2025年9月29日月曜日

building a thought process(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




興味が無いから知らない
興味が無いから分からない

人と接していると
何気によく耳にする台詞ではないですか。

小生意気にスカして言う奴も居れば、
真面目にそう答える人も居ます。
では、逆に興味のある事を
どれだけ持っているのかを聞くと、

大した数は持っていない。

つまり、そういう人達は
何も知らない事だらけの中で生きていて、
困った何だと慌てふためくのです。

そして、その何も知らないというのは、

「自分が知ろうとしていない」
「自分から知る様に
動こうとしていない」

と、いった怠惰の中での結果なのですね。

知らなくても直ぐにググって
分かるから良くね。

みたいな動きが一般的となって久しいですが、
そんな超特急で調べる状況で
出てくる様な情報などは、

大抵の場合、誰かしら何かしらの意図や
資金が投入されている情報ですし、

仮に正しい情報だったとしても、
それは分かったのではなく
「見ただけ」であり「読んだだけ」なので

その身に落とし込む事が出来ませんから
述懐したり使い熟す事は無理ですね。

どうなるかというと、
ほぼ確実に足元を掬われる結果となります。




これを回避させるには、
日頃から色々なものに興味を持って
調べたり頭に叩き込んだりして

使う努力を当然に行って
その身に覚えさせていく

そして、間違っていたら適宜改訂する
合っていたら大丈夫。

という様な、思考回路の構築が
必要となってきます。

では、これをどのように作るのか。
そもそも興味を持つには
どうすれば良いのか。

無理に興味を持つ事は出来ません。
どうせ飽きてしまって
それ以上には進めないです。

ならば、興味が無いからこそ
調べるという考え方に切り替えれば良い。

「いつかどこかで誰かの為に活かせる」

と、いう想いを基軸とした思考で
やってみれば良い。




想いというのは不思議なもので、
誰かの為にというベクトルの力が加わると
良い意味での外側へ向く作用が働きます。

すると、途端に興味自体が
湧いてきたりするものなのですね。

「あの人のために」「この人の為に」

という具合です。

ひけらかす為に興味を持つのではなく、
誰かとの話の「きっかけ」を得るための知識。
その為の興味。

ですから、
自分が調べる際には知識の深さは要らなくて
寧ろ、「広さ」が必要なのです。

「深さ」は、誰かと話した際に
教えてもらって深くしたり、
または深くするきっかけを得て
その後に自身で深くすればいいだけ。

誰しも最初から
興味を持っている訳ではないです。
どんなカテゴリーでもそれは同じです。
最初は「無」からのスタートです。

それすらも忌避する事が思考停止ですし、
「考えない楽」となりますから
怠惰へと繋がるのですね。

それと、興味が無いならば
興味が無い理由を論的に話せなければ
意味が無いですからね。

どうして?
何時?何処で?
どれが?何が?何故?
これらが何も無いのは
理由がある筈やろ

2025年9月27日土曜日

闇を知り光を得る(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




善い状態を維持したいから、
善い事ばかりに注力をする。

こういった思考や動きを
してしまいがちですが、
非常に安直な行動であり

これでは決して善くもならなければ
維持も出来ません。

それどころか、
確実に貧乏神へと堕ちていきます。

では、どうすれば良いのか。

「善い」を伸ばすのであれば
「悪い」を理解する

善くなりたいからと
「想い」ばかりを得ようとするのは
良いとこ取りであり、

俗欲塗れの念基軸状態です。

そうではなくて、
想いを真に得るためにこそ
「念」を理解しないといけません。




想いと念は表裏一体の相互関係です。

想いの裏には常に念が存在し
念の裏には想いが必ず存在します。

単純な善悪ではないけれども、
善い状態の真の価値を知り得るには
その逆の状態を理解していないと
本質を得る事は出来ません。

「喧嘩する状態を理解するからこそ
平穏無事な状態の価値が分かる様に」

「生活が苦しい状態を知っているからこそ
足るを知る事が出来る様に」

「独りよがりの惨めさが分かるから
人の有難さが理解出来る様に」

念の状態を理解しているからこそ
想いの本質を述懐する事が出来るのです。

光の本質は闇を知らないと理解出来ない。

想いというのは、
その中に埋もれていると本質が視えません。

住みやすい場所に居る人は
それが普通だから漠然とした住み易さしか
理解出来ないし口にもしないですよね。

想いを得たいのならば
必ず念を理解し認めてあげないと
その先にある維持には繋がりません。

よくよく考えてみれば分かりますが、
貧乏神って必要以上に
験を担いだり想いを重視しているものです。

そして、自分には念など無いと
思っていますからね。

汚い部分に
目を向けられて
直視出来てこそ
想いの意味は
理解出来るんやで

2025年9月25日木曜日

違いを認める(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




生活をしていると意見の相違が
そこかしこで生まれます。

自分の意見があるという事は、
他者の意見も当然に存在する
と、いう事ですからね。

問題はその意見をどうするのか
と、いう点です。

どうしても自己の意見を
相手に対して
無理にでも認めさせようとしたり、

相手の意見に聞く耳を持たず否定したり

こういった動きが横行している様に思えます。
また昨今では、「論破する」という様な

一昔前の2chで流行ったスラングが
当たり前に実生活で
使われており始末に負えません。

(そのくせ論破出来てない奴多すぎで草www)




実際に、人の意見などは
違ってて当たり前です。

自分とは全く違う個体なのですから、
同じ意見となる訳が無いのですよ。

性格も違いますし
持ち得る知識も違いますし、
生きてきた過程から環境に至るまで
何もかもが違うのです。

それを一方的に分からそうとしたり
ましてや押し付けるなど
ナンセンス以外の何物でもありません。

ただ、だからと言って
お互いに平行線のままというのも
駄目な事なのですね。

それは分断や分裂を意味しますので
争いの助長に過ぎません。

大切なのは、
「互いの違いを認める事」です。

お互いに違うよねと、
その違いを理解する。

その上で、溝を極力狭めてく。




但し、何処まで行っても
その溝はくっ付きません。
くっ付けなくて良いんです。

狭くなって手が届いたなら
その手を掴めば良いし、
何かで橋渡しをすればいい。

無理に同一化や並列化を求めれば
必ず反発が起きて
意に介さない結果となります。

霊が視える人も居れば
霊の存在自体を否定する人も居る。

多数の神を信じる人も居れば
神は一つと信じる人も居るし
そもそも神を信じない人だって居る。

煙草を吸ったらヤニカスですか。

国政や地方政治の様な
政(まつりごと)に於いても、
外国人ファーストの人達も居れば
日本人ファーストの人達も居る。

そういう流れの中で
一喝して折衷案を認めない状態では
正常な議論など
決して出来るものではないし、
論外となってくるのです。

(ちなみに、自論ですが
どうして日本という
國体の維持ファーストを
標榜する人は居ないんですかね。)




何をやっても違うのだから
理解に向けた努力をする。

違うのだから無条件で認めろというのは
暴論に過ぎないですし、
結局は数に物を言わせる方策となるので

行き着く所は、人・物・金の思考です。
つまり、俗欲が中心となる
価値的思考、多的思考のままで

想いを大切にする個的思考へと
昇華させるには程遠い。

以前に書いた、ステップアップ
昇華には結び付かなくなり
完全な淘汰「滅」へと堕ちていきます。

互いの違いを認めた上で
その違いを理解する為の努力をする。

そういう動きを個々人で隣人で
やれる様にしていく。
善い意味での

「他所は他所、家はウチ」

を、実践していけば良いだけなのですよ。
そこへ、常識や社会通念や規範という
ルールを触媒、橋渡しにさせて

一定の社会を更に構築させていく。

先人さん達がやってきたのは
この動きのまんまです。
そこへ、想いや思い遣りの概念を
高度な情報と共に追加していく。

僕らがこれから現世で
やっていかないとならないのは、
こういう物質と精神の融合的な思考であり
動きなのですね。

いがみ合ったり
押し付けたり
そういうのを
ガキの喧嘩って
言うんやで

2025年9月24日水曜日

きっかけを探す(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




考えと悩みは違います。

考え方を知っていて
自己で完結可能な思考が「考え」。

「考え」の延長線上に在って
考え方自体が分からず負の螺旋に
入り始めている思考が「悩み」。

字が違うのですから、
意味だって当然に違います。
そこを理解すれば
解決への糸口は自ずと視えてきます。

上述した様に
悩んでいる状態というのは、

考え方が「分かっていない」
若しくは
考え方が「足りていない」

そういう状態です。
ですので、考え方自体を
教えてもらうなり
増やしてもらうなりの
行動を取れば良いだけとなります。

にも関わらず、
自身の目線は悩みの中枢たる
物事自体に向いてしまっているから
負の螺旋に入って沈んでいってしまう。

悩みが出てきた際に目を向けるべくは
物事ではなくその外殻を取り巻いている
考え方という「手法」なのですね。

で、

実際の解決法となるのですが




考え方というのものから
貴方に向かって
歩んできてくれる事はありません。
そこまで貴方に忖度する理由が無いのです。

大切なのは、
貴方自身が自ら率先して動く事。

貴方が考え方を得る事を目指し
率先して動く事によって
考え方を知っている人や
そこへ繋げてくれる人と

出会う事が可能となってくるのですね。

要するに、
貴方自身がその身を使って
きっかけを探しに行かないと駄目なのです。

考え方を得る為の「きっかけ」をです。

そして、
きっかけを得たら貴方自身が
それを実行へと移す動きが必要となります。

貴方の代わりに誰かが何かを
やってくれる訳ではないし、

もし仮に、やってもらうならば
それ相応の対価や代償を払うのは必定です。

それでも解決したいと願うのが
本当の意味での悩みというものです。




普段、皆さんが悩みと述べているのは
果たしてここまでのものですか。

大抵の場合は、単なる思考停止の産物で
自身の俗欲を満たす為だけの
絵空事に過ぎないと思いますよ。

きっかけを教える側の人間が
こんな事を口にするのは
何とも珍妙な話だと感じると思いますが、

こういう事を話したくなるくらい
程度の低い話が横行しているという事です。

そういった人に割く時間は勿体無い。
それにつまんないしね、
自分本位の馬鹿と話すのは。

本来話をすべき真に悩んでいる人への時間が
こういう人達の為に削られてしまうのは
ハッキリ言って嫌なので、

僕は誰でもウエルカムにはせずに
ちゃんと選んでいるという訳です。

耐え難い苦しみと
極めて厳しい悩み
それを自身でも
経験があるからこその
対応なんやで

2025年9月23日火曜日

自分で悩みを解決する(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




どなたにでも悩みはあります。

また、誰彼問わず
口にする事が出来るのは
悩みとは言いません。

おいそれと言えなかったり
そもそも言葉にする事自体
難しいものが悩みというやつです。

その悩みはどうしても
一人で抱えがちになってしまいます。

ですが、一人で抱えれば抱える程
状況が悪化していくのが悩みです。

言えない理由は縷々様々ありますね。
こればかりは千差万別です。

相談が出来ない理由も様々です。

相談する場所を知らない場合、
相談できる人を知らない場合、

一番多いのが、

「相談しても仕方ないからと
決め付けている場合」。

この手のタイプの人は、
悩みの解決をする為の動き方を
知りたいのではなく、

自分は動かずに解決をしてほしい
もしくは、
悩んでいる風の自分の姿に溺れている

だけです。
なので、悩んではいないですね。

本当に悩んでいる方というのは、
藁をも縋る思いですから
兎に角どうにかしたいと考えます。




一人で抱えてしまっている時は
確実に悪い方への想像をしてしまいます。

悪い方への想像に疲れると
現実逃避の方向へとシフトチェンジします。

現実逃避がスタートすると
楽を求めて走り回ります。

そして、悪い奴に騙されて悪化します。

こうなってしまっては
元も子もありません。
ですが、
悩み散らかしている方々の多くは
この流れに嵌り易いのも事実です。

また、解決の糸口を掴むための考え方や
それに伴う動き方自体が分からなくて、
悩みの中で更に悩みを増加させ

悩み続けてしまい、
思考迷路に陥ってしまっている方も
多く見受けられます。

悩みというのは、
最初期に如何に対処するかで
その後が決まります。

まずは、言葉に出してみる事。
言語化してみること。
面倒臭くても紙などに書く。
それを音読する。

アナログですが、
これは結構効き目があります。
自分の悩みを客観視出来るからです。

スマホなどのメモに書いたりするのは
お勧めしません。
ペンを使うよりも楽ですし
書いているという手間が無いからです。




ここまでやって
馬鹿馬鹿しくなる程度の悩みは
悩みの中でも限りなく自分本位に近い
どうしようもなく小さな問題なので、
自然と解決の糸口を見い出せる筈です。

逆に、全く馬鹿馬鹿しくならないとか
それでも悩み散らかしてしまう場合は、

貴方自身だけではもう
どうしようもない状態のサインですから
潔くどなたかに話をしましょう。

ここで貴方が悩みを話すべき相手は、
まずは、
貴方の中で一番信頼が置ける人
または、一番博識な人です。

単に友人だからとか
家族だからとかってのは、
あまりに危険極まりないので
止めておいた方が身の為です。

自分から動いて言葉を発し、
あらゆる場面で糸口を見付ける努力をする。

今まで自身がやってこなかった動きを
一生懸命にやってみるんです。
それでも自分に甘える場合は、
それまでだったという事です。

厳しい言い方ですが、
一人で悩みを抱えるというのは
そういうものですからね。

貴方が人を
無碍にした数ほど
貴方が救われる
機会や回数は
減るんやで

2025年9月20日土曜日

ちゃんと思考する(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




季節の変化や移ろいを感じるというのは
とても気持ちが良いものです。

どの季節にも言える事ではあるのですが、
特に木々の彩りが美しい秋は
何かと癒されるものですよね。

そういう時に、
ちゃんと思考しているのかを
意識してみて下さい。

お花や紅葉の美しさばかりに
気を取られていると
足を滑らせたり
運転を誤ったりして、

事故に繋がったり
怪我をしてしまったり
善い事とは程遠い結果となります。

何で美しいものを視ているのか
それは本当に自分の意思なのか
周りがやっているから
そうしているだけなのではないか

普段は気にしていないのに
流行りの波に乗っているだけとか
癖になっているだけではないか

本当に自己の意思かどうかを
問いかけてみるんです、自分に。




何を目的としているのかを
よく考えてみる事で、
その動きの本質を捉える事が出来ます。

何の為に誰の為にどういう理屈で
自分は動いているのだろうかを
しっかりと思考する。

運気というのは、
どこまで行っても自身の動き次第で
変化するものです。

例え風光明媚な場所を観たとしても
身近な所で済ませていたとしても
目的を逸脱してしまうと
出てくる結果は崩れます。

貴方が実践する業の一つ一つが
運気の維持に繋がりますが、

どんなに素敵な業だとしても
貴方がそれに酔いしれていたら
そこまでの話です。

観て感じ取り結果を得る筈の目的が
いつしか
自身の動き自体の満足度が目的となる。

それは自分本位に他なりません。

小さい事でも大きい事でも
目的をちゃんと思考しながら
動いてみて下さい。

視るものすべてが変わりますから、
秋のレジャーもより一層堪能出来ますし
愉しみは数倍に膨れますよ。

目的を失って
食欲の秋を
堪能しまくれば
お腹はもっと
膨れるんやで

2025年9月15日月曜日

あやかりと念(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




神社仏閣やパワースポットへ
出向かれる方が多いと思います。

今までも何度か
ここで投稿をしましたが、

神聖な場というのは
総じて念が強く渦巻いている様な
場合が多いです。

ご利益にあやかりたいという
気持ちが強すぎてしまい、
俗欲の制御が出来ていない。

そこを管轄している神さんや仏さん
自然霊などの霊体の姿を
想像すらもせずに、
自己の願望要望を最優先に捉えて
お願いをしてしまっている。

色々とお願いをしたい気持ちは
理解が出来ますが、
それは
「人の結びしエゴ」であって
神さん達の本質とは違います。

彼等の望みは「想い」であって

「想いの力場」の構築と
「想いの遣り取り」をする事が

全てなんですね。




ですから、
それとは正反対にある
「願い」という俗欲を
剥き出しにしている状態で
相対するとなると、

それ相応のリスクを背負う
覚悟をしないと厳しいです。

普段から想いを軽視しておきながら
都合よくご利益にあやかりたくて
神さん達に手を合わせたとしても、

そこには
念の力場しか発生しませんから
思っている様な効果は
決して生まれないのが現実です。

あやかりは一切棄て去って
挨拶と感謝のみに注力をする。

建物や敷地の絢爛さや荘厳さなどに
惑わされる事無く
単に
神さん達との触れ合いを愉しむ

そうするとね、
人の領域と神さん達の領域の違いが
分かってくるものですよ。

だから普段から
想いを大切にして
真摯に向き合う事が
重要になって
くるんやで

2025年9月14日日曜日

日常を活かす(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




常に自分自身の意見を最優先とするか
適宜他者の意見を優先とするか

耳を傾けて声をよく聴いて
相手を尊重する事によって
繋がっていく現実があります。

こう話すと
どうしても生きている人同士の話で
結論を出してしまいがちですが、

ここには単に死んでいる人や
自分をサポートしてくれている補助霊、

様々な場所に点在している自然霊と
呼ばれる存在なども
多分に含まれています。

霊の言葉や声なんて聴こえない

そう思っているのは貴方の勝手で
実際には聴けているのが現実です。

実のところ、
視えるよりも聴こえるの方が
遥かにハードルは低いんですよ。




霊的な存在というのは、
直接幽体に語り掛けてきます。

それを肉体に落とし込む形で
言葉として認識をします。
早い話が、
霊的存在の音声データを
ダウンロードしている感じです。

ちなみにですが、
霊的存在の声を聴くための
アプリケーションに相当する部分は
既に皆さんはインストール済です。

それが、幽体ね。

このダウンロードが中々難しいもので
幽体から肉体へ落とし込む際の
データ量に対して
接続速度が非常に遅いため、

途中で接続が切れてしまうのです。

なので、断片的だったり
薄っすらとしか聴けなかったりします。

夢で例えると分かり易いのですが、
憶えていられないですよね、夢。

ハッキリと憶えているものと
薄っすらとも覚えていないものとの
差の激しさが物凄いでしょ。

あれが、
幽体から肉体への落とし込みの
難しさを表す典型的な例です。




全てのデータだと容量が大きくて
非常に大変になりますが、
そこを聴覚だけに限定すれば
結構な容量が節約できます。

霊的存在との遣り取りに於ける
コツみたいなもんですよ。

皆さんはどうしても
視覚に頼り過ぎてしまう。
見たいという願望が強いとも言えます。

目で視えた方が安心もするし、
恐怖も抑えられますからね。

ですが、
その願望が却って皆さんの感覚を
面倒なものにさせてしまっているのです。

なので、少し考え方を変えてね、
例えば、聴覚に頼る率を高めて
視覚に相当する部分を
想像で補ってみて下さい。

CGイメージ補強みたいなもんです。
自身の中の知識や経験が相当数あれば
一部の感覚を基にしてVRを構成できます。

何も全てが全てを物質に触れる感覚で
どうにかしようとするから
無理が生じてしまうんですよ。

何だか、ぶっ飛んだ事を言ってると
思うでしょうけどね、これってさ
普段から皆さんもやっているからね。

声だけを聴いたりして相手を認識する
電話とかで普通にやってるでしょ。

あれをそのまんまやればいいの。
簡単でしょ。

でも中々出来ない
それはあんた自身が
見た目を盾に取って
邪魔をしてしまう
からなんやで

2025年9月12日金曜日

真面目の反動(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




人の話を「聴ける人」と
「聞けない人」がいます。

聴ける人の中にも

「聴くのが上手い人」と
「真面目に聴ける人」と
「聞ける人」がいます。

聴くのが上手い人というのは、
所謂聴き上手な人を指します。

同時に話し上手な人とも言えます。

真面目に聴ける人は、
聴くという行為に対して
集中する事が出来る人です。

但し、そこから話の内容や真髄や
要点をきちんと得ているかは別です。

どちらかと言うと
ちゃんと聴いている、聴けているという
「自身の姿に酔っている人」が多いです。

真面目に聴ける人に対して
後から再度話の内容を聞いてみると、

「言葉は聴けていても
内容は理解出来ていない」

なんて事が多々あります。

これが
「真面目の反動」というやつですね。

ついでに、
「聞ける人」というのは、
本当にただ聞いているだけで
聞けないよりは良いよね。
みたいな感じの人を指します。




この「真面目に聴ける人」というのは、
視る場合でも同様に
「真面目に視る人」となり易いです。

やはり構造は同じで、
その真面目な自身の姿に酔ってしまう。

真面目というのは、単に「性格」です。

どうしても、善悪としての捉え方で
使われる場面が多いので勘違いし易いですが、
単に性格上の話であって

「真面目=善」

として、捉えてしまうから
その姿に酔いしれてしまうのですね。

実際のところ、
不真面目でも善い人は居ますし、
真面目でも悪い人だって居ますよね。

ただ単に
動き方や考え方を司る性格の切り分け
でしかないのが、真面目というワードです。

なので、真面目だからと言って
そこに酔いしれてしまうのは
強大な自己満足に過ぎませんから

行き着く先は貧乏神となってしまいます。
多いんですよ、自身の真面目さに酔い過ぎて
地獄へ堕ちていく人。

ま、結果として独りよがりとなって
自分しか視ていない訳ですから
当然と言えば当然の結果なのですけどね。




然しながら、決して間違えてほしくないのは、
「真面目な性格」というのが
駄目な事だと言っているのではないです。

全然悪い事ではありません。
ちょっとだけ依存する毒素成分が強いのと、
ステルス性が高いので
じんわり響いてきてしまうのですね。

気が付いたらとんでもない事になっている。
みたいな感じに効いてしまうのが
真面目の毒素なんです。

これを制御するには、
真面目の反動を理解しないといけません。

真面目ってのは本来は「辛い事」です。
“楽をする”とは相反する側面ですからね。

にも関わらず、
そこに他者と比較しての優位性や
一時的な快楽を得ているというのは
適切な真面目さであれば有得ない話なのですよ。

こうやって考えると、
真面目な自分に酔っているという意味が
分かりますでしょ。

要するに、真面目も行き過ぎると
俗欲依存が進んでしまうから
ヤバいですよという話です。

四六時中、真面目を貫くのではなくて
適頃な面で真面目の効果を
最大限に発揮すれば良いだけ。

そうでもしないと
勧善懲悪の波に飲まれてしまって
いつしか完璧主義の渦中に嵌って
二度と脱出出来なくなってしまいますからね。

張る場面は張って
抜くところは抜く
その加減を
知る事が
真面目さんには
不可欠なんやで

2025年9月7日日曜日

苦を触媒とする(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




自分の事を

「善くしたい」とか
「酷くなりたくない」と、考えつつ

皆さんは毎日の行動に
勤しまれているのではないかと思います。

全然それで結構なのですが、
その際に忘れてはならない事があります。

「貴方は周りの存在に護られている」

と、いう事実です。

貴方が何かしらの行動をする時は
誰かしらに助けられています。

人は当然の事ですが、
人に限らず動植物を始めとした他の生物や
液体・固体・気体を始めとした物質。
そして、霊体に至るまで

常に数々の存在に助けられ
護られているのが貴方です。

と、同時に貴方自身が周りの存在を
助けてもいるし護ってもいる。

そういったお互い様の関係で
成り立っているのが
平穏な貴方の毎日です。




然しながら、
もし、貴方がこれを理解が出来ずに

「自分がしてやってる」
「自分が一番だから」

などと思考して動いていたとしたら
どうでしょうか。

そんな考えの貴方には
誰も付いて来なくなりますし
徐々に助けも減っていき
護ってもらえる事も減少します。

何故かと言うと、
貴方が「敵を作っているだけ」だからです。

自分本位という思考を基にした行動は
一にも二にも己優先となるので、
「他は蹴落とす」前提です。

これが会社等の組織内に居ようが
家庭内や親族内での事だろうが
どこであろうと同じ結末となります。

もし、会社内でこういう思考の貴方に
誰かが付いてきていたとしても、
それは「貴方に」ではなくて

「貴方以外の何かを目当てにして」

付随しているだけに過ぎません。
貴方と居て得られる「貴方以外の物」です。

つまり、貴方が困ったとしても
助けは期待出来ませんし、
これが好機と言わんばかりの勢いで
逆に蹴落とされます。

貴方はずっとその恐怖に怯えつつ
陳腐な自尊心と張りぼての面子を
維持させるために更に当りを強くさせます。

まさに悪循環です。
これが自分本位の流れであり
念基軸を主とした貧乏神の生き方です。




こうやって観ると虚しいものですよね。
どこまでも得られるものはなく、
その手から離れていくものばかりです。

こうなってしまわない様に、
想いを大切にする必要が出てきます。

自分自分と自己優位性に溺れると
四面楚歌となってしまうので
自分は後回しという「奉仕の精神」が
必要となってくるのです。

奉仕と言うと「身を呈する」ですとか、
何か仰々しさの様なものを
想像されると思いますが、

本来のスピリチュアルでの
奉仕の精神はそういった
投身的な意味合いではなくて、

「相手を優先させる」

と、いう純粋な"思い遣り"です。

但し、誰にでも対象にしましょうとは
言っていません。
万人に対して奉仕の精神を実行出来る程
現世はクリーンではないですからね。

だからこそ、想い基軸と念基軸を知って
貧乏神を見極める事が重要となるのです。

正直者が馬鹿を見るのは
誰でも彼でも見境なく同様に相手をし
平等という幻想に惹かれ過ぎて
楽に溺れてしまうからです。

そうではなくて、しっかりと現実を理解して
楽に溺れず苦を触媒として生を得る為の

「正直者が馬鹿を見極める」が正解です。

世の中には一定数の救えない存在が居ます。
それが前述した
自分本位思考の人であり、貧乏神です。

理想を追い駆けたいのであれば、
こういった現実を知らないといけませんよ。

貴方が現実逃避して
理想や幻想に
希望を求める時
貴方の周りの存在は
確実に去っていく
ものなんやで