2023年2月26日日曜日

怖いはずの心霊現象が...

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回は心霊現象についてお話しますが、
全く怖くない話です。

と、言いますのも、
あにきの所にお話を聴きに来られる方々が
実感されることを代弁してみようかと
思いました。




誰にでも言える事なんですが、
お化けや不思議な事や心霊現象を
目の当たりにしたり感じたりすると、
ゾワゾワーっとしたり、怖かったりするのが、
当たり前の反応だと思います。

これは、あにきの所へ来て下さるお客さんも
同じなのですが、複数回お越しになっている
リピーターさんや、特に
運気UPのためのレクチャーを受けて下さっている
お客さんは、この現象に対する「こわい!」って
反応がほぼ消え去ります。




それは、どうして怖いのか?というのを
あにきが淡々と懇切丁寧に説明をするってのと、
ただ説明をするのではなく、
ちゃんとした理屈を一から徹底的に教えるから
なんですね。

その上で、無闇矢鱈と怖がる事そのものが、
自身にとって最大のデメリットだというのを
お客さんが知っていくからです。

そして、何が本当に怖くて、何が怖くないのか?
これが、「正しく知って、正しく怖がる」ということ。




人によって恐怖心の無くなるペースは様々ですが、
レクチャーの5~6回目くらいになると、
一般的な心霊現象に対する恐怖心は
ほぼ無くなっていると言っても過言ではないですね。

その頃には本当に怖いのは何なのか?
何を気を付けなくてはいけないのか?
という方へ意識はスイッチしていますし、

お客さん自体が運気のUPも実感し始めているので、
自ずと理解しちゃっているって感じです^^




今までは怖い話とかを聞いたりすると、
ヒエッ!!って、思っていた方も、
この頃になると耐久性の方が上回っています。

また、実際に霊現象に会いやすい方で、
物凄く怖がって怯えていた方でも、
もう少し回を重ねると、

「これはどういった現象なのか?」とか、
「善いお化け?悪いお化け?」とか、
「あ、生霊の話ね!」とか、

面白いくらい冷静に分析を開始します。
当のご本人もそれは驚かれていますね(笑)。




そして、この内情の変化が、
実生活や仕事での変化にも繋げられて、
即実践ができる。というか、自然としている。




っていうのを、どうやらお客さんも
感想として文章化したいらしいんだけど、
どうにも伝えにくい( ;∀;)

って話を以前から数件戴いておりましたので、

「こんな感じで良いのかなぁ?(゜-゜;)?」

と、思いながらも書いてみた次第でございます。

2023年2月25日土曜日

自分を信じるという意味

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回も人を見極め事に繋がる話です。
普段からセッションを行っていて、
とても多いなと感じるのが、

「自分を信じる」

という意味を理解していない人の多さです。




自分を信じるというのは、
そのまま解釈をすれば説明もクソもないんですが、
どうしてか、

「自分だけを信じる」「自分以外を信じない」
「自分の中に引きこもる」

と言った解釈をしている方が多数見受けられます。

はじめまして!
で、お話しする人でこういう解釈をしている方が
結構多くて、大抵の場合すぐに指摘されて
ハッ( ゚д゚)ハッ! っと、気が付いて目付きが変わります。




ですが、中には何回話しても理解が出来ない人もいます。
そういう方の特徴は分かりやすくて、
必死に
「みんなが理解してくれない」とか、
「(周りを)良くしたいだけなのに理解されない」といった
言動を終始繰り返します。

これって、完全に自分の中に引きこもってしまっていて、
外界をシャットアウトしている状態なんですね。

そのシャットアウトも、
本人が原因というのを認められないので、
そこを突っ込むと、周りが悪いという返答をしてきます。

つまり、自分は悪くない、周りが悪い。
けど、その体裁をも隠そうとするので、
誰も悪くないみたいな言い方を貫きます。

話をしていると分かるんですが、
被疑者無き被害妄想なんですね。




どうして、こういう事が起きるのかというと、
ある感情と思考を封鎖してしまっているからなんです。
何かというと、怒りと反省です。

必要以上に臆病になってしまっていたり、
後出しじゃんけんが癖になっていたり、
必要以上に自己肯定感や顕示欲が強かったりすると、
素直さが減少していって、傲慢さが出るのと同時に
自分が悪くても謝罪は疎か反省もしなくなる。

当初こそ怒りはあれども、その矛先が相手ではなく
どんどん自分自身へ向いていく。

結果、
「肯定風否定をする被疑者無き被害妄想思考」が
身に染みてしまう。




ここまで来ると、自分を信じようにも
自分そのものを失っているので、
信じる対象が出てこないんですね。

また、感情も思考も極度に内側に向きまくるんで、
外に出さなきゃいけない想い(念)が、
どんどんと溜まっていく。

溜まっていく一方で無くなりませんから、
どこかのタイミングで必ずパンクする。

そうなると、本能的な想い(念)つまり
恨みつらみ妬み嫉み快楽醜愛享楽物欲金欲などを
一方的に外へ飛ばすようになる。

これが生霊を飛ばす人と
生霊と呼ばれる念の正体であり、
貧乏神と呼ばれる人の中身です。




だから、自分を信じなきゃいけない。
自分を信じられなきゃ人も信じられない。
自分の殻に閉じこもんないで周りも視なきゃいけない。
周りばっかり視ていても同じ結末となるから、
やはり自分も視ないといけない。

そして、それは個々人で内容が違うから
その人に合ったバランスの取り方をしないといけない。
その為のきっかけをあらゆる方向から作っているのが
あにきのセッションなんですね。


2023年2月23日木曜日

小さな欲のコントロールが運気を上げる

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は運気を下げない様にするための
一工夫の話です。




以前の記事にて運気のメカニズムというか
原点についてのお話をしました。
つまるところ、己のモチベーションの維持と
UPがカギになるんですが、

それだけを意識してやっていると、
どうしても邪魔になってくる
要素があるんですね。

それが、 欲 です。

それも小さな欲ね。




でも、その小さな欲ってのは
普段あまり気にならないし、
行動力の源でもあるから無きゃ困るんですが、

これをそのまま放置したり、甘やかしていると、
気が付いたらとんでもない化け物に変わってしまう。

あっという間に
自分が貧乏神へと変貌してしまうことも
ままある事なんですね。




それだと困りものだから何をするかというと
コントロールをするんです。

欲の中でも一番コントロールしやすいのが、
自己顕示欲と承認欲求です。
(扱いやすいのと同時に危険な欲でもあります。)

誰だって褒められたいし、認められたい。
それが特定の相手に対してなのか?
不特定多数に対してなのか?
目的意識はハッキリしているのか?
手段としての、
広告としての見せ場を逸脱していないか?

ここを考えて俯瞰で自分を見るだけで、
良い意味でのブレーキはかけられます。
これがコントロールね。




中には、「私はそんなに自分を出さないし…」
というタイプの方もいらっしゃいます。
当然ですね。

そういう方でも自己顕示欲と承認欲求はあります。
どういう点でかというと、
悲しい自分や寂しい自分を出す時はありませんか?
自己嫌悪を必要以上にぶつけてる時はないですか?

自分の事が嫌い…自分の面が嫌い…
とかって、話題に出したりしていませんか?
それも立派な自己顕示欲と承認欲求です。
求めているのは慰めですよね?

そういう時には、一歩引く事が大切。
言っちゃいそうになるのをグッと堪える。
堪えた自分を褒めてあげる。

これがコントロールです。




どんな場面でも、自己を顕示することや
承認を満たすことってのは、
一回目が一番満たされて、
そこから先は回を重ねる毎に薄まります。

同時に全く別の違うものが満たされていく。
何が満たされていくのかというと、

恨みです。

これが溜まっていくと、
ろ過が間に合わなくなって
気が付いたら手に負えない状態になってしまう。

どんな人でも恨みは出します。
ムカついたり、はぁ?って思った瞬間に出るんです。

いつも教室で教えている
恨みを受ける前提での対処法は、
総量をコントロールして減らさないと意味がない。

そのための第一歩が
自己顕示欲と承認欲求のコントロール。




一番身近な欲ってことは、
一番恨みを出しやすい欲ってことでもあるんですね。
それは同時に一番恨みを受けやすい欲でもある。

だったら、根本をコントロールしてやりゃいい。

この理屈が分かると、普段漠然と抱えている
モヤモヤとかも理解が出来る様になりますよ。

2023年2月20日月曜日

笑顔の奥をちゃんと視る

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は変な人や貧乏神に引っ掛からない様に、
運気UPをさせるための人の見極め方について、
簡単なポイントをお話ししたいと思います。




誰しもが笑顔を作りますが、
この"笑顔”の瞬間にその人の真の目的や
本性というものがパッと出ます。

人の性格が一つでないのと同じで、
笑顔にもそれは反映されるという事ですね。
素直な人には素直な特徴が、
裏切る性格の人にはそういう特徴があります。

表面上つまり、あにきがいつも言っている
『上っ面』だけを見ていると
全く気が付かないんですが、

実は笑顔の裏側というのは
隠そうにもそうそう隠せない部分なので、
ちゃんと視ていれば誰でも直ぐに気が付きます。




作り笑顔でなくても、
心の内で別の事を考えている人は
笑顔でも一部分しか笑っていません。
(目だけとか口だけとか…)

また、持続時間も短いです。
自分に自信の無い方も同様の特徴が出ます。




逆に、自分に自信のある方や、
芯を持っている方、
その話題にちゃんと向き合っている方は
視線が一点をしっかりと捉えていたり、
目ん玉の力強さや輝きがとても強いです。
(キラキラしてる感じですね)

食いつき方が強いので、笑顔の持続時間は
長いものになってきますし、リピートもします。




一番紛らわしいのが、
何らかの悪意を持っている人の笑顔です。
ここでの悪意というのは、
犯罪者って意味ではないです。

例えば、
自分が得をする様になりたい!
とか、
周りを出し抜きたい!
とか、そういう意味での悪意も含みます。

こういう方々の笑顔は、
上記の様な力強さがあるので間違いやすいんですが、
輝きはありません。
あったとしても、キラキラじゃなくてギラギラです。

ドロドロした光り方なので、
言葉で表すのは難しいですが、見れば一目瞭然です。

ばれない様に…ばれない様に…
と、表面上を必死に隠そうとするあまり、
欲望が目の奥に集中してしまうので、
かえって分かりやすくなってしまうんですね。




こういう見極め方は人を視る上での基本です。
また、今回お話したのは基本中の基本の3点です。

キラキラやギラギラなんて言われても
難しいぞコラァ!と思うかも知れませんが、

普段から気にしてやっていれば、
直ぐに分かるようになります。

そして、ここを起点にその他のポイントを
組み合わせていくことで、精度を上げていくんですね。

最後に一言。
こうして人を見極める事によって、
自分も気を付ける様にしていく。
人を視るという事は、自分も視られているという事。
運気を上げるためには、複合的に捉えて実践していく
必要性があるんですよ^^

2023年2月10日金曜日

葬式あるある(あにき目線)

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回はお葬式でよく見かけた光景について
あにき目線のお話をしていこうかと思います。




お葬式と言うと、しめやかに行う場ですし
規模や内容はどうあれ皆さん哀しんでるし、
独特の雰囲気がありますよね。

お香典だけ渡して帰るだけなら
何も問題はないですけど、参列するとなると
あにきにはまた違った問題が出てきまして…



【壱】感情が溢れて潰されそうなほど重い。

人を惜しむ気持ちの強いご葬儀に参列すると、
参列者の思い(念)が強すぎて、
圧し潰されそうな感覚になったり、
酷い頭痛になったり、身体が動きにくくなったり、
気持ち悪くなったりするので苦手です。

似た様な感じは病院でもよくなります。
今となってはもう慣れてますが、
最初の内は結構きつかったですね。




【弐】誰よりも故人が悲しんでる

ご親族さん方よりも故人さんが一番悲しんでる
ご葬儀もあります。
その理由は様々ですが、単に自分が死んじゃった事を
嘆いている故人もいれば、

親族が全然悲しんでいない事に
悲しんでる故人さんも居たし、
お坊さんのお経が下手くそで悲しんでる
故人さんも居ました( ;∀;)




【参】怒り狂ってる故人さん

ご親族さんがヒソヒソと故人さんの悪口を
話しているのを目の前で聞いていて、
めちゃ切れしている故人さん。
これは結構見かけました('Д')

お坊さんのお経が下手くそでめちゃ切れしている
故人さんも居ましたね( ;∀;)

変わり種では、小さい会場が気に入らないという
理由でキレてる故人さんも居ました┐(´д`)┌ヤレヤレ




【肆】楽しんでいる故人さん

あにきとしては、これが一番困るパターンです。
故人さんが自分の葬式を全力で
楽 し ん で い る …

参列者の席にしれっと座っている、
お坊さんを横からガン見している、
あちこちウロウロしている、
参列者一人一人にアクションしている、
一生懸命あにきに話しかけてくる...etc...

この手の何が困るって、
吹きそうになるのを堪えるのが大変なんですよ!

しかも、そういう故人さんがいるお葬式に限って、
皆めちゃ悲しんでたり、盛大だったり、
とてもじゃないけど吹いたりしたら、
後々に自分が大変な目に合うのが分かり切っている
現場がほとんどでした。




その中でもマジで限界突破したのは、
受付け業務をしている故人さん。

だって、ずっと係りの人の横で一緒に頭を下げたり、
色々やっているんですよ?!
最初こそ、気にしない様にしていたけど、
お焼香の際にふと受付の方を見たら

まだやってるwww

あまりのシュールさで、
これには本当にツボってしまって、
かと言って退席は出来ないし、全力で太ももや腕を

抓っていました( ;∀;)

ほんと、頼むから楽しむのだけはやめて!




ちなみにですが、ご葬儀に必ず故人さんが
居るって訳ではないです。
どっちかっつーと、居ない方が多いのかなぁ?
あにきの参列した葬儀では、
居ない方が多かったですね。

よく、葬式で故人さんを見掛けたとかって、
顔を真っ青にしている人も居ましたね。
そういう経験をされた人から、
普段から視えてると怖くないでしょ?

なんて、皮肉交じりに言われたりもしました。
まぁそういう事を言いたい気持ちはわかるけどさ…

視えたら視えたで違った意味で
結構大変なんやでw

2023年2月7日火曜日

生霊や悪霊に欠けているモノ

皆さんこんばんは、あにきです^^

運気を上げる為に色々と四苦八苦してると
思います。
物に頼ったり、人に頼ったり、
念仏を唱えたり、あちこちに行ってみたり。

まぁ、お好きになさって結構だと思います。
人それぞれですからね^^

今回は、運気を上げる話ではありますが、
ちょっと考え方を変えてみて、
運気を下げまくった存在について知る事で、
逆説的に運気を上げる方法というか
考え方をお話してみようと思います。




さて、みんなが大好きな生霊と悪霊ですが、
こいつらには確実に欠けているモノというのが
あります。何だと思いますか?

今日のインスタのハッシュタグに
このタイトルを載せたから、たぶん皆さん
色々と考えて下さっていた事でしょう!

答えは結構単純で、『愛情』です。

愛情って言っても全般的なものを指すのではなく
「自分に対する愛情」が欠落しているんですね。




ご存じの通り、優しくするだけが愛情じゃないです。
時には厳しくするのも愛情です。
これは、人に対しても自分に対しても同じですよね。

んで、こいつらはその自分への愛情がおかしくて、
厳しくするという点が欠けているから、
自分へ甘くなりすぎなんですね。

結果、どこまでも自分勝手な思いが進んで
人様への迷惑を掛ける様になった…という事です。

これを生きてる内にやれば生霊だし、
亡くなってからも続けてたら悪霊。

こうなってしまうのが最悪のケースなので、
そうならないようにすれば、
運気は自然と上がります。

っていうか、運気を下げまくって
人様の運気まで下げようとするのが
生霊や悪霊なんだから、
こういう存在にならない努力を
すれば善きじゃん!って話ですね。




では実際に、自分への愛情を欠けさせない様に
するにはどうしたら良いのか?
まず第一に楽をしないことです。

楽をしないって言っても、歯を食いしばれって
言ってんじゃなくて、
自己完結させないって意味での楽をしない。
という事ですね。

例えば、人に何かを指摘された時に、
素直にそれを受け入れて反省したり、
受け入れがたい内容だったら、即座に反論したり、

その場の雰囲気に流されたり、
自分の中の勝手な考えだけで纏めたりしない。

時には喧嘩も必要だし、討論だって必要。
相手の言葉の持つ意味を考えて
自分が一歩引いてあげたりして、
通り一辺倒な行動に収まり続けない!

これがここで言う「楽をしない」という意味です。




生霊や悪霊になる人って、
決まって頭でっかちが多いんですね。
それでいて、自分をちゃんと見てあげられない。
都合の良い解釈しか出来ないから、
人の話もちゃんと聞き入れられない。聞き取れない。

これって、楽すぎ楽しすぎでしょ?
どんなに偉そうに構えていても、
結局は自分を視ることが出来なくなっている。

楽をしないっていうのは、
『思い遣りを持って行動する』という事なんです。

Q:誰に?
A:みんなに!そして、自分にも!

思い遣りってのは優しい言葉や態度で
接するだけではないです。




獅子のお母さんは崖から子供を放るんだよね。
これも強く生きる為の子供への思い遣り。

筋肉を大きくするなら筋肉を一度破壊しないといけない。
これだってドМでやってるんじゃなくて、
身体(自分)への思い遣りですよ。

これを総じて愛情と呼び、
中でも自分に対する愛情は勘違いしやすいので
危険なんですね。

思い出と同じで楽というのは優しいから
甘えてはいけないんです。




これが理解できるだけで運気はかなり上がります。
少なくとも下がる要素が激減します。
考え方の問題なので、コスパも最強です。
あとは自分次第ですけどね。

余談ですが、こうやって逆説的に捉えると、
物にだけ頼って運気を上げようなんざ、
その考え自体が如何に烏滸がましい事で
逆行している事なのかが分かるはずです。

物に頼るのは自分を見つめ直した後の話ですからね。
間違えない様に気を付けましょう。
生霊や悪霊に成り下がりたくないでしょ?^^

2023年2月5日日曜日

怒りを消す愚かさ

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は怒りについてです。
よく、怒るのは良くないから、
怒らない様にしましょう(^^)/

と、言ってる人が居ますが、
あれ間違いですよ。

「怒るのが良くない」
のではなく、
「怒りすぎは良くない」
んですね。



何でもそうですが、やり過ぎはダメです。
特に感情の場合は気を付けないといけません。

喜怒哀楽のどれでもそれは同じです。

喜びすぎ...自分が視えなくなる
怒りすぎ...周りが視えなくなる
哀しみ過ぎ...周りが視えなくなる
楽しすぎ...自分が視えなくなる

こういう感じで、意識のバランスが
乱れてしまうんですね。
結果としてどれも良い事は無いです。




今回は怒りだけに触れますが、
怒ることそのものは何も悪ではありません。
そうでしょ?
例えば、子供が悪い事をしたり、
子供でなくても自分に対して何かムカつく事を
された時に怒るのは当然の反応です。

子供は怒られなきゃ分からない訳だし、
大人でもそういうタイプの人は多いです。
身勝手な人ってことね。




なのに、怒るという感情を全否定して、
それを悪だと決めつけて、怒らなかったら
どうなりますか?

相手が誰であれ言う事を聞いてくれなくなります。
それどころか、下手をするとハラスメントの
対象にもなってしまいます。

怒る時は怒って良いんです。
もっと言うと、その場で言えるのであれば
その場でちゃんと主張をする!
これはとても大切です。

後出しじゃんけんは卑怯ですからね。
(問題のすり替えになりますから...)




怒り過ぎて周りが視えなくなる事が
問題なんです。
あにきは、「怒り酔い」って言ってるんですけど、
一つの感情に流されてコントロールが
できない状態が「酔い」と似ているから、
そう呼んでいます。

感情は生きていくのに必須な物ですが、
同時に身を滅ぼしてしまいかねないほどの
劇物でもあります。




だから、コントロールをしなくてはいけない。
その為にはいくつか方法がありますが、
まず最も手軽な方法は、ちゃんと話を聞く事。

話ってのは対面だけを想像しがちですが、
文章でも声だけでも同じです。

そして、話を聞くってのは、
相手の言ってる内容を事細かに分析するって事です。

言葉の端っこだけを聞いて判断したり、
大体で考えたり、気に入らないフレーズに反応したり
といった、脊髄反射的な行動をしていると、
これは話を聞いているとは言えません。
「声を聞いてる」「文字を読んでる」ですね。

大切なのは内容を分析すること。
つまり、怒りの源をちゃんと理解する事なんです。




「怒りたくないから怒らない様にする」
のではなく、
「怒りたくないから怒る原因を見つめる」
という考え方に切り替える。

これが出来ないと、本当の意味での
「怒りたくないから怒らない様にする」は
達成できないんですね。

それを端折って、「怒りはダメ!」
「消さなくてはダメ!」
なんて、どう考えたって無理だし、

それを言うなら、
虐められている子供に対しても
同じことが言えますか?
嫌な事をされてるのに、「笑ってなさい^^」
って言うの?ナンセンスでしょ?
こっちの方がよっぽど違和感がありますよね。



色々と冷静に考えれば対処はちゃんとできます。
アンガーコントロールも考え方一つなんです。

「怒りは良くない」ではなく、
「怒り過ぎは良くない」と考えるだけで、
その後の説明は変わってくるんです。




それをちゃんと話もしないで、
「怒りは良くない論」を広めた人間は、
本当に罪深いと思うし、愚かとしか思えません。

少年期のあにきはそれが遠因(原因の一つ)で
とんでもないイジメに合いましたからね。