皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は考え方について
お話をしたいと思います。
善くなりたいからと言って
想いばかりに注力する様になると
ほぼ確実に貧乏神へと
堕ちる道筋を辿ります。
想いが善いもので
念が悪いものだから
想いだけを搔き集めて
善いものだらけにすればいい
みたいな考え方ですと
駄目なんですね。
何でもそうですが、
善いものというのは
その逆の作用を知っているから
善いものだと理解出来るのです。
例えるなら、
子供の頃に膝小僧を擦って怪我して
痛い思いをした事があるから
転ばない様に気を付けたりするのであって
人は何かしらの悪い点を認めないと
善い点の本質を理解する事が出来ないのです。
これは想念に至っても同じです。
想いというものを伸ばしたいのであれば
念という存在を認めないといけない。
ましてや、自身の事であるならば
殊更、己の中の念や駄目な自分を
認めてあげなければ、
自分が手にする想いの価値など
知る由もありません。
それにも関わらず、
想いに固執して良いとこ取りを模索し
実際に搔き集めたとしても
それは既に想いを軸としておらず
どこまでもどこまでも
欲し続ける欲求の権化とも呼べます。
これではまさに「餓鬼」の状態ですね。
その様な思考回路で善いものなどは
集まってきませんし
手にする事など叶いません。
実際に、貧乏神になればなるほど
形だけの想いを搔き集める様になります。
徒に幸せや幸福、愛を謳う輩ほど
なりふり構わぬ形で
神社仏閣やパワースポットへ詣でたり
そこかしこからアイテムを
かっ攫ってきたりしてますでしょ。
そういう輩の表情を視てごらんなさいな。
とても善きとは程遠く、
想いとはまるで縁が少ない
面構えをしていますからね。
自分の善さを知る人は
駄目な自分を認めて理解している人
だからこそ、
善い面や想いを増やせるのですよ。
不便さを知る者が
灯りの真の尊さを
知るんやで
皆さんこんにちは、あにきです^^
愛情が欠落すると
厄に苛まれる確率が高まります。
この事に関する詳細は
この記事で書いてますので👇
そちらを参照して頂くとして、
今回は愛情を考える上での
盲点についてのお話です。
愛情ってのが何なのかについて、
かなり分かりやすく、
先日ストーリーズに記載しましたので
そちらを踏襲しながら話します。
さて、世の中には
こういうタイプの人がいます。
「自分は優しいから愛情たっぷり」
このタイプですね。
ハッキリ言って薄愛です。
まず、大概の場合、この手の方は
優しいという点を盛大に勘違いしています。
馬鹿の一つ覚えで穏やかな言葉を使ったり、
怒りを無駄に抑え込んだり
叱る事をしなかったり、
全てをやってもらいやってあげたり、
とことんまでに甘やかし甘やかす。
よくよく考えると分かりますが、
完全に意識の方向が「自分」なのですね。
一見すると外に向いている様に思えますが、
完全に自分本位で他力本願な思考です。
こうなると、
「優しさ=厳しさ」の理屈は
全く理解していませんから、
断腸の思いをする事も無いですし、
愛でる気持ちも理解が出来ません。
また、責任感とも無縁になりますから、
人の為という思考は皆無となります。
では、そもそもが
どうしてこうなるのかと言いますと、
諸々ありますが
周りの環境からの影響と
勇気を用いずに逃げた結果からの
自身を信じる気持ちの欠如です。
日々至る所で宣伝として
縷々響いている聴こえの良い言葉や
自身のコンプレックスを
その他大勢の欲で誤魔化して
ぶつかる事無く逃げ続けたから、
優しさの意味を履き違えてしまい、
とことんまでに
「自分を」甘やかし甘やかす。
意識の方向が常に自身へと
向いている状態の思考回路の人が
全ての存在に対して
思い遣りを向ける想像が出来ますか?
人を視る時に見せかけだけを気にすると
こういう罠に嵌ってしまう。
そうなると、
自分のアイデンティティーを
徐々に削り落としていく事になるから
厄が舞い込んで来易くなる。
それでは困りますから、
常に俯瞰で視線を拡げておいて
裏側を見つめる様に意識する。
その為には、言葉を信じるのではなく
言葉の持つ意味を考えれば良いだけです。
綺麗事や聴こえの良さのみに看過されると
あっという間に心のバランスが崩れて
その人の持っている相対する思い遣りが
『霊体→物→虫→動物→人』
の順番で崩落を始めていく。
けれども、端から見ると
「優しい人」な訳ですね。
ただ単純な見た目で判断をするから
負の影響力が流布して薄愛となるんです。
なので、常にバランスを考えて
思考をフラットに持ち続ける事が
大切になってきます。
俗に言う「優しい言葉」「優しい態度」
ばかりに目を向けてると
愛情はみるみる薄まっていきます。
まさに盲点ですよ。