皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
あにきは常々から
「よく視てよく聴いてよく考える」
という動き方を推奨していますが、
その中でも「よく聴く」というのは、
意外とネックなのですね。
聴くというと、どうしても耳に
意識を傾けてしまいます。
当然ですね、聴覚ですから。
けれども、それだからこそ
ネックとなってしまいます。
聴くだけでしたら良いのですが
理解する為には物足りません。
耳に意識させるだけですと、
自分が口を閉ざしてしまう人が
結構多いんですね。
「聴かなきゃ(集中)」
みたいな感じです。
気持ちは分かりますが、
これでは馬鹿の一つ覚えです。
木を見て森を見ずというやつで、
聴くという一心になっていて、
話という大義を見失っている。
つまり、聴くという事は
相手に話をさせないといけない。
自分がだんまりを決め込めば
相手は話をしてくれません。
有利な立場にいる時の交渉事なら
それでも良いのですが
普段の会話でのそれは
ハッキリ言って何も得られません。
如何に相手に話をさせるか
気持ち良く言葉を出してもらえるか
心の内を打ち出してもらえるか
要は、よく聴く様にするならば
こちらから話をして引き出してあげる
「努力」が必要なのです。
話過ぎても駄目。
黙り過ぎても駄目。
自分であれば、どういった状況なら
話がし易いかを考えながら
言葉を選んで口にする。
そして、
相手が話し始めたと同時に考える。
何を考えるのかはセッションや
レクチャーをしてる方なら
理解してる事なので割愛しますが、
こういったテクニックが
少なくとも必要となってくるのです。
どんな時でも、どんな場面でも
冷静にそれを駆使する。
その為には様々な要素を同時併用させる
ですからね、
「聴くと言われたからお耳に集中」
と、認識している人は
話が聴けないし、
意味も理解出来ないのですよ。
聴き上手
あの手この手の
引き出しが
必要なんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
「無表情の人」
「過度に表情を出す人」
どちらが幸せを呼び込めると
思いますか
どちらも大して呼び込めません。
無表情の人、過度に表情を出す人
どちらを見ても、
嫌悪感を抱くからです。
つまり、その手の人は
恨みを買いやすいという事です。
何か精神的な疾患が原因で
というのは勿論別ですよ。
疾患が要因でという人は、
何かしら見分けが付きますからね。
そうではなくて、
あくまでも自分本位な理由で
という意味である事ですね。
例えば、
家族で旅行に行ったり
レジャーに行ったりしてるのに
楽しい感じではなくて
無表情だったり仏頂面だったり
明らかにご家族の中でも
浮いていたりする人。
何か話を聞いている時、
大して感情を揺さぶられていないのに
イチイチ大袈裟に反応する人。
逃げの笑顔を使い過ぎていて
場面を問わず笑顔を作ってしまう人。
直ぐに泣く、直ぐ怒る、
直ぐに笑う、直ぐにしかめる
これらを使う人のどれにも
共通しているのが
「場面の見極めが出来ていない」
という点と、
「そもそも話を理解していない」
という点と、
「何も見てない聞いてない」
という点です。
表情を豊かにしようとは
誰もが簡単に言いますが、
過度に振る舞っても意味がない。
では、何が必要なのかと言うと、
「感情の制御」と
「理解する努力」です。
その上で場面に応じた表情を駆使する。
場面に応じたという事は、
社交辞令的なものも含みます。
人には付き合いというものが
存在しますからね。
真面目な話をしている時に
笑っていたら変でしょ。
ちゃんと理解もしていないのに
大袈裟に反応していたら
「理解してくれたんだ」と、
相手に間違ったメッセージを
与えてしまうでしょ。
理解していないのが
後々に判明したら一気に
恨みを買う羽目になります。
それでは面白くないです。
なので、話をする時は
「よく視てよく聴いてよく考える」
徒に表情を作るのではなくて
その場に応じた
真面目な表情を「出す」様に心掛ける。
当然ですが、
真面目な表情と
無表情は同じではないですからね。
間違ってもそれを混同しない事。
ちゃんとされてる方なのに、
どういう訳か嫌な事が多いとか
何だかパッとしないとか
上手くいかないとか
そういう方はこれが出来てない人が
本当に多いです。
会話やコミュニケーションを軽視して
軽薄な気持ちでその場の雰囲気に流され
自身は簡便な表情に甘える。
そんな楽をして幸せを掴めるほど
生きるというのは単純でもなければ
簡単でもないです。
もっと、その瞬間瞬間に向き合って
心底疲れるのが本来あるべき姿です。
疲労感無くして運気が上がるほど
現世は甘くないという事ですよ。
こういう面を
ちゃんと指摘
説明するものだと
思うんやけどね
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
スピリチュアルや霊的な事を
仕事としてやっていますと、
超自然的な話とか
非科学の話が
確かに多めになってしまいますが、
そこへ主眼を置いてしまうというのは
ハッキリ言って間違いです。
霊的な事もスピリチュアルも
現実を現実として捉える事が出来て
初めて機能するものですし、
間違っても現実を越えたり
ましてや、
優先させる様な事でもないです。
と、言いますのも、
どうしても現実逃避が目的で
霊やスピを使う人が多いからです。
現実を生きる中で、
少しでも「善くさせる」
その「きっかけ」を作る
というのが、
本来あるべき姿です。
その最中や行き着く先に、
「幸せ」や「運気上昇」
等があるわけで、
現実を現実として受け止めない
というのは、
思考停止したり
思考停止させたりするのを
助長させてるに外なりません。
例えば、
世の中のシステムが間違っているから
新しいものへと変わろう
ステップアップしようと、
大抵のスピ系の人は言っています。
あにきもステップアップについては
何度も話しています。
ですが、現行のシステムや
既存の社会が間違っているとは
思いませんし、それを言うならば、
これまで培ってきたものを
全て否定する事になります。
要は、先人さん達ご先祖さん達を
全力で否定拒否するという事です。
そんな馬鹿な話はないし、
先人さん達が居たから今があるんです。
その中で、ステップアップして
いずれは現行の社会基盤や規範が
新技術や新らしい概念に変わる時が
来るでしょうし、
そうなると信じていますが
かと言って、今すぐにそうなる事は
有り得ないんですね。
その手の与太話を推奨している人は
今すぐに変わる事を仄めかします。
また、それを信じる人は
あまりにも現実を視ていなかったり
現実から逃避していたり、
現実よりも理想に埋もれていたりと
見るも無残な状態となっていたりします。
神秘と言うのは、
現実社会があるから成り立つのであって
現実を見れなくなれば
神秘にも気が付けなくなります。
もっと簡単に言うならば、
この世があるからあの世があるし
あの世があるからこの世がある。
お互いがお互いで作用しているから
お互いが成立しているのが現実です。
ちゃんと現実を知らずして
理想は成り立たないのですね。
スピや霊は存在
しているんやない
豊かにさせる為に
存在してるんやで
科学も非科学も
目的や到達点は
同じなんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は動き方について
お話をしたいと思います。
何かを視た時に
どうしてそれをそう感じるのか
というのを考える必要があります。
例えば、
美しい朝陽や陽光を見て
「きれいだなぁ...」
と、思いますよね。
けど、その綺麗だなというのは
一体何が綺麗なのか
光なのか反射なのか
明るさなのか
周りとのコントラストなのか
それとも全く別の何かなのか
毎日見ていたとしても
「感じる事」や「感じる点」は
毎度違う筈なのですね
そこを視た瞬間に理解する
若しくは、理解する努力をする。
そして、
その理由は単発とは限りません
と言いますか、
単発という事は無いと思います。
パッと出てくる感覚は一つに思えても
大概それは複数が合わさって出来ていて
単発に思える事だったり、
1つが大きくて残りが小さかったり
そうやって単発に思えてたり、
そもそも自分が
そうだと決め付けているだけだったりして
勝手に視野を狭くしていたり
思考を止めてしまったりする結果
だったりします。
どんな事でもそうですが、
事象や物事の基本構造は複数です。
その複数が相互作用を引き起こして
成り立っているのですね。
要は複合的ということ。
その最中で、単眼単一な思考となって
それに甘んじ過ぎてしまうと
追い付けるものも追い付けないし
理解出来るもの理解が出来なくなる。
パラドックスをパラドックスとだけ
思考するのか、
相互作用や相互関係に於ける
同時並行の答えの一つとして
捉えるのかの違いです。
ですから、普段から
多角的視野に慣れていると
その先にある事象への理解がスムーズに
なっていきますし、
一度に思考する事が出来る数が
増えていく訳ですから
素直さ度も高くさせる事が可能です。
もっとも、こればかりは
誰でもとか必ずとかっていう訳では
無いですけどね。
分からないの。
ふんわり簡単に
考えてみなさいな。
答えを一つに
決め付けないやで。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
龍神や鳳凰などの自然霊の事が
皆さん大好きだと思いますが、
彼らとの触れ方、触れあい方は
なかなかどうして
教えてくれない人が多いです。
まぁ、そこら中に居るけど
普通は目に視えないし
仕方ない事ではあるんだけど、
結構勘違いしてる人も多いので
改めて基本を書いてみようかなと。
自然霊というのは、
その各々が
云わば万物それぞれを司る存在であり
万物に影響を与え、
影響を受ける存在なのですね。
影響下という事なのだから
そこには動植物のみならず
虫もそうですし、
鉱物、液体、気体、
様々なものがその影響下にあり
同時に影響を与えるという事です。
これを「相互作用」と言います。
つまり、簡単な言い方をすると、
自然霊本体が視えなくても
その各々が司る種別の存在や物を
人から見た勝手な認識をするのではなくて
「万物という目線」で
視ればいいだけなのですね。
例えば、家の庭に蛇が出た。
うひゃーっ と、なるけれど
蛇ってのは言わずもがな
龍神の眷属です。御遣いですね。
それを身勝手な理由で嫌がるという事は、
遠巻きに龍神を嫌がるという事。
そこに龍神の意思が入ってる事も
毎度毎度ではないにしろ、
多々あるんですよ。
そこで、蛇=龍神という認識を以て
接すればまた違った見方になるでしょうし
触れ方も変わってきます。
嫌いだったりキモかったりしても
何が嫌いでどこがキモいのかを
ちゃんと考えるきっかけにもなるし、
恐怖の源をしっかりと認識した上で
それを伝えれば
自然霊は理解が早いので納得します。
同じ事がその他の存在全てに言える。
要するに、
木は木、水は水、石は石、虫は虫
みたいな人本位の目線や思考を
一時的に外してみれば
実は自然霊というのは
人よりも身近な存在だと分かるし、
実は、いっつも視えているというのも
理解出来る様になります。
その中で、自然霊と上手く付き合えると
本当に姿を見せてくれたりするのです。
なので、
「自然霊との触れ方」というのは、
「万物との付き合い方」
なのだと解釈が出来る訳ですね。
そこには
人工物も
含まれるんやで。