなさい。」
という言葉になる訳です。
ーイギョウ ノ コトバー
なのに、途中の大切な部分が端折られて
最初と最後だけが独り歩きしてしまい、
全く別の意味となってしまっている。
ですから、
「幸せになりたければ欲を捨てなさい」
なんて言葉が嫌いなのね。
あにきにはこの言葉が
俗欲から生まれた異形の言葉としか
聞こえないんですよ...
欲は捨てられないのだから、
目的をしっかりと設定して
コントロールしよう。
上手く使って欲に溺れない様にしよう。
これがこの言葉の
本来あるべき姿なんですね。
自分でよく考えてみましょうね。
さて、あなたは欲に溺れていませんか?
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は思い遣りについてです。
生きていると色んな所で
思い遣りを出したり受けたりします。
道を譲るとか、物を譲る、
順番を譲る、場所を譲る、声を掛ける、
教えてあげる、などなど...
多岐に渡ってその機会があるものです。
それは自分とて同じことで、
受ける側としても多々あるはずです。
けれど、それが無いという人もいます。
思い遣りを感じた事が無い人。
実際にそういう台詞を吐かれた事もあります。
では、どうしてそういう方は
思い遣りを感じた事がないのでしょうか?
単純に思い遣りを与えた事が無かったり
少なかったり、見返りを求めたり
しているからです。
それでは、どこまで行っても
思い遣りに遭遇する事はありませんし、
気付く事すらありません。
そして、そういう方の殆どが
思い遣りを受けているのに、
自分を優先させたいがあまりに、
反故にしているだけという事実。
なので、自分には還ってこない。
当然に"気付き”という重要ポイントにも
気が付くはずもない。
ですから、普段からまずは与える事が
必要になってくるし、
誰でもかれでもというのは少し違うから
見極める努力をしなければいけない。
また、思い遣りというのは、
優しくするだけが全てではなくて、
メリハリを以って叱ったり怒ったりする事も
思い遣りなんです。
教えてあげられる立場の人が教えてあげる。
黙って見ているのか?
聞こえないふりをするのか?
見て見ぬふりをかますのか?
そういう場面でちゃんとした行動を取る
これも思い遣り。
あにきが若い頃。
電車の中で酔っぱらって女の人に絡んでいる
初老の男性がいて、その女性は困っているけど
周りの人は誰も助けないし、何もしない。
「おじさん、おじさん!」
と、声を掛けてこっちが
話し相手になってやって、
その場を切り抜けた事があります。
こういうのが思い遣りだと思うのね。
結局、周りの人もその女性からも
何も無かったけど、その場は収まったし、
そのおじさんには後で謝られた。
結果としてオッケーじゃね?
という経験をしました。
特にこれと言って何も無かったけども、
スッキリしたのと、今こうして堂々と
体験談を話すことができる。
これが思い遣りから得られた徳でもあります。
皆さんは、思い遣りをどう考えますか?
受けた事が無いって人は、
今一度ご自身のスタンスを考えてみるのも
アリかも知れませんね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は無償の愛についてです。
人が人として育むべき愛情の
最終的な到達点が無償の愛です。
金も物も剰え気持ちも
見返りを一切求めずに愛情を注ぎ続ける
想いの最終進化形。
これだけを聞くと、自分一人が頑張ってて
すごく虚しいものだと
考えてしまいがちですが、
それは余りにも自分の方に意識が
向きすぎているし、思慮が足りません。
思い出してほしいのは、
あなたは一人ではないということ。
類は友を呼ぶという言葉が好きなわりに
こういう話に及ぶと直ぐ一人だと誤認する。
見返りを求めない愛情を注いで、
それと同様の想いを持っている人を
呼び寄せればいいでしょ?
無償の愛を共有できる人なんて
一生涯でも極少人数にしか出会えないけど、
例えそれが自分以外に一人だったとしても、
出会えたならそれはとても素晴らしい事で、
最高にして最強の徳の一つなんですよ!
要はめちゃ幸せな事!!って意味ね。
その過程の中で、人の持っている様々な顔
つまり本性を視る事になる。
それは自分の本性を知る事でもある。
そこで絶望をするのではなく、
あくまでも反じて省みる努力をする。
それはとても大変な事ではあるけれど、
そんな努力の一つもしないで
得られるほど簡単な訳ないでしょう?
どんな事でも素敵な事を得るには
それに見合った努力というものが必須となる。
何も思考せずにただ日常を生きる。
目の前にある容易く軽い愛情にぶら下がる。
そんな生き方じゃ一生涯を掛けても
得られない得る事の出来ない愛情のカテゴリが
無償の愛なんです。
誰しもが得られる権利を
生まれながらにして持っているのに
自らのエゴでいとも簡単にその権利を
手放してしまう想いの形、それが無償の愛。
そして、自分が手放すという事は、
自分が向けるべき愛情によって救われる人や
自分に向けられていた無償の愛を放棄する
早い話が他者の幸せに答えない(裏切り)
という事でもある。
だからこそ、生きとし生ける者にとって
徳を積む=幸せを得る事に区別はないのです。
どうして俗欲的な生き方や思考、
人を裏切ったり辱めることが
向こうの世界の理では罪となるのかは、
この愛情という面を深堀する事でも
人によっては理解が出来るはずです。
人は独りじゃないからね。
与えるだけじゃない
受けるだけでもない
その両方を余すところなく発揮して
後に、「あぁこれか!...」
と、言葉にならない感覚で理解できるのが
無償の愛。
おそらくだけれども、
とても身近にある悟りの一つなのだと
あにきは考えています。
皆さんこんばんは、あにきです^^
今回は生きるための心構えについてです。
人は誰しも生きる事が
大変になる時があります。
問題の大きさは人によって違えど、
大変だと感じる時があります。
ただ人と喧嘩しただけでも
この世の終わりみたいに大変だと
感じる人もいれば、
実際に、生死に関わる病気や事態に
苛まれていて大変だと感じている人もいます。
この「大変だ」は、どちらも大変ですが、
必ず選別するべき事だと
あにきは常々考えています。
何でもかんでも平等に出来るはずもなく、
こういう時の選別は絶対に失くしては
いけない事だと思っています。
この選別をするという考え方は、
特に人を見極める事に関しては
どんな時にでも当てはまるものです。
例えば、大した問題じゃない人ほど
事を大げさに表現しますし、
頑張り屋さんになればなるほど
黙って我慢をし続けたりします。
この時に、「ちゃんと選別する」
という心構えを持ち合わせていないと、
人を見極める上で大変な過ちを
犯してしまう場合があります。
優しさを出すというのは
決して悪い事ではないですが、
その優しさに自分が酔ってしまってはダメ。
選別という厳しい事を言えないばかりに、
重篤な人を見過ごしてしまう...
というミスが起きたりする訳です。
一体自分の意識はどこを向いているのか?
真剣に相手に向き合っているのか?
大袈裟な態度やオーバーな動きに
惑わされていないか?
自分自身に対する優しさに
酔っぱらっていないか?
心を水平にして人を視れているのか?
常に冷静に思考し、
知識を用いて判断の裏打ちをする。
取り返しの効かないミスを回避するためにも、
常日頃からの心構えは本当に大切なのです。