2023年12月31日日曜日

あと少しで新年...

皆さんこんにちは、あにきです^^





本年も大変お世話になりました。
色々な事があった一年でしたが、

善き一年だったと
心から思える令和5年でした。

新年も何卒宜しくお願い致します。

それでは皆さん、
善いお年をお迎え下さい。


2023年12月29日金曜日

新年だけの挨拶(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

暮れも差し迫って参りましたので、
今回も新年へ向けての
お話をしたいと思います。





お正月という事で、色々な場面で
挨拶をする事が多くなりますが、

その中で
『新年だけの挨拶』
をする方がいらっしゃいます。

「明けましておめでとうございます」

とか、そういう意味ではなくて、

普段は連絡も何もして来ない、
会う事も無い、話す事も無い、
というか、自分の事に感け過ぎて
完全にこちらを忘れている。

それにも関わらず、
さも普段から考えていますよ、
忘れていませんよみたいな感じで
してくる挨拶の事です。





昔であれば、ここまで情報化や
連絡手段が発達していませんでしたから
自然と新年に連絡を取ろうと
年賀状等の意味がありましたが、

昨今の情報伝達手段の発達において
文化的継承や趣味など以外で
その意味合いは消失していると、
あにきは感じています。

そういった中で、
普段は足跡一つ残さない人が
あーだこーだと理由を付けて
挨拶をしてくる事があると思います。

あにきの所も例外ではなくて、
例えば、仕事の面に限定をしますと
普段セッションなどには来ないのに、
それっぽい挨拶だけは送られてくる。

決まって一言追加されていますが、
新年からそんな言い訳を聞かされて
気持ちが良いとは思いません。

寧ろ、
ご自分の事やご利益の事しか
考えていないのだなと
よく分かる一文ですので、
明らかなマイナスとなる訳です。





以前もお話をしましたが
思い遣りというのは、
思いを遣り取りするから
「思い遣り」なんですね。

普段よりそれが欠けている人から
それっぽい定型文を貰っても
一言で表わすならば
不快でしかない訳です。

新年早々にそういった
自己中心的な自己満足な
行動を取れるのも
貧乏神や貧乏神候補生の特徴の一つです。

逆に言えば、
そうなりたくなければ
普段よりちゃんと思い遣りを
持っていればいいだけなんですね。

そこら辺の見極めも大切になってきます。

もし、ご自身の中で、
そういった方から「新年だけのご挨拶」が
送られてきた際に、返答をするよりも、
スルーしてあげるという対応も
決して間違いではありません。

礼儀に反すると思われるでしょうけど、
それは普段から
「まともなお付き合いが出来れいれば」
のお話ですよね?

貧乏神と同族認定されたくなければ、
スルーしても何ら問題なぞ無いのですよ。

新年を気持ちよくスタートする為の
断捨離の一つですね。


2023年12月26日火曜日

さぁ、一年を振り返ろう(運気UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今年も一年を終えようとしています。






昨年のこの時期に、
お正月へ向けての記事を幾つか
認めさせて頂きました。


マイ神社は選びましたか?
初詣は如何でしたか?

あにきの話していた参詣法を
お試しになられた方限定となりますが、

今年一年を振り返ってみて、
如何でしたか?善きでした?

ご自身の魂の格(霊格)が
どれほどのものだったか...
実験してみてどうでしたか?





セッションやレクチャーを受けられつつ
小さい幸せを見付ける努力を
日々頑張っている方々は
そこそこ納得されたんじゃないかなと
思っています。

実際に、
運気が鰻の滝登りになっている方からの
ご報告も頂いていますからね。

勿論、皆が皆とは言いませんが、
ここで大切になってくるのは、
あにきがどうのこうのではなくて、

素直にきっかけを掴んで
ちゃんと信じるという事に徹して、
伝える汲み取る事を頑張って、
勇気を用いて半歩でも前に踏み込んだ方は

この一年間で、大なり小なり
「確実に結果を残せた」
という点です。





何となく歳の瀬を過ごすのではなくて、
この一年という年月を通じて
回顧と反省をして次へ繋げる。

善きだった方も、そうでなかった方も、
ちゃんと省みる事が重要です。

そして、一年という長期間
頑張った自分をしっかりと褒める。

普通に一年と言うと
長くも短くも感じますが、
太陽の周りを一周してきた期間です。

距離にして大体
942,000,000km
このぶっ飛んだ距離を

時速約110,000kmで
グルっとしてきたのが
1年間という期間です。

普段はあまり実感しませんが、
とんでもなく長い距離で長い時間が
一年なんですね。

この間を、
一生懸命に頑張ってきたのが
誰でもない貴方なのですから、

ちゃんと褒めてあげないといけないよなぁ!
って思えるでしょ?





と、同時に、
「下らない事で無駄に出来ないな!」
と、思えた筈です。

思い遣りを欠いて自分に甘んじたり、
何も信じないと意固地になったり、

その結果、

ちゃんと視たり聴いたりが出来ないから
自分の殻に更に閉じ籠ってしまって
人の厚意を無碍にして恩を仇で返す。

そんな人の流れを
先述した「確実に結果を残せた」方々は、

客観的に見聞きして
反芻する事が出来たからこそ、
無駄には出来ないと感じられたのです。

云わば、
貴方の努力の結果なのですよ。

運気というのは、
決してアバウトなものでもなければ
物に頼るものでもないし、
ギャンブル性のあるものでもなくて、

ご自身の努力一つで
必ず上向きにする事が出来るもの

という事を、
改めて実感されたのではないかなと
あにきは思っています。





で、もう一度聞きますが、
実験はしてみましたか?

今年やらなかったのなら、
せっかくですから、
来年はやってみたら如何ですか?(笑)


2023年12月25日月曜日

自分の役割に忠を尽くす(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回はあにきの考え方についてです。





持って生まれた自分の能力を
どういった面で誰の為に使うのか?

仕事だけなのか?
プライベートでもなのか?

あにきと似た体質の人は
凄く葛藤するのではないかと思います。

よく耳にするのは、
自身の能力について
「オンオフを切り替えてる」
という話です。

「疲れるから」とか、
「大変だから」など、

様々な内容で話には聴きます。
かく言うあにきも昔は場面場面で
オンオフ切り替えをしていましたが、

今はずっとオンです。
生まれ持った能力ですし、
体質ですからね、
下手に切り替えるよりも
こっちの方が普通なので疲れないんですよ。

自分がちゃんと世渡り出来てれば、
何も悪戯に人様へ合わせる必要なんて
全くないですからね。





そうなると、
どうしても公私混同という言葉が
頭を過ると言いますか、
色んな方から
「仕事じゃなくても浄霊とかするの?」
「アドバイスとかするの?」
みたいな事をよく問われます。

確かにそうなんですよね。
公も私もあったもんじゃない様に
思える筈ですし。

結論から言うと、
仕事じゃなくても浄霊するし、
アドバイスとかもしますよ。

ただ、一線は引いてます。
あにきの仕事は
一般的には目に映らない仕事なので、
そういう意味では分かり難いですが、
話し方や内容でちゃんと線引きしています。

でないと、
態々お越し頂いているお客さんに
申し訳が立たないですからね。

ただ、例外も二つばかしありまして、

1つはお化けからのお願い。
もう1つは自分の役割に則した事象。





お化けからのお願いなんて
不思議でしょうけれど
年間通じて地味に件数がありまして、
その内容も多岐に渡ります。

自分を向こうの世界へ送ってほしいとか、
変な霊が居るからどうにかしてほしいとか、
お墓を直してほしいとか、
お話ししたいとか、

死んでるだけで人ですから、
生きてる人と似た様な話もあれば、
死者ならではみたいな事も多いです。

中には無理難題を
吹っ掛けようとする奴も居ますが、
そういうのは相手にしないか、
立場を分からせた上で
逆に無理難題で返します。

そんな奴に答える義理なんて
これっぽっちも無いですからね。





これらとは違い、
自分の役割に則した事象というのは、
簡単に言えば仕事ではないけど
突き動かされる事とか、

巡り巡って仕事に活かされる様な事、
教える人として必要なこと。

という感じの出来事ですね。

これも年間通じて大なり小なり
そこそこな件数があります。

2023年12月25日現在での
直近ですと、
とある施設の悪霊祓いになりますね。

ここで事象の詳細は書けませんが、
そこそこ重たい内容です。
実際に、この1か月で2人が
憑り殺されていますからね。

名誉もクソも無い話で
馬鹿らしく聞こえると思いますが、

自分の役割に忠を尽くすというのは、
こういう事すらも愉しむという事ですからね。

皆さんも、自分の役割に則した場面に
出くわす事が増えてくると思います。

その時は損得勘定ではなくて
愉しむ事を考える様にしてみて下さい。
必ず道が開けますから。


2023年12月22日金曜日

運気と素直さ(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は運気と素直さについて
少しお話をしたいと思います。





皆さん様々な理由で運気を上げたいと
考えていると思います。
今が嫌だからとか、駄目だからとか…

どんな理由でも良いのですけど、
利己的になっている内は、
運気なんてものは上がりませんし、
ましてや、
自身の思った事が叶うなど
決してありません。

何故かと言うと、
あまりに利己的、
自己中心的な思考となっているので、
そこに「素直さ」が欠如しているからです。

早い話、
心が載っていないという意味です。





心が載っていない。
つまり、薄愛となっている。
愛情欠落が起きている。
自分の事ばかりを見て周りを見れていない。
愛情よりも欲が勝っている状態。

利己的だったり、自己中だったりするのは
こういう状態になっていると言えます。

これをもっと簡単に表すと、
「素直さが低い」状態と言えるのです。

素直さというのは、
人により元々持っている量が違います。
それが、生きていく中で
増えたり減ったりするのですが、

基本的に今の現世というのは、
素直さが低い方が生き易い様になっています。
どうしてかと言うと、

常々お話をしている通り、
思い遣り(愛や愛情)よりも金(俗欲)
多>個という状態になっているからです。

この状態でいると、
「周りに流された方が楽チン」
という形になりますから、

素直さが増えるよりも、
減っていく方が圧倒的に多いです。





ここで、自分の素直さが減っている事に
気付ける人と気付けない人が
出てくるのですが、

気付ける人はまだ素直さを
元に戻したり増やしたりする事が可能です。

何故かと言うと、
このパターンの方は日頃から
素直さという点に於いて、
何とも言えない違和感を覚えているからです。

相談に乗るという行為が
分かり易いと思います。

元より素直さが高い人というのは、
相談事を受けた時に、
自然と真摯に向き合えます。

相談をされたので真剣に考えて、
時間が掛かっても答えを出そうとしたり、
気に掛けてあげたりします。

ですが、当の相手は
ただ話したかっただけとか、
言いたかっただけで、
酷い時は相談した事すら
覚えていなかったりする。

そんな最中、後日に話したりした時に
小馬鹿にされたり、辱めを受けたりする。

「元より素直さが高い人」というのは、
大なり小なりこういう経験をしています。

なので、
「素直に考える自分」と
「考えても意味が無いと思う自分」が
存在しているから、
それを違和感として抱えている事が多いです。





では、逆に
自分の素直さが減っている事に気付けない人は、
どういう感じかと言いますと、

どの様な局面であったとしても、
最終的な判断は、俗欲的価値観となります。

金銭的な面だったり、
世間体的な面だったり、
「相手がどう思う?」とか、
「こうしてあげたい!」などの気持ちよりも

「自分だけは助かりたい」
「(この場から)逃げ出したい」
「自分は損をしたくない」
みたいに利己的な感覚が主となるので、

そもそも先述した様な違和感を
覚えていないとか、消し去ってしまうのです。

これでは、素直さを増やすなど
土台無理な話です。





素直さが足りていないと、
人の話をちゃんと聴いたり、精査したり
また、人に話をちゃんと伝えたり、
人の事をよく視たりする事が
出来なくなってきます。

運気を上げるには、
信に徹するという業が必要になります。

自分も相手も信じる、それに徹する。
そう出来る様に努力するという意味です。

それには素直さというのが必須となりますが、
欲が勝っている以上は、
他者は疎か、自分を信じる事すら出来ません。

神聖な場所へ行こうが、人と話そうが、
神秘体験をしようが、
奇跡を目の当たりにしようが

それを受入れられないという事ですからね。
どう足掻いても運気なんぞ上がらないのです。

それよりも逆に恨みや念が募っていき
やがては貧乏神へと堕ちていく。

そろそろお正月です。
気になる方は、
初詣などでご自身の素直さの高さを
試してみるのも良いかも知れませんね。



2023年12月17日日曜日

本物と呼べる人(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、あにきから視た
本物と呼べる教える人の特徴について
一部をお話をしたいと思います。





ー現状把握能力ー

まず第一に、
自身の置かれている状況や
世間や社会というものを
ちゃんと理解しています。

その分野に詳しいのは当たり前ですし、
それが間違いではないと
しっかりと信じている反面、

自身の体質やその経験が
マイノリティというのも
充分に理解しているので

現実的過ぎるほど現実的な思考も
持ち合わせています。





ー多角的視点による思考ー

ですので、多角的な視点と
様々な分野の知識量が多いです。

例えば、霊的な方面での教える人は
霊的な物事に詳しいのは当たり前として

社会的分野や国際的背景、
経済的側面や軍事的分野などなど、
多岐に渡った知識を有しており
造詣が深いです。

また、一般的に話されている
論理的ではないオカルトや都市伝説などは
重視する事がなかったり、
完全にフィクションとして理解する
傾向が強いと思います。

つまり、
何でもかんでも霊的なものへ繋げる
と言った短絡的思考が無く、

様々な現実的背景や歴史的動向、
社会情勢、国際情勢などを鑑みて
説明をしてくれます。





ーリテラシーの見極めー

前項の様に、分析解析が常なので
問い掛けに対する説明が分かり易いです。

また、比喩表現や現実的な物事や
科学的、医学的な用語など、

普段の生活で慣れ親しんだ言葉を使い
自然と受け入れられる工夫をしてくれます。

その中で、
猜疑心の強い人や疑義的な人に対しては、
言葉を受け取る程度を瞬時に見極めて、

ある程度の望みがあれば
更に嚙み砕いて分かり易く話し、
望み薄であればお互いの為にも
全くと言っていい程相手にしません。





ー死と孤独と思い遣りー

人生の中で人の生死に関わる事が
多い傾向にあります。

職業としての関わりもありますが、
人生経験として自然と関わる事も
多々あります。

生きる死ぬという事象を
自身の中で明確に理解しているので、

生きる愉しさ死の悲しさを持ち得ながら
死への恐怖心など一般的な思考からは
数歩離れています。

また、人生経験が人並以上なので
孤独を経験しながらも、
一人では生きられないという事も
ちゃんと理解しています。

なので、
常に思い遣りを胸に抱えていますから
向ける相手への区別も明確に出来ます。





ー愛情と愛への理解度ー

漠然とした言葉としての
愛情や愛を話す事は無く、

目に見えない愛情や愛を
目に見える形のものとして分かる様に
話して施す程度には愛情と愛の
理解度が高いです。

よって、心や意識という存在への
理解度も高いものとなっているので、
意識の共有や意識の物質化などについても
説明が出来る程度には理解しています。


とまぁ、あくまでも一部なので
こんな感じですが
最も顕著な特徴として、
明確なカテゴリーが本人には無かったり、
生業を持っていたりする事が多いです。

霊能者だぞー!とか
スピリチュアリストだぞー!
みたいには、なっていないという意味です。

かく言うあにきも、
ピッタリのものが無いから、
とりあえず
スピリチュアルと言ってるだけですしね(笑)


2023年12月16日土曜日

人の断捨離ワンポイント(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今年も暮れが近付いて参りました。
人も物も気持ちよく断捨離を
進めている事かと思いますが、

今回は人の断捨離についての
基準と言いますか、
最も分かり易く、
最も誤認し易いポイントについて
お話をしたいと思います。





人の断捨離がどうして必要なのか?
そもそも断捨離とは?

という点については、
これまでの貧乏神系の記事で
たくさん説明をしていますから、
そちらを参照して下さい。

記事下の Labels ってとこにある
貧乏神をタップすれば
貧乏神系記事ばかり出てきます。

さて、要らない人をぶった切るのに
見極めないといけないのですが、

その最も顕著なポイントというものに

「謝れない人」

というのがあります。





「謝れない人」
読んで字の如く、謝れない人で、
典型的な貧乏神の特徴です。

謝っていないので
簡単に分かりそうなものですが、
あの手この手で
謝っている風の態度や言葉を使って、

皆さんを惑わしてくるのがポイントです。

つまり、あなたの優しさや思い遣りを
逆手に取って、
謝ったと誤認させてくる
という意味ですね。

そこで、あなたが
間違った優しさを出したりすると
あっという間に誤魔化されます。

ですが、
見極めるのはとても簡単でして、
まずは相手をよく視る事。

そして、
感情を入れずにちゃんと話を聞きながら
その言葉の意味を考えること。

少なくともこの2点を試してみて、
謝るということをしていない場合は、
断捨離しましょうね。

そばに置いていても、
全くあなたの為にならない存在です。





この手の人に対する
もっと細かい見極め方やパターン、
対応策までも既にちゃんと存在しています。

ですが、
簡易的な見極めであれば
先述した内容で充分です。

謝れない人…
もし、あなたの周りに居るのなら、
年の瀬ですからね、いい機会なので
電話帳から消してあげましょう。


2023年12月11日月曜日

愛情の意味(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は以前に書いたストーリーズの
アップグレード版です。





色々な手法で皆を救いたい場合は、
まず、身近な人に心血を注ぎます。

お構いなしに
風呂敷を拡げるのではなく、
ちゃんと聴いてくれる人、
自分を理解してくれる人に対して
真摯にそして、堂々と話をします。

そうする事によって、
意識の質が一定に保たれますし、
何よりも分かり合えたという喜びが
心の中に根差していきます。

その喜びを小さい幸せと定義した上で、
それが各々個人に繋がっていくと、
野川の様に広がっていきます。

一人が10人、10人が100人...

やがて、その小さい幸せは、
意識の共有によって現実化していき
大きい幸せへと変貌を遂げます。





これらの流れを知っていて、
傍観つまり何もしないとか、
見て見ぬ振りを続ける
伝える人なのに伝えないという事は、
幸せの独り占めと同意義ですし、

信じる事も、伝える事も、汲み取る事も、
剰え踏み込む勇気すら持たない
という事になりますから、
向こうの世界の基準に照らし合わせると
罪となるのです。





その上、
「自分はまだまだ...」等と言い訳をして
謙虚さを盾に何もしないのなら、
それは、
「思い遣りを忘れてしまっている」
と、言い切れます。

行き過ぎた謙虚さ、過剰な謙虚さは
行動を阻害するだけのものですから、
決して善いものではないのです。

謙るのは一度でいいんですよ。

そんな動きをしていれば
当然に小さい幸せは見付からないですし、
数々の意識をする事も不可能ですから
瞬間瞬間を愉しむという事も出来ない。





人というのは、
お互いに失敗をしながら反省を重ねて、
助け合って救い合って
成長をしていくものです。

その為に必要な気持ちが思い遣り。
今自分の周りに居る全ての存在、
人・動物・虫・物・植物・鉱物・霊体
万物全ての存在に対して
その思い遣りを向けて形にしたものを
愛情と言います。





愛という字は
手で受けて、心を添えて、足で運ぶ、

情とは、
互いの心を天の如く青く染める(広める)
と書きます。

それらを合わせた心情を
『愛情』とわざわざ表現してくれている
日本語の素晴らしさと、

先人…我々のご先祖様達の紡いできた
思い遣りを理解して活かす事こそが、
我々のやるべき事ですし、
ステップアップに必要なことなのですね。