2026年3月11日水曜日

純朴を目指せ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




分からない事を無理に分かった体で
押し通そうとするのではなく、

素直に分からないと言えるか。

また、何が分かっていて
何が分からないという様な

分析がちゃんと出来るかどうか。

この様な純朴な動きが出来ない人は
かなりの確率で話を盛ります。

人に何かを紹介する際や
自分の話を伝える時、
起きた事などを教えたりする際に

話に尾鰭を付けて
もりもりに盛ってしまう。
しかも、そこには明白な悪意が無いのです。

なので、自身は相手に対して
善い事をしているつもりになっている。
もしくは、相手のためとすら
考えたりしてしまっている。

けれども、それは大間違いでして、
明々白々な「自分本位」に外なりません。




一番良いのは、
ありのままを伝える事。

それが許されない場面も間々ありますが、
基本的にはそのままを伝えたり
教えたりするのが定石です。

事実誤認が生じますからね。

ですが、前述した事が出来ない人は
ごく自然に話を盛ってしまう。

何故なら、
相手のためだと言い聞かせながら
自身を綺麗に見せたいから。

自分が褒められたいから
自分を褒めてほしいから

また、
恩を売りたいからと考える人も居ます。

何にしても、自分本位で利己的です。
それであるにも関わらず、
思考としては善行だと勘違いしているので
そこに悪意が存在しないのですね。

けれども、それが故に
盛った話を言われた側では
ふと事実確認が行われた際、

「そんな風に言った覚えが無い」とか
「実際にはこうだったよ」などの

盛り話との明確な齟齬が発覚してしまいます。

その結果として、盛り話をした人が
「嘘を吐いた」
と、いう事になるのです。




話した当の本人は相手のためだと考えていて
「想い」を軸としているつもりが、

逆に数倍にも跳ね上がった「念」を
その相手から飛ばされてしまうんです。

これが、「良かれやらかし」の本当の恐さです。

自分が「やっちまった...」と気が付く時には
既に取り返しのつかない状態となっていたり、
悲惨なまでの
大事故となってしまったりするのです。

自分本位や駄目な自分というのは
至る所に存在していて、
おまけに消す事は絶対に叶いません。

どんなに気を付けていたとしても
必ず出てこようとするものなのです。

相手のためだと思うのであれば
数歩先の状態をちゃんと思考するようにする。

癖となっている「楽」に対して
普段から甘んじない様に心掛ける。

こう言った細やかな努力と
素直で純朴な所作を行う事、
行う努力をすることが

日頃の業なのですからね。

盛って喜ぶのは
相手ちゃうで
自分なんや
相手の事を
考えてたら
盛る事自体が
出来んもんやで

2026年3月4日水曜日

己と思考と教える理由(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




ここを読んでくれていると云う事は、
流されない様に流されない様にと
毎日毎日頑張っているのだと思います。

然しながら、人ってのは
結構簡単に流されるものです。

どんなに気を付けていても流されます。
寧ろ、
100%流されないという方が
不自然なのですね。

では、流されても良いのかというと
そういう意味ではありません。

自身の維持をしたいのであれば、
なるべく流されない方が善いです。
ですが、何の対策もしなければ
あっという間に流されてしまうので、

この流されないパーセンテージを
上げる努力をする事が大切です。

常々お話をしている通り、
流そうとしてくる相手は様々です。

「人のみならず」
「生き死にも問わず」
「肉体の有無も問わず」
「自他も問わず」

ここの理解を深めずに
目に見える存在のみで固定してしまうから
ひょいっと流されてしまうのです。




それと、知識の欠落や枯渇、
そこに伴う思考の停止や不活性です。

知識というのが足りていない状態や
思考をそもそも停止させていたり、
思考停止はせずとも
率先して使っていなかったりすると、

眼前の分かり易い事実にのみ縋ろうとします。
仮にそれが偽りや欺きだったとしても
いとも簡単に信じ込んでしまう。

このメカニズムは割と簡単でして、
早い話が選択肢が少な過ぎるのです。

知識不足かつ思考が追い付かないと
仮説を立てる事が困難となりますし、
立てれたとしてもその数も質も
陳腐なものや稚拙なものとなります。

簡単な内容の上に簡単な選択肢のみ
イエスノークイズみたいなものです。

あまりの知識不足が故に
楽に楽を重ねる内容しか思考出来ないので、

最小単位の選択肢しか作れず
おまけに先や後という点も
目先に毛の生えた程度でしか考えられない。

そうなると、そもそも普段から率先して
知識を集めようとせず、
剰え思考する事も怠けていれば

聴こえの良い言葉に縋ってしまうのは
必定とも言える流れなのですね。




自分を維持して運気を制御し
なるべくであれば善くしたいのであれば、

縷々様々な知識を率先して掴む事。
率先して思考をする事。
思考の方法を身に付ける事。

思考とは簡単に云えば
「時間と空間を使った予測や内観」です。

こうすればこうなる(未来→未来)
こうやったからこうなるかも(過去→未来)
こうやったからこうなった(過去→過去)
こうしてるからこうなるかも(現在→未来)
こうしてるからこうなったのかも(現在→過去)

この様に思考の中での時間軸は
三次元的ではなく多次元的に進みます。
一般性の過去→現在→未来ではないのです。

そこに空間が関与します。
空間というのは「場」ですから、
そこにはモノ等も入ります。

当然、人も含まれます。

僕らはこの複雑な演算を意識もせずに
日々行っているのですが、
意識をしないから数が乏しくなり

率先していないから
やり方すら分からなくなるのです。
故に楽をする選択を取る訳です。

言い換えれば、
自分が今何をすべきなのかを
今何をしているのかを
きちんと意識して動く事が出来れば、

少なくとも怠惰には陥らないですし
堕落の回廊を歩まずに済んで
貧乏神化を防止出来るのですね。

この一連の考え方や
考え方に繋がるきっかけを
僕みたいな存在が教えている訳です。

せっかくなら堕ちないでほしいですからね。

助け合い
支え合いながら
自らの脚で歩んで
自分の手で掴むのが
幸せなんやで

2026年3月1日日曜日

広く視ろ!虐め談義2(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




人は誰でも一つや二つくらいは
問題を抱えています。
その問題のサイズが大きくなれば
なっていくほどに、

その部分のみにスポットを当てて
解決をしようと考えがちです。

ですが、その方法ですと
問題の一時的な解決は出来たとしても
恒久的な解決には至りません。

問題が発生して押し悩む中、
原因は何だったのだろうと思考します。

中には思考しようとしない人もいますが、
これは間違いなく思考した方が良いです。

原因の考察を行う際に、
問題とされる部分をスポットで捉えてしまうと
直近の部分や、見た目で際立つ部分のみに
焦点を当ててしまうので、

その奥に隠れている核心点には
辿り着けなくなってしまいます。

これは自身のみの問題でもそうですが、
対人関係や相手が存在する様な問題の場合ですと

問題そのものを解決させない様に
相手はブラフを流したりしてくるので
それに乗っかってしまったり、

陽動に引っ掛かってしまったりする
可能性が高くなるのです。
そうなってしまうと、
相手の思う壺となってしまいます。




虐めを例に挙げると比較的分かり易いです。
虐める人というのは、

自身が何をしているのかを
基本的には認識して虐めを実行します。
つまり、いけない事をしていると
理解しているのですね。

なので、問題の解決というのは
虐める側の優位性を無くす事を指しますから、
解決をさせない様に
ある事ない事をブラフとして流します。

ブラフというのは、
虚勢やハッタリやデマカセの意味です。

周りにいる第三者はこのブラフを
虚像として受け入れてしまいます。
特に善悪を強調されるとそれが嘘だとしても
人は信じ込んでしまうのです。

もし、ここで虐められている側が
助けようとしている存在も含めて
虐めを虐めのみとしてスポット的に
捉えてしまうと、

そのブラフに乗っかって対処をする事になります。
つまり、
近況で起きた事のみに目を向ける事になり
仮に相手に詰め寄ったとしても
その場その場の謝罪を求めるのみに留まるので、

ある意味では相手に次の攻撃の機会を
与えてしまう事に繋がります。

これが虐めを拡大化させる要因の一つであり、
第三者が中途半端に介入をして
状況を悪化させる流れです。




重要となってくるのは、
広域で捉える事です。

その場その時の動きはさして問題ではなく、
原因というのはその奥底に隠されています。

対象以外の排除、
自身と相手の過去への遡及、
事象に於ける時系列の集約、
そして、
現状の把握と直接的打撃や包囲口撃
もしくは、緊急避難となります。

1つ1つをスポットで捉えるのではなく、
広域広範囲の視点で捉えて
問題の解決へ向けて論理的に思考し
行動へ移さないと恒久的な解決へは結び付きません。

こういう相手というのは
とても卑怯でズルいから真意を黙って虐めるのです。
そこで善意という理想に縋ってしまうと
事態は悪化の一途を辿ります。

自身の安寧を揺るがす相手というのは
常識や教養の通じない相手に他ならないので

徹底的に対処する事が肝心です。
その最中で、自身の反省や回顧も必須となります。
これは円満化させる目的ではなく、

自身の将来に於けるトラウマの軽減へと
結び付けさせる為の反省と回顧です。

(残念ながらトラウマは無くなりません)

問題が生じた相手との円満化というのは、
特にその内容が酷くなればなるほど
それを求める方が野暮というものです。

視野は広く、視点は複数を常に意識する。

常に冷静に、常に忠実に。

日頃の実践がいざという時に役に立ちますからね。

本来の
スピリチュアルは
幻想への逃避でなく
現実を愉しくさせたり
豊かにさせるのが
主目的なんやで