2024年2月29日木曜日

惑わす者(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は貧乏神について
お話をしたいと思います。





貧乏神とは人としてダメな奴の
総称としてあにきは使っています。

この貧乏神の特徴として、
「自分が無い」というのがあります。

個としての自分の芯と言いますか、
意思と言いますか、
他に流されてその潮流に甘んじている
という状態を示唆するものなのですが、

貧乏神はこの状態の中で、
他者の意見に乗っかって
人の意思を惑わせる事を
得意としています。





例えば、
貴方があにきから何か話を聞いたとします。
それを貧乏神に話したとしましょう。

その中で貧乏神は、
最初は肯定的に同調をしますが
直ぐに否定的な意見を言い始めます。

そして、それは
恰も自分の意見としての口調で話しつつも
よく聴いていると、

常識的にとか、普通はとか、一般的にはとか

周囲の社会的エゴイズムを利用した
個を特定しないものが主語となっています。

つまり、

自分の方が優れているとか、
自分も分かっているとか、

そういった優越性や
欲を叶える為の話し方をして
自己顕示をしてくるものなのですね。





あにきの場合で例に挙げましたが、
これはどんな場合でも、状況でも同じで、

貧乏神は相手がプロと呼ばれる人物や
存在の意見となると直ぐさま反応して
貴方の意思を惑わせるのです。

それは、貴方の為を思っていての
行動ではなくて、
貧乏神の貴方に対する支配欲や
立場を誇示させる為の行動に
他なりません。

ですから、主語を曖昧にして
自身の責任は回避した上で、
貴方の意思を惑わせる。

貴方が、よく聴いて考える事をせずに
上辺のみを見て判断している状態や
他力本願ですと
ほぼ確実に惑わされますから、

せっかく得られたものですら、
固まった方向性や意思ですら、

逡巡してしまって二の足を踏んだり
時間を無駄にして善い方向へと
進むことが出来なくなったり、

その違和感に気が付けなければ
果ては自分も貧乏神の仲間入り...

という事になってしまうんですね。

また、
この手の輩は意識のレベルを
貴方に合わせる事が決してありません。

ですので、
特段の知識も経験も握してないのに、
総じて上から目線です。

男女問わず、こういった人物が居たら
断捨離するのが得策です。



2024年2月24日土曜日

欲を制御しよう(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は基本的な動き方について
お話をしたいと思います。





本日のインスタにも記載しましたが、
あにきの教えている
この手の知識というものは
使って初めて得られるものです。

実践をしないと、
全くと言っていい程に無意味ですし
糞程も役に立ちません。

インスタには、
逆にマイナスとなりますよと、
書きましたが本当にその通りでして
単に覚えて身に着けた気持ちとなっていると、

貧乏神化が進みます。
何故かと言うと、
想いよりも欲が勝ってしまうからです。

覚えたいという知識欲があるのは
当然ですし、大変結構な事です。

けれども、欲は欲ですから
そこに溺れすぎると当たり前に沈みます。

なので、制御が必要となる訳です。





ここでの制御というのは、
使う事で覚えられます。

また、使わないと次のステップへと
進んだ際に、確実に躓きます。

どうしてかと言いますと、
次のステップでは、
もう既に使って制御が出来てる前提で
あにきは話をするからです。

出来なければ聞けばいいし、
やってみたけど分からなければ
やっぱり聞けばいいし、

やってみた上で疑問や質問が出てきたら
尚の事聞けばいい。

聞いて良いですよ!
聞くのは善きですね!

と、こちらから申し出ているのですから、
そうすれば良いだけなのに、
それをしようともしない。

その流れのままに知識を上書きしても
間違って覚えるのが関の山ですし、

「使うべきタイミングで使えない」
とか、下手すれば
「覚えてすらいない」

という事になります。





当然に指摘をされて挫けますね。
ここで反省が出来る様な
メンタルであれば全然善いのですが、

そうでなければ、
自分に言い訳して終わりです。

この程度の事が出来ない人が
他の事をやれる訳が無いですし、
欲に負けた上に自分にも負けたのですから

慰めを求めて彷徨い始めて、
似た者同士で上っ面な慰め合いをしつつ
傷口に汚泥を塗って化膿させ、
腐らせる。

こうして貧乏神化が始まります。

それらを避ける為の
「使う」という業。

使わないでも覚えていられる
制御が出来るというのであれば、

学校で学習した知識は
全て覚えていますか?

ここで答えが出ているんですよ。





敢えてあにきの事を
引き合いにしましたが、
これはどんな事象でも同じです。

仕事でも趣味でも習い事でも
家事でも何でも同じ。

自ら進んでやり始めたのだから、
自らの意思と覚悟で使う。

使う為の努力をする。
使う為の知恵を絞り考える。

こんな誰でも分かる当たり前な話なのに、
聞きもしないで

金や時間などと身勝手な理由を
縷々述べ立てて
欲に負けて自に堕ちる。

善意でお薦めされた事を
利己的な要因で履行しないのは
信じていないのと同意義ですし、
汲み取る事もしていないのと同意義。

つまりは、
信に徹しておらず
伝に務めてもいなくて
自に堕ちている訳ですから、

当然に貧乏神へと堕ちる訳ですね。

傲慢や怠慢というのは
恐ろしいものです。


2024年2月23日金曜日

分けない重要性(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、視えない存在への
基本的な考え方について
お話をしたいと思います。





視えない存在、
ここでは霊的な存在としますが、
このジャンルを語る時に
どういう訳か無視されているのが

「基本的な考え方」

そのものです。

基本的な考え方というのは
何なのかというと、
視えない存在を語る上で

何を中心として捉えて話しているのか?

という事ですね。

多くの場合は「人中心」で
語っているのではないかと思います。

それはそれで良いのですが、
あにきとしては疑問が湧きます。

と言いますのも、例えば
「私、見えます」系の方々などは
人様の前でよくこう言います。

「あそこに誰かいる...」
「男の子が立っている...」

みたいな台詞ですね。

こういう自慢げな言葉を聞く度に
あにきは思う訳です。
(もっと他に視えないのかと…)

どうして「人」しか見えてないのかと。





この星には、人しか住んでない?
そうでないのは誰もが知っていますよね。
様々な生物が居て、物質が存在しています。

死した者が見えるのは結構ですが、
何ゆえに人だけしか言わないのか?

人よりも個体数が圧倒的に多い存在が
地球上には幾らでも居ます。

それら万物の全てに霊体は宿っていて
死の概念や死後の行き先は人と違えど、

狭間と呼ばれる空間には、
人のみならずそれら全てが存在しています。

にも拘らず、人しか見えていないのは
「人中心」つまり、
「自分中心」でしか考えていないからです。

そもそも霊的な事を考える時、触れる時に
決して忘れてはいけないのは、

「全ての中に自分は居る」

という思考です。





こういう場面で「全て」と言うと、
どういう訳か大自然と捉えがちですが

そうではなくて、
ここには自然もあれば人工物もある。
生きているもの死んでいるもの
見えるもの視えないもの

生物のみならず、鉱物や空気に至るまで
これら全ての中に自分が居るという
考え方です。

これが、視えない存在への
基本的な考え方となります。

この考え方捉え方ですと、
人は人という様な、カテゴリー分けをして
考える事はありません。

分けて考えてはいけないのです。

視え方も
感じ方も
聞き方も
触れ方も

どんな存在に対しても
同じ接し方とせねばいけないのが、
本来の視えない存在に対する考え方。





視えない存在とは意識で繋がります。
意識というと漠然としていますので、
言い換えますと、

想いや念です。
そこへ、感情や気持ちも加わります。

言葉というよりも、
これらの意識がダイレクトに届いたり
触れたりする事の方が多いです。

要するに、
見えると自慢をしたいのであれば
人以外の存在の想いや念、
果ては姿に至るまで視えないといけない。

それが出来ていない段階で、
存在のカテゴライズをしてしまっていて、

「万物に対する想い遣りや優しさ」
という、
愛情の概念にも反してしまっている。

だから、
恐怖心やエゴ(欲)から抜けられないし、
逆にそれらへ溺れていってしまう。

実際に、こんな風に言ってくる人って
自分の事しか考えていないというのが、
表情に出ている人が多いと思いますよ。

詰まるところ、
「愛情の理解度が低い人」という事です。

物の目線、
概念そのものを変えて視ないといけません。
同時にこれは、
生きている存在全てに対しても
行える考え方なんですよ。

何故ならば、
皆さんの中にも霊体が存在しているのですから。


2024年2月20日火曜日

自然霊の本質(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は自然霊について
お話をしたいと思います。





龍神や稲荷、狛犬など、
様々な自然霊が存在していますが、
彼らの特徴は知っていても
彼らの「本質」を
ご存じ無い方は多いと思います。

本来はこの本質を
ちゃんと抑えておかないと
自然霊との向き合い方は
とても難しいものとなります。

そもそも自然霊とは何なのか?
随分と以前に解説をしたと思いますが、
簡単に言いますと

「一度も人として受肉をした事の無い霊体」

の、最上位が自然霊です。
ですから、当然に殆どの人よりも
霊格が高いです。

また、肉体が存在しませんから
100%想いを基準とした
向こうの世界の理の象徴的存在でもあります。





つまり、
常に想いと気持ち、
感情の遣り取り100%で
こちら側に関係してきているという意味です。

これが何を意味するのか?

彼らは彼らの都合で
相手の意識を操作するという事です。

意識の操作なんてwww
と、思われがちですが、
こんな事ありませんか?

今の今まで使っていた物が、
どういう訳か無くなった!

どこを探しても見当たらない
見付からない。
数秒前まで使っていたのに…

仕方がないからそのままにしたら、

数日したらいつもの場所から出てきたとか
とんでもない場所から出てきたとか、

と、いう様な事ありません?

これ、自然霊の仕業が多いです。
実際にあにきもお客さんから相談を受けて
幾度となく解決をしてきています。





自然霊からの様々な思惑が
原因としてありますが、
今回の話で重要なのはどうやって
自然霊が関与して物を無くしたのか?

という点です。
ここがまさに自然霊の本質でして、

物自体は無くなっていません。
最初から最後までそこに在るままです。

では、どうやったのか?

単純に視えなくさせられているだけです。
意識を操作するのが自然霊の本質ですから

貴方の意識に作用させて、
その物に意識を向けさせない様にしているだけ。

見ているようで視ていない状態へと
意図的に意識操作しているんですね。

そんな事を平然とやってのけるのが
自然霊であり、彼らの本質です。





また、自然霊自身の感情や意識を
そのままぶつけて来ることもあります。

A:自然霊の意識=貴方の意識
B:自然霊の感情=貴方の感情

と、いう様に誤認をさせる感じです。
貴方からすると自然霊に流されている
とも言い切れる状態ですね。

ここが自然霊の本質であり、
一番恐ろしい点でもあります。

自然霊と意識を一つにするという事は
完全同意しているとみなされます。

そこで、もし、
自然霊と約束を交わした後だとしたら
その確実な履行を求められます。

それが不履行と至った場合は
自然霊は当然に怒ります。
また、人にとって厄介なのは
時間や事情を加味してくれない点です。

諄い様ですが、
殆どの人よりも自然霊の方が霊格は上です。
ですから、
同意したのだから直ぐにやれ!
という、ダイレクトな感覚となるのが自然霊。

で、やらなきゃ問答無用の天罰を下します。





それの回避策として、
自然霊の意識面や感情面で流されない為に

自分の意識を強く保つ、
冷静さを維持する

という事が必要となります。

先述した完全同意をしないという意味です。
話や意味は理解したけど、
貴方の事情を分かってもらうには、
瀬戸際で完全同意を回避するしか無いのです。

A’:自然霊の意識≠貴方の意識
B’:自然霊の感情≠貴方の感情

この状態とすれば良いだけ。
けれど、問題はB’の面でして、
感情というのは、喜怒哀楽があり、
善いとされる感情もあるという点です。

流されるのは決して怒と哀だけではなく、
喜と楽でも平然と起こります。

感情を抱いた直近の事象をよく考える。

を得る事だっただろうか?
楽を得る事だっただろうか?
怒や哀を得る事だっただろうか?

果たしてこれは、
本当に自分の感情なのだろうか?

自然霊の感情操作は、
人のそれとは段違いですからね。

常に裏側も意識しましょう。


2024年2月15日木曜日

成長進化の片鱗(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、先日のイベントに関した
お話しをしたいと思います。





悪霊や生霊に憑りつかれたり
もしくはその予備軍に
付き纏われたりした際の対処法として

専門職に依頼して処置してもらう事も
大切な事にはなりますが、
毎度毎度そう都合よく処置して貰える
とも限りません。

近くに居ないとか、
緊急過ぎるとか、

無理な状況というのは
幾らでもありますよね。

そこでやはり出来るのであれば
「自身で対処した方が良い」
という結論となる訳です。

せめて、応急処置くらいは
自分で出来た方が本当に良いです。

この時に、一番役に立つのが
「忘失」です。





これは
自分へ危害を加えてきている存在を
忘れるという手法です。

レクチャー8,12,16で教えた
「基本所作」を抑えた上での
行動にはなりますが、
これほど簡単な対処法は無いです。

詰まるところ、
「意識の方向の制御」
「意識の具現化」
の応用ですね。

意識の方向の制御(コントロール)は
言わずもがなの事です。

その時点で、一体どの方向へ
自分の意識が向いているのか?
外側なのか内側なのか...

それを制御して、
「意図的に方向を変える」
という事ですね。

意識の具現化は、
意識をした瞬間から現実への変貌が
始まりますから、

方向を変えたのであれば、
それを強化させるための手法です。





どちらも

「信に徹する」
「伝に務める」
「勇を用いる」

という向こうの世界の理を
理解出来ているからこそ為せる業です。

つまり、他力本願である内や
自身に引き籠っている内は
決して出来ない方法ではありますが、

言い換えるならば、
イベントでの「実験」を経験して
具現化を物理的に目の当たりとした段階で
既に理解は出来ていますし、

実験をご自身でも成功させたという事は、
徹して務めて用いれている
という証でもあるのです。

何故ならば、
あにきが説明をした理屈と
その流れと効果そのものを

言葉と感覚で
ご自身にプログラミングして
再現している訳です。

要は、
確実にステップアップ出来ている
という事です。

ですからね、
確かな自信を持って
前を向いていきましょう!


2024年2月11日日曜日

捉え方(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、運気UPについて
お話をしたいと思います。





運気を上げる事については
今までも多々お話をしていますし

レクチャーに至っては
運気そのものについての
お話しすらしています。

その中で、
「小さい幸せを見付ける努力」が
とても重要になってきますと、
諄いほど口にしています。

ですが、
小さい幸せの意味を
ちゃんと理解していないと
全くの逆効果となるのですね。





小さい幸せは小さい幸せですが、
油断をすると、その言葉通り
どんどんと自分の方へと
意識の方向が向き過ぎてしまい、

小さくしてはいけないものまで
小さくしてしまいます。

これは捉え方の問題なのですが、
小さい幸せだからと言って、
自分を意識するあまり

「自分を小さく考えてしまう」

という事に起因しています。

捉え方としてはですね、
「大なるものに自分は居る」
と、考えないといけませんから、

自分の事は
大きく捉えないといけないんですね。

まるで空になったかの様に
まるで大地になったかの様に
まるで海になったかの様に

その中から、視線を限りなく
自身の方へ向けて見付ける。

これが小さい幸せの探し方です。





人も万物の一要素でしかないです。
そこには様々な影響力が存在していて

自分を中心にした影響力もあれば
他を中心とした善い影響力も
悪い影響力もあります。

そこかしこに点在するハブや
中核となる存在を中心に
ただただ公転をしている。

それを人のみで考えている段階で
運気なぞ上がる由も無いのですね。

その捉え方は、
人間の優位性を咀嚼しているに過ぎず、
余りにも矮小で烏滸がましいとも言えます。

「全てを好きになる」のではなく
「全ての中に自分がいる」と

生死を問わずして
捉えられるか捉えられないかです。



2024年2月8日木曜日

知識の価値(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は知識について
お話をしたいと思います。





何に於いても基本的な事ですが、
知識というのは、
憶えて終わりではなくて
それを使ってなんぼのものです。

「知識は使って初めて価値が出る」

という事ですね。
幾ら念入りに知識を身に着けていても
使う事が無いと、
覚えたと思っているその場から
どんどんと忘れていきます。

覚えたつもりで終わるという意味ですね。

これは持論ですが、
人は脳みそで知識を覚えますが、
それを確固たるものへと定着させるのは

「肌や五感を利用した場合」
ではないかと、
あにきは思っています。

見たもの、聞いたもの、嗅いだもの
味わったもの、触れたもの、
ちょっとしたニュアンスなどの微小感覚...

ましてや、
霊的な存在や目に視えない事象、
人との思いの遣り取りなどに至っては、

五感だけでなく六感も含めて
複合的に使用し続けないと
必ず鈍りますし、
使いたい時に使えません。





なので、日頃より自分から
その知識を使う努力をしていないと

ちゃんと覚えたつもりの知識も
気が付いたら全然間違った内容へと
変貌していたりするものなのです。

何故ならば、

自分はちゃんと覚えて
使っているつもりの知識だとしても

確固たるものへと昇華させて
自身のものにさせない内は、

それを間違いないものだと
確認する術など
教えてくれた人にしか出来ないのです。

それが眼に視えない映らないものなら
尚更ですからね。
その事実に気が付いた時の落胆は
きっと想像以上ですよ。

それまでの時間を無駄にしたのですから。

怠慢や傲慢な思考は
貧乏神の入口ですからね^^


2024年2月5日月曜日

視えてるもの(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、近い将来についての
話をしたいと思います。





セッションやイベントでは
ちょろりちょろりと近い将来に
ついての話をしています。

ここでも少しだけ触れていますね。


では、あにきには
一体何が視えているのか?

悲惨な将来なのか、大災害なのか、
戦争なのか、幸せな将来なのか…

ぶっちゃけた話ですが、
そういう小さな視点での視え方は
全然していません。

あまりにも局所的過ぎますし、
検知見分が矮小過ぎます。

世の中は一極性ではなく多極性です。
1つが動けば多数が動くものなのです。





視えているもの全てをここで書く事は
恐らく無いです。

少なくとも“ 今は ”無いと思います。
あにき自身が言葉として
纏め上げられていないのもありますし、
情報として未精査な部分も多いからです。

全てが全て、現時点で科学的で現実的な
エビデンスがある訳でもないですからね。
要は、どんなに精細に書いたとしても

「間違ったメッセージを与えてしまう」

という懸念点が多いという意味です。

ですので、
今後はイベントを中心に細かな点を
話していくつもりです。

1つだけ確かな事は、
「人々の、人類の将来は明るいです」
これだけは間違いないです。
それはハッキリと視えてますからね。





但し、それまでの間に
天災にしろ人災にしろ、
大なり小なり悲劇は起きます。

これは避けられないと言いますか、
避けようと努力をする人はいますが、
人々のリテラシーがそれに追いつかずに

「自身で悲劇を招く」

という表現が合っています。

また、シンギュラリティが起きたり
通信インフラがより高速化したり
BMI技術が進んだその先で

死生観や死そのものの概念を
嫌でも考えさせられる時期が来ます。

新世界秩序ならぬ
「死生観の新秩序」という感じです。

これは輝く将来へ必須な条件です。
実際にBMIとなるのか、
疑似BMIとなるのかは知りませんが、

他者への意思の伝達速度が
己=他となれば、個=多の完成ですからね。

と、同時にその達成に必要な基礎技術が
今後の争いの火種の一つです。

そこへ、現行の経済観や宗教観、倫理観、
エネルギー関連、政治的思想が相まって
争いは起きます。
現行維持の新世界を望む者は多いです。

また、既存の団体や組織、国家などの
枠組みで人や個人を判断してる内は、
先になど進めないと理解した方が良いです。

本来の意味での人ではなく
畜生を続けたければ別ですけどね。





意識の共有と意識の具現化は
最終的にはアナログでもデジタルでも
実現が可能なのですが、

何よりも問題となってくるのは、
その技術に対して人のリテラシーが
追い付かないという点です。

平たく言えば
「愛とは何なのか?」
「愛情とは何なのか?」
これらですね。

そこで、現行の死生観が覆ります。
この時の状況を現時点の観点で表わすと
相当数の人々が死に該当します。

それは、
とても儚く馬鹿らしいものなので、
そこから初めて人々が纏まります。

つまり、
実際の戦争や天変地異では何も変わらず、
「その後の世界で静かに巨大な変化は起きる」
という意味です。

今、産まれてくる子が成人となる頃には
早ければ纏まり始めてるかな...
いや、おっさんになる頃くらいですかね。