皆さんこんにちは、あにきです^^
前回は自己憑依のメカニズムを
お話をしましたので、
今回は解除の方法についてです。
前回にお話をしました通り、
自己憑依には除霊等を使えないので
解除するには、独特の方法を用います。
解除者の必須となるのは、
霊視と経験値です。
霊視はそのまま霊視です。
罹患者の念の出処(根源)を
探るのに使います。
経験値とは、解除者の人生における
経験そのものを指します。
これがかなり重要となってきます。
罹患者に於いては、
過去の話が可能かどうか?
自身の過ちを受け止められるかどうか?
が、最低限のポイントになります。
最初に罹患者からの状態を聞き取りしながら
霊視を同時に行います。
通常のカウンセリングとやり方は似ています。
ここで注意すべきなのは、
罹患者に寄り添いながらも
同情を極力排除して聴く事です。
その時、
罹患者・原因・関係者などを
話の中で分離させながら混同点の瓦解を
目指していきますが、
原因についての言及は解除初期の段階では
行いません。
ここで、言及してしまうと
話が転換してしまい、ループが始まります。
霊視は主に原因の裏打ちに使います。
その中で、
罹患者本人に対する霊視は勿論のこと、
関係者や原因が人・動物の場合は、
そこへも霊視を効かせます。
罹患者との話の中で意味を成してくるのが
解除者の経験値です。
罹患者と似た様な自身の経験や
これまで出会ってきた人の体験、
または触れ合ってきた数が物を言います。
つまり、
霊は視えてる霊能者でも
人の心が分からなかったり、
人付き合いが少なくて辛さが理解出来ない、
社会経験が浅かったり薄かったりする場合は、
罹患者への問い掛けそのものが
不可能になってきますので、
逃げ道が生じてしまい、
”納得させる”という解除点に
到達出来ないのです。
自己憑依状態では、
自身の意見や意思の肯定と否定を
頻繁に繰り返します。
これが幽体への被覆の最たる特徴で、
霊体による自我との交錯が
とても頻繁となるのです。
なので、”納得”という点に
自然と到達させる必要が生じます。
ですから、同情よりも断言が
解除者には必須となるので、
それには経験が絶対条件となる訳です。
考えてみれば簡単な事でして、
経験が浅いと、不安が生じますよね。
すると、断言など出来ませんから、
当然に曖昧な言葉となります。
その時には解除者には保身が生じるので
同情的な言い回しとなる訳です。
そうなってしまうと、
罹患者によるループが始まるので、
納得には程遠くなり解除が出来なくなる。
という流れを回避しないといけませんから、
断言をする為にも、霊視と経験値が
重要な要素になるのですね。
解除そのものには、
罹患者の自浄作用を利用します。
憑依と違い、
霊体への干渉が生じていませんので、
きっかけを作り、背中を押してあげれば
自浄作用は機能を増幅できます。
但し、
事後の定期的なケアは必須です。
憑依と違い自身の負の側面がトリガーに
なっている事が殆どですから、
原因を排除出来たとしても、
負の側面を受入れられる様に
心の許容の確保に努めてあげないと
根本の解決にはなりませんので、
再発再燃する事が多いです。
ですから、急がば回れの精神で
期間を有してケアを促す事が大切です。
この様に、自己憑依は自身の念が
被覆してしまっている関係で、
どうしても時間が掛かる霊障にはなりますが、
ご本人さんの素直さが残ってさえいれば、
解除と再発防止は高確率で可能です。
皆さんこんにちは、あにきです^^
何とも物騒なタイトルとなりますが、
本当の意味でのスピリチュアルを
知りたいのであれば、
絶対に避けては通れないテーマが
これになります。
自己憑依です。
あにきのセッションやレクチャーを
受けて下さってる方や
スピ日々を読んで頂いてる方には
最早、馴染みのある言葉だとは
思いますが、
自己憑依について解説していきます。
自己憑依とは、その名の通り
自分で自分に憑依するという事を
意味しています。
ですが、現実的な話
自身に憑依をするなどは
出来る筈もないので、
これは現象を比喩した表現になります。
そこをまず理解して下さいね。
で、改めてですが、
どうして自己”憑依”という表現を
しているのかと言うと、
それがまるで所謂”憑依”と似通った
症状が出てしまう現象だからです。
この時の憑依体は自身の念そのものです。
ご自分の中の負の思考、つまり念。
恨み、つらみ、妬み、嫉み、
ありとあらゆるマイナス思考の事を
あにきは便宜上【念】と言っていますね。
これらは通常ですと、
少量ならば勝手に不特定多数へ向けて
飛んでいくものなのですが、
念の生産量がご自身の許容量を
超える程になってしまうと、
放出せずに逆流が起きてしまい、
溜め込み始める流れとなります。
その溜め込んだ念が
ご自身の幽体を覆う形となり、
やがて自我をも蝕んでいく。
これが自己憑依の作りです。
実際の憑依は、
【他者からの霊体への干渉】です。
これに対して自己憑依は
幽体への被覆となりますので、
まるで別物にはなるのですが、
自我を蝕むのが最終段階となる以上は
憑依と呼んでも差し支えないのかと
あにきは思っています。
自己憑依の恐ろしい部分は
概ね3つです。
①通常の憑依と同様に自覚できない。
②除霊などの技が使えない。
③通常の憑依と誤認されやすい。
④自身の根本的問題が解決しない限り
解除しても何度となく繰り返す。
この中で一番の問題点は②③となります。
一見すると④に思いがちですが、
これは普通の憑依でも同じですので、
大した問題ではないです。
②に関しては、
ご自身の念が問題となるので、
除霊という事がそもそも難しいです。
除ける避けるは無理ですからね。
何せ、自分自身ですし。
③に関しては、
本当に多いと思いますよ。
自己憑依と通常憑依を見極められる人は
少ないと思います。
念の見え方が、生霊のそれとか、
霊のそれにとても似ているんですよ。
よく視ると微妙に違うんですけど、
被憑依者の内面を覗ける視覚の方でないと
どうにも難しいと思います。
ただ単純に霊が見える系の人だと、
100%分からないと思います。
自己憑依の方の特徴は、
貧乏神に生じる特徴と似通りますが、
決定的な違いは自我汚染が進んでいない
という点です。
先ほど述べました通り、
幽体への被覆となりますので、
終末期でない限り霊体(自我)が
抗っている状態が多いのです。
なので、初期~中期にかけては、
暗い思考、他者と自分の置き換え、
それらに伴う涙脆さ。
というのがメインで表れてきます。
他者と自分の置き換えというのは、
感情移入ではなくて、
他者を自身の思考回路そのもののみで
判断することを指します。
簡単に言うと、
自分の事ではないのに、
何の疑いもなく自身の事と認識し、
他者の意思はまるで反映させない。
さしずめ、
一人称と三人称が混ざり合った様な
感覚と言えば良いですかね。
自己憑依の終末期は憑依同様に
死に希望を抱く様になります。
これら一連の過程が
呪いを掛ける工程とも似ており、
受呪のそれとも同様なので、
本タイトルの様な表現となる訳です。
何にしても、
捨て置けない状態となりますから、
ひょっとして...と、気付かれた方は、
あにきみたいな業界人に
相談をされた方が良いと思いますよ。
ちなみに、
自己憑依という言葉は、
あにきの造語ですので、
他所で言っても通じませんからね。
悪しからず。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は善い影響力についてです。
【 徳 > 恨 み 】
という図式になると、
善い影響力の方が悪い影響力を
凌駕しますので、
必然的に運気が上がり始めます。
前々回でも話しましたが、
悪い影響力や恨みというのは
誰でもいつでも発する事になります。
これを完封させるのは、
人には無理です。
感情がありますからね。
ですから、飽和的に徳を積む事が
善い影響力を増加させるポイントと
なってくるのですが、
ここで”徳”というものを
ちゃんと理解しておかないと、
増やすに増やせない事に繋がります。
徳をいわゆる善行(ぜんぎょう)と
捉えていると、まず増えていきません。
人に良い事をしましょうの善行ですね。
要となるのは、
人様に善い事をする前に、
自分にとっての善い事をしないと、
そこは実行が出来ないという点です。
誰かを愛したり信じたりするのに
自分に対してそれが出来ない人が
他人に対してなんてまず無理ですよね?
これと同じです。
この理論がそのまま当て嵌ります。
なので、
まずは、自分にとっての善い事を探す、
気付ける様に行動をする。
意識を向ける。
これを”小さい幸せ”というのです。
小さい幸せに気付けなかったり、
この絶対数を増やせないと、
徳の相対数が増える事はありません。
色々な言葉が出てきたので
ゴチャゴチャになっても
つまらないですから、
纏めましょう。
小さい幸せ、徳、厄、恨み
これらが自身や個人間
特定可能な相手に発する
逆に受け取る等のものなので、
ミクロ面になります。
そして、これらが増える事で
増大したり減少したりして、
周囲や不特定で与えるもの
もしくは受け取るものが
善い影響力、悪い影響力です。
ですから、こちらは
マクロ面ですね。
これらが常に循環連動して
乗じて増減するものが
いわゆる運気となる訳です。
なので、
運気を上げたいのならば
日頃から小さい幸せを見付けましょ。
小さい幸せに気付きましょ!
その為の努力をしましょう。
皆さんこんにちは、あにきです^^
前回に引き続き人の影響力についてです。
【 悪い影響力 > 善い影響力 】
という図式が成立してしまうと、
運気が下がる方へギアが入ってしまい
対処をしないと、
どこまでも堕ちていく事になります。
では、どうして運気が下がるのか
というのを上の図式に合わせてみると、
【 恨 み > 徳 】
という事になるからです。
凄く簡単に言えば、
恨みを取り込む量や発する量が、
徳を作る量を上回ってしまう。
こうなると、半ば無理やりにでも
方向を変えないと、
なかなか元には戻りませんし、
度が過ぎてしまうと
自分では気付けなくなってしまいます。
この時に、溜まった恨み類の事を
【 厄 】と言います。
厄がひたすらに溜まっていくと、
運気が下がる道筋となる訳です。
以前に、
👆この記事でも書きましたが、
厄の出処が自分である以上は、
いくら厄払い等をしても、
自身を改善させないと意味が無い
という事に繋がります。
厄除け然り厄払い然りです。
厄が溜まっていくと、
その瘴気に惹かれて悪いモノが
集まり始めてきます。
念、生霊、悪霊、貧乏神、
これらに属する者の眷属。
そして、いつしか自分も
その一部になってしまう。
そうなるのは嫌でしょうし、
おっかないと思いますので、
誰でも可能な厄除け厄払いを
お話します。
一言で表わせば、徳を積めばいい。
小さい幸せ見付ける努力をしましょ。
最早これ以外の方法が無いのです。
けれど、
それでは話が終わってしまうので
もっと簡単な予防策というと、
素直さを失わない事。
素直さを維持させること。
恐らくですが、
これが厄除け厄払いに繋がる
最も簡単で誰でも可能な初期対応。
これだけでどうにかなる
という話ではないですが、
これが無いと自分を見つめる事や
見直す事すら叶わないし、
人のアドバイスも聞く事すら不可能。
そうなれば、何をやっても同じです。
皆さんこんにちは、あにきです^^
人はその場に居るだけで、
周りの人に対して
驚く程の影響力を生み出します。
それはどんな人でも変わりません。
善い影響力も有れば、
悪い影響力も有ります。
これは人に与えるのと同時に
自身も与えられている事になります。
で、あるならば
どうせなら善い影響力を伸ばしたい。
受け取りたい。
そう考えるのが人です。
ですが、
まず考えないといけないのは、
悪い影響力の方。
人は、どんなに善い性格で、
善い行いをしている人でも
一定数の恨みを買います。
同時にこれは、一定数の恨みを
与えているという事にもなります。
『自分はそんな事ない!』と、
思った人も居るでしょうけど、
例えば、
車を運転していて、
自分が信号を通過したら赤になりました。
後ろの車は行けませんでした。
後ろの車はどう思っているだろうか?
もし、急いでいたとしたら...ねぇ?...
では、
スーパーで買い物をしている時は?
家に居る時は?
程度の大きさはどうあれ、
少なからず恨みを与えてしまっている。
これが悪い影響力であり、
自分の意識とは裏腹に勝手に与えてしまう。
これに相反して、
自身から率先して行動をしないと
なかなか与える事がないのが
善い影響力です。
例えば、
身なりや仕草等です。
自分から気を付けてないと
良くならないでしょ?
それと、率先して行動しないと
逆に悪い影響力となってしまう。
これも身なりや仕草で
考えれば分かりますが、
率先しないとだらしなくなったりして、
善い影響には程遠くなりますよね?
つまり、善い影響力というのは、
常に悪い影響力と背中合わせに位置していて
自身が意識していないと裏返ってしまう
表裏一体のものであり、
自ら発さないと稼働しないものなのです。
これが人の持つ影響力。
人に相対する以前に関わる最初のものが
この影響力で、
人の善し悪しの見極めや、
自身の運気の上げ下げというのは、
この先にあるものとなります。
ですから、取っ掛かりとなるこの影響力を
理解してるのとそうでないのとでは、
結果にかなりの差が生じるのは
必然なのですね。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回はお客さんより
お声を戴きましたのでご紹介します。
あにきさん、
インスタ、ブログ記事を
いつもありがとうございます。
『悪口陰口を失くす?』
が、分かりやすく
とても為になりました。
ありがとうございます。
色々と考えながら読みましたが、
ふと気が付いたのですが、
あにきさんのレクチャーと
セッションを受ける度に
家族、仕事場の人間関係が、
スムーズになってきていて
空回り、ミス、トラブル、誤解、
落ち込み、等が最近は、
ほとんどありません。
有り難いです。
陰口、悪口を言うより
相手に直接、
『今度このようにして下さいね』と
伝える方が多くなって来ました。
前は、本人に言えず陰で言ってました
(反省...)
だいぶかわりました。
ミスをしても本当に謝れるようになりました。
生きる事に、気持ちが楽になってきました。
これからも日々反省し、
物事をよく考えて陰徳を積んで
幸せを沢山見つけて
正しい生き方をしていきたいと思います。
ありがとうございます。
以上、函南町Tさんからのご感想でした。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は悪口陰口についてです。
この業界では当たり前と言っても
過言ではない程に言われているのが
『悪口陰口を言ってはいけない』
これですね。
まぁ、広義での論理なら
確かにその通りなんですけど、
これね、違和感を覚えませんか?
この台詞を言う人、
これを押し付けてくる人って、
「何で...悪口陰口が悪いのか?」
「どうして...悪口陰口が悪いのか?」
というのは、結構教えているんですが、
その先の対応対処を教えている人って
少ないと思うんですよね。
何々だから言ってはダメ
これこれだから言ってはダメ。
ここで止まってしまっている。
しかも、一般的に有名な人や
業界的に偉大風な人が、
これを発してたりするから
原理主義的に
それを真に受けている人なんかは
誰誰さんが言っていたから言わないとか、
何だか妙な言葉使いになっていて
逆に怖くなってたりとか、
そういう人に限って悪口陰口は無いけど
モラルやマナーが酷かったりとか
却ってえらいことになっていたりします。
普通に考えてくれれば分かるんですが、
悪口陰口を失くすのなんて無理ですよ。
何故かと言うと、
受け取り方や考え方の違いだからです。
明確な基準が無いでしょ?
明らかにこれは!
っていう悪口陰口もあれば、
人によりけりだよね...
というものも多数ある。
あにき自身もそういう経験がありますよ。
ただ相談をしただけなのに、
悪口を言っていたと、
認識された経験が多々あります。
この経験っておそらくですが
皆さんあるんじゃないかと思っています。
というのも、
あにきSカウンセリングにお越しになる
お客さんでも必ずと言っていい程に
言う台詞がありましてね、
「悪口ではないんですけど、」とか
「愚痴ではないんですが、」とか、
そういう前台詞を使うんです。
うーん...
ご相談にいらしているんだから、
あにきはそんなの気にもしないし、
相談事が悪口陰口認定されるなら、
おちおち人に相談なんて出来ないですよ。
なんで態々そんな台詞を言うのかと、
考えた時に思い浮かんだ答えは3つ。
①,前述のあにきと似た経験をしている。
②,原理主義的悪口陰口排斥運動家。
③,悪口陰口の意味を理解していない。
こんなところです。
①に関しては、
可哀想にとしか言いようがないです。
受け取る側の問題ですからね。
最初から言わなきゃいいという人も
居るかと思いますが、
言わなきゃなんない状況とか、
悪意を持って誘導されてしまうとか、
言ったつもりもない事を
鬼の首を取った様に言う人って、
五万と居るんですよ。
その場に居た訳でも無いのを
後から第三者が「言わなきゃいい」なんて、
無責任な台詞は言えませんよ。
②に関しては、うん、まぁね。
③に関しては、
たぶんこれが一番多い様な気がしてます。
基準が明確じゃないから、
自分以外の人の事を話すのを
全て悪口陰口と認識していたり、
それに類したお考えを持っている。
何にしてもですが、
推論上、
悪口陰口を言わない人なんて居ないです。
受け取り方次第ですもの。
あとは、人前で言ってるか言ってないか
その違いです。
あの人は悪口陰口を言わないね!
という人だって、
一人の時とか家族と一緒の時とか、
分かんないじゃないですか?
悪口陰口の問題はね。
言うのが悪なのではなくて、
誰にでも言うのが悪なのですよ。
口を開けば悪口陰口って人居るでしょ?
そうなると、
聞いてる方も気持ちが悪いし、
気分も悪くなる。
言ってる方は性格も表情も歪んでくるから
信用も信頼も無くなってしまう。
ですがね、
腹が立った時とか、屈辱を受けた時とかに
言いたくなることもあるでしょ?
それを我慢して言わない事が
果たして最善策だと思いますか?
それを鬱病経験者さんとかの前で
言えますか?
あにきは言えませんよ。
それがどれだけ
精神的なダメージを負う事かを知ってますもの
身を以ってね。
悪口陰口ってのは、
自分を守るためのバランサーでもあります。
だからね、言ってもいいの。
但し、
中毒性を含んでいるバランサーですから、
一人言の時も気に掛けないといけないし、
まして人に言う時は
相手をちゃんと視て考えて選んで
キャパシティの大きい人にだけ
辛い時に言えば良いの。
でもね、なかなかキャパシティの大きさや
器の大きさなんて分からないだろうから、
そういう時に
あにきの様な業界人を使うんですよ。
そうしていくとね、
自然と数が減っていくし、
ちゃんとしている業界人であれば、
日頃からの対処法だって教えてくれます。
あにきが普段から言ってる
小さい幸せの事も、
落とし穴回避の事や
貧乏神回避の事、
人の見極めや自分の見つめ方、
そういった面の全てが
この悪口陰口を減らす事にも繋がります。
失くすのではなくて減らすんです。
そして、言った後には必ず反省や
懺悔をすること。
一つでも多く自分にとっての善い事を行う。
人に言ってしまったら、
聞いて貰った事への謝辞を必ず述べる事。
それが守れるなら
言ったって別に良いんですよ。
妙な我慢も不安も考えなくて済むでしょ?
これだって立派な"優しさ"なんですからね。
何事も上手く使う事が大切なんです。