皆さんこんにちは、あにきです^^
今回も考え方について
お話をしたいと思います。
人の話をよく聴く大切さは
従前よりお話をしていますが、
今回は耳を傾けるにしても
他人様ではなくて
「自分の心の中の声」です。
いつでもどこでも
何をしている時でも、
心の中は自分の声でいっぱいです。
その時にしている事に関する声
これから何かをするのに向けた声
歓喜、怒り、哀しみ、楽しみ、苦しみ
様々な声が自分の中で響いている筈です。
一聴すると戯言雑言な内容に思える
心の中の声ですが、
よくよくちゃんと聴くと
物事の芯を突いていたりします。
どうしても眼前の問題や
出来事に圧されてしまって
心の声を軽薄にしがちですが、
ピンチをチャンスにする人や
巡りが良い人とか
そもそも危機が少ない人等は、
自然とこの「声」を重聴しているものです。
と、
ここまでは割とやってる人が多いです。
ここからがあまりやらない事ですが、
その声を何でも聞いて実行するのではなく
ちゃんと「選別」をする。
自分の想像妄想なのか願望なのか
善い自分の声なのか
駄目な自分の声なのか
支援してくれてる存在の声なのか
干渉している存在の声なのか
よくよく聴くと
かなりのレパートリーに別れている事が
ハッキリと分かる筈です。
その内容をしっかりと聞き分けて
出処をソートする。
これをやる事で、
どうしても自身に都合の良い部分だけを
聴いてしまうというのを回避出来ますし、
駄目な自分の誘い、つまり欲の暴走ですが
それを制御(コントロール)する事も
可能となります。
所謂、
「常に真逆の感情を思考する」を
実践可能にするという事です。
自分の声にも真摯に
耳を傾ける事が出来ない人が
他人様の声に耳を傾ける事が
出来る筈もありません。
自身では人様の話を聞いているとは
思っていても、話を終えた後に
恨み節を口にしたり思ったりする。
ちゃんと聞いてて選別が出来れば、
口を挟む事も出来るし、
途中で切り上げたり、
後に引導を渡す事も出来る。
禍根を最小限度に留める事が可能なので
徒に運気を下げる様な真似をせずに済む。
けれども、それは日頃から使っていないと
中々どうしていざ使えるものでもないです。
なので、その練習も兼ねて
自分の心の中の声をちゃんと聴いて
選別をするという業が必要となるのですね。
こういう地味な努力を重ねる事で
自身の周りから貧乏神が離れていきます。
また、貧乏神化する要素でもある、
自分の中の「駄目な自分」についても
抑制する事が出来る様になります。
そして、
運気は上がって維持できる。
心も身体(脳みそ)も使いますから
想像以上に疲れますけど、
やってみましょう。
努力無くして幸は無しですよ^^
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
物事の判断をする価値基準として
どうしても金銭という点に
固執してしまいがちです。
ですが、一にも二にも
金銭価値で判断するというのは
人として愉しく生活をする
それを目標とする点に於いては
ちょっと道を逸れているかと思います。
金銭以外の価値基準を
自分の中でしっかりと持つ。
それは
偏に「想い」という事になります。
例えば、
日頃の生活の中でお金に対して
必ず意識はしますが、
お金の為に仕事をしたり、
家事をしたりという事は無い筈です。
家族の為、大切な人の為、
愉しみの為…
動機は様々であっても、
そこにあるのは「想い」ですよね。
生活が困窮したり
辛かったりする人からすれば
そんな事言ってられない
詭弁だ綺麗事だとなると思います。
あにきもそういう大ピンチを
経験した事がありますから、
意味は分かります。
けれども、そのピンチの中でも
心を助けてくれたのは
お金ではなくて人からの想いでした。
金銭価値に振り回されたあまり、
「想い」という大切な要素を
しっかりと理解する事が出来なかった。
結果として大変な経験をしましたが、
だからこそ、人の想いの大切さを
理解する事が出来て今があります。
普段の生活の中で、
自分の価値基準をしっかりと持つ。
これは、
「想いを形にする」という事に
他なりません。
本当に大切なのは「想い」です。
そこに気が付くと、
自然と危険回避が出来る様になります。
金銭価値だけを基準としてしまうと、
そこに目を付けた同類が寄ってきます。
つまり、
貧乏神に付け入る隙を
与えてしまうという意味です。
そうなってしまうと、
幸運も幸福も果ては運気そのものも下がり、
手持ちの生活費さえも無情に流れていきます。
金銭というのは生活の手段であって
決して目的に成り得るものではありません。
何かを判断する時に
金銭から目線を離して、
ご自身の大切とする想いを芯に据えた
「自分だけの価値基準」
で判断してみて下さい。
面白い程に結果はすぐに出ますよ。
安物買いの銭失いもしなくなりますよ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、考え方について
お話をしたいと思います。
瞬間瞬間を愉しむとか
人として愉しむとか
常に全力で愉しむとか
と、
事ある毎にあにきは話していますが、
どうして「楽」ではなくて
「愉」を使っているのかと
思われた方も居ると思います。
これは、想いに起因しています。
人が何かを行って気持ちが高揚した時に
嬉しさや楽しさと言った
感情が心内に芽生えますが、
その時に、想いはどうでしょうか
という部分なのですね。
例えば、
子供の頃、無邪気に遊んでいて
デカい蟻の巣を見付けたとします。
男の子あるあるですが、
水没させたり掘って破壊してみたり
色々やります。
ウキウキして楽しいです。
同様に、
昆虫やザリガニをケースに入れて
飼って観察する事もします。
色々発見出来て楽しいです。
捕まえて満足して後は親御さん管理
というケースの方が多いでしょうけどw
ここでは例え話なのでそれは割愛。
さて、
ここで注視するべきは、
何を基準として満たしているか
という点です。
水没破壊の場合は、単純な欲です。
破壊願望という名の欲ですね。
支配欲とも言えるかも知れません。
この行為そのものは悪ではないです。
ただ、欲に忠実というのは宜しくも無いので、
その後に大人が諭す必要はありますね。
なので、この場合は想いよりも
欲が起因となっているので
「楽しむ」となります。
飼って観察の場合は、
殺すのではなく活かして観る事になります。
興味という欲が出だしとはなりますが、
活かして観るという点が
飼っている存在に対して
愛着を沸かせていきます。
つまり、想いが発生増幅します。
その想いの力の中で、
心を諭していく様になります。
それが故に楽しいという事になるので、
この場合は「愉しむ」となります。
ちょっと分かり難かったかも知れませんが、
人は楽しむ感情が生まれる時に
意外と心を意識しないものなのですね。
詰まる所、想いです。
想いが有っても無くても「楽」という
一括りで済ませてしまう。
そこを敢えて掘り下げて
「楽」という点を因数分解した時に
想いのありかが視えてきます。
想いのある「楽」と無い「楽」では
実は全くの別物であって
自身や周りに与える影響力も
全く違うものとなる事が覗えます。
ですから、どうせなら
想いが載っていた方が善きじゃん。
善きに決まってるじゃん。
それに学びも得るものも多いです。
という経緯から
想いを以て心を諭すという
「愉」を使っている訳です。
日頃色んな愉しみがありますが、
皆さんも想いをいざ意識すると
視聴きする世界も人や子供に対する
接し方も諭し方も変わってきますよ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は善い事について
お話をしたいと思います。
幸運やら幸福やら
言い方は何でも良いですが、
詰まる所、好転させたいと
考えている人は多いと思いますが
その為には
必要な物事というのがあります。
物を身に着けるだの、
パワースポットやら寺社仏閣やら
縁起を担ぐ方向へ考えてしまいがちですが
それよりも日々の生活の中で
常に実践出来る事の方が
何百倍も好転へ繋がります。
新しいものを見付けたり、
新しい事をやってみたり
大きな事じゃなくて良いんです。
目標と目的を立てて、
それに向かって地味に動く。
本当に何でも良いです。
子供の夏休みの宿題の様に
虫や花の観察でも良いし、
自己観察でも良いです。
その観察の中で、
気を付けてほしいのは、
「いつもと同じ」
とは、決して思わない事。
いつもと同じだと思ったりすると
決め付けや思い込みが先行して
新たな発見から遠退きます。
また、ルーティン化してしまうので
観察ではなくて
「作業」となってしまうのです。
これでは、
続けられるものも続きません。
好転に必要なのは「活力」です。
最も身近な活力は、
「発見」「観察」「分析」「報告」
何でも良いです。知らない事
つまり、謎ですね。
それを発見した時、
それを観察して内容を分析して
話せる人に報告をする。
堅苦しい書き方だとこうですが、
思い出して下さい。
子供の頃、何かを見付けた時に
親御さんとか友達とか兄弟とかに
「〇〇って〇〇なんだよー!」
みたいに話したりしませんでしたか。
それです。活力。
今思えば、
結構どーでもいい事でしたよね。
だけど、大興奮☆
大切なのは、その気概なのですよ。
これは幾つになっても
おっさんおばさんになっても
じじばばになっても変わりません。
好転させるには何よりもまず
生き生きとする方向へシフトさせるのが
必須事項なのですね。
大人になると「目標目的」という言葉に
負けてしまって大層な事をぶち上げて
大きく大きく捉えてしまって
長続きしない。
ですが、恥を忍んで童心に帰って
小さい物事ならどうですか
幾つも同時に出来ますし負担も少ないです。
ですからね、
常々申し上げているんですよ
小さい幸せを見付ける努力をしましょうと。
では、逆を見た時に、
生き生きしていない人はどうでしょう。
大抵の場合、
日頃からルーティン化を重視します。
ある程度のルーティン化は大切です。
大人は忙しいですからね。
けれども、それは場面場面で
切り替えられる筈です。
それすらもしないで、何でも固定。
そうなると全てが作業です。
それでは生き生きとするどころか
疲弊感しか募っていきません。
そうやって活力は減少していき
幸運やら幸福やら皆さんが大好きな
運気と言うのは下がっていくんです。
好転させるのは何よりも自身の努力です。
難しく考えないで、まずは行動。
小さい物事を上手く使って
小さい幸せを沢山見付けましょう。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は予知や予期について
お話をしたいと思います。
この業界で切っても切れないのが
予知や予期です。
そりゃそうなんですよね、
こうした方が良いとか、
あーした方が良いとかって話そのものが
大枠では予知や予期ですから。
その中でも、災厄というものについて
聞かれる事があります。
これに関してはとても難しくてですね
来るか来ないかという話で言うと
「必ず来る」
という答えになってしまいます。
そりゃそうなんですよね、
地球が相手なんですから。
風邪を引きますか引きませんか
怪我をしますかしませんか
って、質問を
地球レベルで聞かれてるのと同じです。
しかも、地球規模で言うならば
地震や津波も、人で例えるなら
風邪やささくれ程度の怪我と
同じ様なもんです。
地殻なんてのは人で言うなら
皮の部分みたいな話ですからね。
それを何時いつなんて
ハッキリとは言えませんよ。
言える人がそれをやれば良いし、
あにきは言えません。
何故ならば、
時間の感覚が地球は人と違うし
人なら数分の違いが、
地球なら数日や数ヶ月はたまた数年
数十年なんてのはザラになるからです。
それに、意識の観点から鑑みても
あまり乗り気にはなれません。
意識をするとその瞬間から
物質化が始まります。
災厄が来る来ると意識すれば来るんです。
少なくとも、そこへ向かって進んで行く。
それを助長する様な真似はしたくない。
なので、言えないしやらない。
また、聞いてくる皆さんは、
恐怖心や遊び心から
聞いてくる人が大半です。
それは、自分の欲を満たす為だけの
下らない動機です。
リテラシーがあまりにも低すぎる。
そんな恥知らずの為に、
人を犠牲にしてしまうかも知れない様な
話をするほど愚かではないです。
どうせ話をするなら、
災厄の予測を外す為の話をしたいですからね。
その方がハッピーになれるでしょ。
でもって、
「外れた」「外してやったぜ」と
笑いながら万歳をしたいですもの。
けれども、事象としては
必ず来るのが決まっている。
で、あるならば、
災厄に備えたり、何せその後を生き延びる
という考えを大切にした方が
どう鑑みても間違いないのです。
災厄そのものにフューチャーしても、
それは一過性の事象に過ぎません。
その後の事の方が数百倍は大変です。
詳しい事を決してここでは書きませんが、
秘密結社あにきの会合では
かなり詳細に話しています。
身近な所で言えば、
近々で起こるであろう地震などの災厄も
数ヶ月前に図解付きで話していますし、
時期などについても同様です。
そして、何よりもその後の展開と
自分達の動き方、必須な思考など、
非科学だけではなく超現実的に捉えて
皆さんと意見を交わしています。
世の中には当たるよりも
外れた方が良い事もある。
避けられる事もあれば
決して逃れられない事もある。
その後に生きるのも
その後に活かすのも
何をするにも自分達
「受け止める側」次第なのですからね。