2025年8月31日日曜日

やればわかるさ(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




考えてから動くのは知的ですが、
動いてから考えるのも知的です。

ですが、
考え無しに動くのとは違います。
そこには自分の後押しが出来る程の、
自身のバックアップや
尻ぬぐいが可能なほどの

「知識」が必要になります。
そこで初めて可能となるのが、

「動いてから考える」です。

では、どうして最初に考えないのか。
それは、
考えても分からないからです。

知識というのは、
自身の中に持ち合わせていたとしても
それが結び付かなければ
「分からない」という結論になります。

つまり、「考え方」が、
分からないのですね。

事前に理解をして点と点を線にしてから
動き始めるのが前者で、

まずは動いてみてから
点と点を線にする方法をそこから
見出していくのが後者です。

なので、どちらも知的となるのですね。

一番知的では無いのは、
そもそもの知識を持ち合わせておらずに
考えたフリをして何もしない事と

知識も理解も無く動いてみて
結果だけを追い求める事。

これらはどちらも無知から来る
能無しの所業です。
この手を続ける人達は、
結局誰かに使われ続けて終わります。

これを「畜生」と言うのです。

一定の知識があるのならば、
怖気付かせて悩み散らかせ
動かぬ選択肢を取るよりも

思考を以て動きましょう。

先に動くか後に動くかは
どこまでも貴方の自由なのですからね。

イーチッ

ニーッ

サンッ...


2025年8月28日木曜日

knowledge is power(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




色々な物事を考えたり
実際に行動したりする際に

人の言われたままに
何も考えず動いてしまって

「あとになって大騒ぎする」

なんて事が結構多いですよね。

人は人を動かそうとする時に
善い事と罪悪感や正義感を
刺激する様なことを言います。

例えば、選挙。
皆さんの一票で決まります。
選挙は国民の権利です。
行かないとダメだよね。
何で一票を投じないの。

まぁ、言い出したらキリがないですが
この手の台詞で動かします。

「行かなきゃね」
という善い気持ちを誘い出しつつ、

「行かないなんてのは非国民」
みたいな罪悪感を刺激する。

ですが、ここで気にすべきは
何の為の選挙なのか。という点と、

選挙というその本質を
しっかりと理解しているか。
と、いう点です。




本質というのは、簡単に言えば
「システム」の事です。

選挙って、票を投じるのが簡単ですよね。
書けば良いだけですし、
たったそれだけで有権者の義務を
達する事が出来る。

善い事をしたと実感が出来る。

ですが、その反面一度選ぶと
数年間はそのままですし、

気に入らないからと言って
辞めさせるなんてのが
非常に難しい仕組みとなっています。

これは中学校の社会科でやりましたね。

首長を選んでその後に変な事になって
辞めろ辞めろと言ったところで後の祭り。

選ぶ際に感情論で突き動かされたりせずに
見た目とかで動かずに
ちゃんと候補者の情報を集めて
そこの部分の本質も調べてさえいれば

間違った候補者を選ぶ事は無いですし、
少なくとも自分の自由意思で選んだなら
また違った結果となっていた筈。

(何処とは言いませんが、詐称は見抜けずとも
太陽発電もその他についても
おかしな事を公言していましたからね。)

なんて事が起きるのが選挙であり、
本質を視ずに軽んじた動きをする怖さです。




本質という現実を視ずに、
目先の幸福感や一時の快楽という
幻想への逃避をすると碌な事が起きません。

以前にも話しましたが、
僕らは現世という
現実の中で生きているのですから

どんな時でも「現実的思考」を軸に据えた
動きをするのが重要なのですね。

世の中、知らないでは済まされない事は
本当に多々あります。
知っている人は知らない人に対して

ありとあらゆる誘惑を施し
レッテルという重荷を上手く使って
他者を貶めたり、貴方自身を嵌めたりします。

どの様な事でも社会的な事でも
例えばスピ的な事でも

知らない分からないで済まさずに
知る様に努力をする。

その際は部分的な一過性の面と、
全体的な構造と永続性の面についても
自分から知る努力をしましょう。

少なくとも僕の掲げている
本来のスピリチュアルという姿は
ただ只管に皆さんへそれを提唱しています。

昔の人は言いました。
「知は力なり」

知る努力をして
動く努力をする
何事に於いても
言われるまま
成すが儘では
あかんのやで

2025年8月27日水曜日

自分本位の行く末(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




我儘だったり理不尽だったり
どうしようもなく自分本位な人
というのが、
現世には一定数存在します。

寧ろ、そっち側の人の方が多いです。
それと言うのも当然で、

人は"楽"をする生き物です。

産まれてくる前に
誰でも無く
自分自身でそう設定しています。

つまり、
己から努力をしないで
漫然と流されて生きていけば

自然と自分本位となりますし
果ては貧乏神となって地獄堕ちとなる。

これが現世に於ける
僕らのデフォルトでの設定なのです。
要は、地獄へ行く切符は
最初から持っているという事なのですね。




浄土に居た存在が
何故に転生してまで地獄行きの切符を
初期装備で手にしているのか。

答えは単純で、
「現世には苦痛を得に来ている」からです。

実のところ浄土では苦痛を味わえません。
一口に苦痛と言いますと
物理的な痛さとかを想像しがちですが、
ここでの苦痛は全然違いまして。

では、何が苦痛なのかと申しますと、

「意思疎通」の苦痛です。

浄土という場所は、
想いを具現化した場所です。
文字だと表現が難しいのですが、
簡単に言うなれば

考えている事が一瞬で伝わる環境
一瞬で理解出来る環境

だと、理解してくれれば良いです。
もっと細かくお話は出来るのですが、
この場ではこの程度の認識で結構です。

で、
そんな浄土はとっても楽チンなのだけど、
想いやその先にある

「愛」や「愛情」

と、いう存在や概念は

意思疎通の過程に於ける苦痛、
端的に言うと「煩わしさ」なのですが

その苦痛を経る事でないと
入手は疎か触れる事すら難しいのですね。




浄土に居れば「愛」を知っていると思いきや
その本質など、実は分かっちゃいない。

浄土は全部で8つ在るのですが、
その中でも一番深い浄土でないと
ハッキリとした理解をしている人は居ません。

それを理解出来る様になる為に
苦痛を求めて輪廻を通して
現世へ"自ら望んで"赴いているのです。

この「苦痛」は現世でしか得られませんからね。
長い期間を掛けて、少しずつ積み重ねていく。

これが現世へ赴く最大の目的の一つです。
では、何故に自分本位が駄目なのか。

そもそもが意思疎通の「苦痛」を

肉体という不完全な代物を纏って、
俗欲という使い方を間違えると
一気にヤバくなる劇物を身に付けてまで
収穫しに来ているのに、

端っからそれをぶっ飛ばしてしまう業が
自分本位だからです。

自分から進んでお勉強したい
頑張ってくるよと言って
色んな人の助力を得てまでして
この現世へ来ているのに

全力で苦痛から逃れエンジョイかましている
そんな状態だからです。

不義理にも程がある。




但し、この状態というのは、
肉体を纏って俗欲を手にした瞬間から
誰にでも起こり得ることなのですね。

意識の有無は別として
当初目的を思い出すか思い出さないか
気が付くか気が付かないかは本人次第。

浄土の記憶は基本的に
現世へ来た段階で忘れますからね。

そんな状態ですから、
自分本位を謳歌してしまうリスクがある。

それを見越して地獄行きのチケットは
既に配られているという事なのです。

浄土に戻りたければ、
それなりの努力をして
切符のグレードアップを
自分で施さないといけない。

それが出来ないのであれば、
あとで後悔するだけの話です。

「あとで」と言うのは、
死後だけでなくそこに至る迄の間の
生前の期間も含みます。

自分本位で周りに迷惑を掛けた代償は

人によっては天罰として
人によっては過酷な生き恥として
人によっては満たされぬ欲として

その他縷々様々な酷がありますが、
必ずツケを支払わされる事となるのです。

自分ばかりを
考えてたら
エライ目に
遭うんやで

2025年8月23日土曜日

おしえて!あにきさーん(2025夏)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は2年ぶりの
おしえて!あにきさーんシリーズです。




Q1:
「災害が起きる事とか全く分からないと
以前書いてありましたけど、
普通に言い当ててるじゃないですか!」

A:
すみません、嘘つきなんです(笑)。
それは冗談として、

意識というのは具現化するんですね。
基本的に自分が助かりたいが為に
そういう事を聞いてくる人には
情報は一切提供しません。

考えてみて下さい。
自分が助かりたいという俗欲は
角度を変えれば

「災害が起こってほしい」

という願望とも捉えられます。
そんな人達がたんまりと意識をしまくったら
本当に起きちゃうじゃないですか。

それはとても悲しい訳ですよ。
ですから、おいそれ簡単には言いません。


Q2:
「人の事ばかり書いてありますが、
除霊とかはやっていないんですか?
また、霊の事とかは書かないんですか?」

A:
除霊も浄霊も普通にやっていますよ。

ただ、根本的に
いくら除霊や浄霊をしたとしても
憑依されたりする隙のある人の方が
問題なのですね。

ですから、二度と憑依されない様な
心掛けや意識の維持の仕方を
作り上げた方が将来的にグッドなので
こういった流れにしています。




Q3:
「ブログの内容と文章が難しいので
もう少し軽めの話にしてほしいです。」

A:
あ、無理っす。
考えがあってやっている事なので。


Q4:
「ブログだけを読んでいれば
直接お話を聞かなくても
幸せになったり善くなったりしますか?」

A:
全くなりません。
というか、僕に直接話を聞いたとしても
それだけでしたら絶対に
善くなんかなりませんよ。

あくまでも僕はきっかけですので、
そのきっかけを基にして
貴方が率先して動かなければ
何も好転などしませんよ。

特定の物を持っていれば良いとか、
願いまくっていれば幸せになれるのだったら
今頃この世はPARADISEです。

そういった楽をしていると
悪化はしても好転はしません。

何をするにしても総ては貴方の動き次第ですよ。




Q5:
「駄目な自分を失くす為には
どうしたら良いですか?」

A:
まず最初に駄目な自分を消す事は無理です。
一生貴方の中に存在します。

消す事は不可能ですが、制御は可能です。
駄目な自分から目を背けないで
理解して認めてあげれば
制御は必ず出来ますよ。

臭い物に蓋をするのを辞めれば良いんです。


Q6:
「子供が自分勝手に行動するのが治りません。
どうしたら良いですか?」

A:
状況が全く分からないので
何とも言い難いですが、

お子さんが自分勝手な動きをしても
それが自分勝手な事でいけない事だと
単に認識をしていないのかも知れません。

また、人は相手の動きを見て
考えたり行動をします。
子供は大人の背中を見て同じ事を
真似てみたりやってみたりします。

貴方の動きの中でも
ご自身が気が付いていないだけで
自分勝手な部分があるのかも知れません。

感情的にならないで
ちゃんと論理的な説明をしなかったら
どんなに正しい事でも自分勝手だと
子供は捉えたりしますからね。

色々なパターンで
何度も何度も教えてあげる事が
大切になってくると思いますよ。

今回はこんな感じで
おしまいやで

2025年8月22日金曜日

好転の基本(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




運気を好転させたい。
善くしたいと思っているのなら
自分から自分以外に何かをしなければ
善くなる事などありはしません。

"善くしたい"で終わっているから
何も善くならないのだし

自分からは何もせずに
与えられる事のみを期待して
善くならないかと願うだけで楽して
待っているだけだから
悪化しかしないのです。

何故かと言えば、
スタートからゴールまで
全部俗欲に溺れているからです。

善くしたいという俗欲
これは「きっかけ」です。

与えられたいという俗欲
願うだけの俗欲
楽をするという俗欲
待つという俗欲
自分だけが良くなりたいという俗欲

こんな俗欲塗れの状態では
貧乏神が近寄ってきて当然です。

一から十まで俗欲でしかないのですから。

だから、余計なお金を払ったり
つまらない戯言に惑わされたりする。




与えられるのを待つのではなくて
積極的に与える側に廻る。

善くなりたい
善くしたい
善くなるには

少なくともこの思考回路が必須です。

自分だけが善くなるのを先行して考えたら
誰にも需要は発生しませんが、

自ら率先して動いて
自分以外が善くなった結果
いずれ自分も善くなる

という流れであれば、
確実に需要が発生します。

そして、貴方自身はこの流れの中で
善くなりたいという見返りを求めずに
如何に自然体で動けるか。

と、いうのがポイントなのです。

自分から想いの需要の場を設けるにしても
そこが俗欲で埋まっていたら意味が無い。

更には、率先して創らないといけないのに
待っているだけでは何も生まれません。

想いとは「動く」「使う」という名の
苦痛や辛さと引き換えにして、
「想い」で返ってくるものなのです。

きっかけとなる俗欲を用いて動き出し、
逆説を用いて目的を設け、
苦痛を手段として目指すのですね。

善くなりたいと思うのは
目指すべき目的ではなくて「きっかけ」です。
忘れてはいけませんよ。

会って話せば
理解出来ても
文字で教えるのは
なかなかどうして
難しいものやで

2025年8月21日木曜日

大切な人を想う(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




怒り酔いをしている時や
哀しく落ち込んでいる時、

とにかく自分の中で気持ちが
グルグルしてしまっている時など
色々な理由で
気分が混濁する事があります。

そういった際の切り替え方や
直し方で非常に優れものなのが

「大切な人を想う」

と、いうものです。
これは意識の方向を切り替えるのが
目的となっているもので、

内側へと向き過ぎている意識の方向を
極力外側へと推し向ける事を指します。

意識の方向はその状況に応じて
内側にも外側にも向ける必要があります。
どちらに偏り過ぎても宜しくなくて、
結果として「視野狭窄」が発生します。

そうなってしまうと思考が鈍重となり
いずれは思考停止状態へと沈み込みます。

その渦中で起きているのが、
先述した怒り酔いですとか
過剰な落ち込みですとか、
頭の中がグルグルみたいなやつです。

こうした際に
大切な人を想う事で意識の方向と
その時点で重きを置いている
「意識の場所」が変わります。

その上で感情が荒れた原因を
しっかりと見つめるのが解決への道筋です。




例えば、車を運転している時を
思い出してみて下さい。

前の車が遅いとか
急な割込みとか
サクサクと進まない際に
イラっとする事がありますよね。

車の運転でなくても
レジ待ちですとか何かの列や順番に
並んで待っている際など、

些細な事でイラつく事があると思います。

そうした時というのが、
内側に意識が向き過ぎている時です。

自分が自分がと、
己の事しか考えられていない。
つまり、自分本位状態です。

こういう時に大切な人を想う。

何もわざわざその場で怒りをぶつけなくても
哀しみに落ち過ぎなくても
意識を混濁し過ぎなくても
良いという事に気が付くはずです。

サラッと意識の方向を転換させて
気持ちを切り替える。

普段から気持ちの制御や俗欲の制御を
意識している皆さんならばこそやれる
実戦でのメンタルコントロールです。

これは業ですから、
そこら辺の人が見様見真似で
実際に出来る様な代物ではなく

あにきの話がある程度理解出来る人限定の
上級編にはなりますが、

これまでの努力が形と成る
分かり易い業でもあります。

「抑える」のではなく「切り替える」

貴方が今まで出来なかった事ですよね。

やれるから
教えているし
実際には既に
出来てる事なんやで

2025年8月18日月曜日

止まらぬ涙(お客さんからの声)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は
島根県松江市Mさんより戴きました
お客さんからの声です。




先生、
先日はありがとうございました。

どうにも困り通していて
色んな人達に相談をしていたのですが
話が入ってこないと言いますか
解答がズレていると言いますか…

何か場当たり的な事ばかりを言われて
納得が出来ていなかったんです。

結論から言いますと、
思い切って先生にご連絡を差し上げて
大正解でした!

ひっかかっていた謎がスルッと
流れていった感じでした!

特に守護霊さんのお話と
いま困っていた事のお話には
本当に驚きしかなくて
隣で聴いていた主人はあの後も
目をまん丸くさせていました。

私が内容を話す前に
先生が話し始めたんですから!
「僕の所ではよくあることですよ」って
先生はあっけらかんと言ってましたが
私達には目から鱗ですからね。

お陰様でとても救われました。

先生とオンラインでお話を
させて頂いてからというもの
「本物の人って居るんだね」と、
毎日のように家の中でも友人にも
親戚にも話をしています(笑)。

先生のお人柄にも本当に救われまして
あの日は涙が止まりませんでした。
(先生がしばらく止まりませんよ~
って、笑いながら仰ってくれてたのが、
今では主人と共通の笑い話です)

また、色んな事を一つ一つ丁寧に
分かり易く解説もして下さって、

まだ時間が経っていないですが
直ぐにでもお話がしたいなと
夫婦共々思っているんですよ。

先生とお話が出来て本当に嬉しかったですし、
先生のメールアドレスを探し当てて
思い切って連絡をしてよかったです。
(メアドじゃなくて今はインスタなんですね)

まさに勇を用いるですね!
本当にありがとうございました。

まだまだ暑い日が続いておりますので
どうかお体をご自愛なさって
お過ごしください。
また宜しくお願いいたします。

夫婦そろってブログも愉しみにしていますね。
駄文にて失礼いたしました。

              M


Mさんとご主人さん、
ありがとうございました。
こちらこそ、
また何卒宜しくお願い致します。

あまり脂物を食べ過ぎたらあかんよwww

同じ辛さを
味わっている人は
沢山おるんやで
一人やないさかい
決して無理せんと
頑張ってこうな

2025年8月17日日曜日

一歩を踏み出す(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




ここを読んでいる方々には
もはや周知の事実なので
イチイチ言葉にする事では無いのですが、

「運気は自らが作り上げるもの」です。

何かに操られているものでもなければ
誰かの力で何とかなる様な
ものでもありません。

改めて冷静に考えてみれば
どなたでも分かる事なのですが、

もし、「何かのお陰誰かのお陰」
という様な他力本願一色で
どうにかなるものであるならば、

何処でも良いですから
祈願しまくっている人の運気が
一番爆発している筈ですし、

良いこと尽くしのオンパレードに
なっていないとおかしいですね。

ですが、実際は真逆です。
他力本願一色ですと至る所は
貧乏神路線のみとなります。




他者からの助言や知恵の拝借は
在って然るべきですし、
そういった助力があるからこそ
ある意味で人は動けるものですからね。

しかし、そのアドバイスというのは
待っているだけでは
決して手にする事は不可能な代物です。

どの様な場合であっても、
自身が率先して手にしようと
動かなければいけないのです。

これが「勇を用いる」という概念であり、
人が念想の天秤で推し量られる
八罪の内の一つであり、
達成条件の一つでもあります。

↓以前にも触れています

どんな事でも自ら一歩を踏み出す。
相手が手を差し伸べてくれていようが
そうでなかろうが、

善き動きを手にする為には
自身からその身を動かさなければ
意味が無いものなのですよ。

それが動ける者に課せられた
「向こうの世界と現世との共通の理」なのです。

おどおどしている内にも
時は過ぎていきます。
眼の前にあるチャンスは
常に駆け足で去っていくものです。

失敗を恐れる気持ちもあるでしょうし、
恥を危惧する気持ちも理解出来ます。

けれども、成功と言うのは
その失敗や恥の先で得られるものですからね。

端折って良いことなんか
何一つ無いですよ。

例え小さい事でも
率先して動く
まごつくならば
動いた方が
間違いないんやで

2025年8月14日木曜日

先を見据える(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




物事というのは、
覚えようと思っても
なかなかどうして
覚えられるものではありません。

僕もセッションやレクチャーを
通じて色々と教えていますが、

その場で話を必死に書いたところで
綺麗に纏めたところで
決して覚えられるものではないのです。

ですが、話を書いたりするのは
とても良い事ですし
拒否も否定もしていませんよ。

ただ、覚えられないのです。
文字での記録に残せても
そこで変に自分を納得させて
終いとしてしまうから
記憶に残せないのです。

覚える為に足りていないのは
「使う」という行為です。




物事は使って初めて覚えます。
逆に、使っていないと忘れます。

記憶に留める事が難しいのです。

人は五感をフルに活用した際に
記憶へと残す事が可能です。
頭の中だけで覚えようとしても

「使う」が発生しないと
実際に身には入りません。

言語しかり、何かの作業然り、
使っているから覚えられますが、
使っていないと忘れるでしょ。

例えば、
書く事をしていないと、
読めるけども書けないですよね。

それは頭だけではなく
「手」でも覚えているから。

歌を歌う時、いちいち頭に歌詞を
浮かべたりはしないでしょ。
それは「口」や「耳」でも覚えているから。

だから、実際に歌わないで
脳内再生しているだけだと
口にした時に異常に詰まりますよね。
それは「使っていない」からです。




本来のスピリチュアルも同様で
使うからこそ覚えられます。

文字で書いたりするだけで
覚えられるのであれば
誰も苦労はしません。

視たり聴いたりしたものを
文字に起こして記録したなら
それは必ず使わないと
その意味は消失します。

また、一生懸命に文字に起こしていても
今度は「聴く」事を疎かにするから
やはり身には入らないで終わる。

記録をするのは「目的」ではなく
あくまでも使う為の「手段」です。

以前から話していますが、
ここを読むだけでは
決して善くなどなりません。

読んだのならば使わないと意味が無い。
使う努力をしないと意味が無い。

使う努力をして分からなければ聞く。
使う努力自体が分からなければ
尚更聞けばいい。

どこまで行っても常に「使う」を意識して
実践していかなければ
覚える事など出来ないのが
本来のスピリチュアルですからね。

つまり、善くならないという意味です。

日頃のアドバイスを
使わないから
予約が出来ないんや
繁忙期は
先を見据えろと
言った筈やで

2025年8月10日日曜日

お盆の話題(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




今年もぼちぼちお盆です。

うちの地域では新盆なので
もう終わっていますが、
殆どのエリアでは旧盆ですよね。

さて、お盆と言えば
ご先祖さんが帰宅するイベントですが、

これ、
必ず帰ってくる訳ではないのですね。
帰宅しない理由は幾つかあります。


1、ご先祖さんが地獄又は
それに準ずる場所に堕ちている。

2、ご先祖さんが狭間の世界を彷徨っている。

3、遺族に興味がない。

4、遺族がガッツリ念基軸。


概ねこの4つが理由となります。




1と2はご先祖さんがやっちまったパターン。
説明するまでもない感じです。

3は一見するとご先祖さんが酷く見えますが、
何気に結構多いパターンです。

亡くなってから浄土へ行くとね、
現世で生きている時よりも長い時間を
お勉強に費やす訳ですよ。

そんな中で、遺族に対して
いつまでも気持ちは引きずりません。
遺族がしっかりしているならば
安心もしますから尚更ですね。

それにクソ忙しいというのも
実際にはあります。
亡くなって浄土へ行ったからって
楽できる訳ではないのですよ。

で、
問題は4の場合です。

これが帰ってこない理由では一番多いです。
遺族がクソってパターンです。

ちょっと考えてみれば分かりますが、
帰りたくても帰った先の人間が
クズってたら誰だって帰りたくないでしょ。

それはご先祖さんとて同じです。
死んでいても人間ですからね。




それと、結構勘違いされているのが、
ご先祖さんが帰ってくるのは

「家単位ではない」

と、いう事実。

お盆にご先祖さんが帰ってくるのは
あくまでも個人単位が基本です。
家人が全員良好という訳ではないですよね。

想いの遣り取りが出来る人も居れば、
同じ家の中でもガッツリ念基軸のクソも居る。

当然ながら、
ご先祖さんは想いの遣り取りが
普通に出来る人を目指して帰ってきます。

何故ならば、浄土という場所は

「想いを主体とする場所であり」

念想の天秤にて
想いにバランスが向いている人しか
行く事が出来ない場所だからです。

つまり、念基軸の人に対して
面白いほど毛嫌いをします。

そりゃそうなんです。
念基軸の人って地獄に居る人達なんですもの。
ご先祖さんが態々そうなる可能性のある予備軍に
忖度する必要が無いんですよ。

家族の中でも、
○○はおじいちゃんを感じれたけど、
私は全く感じなかった。

みたいな事が起きるのはこれが原因です。

なので、帰ってきてほしければ
己の中身をもう一度確認するのが
何よりも重要になってくるのですね。

但し念基軸の人は
悪霊とか生霊は
たくさん呼べるし
よく視えたり
するんやで

2025年8月9日土曜日

感覚の強まる時(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




想いというのを理解もしくは
ある程度認識出来る様になると、

必然的に「念」というものに対する
認識も出来上がる様になります。

それと並行して

「思い遣り」

に、関しても否応なしで
実践されていく事になります。

この理屈はとても単純で、
自身の中の基礎が「想い基軸」へと
シフトするからですね。

ただ、この経過や自身が想い基軸に
至っている実感については

「自分ではよく分からない」とか
「全く理解出来ない」とか
「目に視えるものではないから」

などと言って、
セルフチェック出来ないと思われる事が
結構あるのですね。

然しながらそれは認識不足です。




人が想い基軸へと移行すると
自身の中の「感覚」に於ける

「想いに帰属する面での感覚」が

非常に強まってきます。

想いに帰属する面での感覚...
ちょっと難しい言い方なので
物凄く簡略化した感じにしますと、

「善い予感」みたいなやつです。

善い予感と言うと

「得をする」

といった様に捉えてしまいがちですが、
そうではありません。

例えば、
貴方が何の気無しにご無沙汰している
知人Aさんの事を
ふと「思い出した」とします。
理由なんか無くて本当に何となくです。

思い出したからと言って
何をする訳でも無く過ごしていたら
翌日になってAさんから連絡が来た。

とか、

何か玄関先の花に目が行ってて
特別何をする訳でも無く過ごしていたら
二日後にその花にレアなトンボが
止まっていたのを発見した。

とか、こういった具合の感覚が
「想いに帰属する面での感覚」です。




あまりにも小さい事なので
意識を先鋭化させていないと
流して終わりにしてしまう様なものですが、

想い基軸になってくると
こういったのが多発する様になります。

要は、
小さい幸せにやたらと
気付く様になるのですね。

なので、自分が現在進行形で
想い基軸なのかどうかというのは、
ちゃんと分かる訳です。

で、

勘の鋭い方ならここでまた一つ気付きます。

想い基軸でそれに属した感覚が
強まると言う事は、

念基軸でも似た様な事が
起きるのではないかと。

実際その通りです。

念基軸の場合は、
「念(俗欲)に依存する面での感覚」が
非常に強まってきます。

先程のを「善い予感」と形容したので
「悪い予感」と推察しそうになりますが
そうではありません。

「楽できそうな実感」

が、正しい表現です。
予感ではない分、
これは中々にエグイものですよ。

想いも念も
どっちの基軸も
しっかりと視認が
出来るものなんや
誰でもやで