皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
様々な物事に興味を持つ
又は、
興味を持とうとする努力をする。
これが大切ですよと
ここでお話をしましたが、
色々な物事や事象に
全く興味を持たないで
そのままにしておくと
どういう事になるのでしょうか。
まず、視野狭窄が始まります。
物事の見極めが非常に困難となります。
もっと簡単に言うと、
世界が「狭く」なります。
例えば、子供の頃って
家と学校の往復でしたよね。
言うなれば、それが世界の全てでした。
テレビやネットで何かを知り得たとしても
自分が触れている世界は
とてもとても狭い。
これがそのまま
大人でも適用される訳です。
何でもかんでも人に頼る様になる。
無知ゆえのアウトソーシング。
良く言えば
「餅は餅屋」
悪く言えば
「無知蒙昧」
頼るという点から逃れられなくなるので
自立心が育ちません。
常に誰かに依存している状態となる。
それが続いていくと、
自身の意見というのが消えます。
アイデンティティーの喪失です。
自分という確固たる存在や
自分という意識そのものを失って、
他者の意見や意思に沿ってしまい
あろうことか自分の中の決定権を
委ねる様になります。
そこから先は言わずもがなの流れです。
この流れを阻止するのが
「興味を持つ」という
とても簡単な動きなのですね。
自分には関係が無いから
知らない調べない。
その時になったら分かるだろう。
そんなのは理想どころか
ご都合主義の妄想でしかないのです。
今この瞬間に物事や事象は突然起きる。
何も誰も予告はしてくれません。
完全なる孤立状態や
情報接種が出来ない状態となった時、
頼れるのは他者ではなくて
自分以外に居ないですからね。
また、これは同時に
「他者を護る事すらも不可能となる」
と、いう意味でもあります。
興味を持って世界を広げる。
常にその思考で動いていないと
いずれ必ず破綻を期しますよ。
教えてもらうばかりではなくて
教えてもらったならば
自分で使って覚えなさい。
分からないから考えないのではなく
分からないなら考え方を聴くの。
自分の頭で
色々知って
経験へと繋げれば
人は救えるんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
興味が無いから知らない
興味が無いから分からない
人と接していると
何気によく耳にする台詞ではないですか。
小生意気にスカして言う奴も居れば、
真面目にそう答える人も居ます。
では、逆に興味のある事を
どれだけ持っているのかを聞くと、
大した数は持っていない。
つまり、そういう人達は
何も知らない事だらけの中で生きていて、
困った何だと慌てふためくのです。
そして、その何も知らないというのは、
「自分が知ろうとしていない」
「自分から知る様に
動こうとしていない」
と、いった怠惰の中での結果なのですね。
知らなくても直ぐにググって
分かるから良くね。
みたいな動きが一般的となって久しいですが、
そんな超特急で調べる状況で
出てくる様な情報などは、
大抵の場合、誰かしら何かしらの意図や
資金が投入されている情報ですし、
仮に正しい情報だったとしても、
それは分かったのではなく
「見ただけ」であり「読んだだけ」なので
その身に落とし込む事が出来ませんから
述懐したり使い熟す事は無理ですね。
どうなるかというと、
ほぼ確実に足元を掬われる結果となります。
これを回避させるには、
日頃から色々なものに興味を持って
調べたり頭に叩き込んだりして
使う努力を当然に行って
その身に覚えさせていく
そして、間違っていたら適宜改訂する
合っていたら大丈夫。
という様な、思考回路の構築が
必要となってきます。
では、これをどのように作るのか。
そもそも興味を持つには
どうすれば良いのか。
無理に興味を持つ事は出来ません。
どうせ飽きてしまって
それ以上には進めないです。
ならば、興味が無いからこそ
調べるという考え方に切り替えれば良い。
「いつかどこかで誰かの為に活かせる」
と、いう想いを基軸とした思考で
やってみれば良い。
想いというのは不思議なもので、
誰かの為にというベクトルの力が加わると
良い意味での外側へ向く作用が働きます。
すると、途端に興味自体が
湧いてきたりするものなのですね。
「あの人のために」「この人の為に」
という具合です。
ひけらかす為に興味を持つのではなく、
誰かとの話の「きっかけ」を得るための知識。
その為の興味。
ですから、
自分が調べる際には知識の深さは要らなくて
寧ろ、「広さ」が必要なのです。
「深さ」は、誰かと話した際に
教えてもらって深くしたり、
または深くするきっかけを得て
その後に自身で深くすればいいだけ。
誰しも最初から
興味を持っている訳ではないです。
どんなカテゴリーでもそれは同じです。
最初は「無」からのスタートです。
それすらも忌避する事が思考停止ですし、
「考えない楽」となりますから
怠惰へと繋がるのですね。
それと、興味が無いならば
興味が無い理由を論的に話せなければ
意味が無いですからね。
どれが?何が?何故?
これらが何も無いのは
理由がある筈やろ