2024年1月31日水曜日

思い出すには(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は前回の続きみたいな内容の
お話となります。





...思い出すには
何よりも素直さ度を高める必要があります。

素直さ度を高める為には、
自分自身と向き合う事が必須となるので、

まずは自身の弱点を認めるところから
スタートする事になります。

その上で、「自分を信じる」事に注力し
「小さい幸せ」を見付ける努力をしながら
「自分を拡げる」様にしていく。

その中で、当然に「他を信じる事」を
理解して行わないといけませんし、

ありとあらゆる点に気付ける様に
努力をしていかないといけません。

この時点で、人を見極めたり
人を見る目利きは出来てると思いますが、

それが本当に出来ているのかは、
自分自身に対する分析でよく分かります。





自分の弱点を認めていれば、
自虐的な台詞を吐いたり、
自虐的な思考となるよりも

「自身の弱点に甘えなかった」

という達成感の方が上回ります。
と、同時にこれで良かったのか?
と、いった確認をする思考も出てきます。

この流れに沿えてる人は、
基本的な人の見極めは出来ていますね。

この様な感じで
素直さ度を高めていく努力を
自らの意思でやっていかないと、
決して思い出すことはないです。

あにきに触れているからとか、
教わっているから思い出せるとか、
そんな訳ないでしょ。

あくまでも
あにきはきっかけでしかないですし、
自分で自分を乗り越えなければ
どうやったって思い出せません。





おまけに、この記事を読んで

「私は消される前に前回を読めた」

なんて優越感を得ている内は、
自分を乗り越えるなんてまず無理ですね。

読めなかった人に対する
思い遣りの欠片も無いのですから。



個人力(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は眉唾らしく
能力についてお話をしたいと思います。





人には様々な能力があります。

霊視したり、予知したり、
視たり視えたり
聴いたり聴こえたり、

言い出したらキリがないですが、
誰でもその力を持っているものです。

ただ、それは個々人で違っていて
伸びる部分も違います。

これをあにきは
「個人力」
と、呼んでいます。

とは言え、
手からビームも出ませんし、
触れずして物を動かす事も
出来ませんけどね^^





一人一人、得ている能力が違っていて
それを今は忘れている状態です。

どうやって思い出すのかも様々です。
自分で思い出せるのか、
誰かにきっかけを与えてもらうのか、

これという物事は無いですが、
条件さえ揃えば思い出せます。

ただ、思い出すだけでしたら、
たかが知れていますし、
何となくで出来る程度でしたら
力とは呼べません。

それを徹底的に伸ばして
自分の意思で制御して初めて
力と呼べるものになるのです。

なので、
ただ視える聴こえる程度で
自分を凄い凄いと言っている人を
あにきは全く評価しません。

そういう人は自分でもその力の
理屈すら分かっていないのですからね。

人と違うという点に優越感を覚えて
鼻を伸ばしている程度の人には
価値などありません。





個人力を思い出して更に伸ばすには

「素直さ度の向上」
「知識の向上」
「愛情の理解度の向上」
「愛の理解度の向上」

これが必須となります。
要は、想いの力を理解するという点が
とても重要になってくる訳です。

その為には、
念の力への理解も必要になりますし、
負の力と正の力の違いも
分からないといけません。

また、善い影響力と悪い影響力の違いや
その効果範囲や伝播速度、

これら意識の具現化における、
科学的に判明している範囲での説明や
その共有など、
思いの外現実的な側面の知識も必要です。

何となくで済ませているから
眉唾物となってしまうのであって、
理解して制御すれば現実となるものです。

個人力とは、
間違いなくそこにある力ですが、
理解と制御が難しいから
眉唾で納まっていますけれども、

そうも言ってられない時代に
突入しているのも、また事実なのですけどね。

あにきのお客さんでもね、
実際に個人力を実感し始めている人が
多くなり始めているのですよ。



2024年1月28日日曜日

前向き思考の獲得法(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回はスタンダードですが
前向き思考の大切さについて
お話をしたいと思います。





日々を過ごしていると、
ふとしたきっかけで悩んだり考えたり
思考迷路に迷いこんでしまう事があります。

別に、
それそのものがマイナス思考
という訳ではないですが、
あまり続けていて良い事でも無いです。

ですが、考え悩んでいると
答えが出ないものだから、
その行為自体が自身を暗闇に
引き摺り込もうとしてしまうんですね。

そして、いつの間にか
答えを出すという目的の為の
手段としての悩みや考えが
1つの答えとなってしまって、
自分を失う方へと進んでしまう。

これが所謂モヤモヤであり、
この流れそのものが思考迷路です。

これを解消させる方法は千差万別
色々とありますけども、
最終的に肝となってくるのが

「前向きな思考」です。





この前向き思考が
モヤモヤに埋もれていったり
搔き消されたり、
常に縷々響いている悩みに
飲み込まれて見えなくなるから
混乱を極める状態となっていくんですね。

で、あるならば、
その前向き思考を維持したり、
少なくとも見失わない様な工夫を
常日頃から行っていれば、

思考迷路に迷い込んだとしても
悪戯に拗らせる様な結果にはならずに済む
という事なんですね。

では、そうする為には
一体どうすれば良いのか?

単純に自身の世界を広げれば良いのです。





自分の世界を広げるというのは、

「自身の認識している世界を広げる」

という意味ですから、
色々な所へ行くのでもアリですが、
実はもっとミクロな視線が重要となります。

悩みというのは、多かれ少なかれ
大なり小なり普段の生活の中から発生します。

つまり、解決の糸口も
普段の生活の中に点在するという事です。

ですから、普段通りの生活をしながら
自分の認識出来る範囲を広げる努力をすれば
自然と世界も広がる事に繋がります。

日々の生活の中で、
意にも介さない物や事象や、
気にも留めない事が多々あると思います。

そこに目を向けるだけで、
認識幅は格段に上がりますし、
何よりも視線が変わります。

視線が変わるということは、
視野が広がるという事ですから、
自ずと世界観が広がるんですね。





いつもと変わらない街や自然が
実はとても広かったり、
そこいらに居る鳥とかにだって
生活サイクルがあるのを見付けたりと、

動植物だけに目を向けたとしても、
スルーしていたものが
まるで動物園や植物園さながらの景色へと
変化する様になります。

これが、

「自身の認識している世界を広げる」

という業であり、

つまりは、
「小さい幸せ」を見付ける努力の
真の意味合いの一つです。

マイナス思考の時にこれをやると
最初の内こそ嫌な面ばかりが見えたり
つまらなかったりしますが、

続けていると
思っていた以上に自分が小さい事に
気が付きます。

そうなった時が、
前向き思考へ転換する機です。

セルフで悩みを打ち消したいのならば、

「意識の方向を自分から視て
超至近距離の外側へ向ける」

思ったほど時間も掛からずに
前向き思考を取り戻せますよ。



2024年1月24日水曜日

ちょっとした恨み(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は自分本位の反動と
対処法について
簡単にお話をしたいと思います。





ここを読んでいる方は
思い遣りが多いと思いますので
関係のない話になるのですが、
自分本位な業をすると割と簡単に
恨みを買います。

自己中心的な行動というのは、
自分が注意をしていても
思わぬところで出てしまうものです。

特に、こういう点に自信がある人ですと
尚の事、油断しがちな場面が多いです。

その中でやってしまいがちな事が
相談に乗ってもらった後の行動です。





貴方が信頼出来る相手に相談をした際、
真面目に考えてくれる方であれば
何らかしらの答えを出してくれます。

それが的を得ていなかったり、
実現不可能な内容であれば別ですが、

今すぐにでも実行可能な内容や
無理のない範囲での正論とか、
もっともな意見であった場合に

そこで貴方がその意見や返答について
賛同をしたにも関わらず、

なんやかんやと理由を付けて
行動に移さなかった場合、

相談に乗ってくれた人の想いは
どうなるでしょうか?





ここのポイントは、
貴方の相談に対して相手さんが
思い遣りで返してくれている点です。

その場では自分一人ではないので
強気にもなりますから、
「頑張ってやってみる!」と、
賛同をしたとしても

いざ一人になると怖気づいてしまったり
余計な事を考えたりして
やると言ったにも関わらず
実行に移せないという人もいます。

この場合、
貴方は相手の思い遣りよりも
自分の抱えている不安や
恐怖といった気持ちに甘えて

自身の意見を優先させている訳ですから、
自分本位な状態になっていると言えます。

つまり、相談相手への裏切りですね。
そうなってしまうと、

【 他への辱め 】

という八罪の一つが成立しますから、
必然的に相手から恨みを買う事になります。





こうなると、
このマイナスを相殺させるのに
それなりの善き業をする必要が出てきます。

とは言え、程度の問題ですので
この位でしたらどうという事は無いのですが、
気を付けないといけないのは、

この手の下手を打ってしまう人は、
違う場面でも思いの外、
自分本位となってしまっている事が多い
可能性が高いという点です。

これは「覚悟」の問題が大きいのです。
人に何かをしてもらう時というのは、
そこに甘えるよりも、
自信の覚悟を決める必要があります。

その意識が低い場合は
自信への甘えが強くなりますから、

「自分に打ち勝つ」

という事が叶え難くなってしまうのですね。
そうなると、こういった
ちょっとした恨みが積もっていって、
いつの間にか貧乏神路線へ進んでしまう。

どんな時でも自分の意識の方向を気にしつつ、
覚悟を決めて行動をする。

それが運気UPにも繋がりますし、
幸せの方向を決める事にも
なってくるんですね。



2024年1月22日月曜日

正の力に必要なこと(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は正の力について
お話をしたいと思います。





万物には正の力と負の力が存在します。
スタンダードな表現をすると、

正の力=「想いの力」
負の力=「念の力」

となります。
もう少し掘り下げて種類を
考えてみましょう。

想いの力とは、
愛、愛情、思い遣り、集中、友好、断言

念の力とは、
恨み、嫉妬、殺意、散漫、敵対、優柔…

という感じです。

この様に文字に起こすと分かり易いですが
正の力は相対的であり、
相手と向き合い事を成す力で、

対して負の力は一方的であり、
自身の中で混沌を成す力です。





正の力は
「相手と向き合って事を成す力」ですから、

「自身の決定を信じつつ、
相手の意を汲み前に向く」

という点が重要となってきます。

相手に負の力が多い場合、
もしくは、多くなりつつある場合、
そういったケースの場合に

自身が理解していなかったら、
反発しか生まない事になるので
相対的ではなくて一方的な業となり、
それは正の力ではなく負の力となります。

なので、
正の力を扱うには必然的に負の力も理解して
自身に備えておく必要がある訳です。

つまり、正の力を存分に発揮するには、

「正負のバランスを常に意識して、
負の力を飼い慣らす」

と、いう思考が大切になる訳ですね。
必要であれば負の力も使えるし、使う。





正の力を扱うのに負の力を全面排除すると
結果として、
愛情欠落【バランスブレイク】を
引き起こしてしまう訳です。

そうなると、本来の正の力が反転して
心に隙が生じてしまい、
厄を誘い込む事になり、
負の力へと転じてしまう。

バランスブレイクについては、


こちらでも書いています👆





要するに、
綺麗事ばかりを並べて正の力を強調しても
負の力に恐怖して排除をしても

どの道、
宜しくない方向へと進んでしまいますから
負の力を認めた上で、共存をする。

これが出来ないと正の力を正の力として
扱う事は難しいという訳なのですね。

ですから、その器たる自分自身に至っても
自分の汚い面に蓋をするのではなくて
ちゃんと見つめて理解して
認めてあげないといけないのです。

綺麗事ばかりを言ってるスピ系の人に
言ってる事とやってる事が真逆の連中や
貧乏神が多い理由が分かるでしょ?

ちなみにですが、
負の力に溺れた場合や負の力を主に扱う場合は
正の力の事なんぞ考える必要はありません。

そもそも考えられないから、
負の力に溺れているんですからね。



2024年1月21日日曜日

想い返し(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は想い返しについて
お話をしたいと思います。





前回お話をした念返しが
負の力とするならば、
「想い返し」は、
正の力を使う事です。

相手から受け取った想いに対して
想いに則って返答や返礼を行い

素直さ度や愛情の理解度を高める事で
結果として運気UPに繋がる業が

「想い返し」です。

そして、想い返しは何か特別な事を
するという訳ではなく、

相手から何かを得たら「ありがとう」
相手に何かをしてしまったら「ごめんなさい」

こういう普通の事を普通にする事が
想い返しの基本です。





とても簡単でいつでもどこでも
誰でもすぐに出来るのが想い返しの利点ですが、
注意点も当然にあります。
何かと言うと、相手は人だけでなく

「万物様々な存在が対象」だということ。

万物なので、動植物のみではないです。
勿論、目に見える存在のみでもないです。

ここで問題となってくるのは
皆さん相手を人中心で考えてしまい、
「その他の存在に対しては同じ様に出来ない」
という点です。

人のみに対して行っていても
当然一定の効力はありますが、

人中心で思考し続けていると
視野が狭くなってしまい、
人以外の万物に対する想い遣りが

どうしても薄くなってしまい
万物からの恨みを買いやすくなります。





では、
どうして万物に対して同じ様に出来ないのか?
それは、

「社会的エゴイズム(俗欲)」
「自我」
普通に邪魔をするからです。

俗欲というと難しいのですから、
世間体と解釈すれば分かり易いかと思います。
自我は自分の意識ですね。

「(周りから)変に思われる...」
「恥ずかしい...」
「本当にそこに居るのかな?...」
「見えないし...」「聞こえないし...」

等々、色々と考えてしまってやれなくなる。
気持ちは理解出来ますが
これって、全て負の思考ですよね。

正の力を使って
素直さ度や愛情の理解度を上げて
結果として運気UPに繋げられる
とても簡単な業なのに、

自分自身が最大の障壁となる。





「人は人のみで生きている訳ではない」
「人は独りでは生きられない」

とても簡単な業ですが、
この考えを理解できないと難しいのが
想い返しです。

現在、
普通に生活していて便利になった反面、
根本的な事を忘れてしまっているのが
今の我々です。

感謝をしなさい、敬意を払いなさい
謙虚になりなさい、
色々言っていても、その相手は誰ですか?

そこに対する考えが浅いから、
中々自分という壁を越えられないのですね。

ほんの少しだけ、視線を変えて
視野を拡げて、耳を澄ませてみれば、

貴方は色んな存在からの想いの力を受けて
人として生きているのだと、
口で説明は出来なくても
肌で実感は出来る筈です。





そして、
それは負の力とも常に背中合わせで
張り合っているのではなく
「共存」しているのだと分かると思います。

どうしても負の力を忌避して、
正の力を全面的に頼りがちですが、

それは
虹に見惚れ過ぎて
反対側を視ていないのと同じです。

正の力も負の力も
どちらも大切な構成要素です。

忘れないで下さい、
想い返しをする時は
「必ず相手を特定すること」。

正の力と負の力の

「バランス」と「制御」を
必ず意識すること。

想い返しをしていても、
貴方の器が小さくなると
想いの力の裏側にある念の力に
飲み込まれますからね。



2024年1月20日土曜日

念返し(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は想い返しの対となるものについて
お話をしたいと思います。





人は自然と念を飛ばしています。
つまり、恨みですね。
これを飛ばしていない人は
絶対にいません。

恨みというと怖く感じると思いますが、
それは無知で無防備だからであって、
どんなものかを知ってしまえば
別に怖がるものではありません。

何せ自分自身も出していますからね。

自動で出している念は、
特に相手を特定せずに飛んでいきます。
近距離であったり広範囲であったり
様々にはなりますが、

人一人が飛ばす念の量は
大した量ではないので問題になりません。

ですが、中には相手を特定して
念を飛ばしてくる輩もいます。

妬み、嫉み、辛み、僻み...

様々な負の感情を以って
うらめしや~...と、飛ばしてきます。





これだけ聞くと怖いでしょうけど、
よく考えてみて下さい。
そんなしょうもない感情を
飛ばすという事は、

話し相手も居らず、
人にも家族にも相手にされず、
剰え自分自身も信じずにいるような
独りよがりの権化みたいな相手です。

小さい幸せを見付けられて、
日々明るく愉しく元気に過ごしていて
問題にもちゃんと向き合って、
色々な存在に感謝と敬意を払いながら
毎日を過ごしている貴方と比べたら、

本当にちっぽけなものなんですよ、
念っていうやつは。

それを分からないからと言って、
無条件で怖がったりするから、
恐怖心が増大して面倒事になり
果ては自分の運気を下げてしまう。

つまり、自分自身で悪化をさせている。
という事になります。

特定してやって来る念ってやつにはね、
本来は恐怖心よりも
怒りが先に込み上げて来るものなのですよ。





さて、
その相手を特定して送ってくる念ですが、
実は分かり易い特徴が出ます。

何かと言いますと、「痛み」です。

特に持病や古傷等を抱えている人なら
本当に分かり易くてですね、
その箇所がじりじりと痛むんです。

痛み止めを飲んでも効きが悪いので
病院に行く人も居ますが、
このケースですと
特に悪くないと言われる事が主ですね。

イメージとしては、持病の箇所に
念が纏わりついている感じを
思い浮かべてくれれば良いです。

灰色のモヤみたいなやつです。

それが作用して痛みを生むんですね。
そりゃお医者さんも「?」となります。





で、この念ですが、
「相手を特定して送ってくる」
と、書きましたが、

特定してくるという事は、

「受け手側でも特定が出来る」

という事になります。
科学的に言えば「逆探知」ですね。

これは難しく聴こえるかも知れませんが、
然程難しくはありません。

必要なのは、
普段の感覚を憶えておく事です。

例えば、
あにきは首と腰にヘルニアを抱えていまして、
日頃から使い過ぎると痛みが出ます。

また、片頭痛持ちでもあるので、
これも同様に日頃から痛みが出ます。

この痛みの箇所と痛みの種類、
痛み止めの効き等を詳細に憶えておくのです。

自分で分かればいいので、

「ここ!」とか、「あそこ!」とか、
「横らへん」とか、「中の方」とか、
「これをすれば治まる」とか、
「こうなると痛くなる」とか、

こんな感じで感覚を詳細に憶えておきます。





実際に念によって痛みが生じた場合は、
この全ての物がズレて痛みます。

例えば、首が痛い場合ですが、
痛いのは首なのですが、
「いつもは後ろなのに、横が痛い...」

みたいな感じです。
酷いのであれば薬も飲んでみます。
痛みが無くなる時間になっても
無くならない場合で、

特に痛くなる要因が思い当たらない場合は
念を疑って大丈夫です。

お医者さんへ行って問題なしと言われたら、
尚の事、疑っていいです。

今度は念の発生源の探知ですが
これは思いの外簡単でして、
目を閉じて痛みの箇所に意識を集中させます。

すると、自然に相手のイメージや
名前が声や形で浮かんできます。

日頃から小さい幸せを見付けている人なら
殊更、余裕で可能です。
感覚が広がっていますからね。





そうして、特定が出来た場合は、
必ずムカついてきますので、
反撃開始です。

イチイチ声に出す必要は無いですが、
慣れない内は声を出した方が楽です。

「ざけんなっ!」とか、
「こんにゃろー!!」みたいな感じ。

と、いうのを相手をイメージして
確実にぶつける感覚で言うなり
思ったりします。

纏わり付いていたモヤを
お急ぎ便でお返しする感じです。

ビックリするほど簡単に痛みが取れますし
倦怠感などであれば、
嘘のようにスッキリします。

これが「念返し」です。





念返しをされた人は、輪を描いたように
具合が悪くなります。
もしくは、運気が急降下します。

分かっててやってるんですから、
同情の余地はありませんね。

念返しを行った人は、
小さい幸せを日々見付けている人なら
特に何もする事はありません。

念返しは負の力も使いますが、
常日頃から小さい幸せを見付けている方なら

圧倒的な数の徳を積んでいますから
この程度なら余裕で大丈夫です。
副作用すら起きません。

特に何もしていない人がやると
堂々巡りとなってしまい
結構大変になりますので気をつけて下さい。

さて、この首の痛みの首謀者へ
色を付けてお返しするとしましょうかね(笑)。