2024年9月28日土曜日

効果転換(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





前々回に表裏一体について
お話をしましたが、
今回はその流れを汲んでいます。

恐怖心というものがあります。
その名の通り恐れる心ですね。

これは果たして善いのか悪いのか
ぶっちゃけ感情なので
善いも悪いも無いのですが、

それは何でもない時の話です。

もし、これが行き過ぎた場合、
過剰な恐怖心を自身で執行した場合

その感情は念へと移り変わるので
悪いものとなります。
この時に、触媒として働くのが
「俗欲」です。

トイレットペーパーの買い占め。
無くなったら困るという恐怖心が
基になっていますが、

何も買い占めなくても良いですよね。
本当に無いなら、普通に買えばいい。
けれど、買い占めに走る。

中途半端な他からの情報に踊らされて
自身で思考もせずに行動した結果、
「他力本願」
「思考停止」
という俗欲を触媒として恐怖心は

餓鬼の如く「貪りの念」

となるのです。





この時に、
「恐怖の源」をしっかりと視たり
視据えたりする努力を行い、

他力本願にも思考停止にも
陥る事が無ければ、

少なくとも周りを視る事が
出来る様になるので
恐怖心というのは

「警戒心」や「心配」

といった相手を護ったり
憂いたりする様なハッキリとした

「想い」

へと変化します。

これを「効果転換」と言います。

同様に、「心配」という想いを
受けたのに

「余計なお世話」だとか、
「でも、頑張る」だとか、
「だって、出来ない」だとか

と、受け取る側自身の中で、
否定をして想いから念へと
変えてしまう事も

効果転換となります。

この様に、
受け取り側次第で
想いも念もその効果を真逆のベクトルに
効果を変化させてしまうのですね。

マイナス同士だとプラスになる様に、
プラスにマイナスを乗じれば
マイナスとなる様に

感情や意識も想いも念も
その表裏に相互作用して
変わってしまったり変えてしまったりする。

こういう自身の内側を
覆い隠さずに視れる様にする事が
とても大切なのですよ。

ですからね、

「綺麗事に溺れたり」
「駄目な自分を見つめなかったり」
「駄目な自分を理解しようとしない」

のは、自身の成長という点に於いても
リテラシーをUPさせる点に於いても
お話にならない愚行なのですね。

バランスが大事
ってのは、
こういう側面も
同じなんやで。

2024年9月26日木曜日

表  情(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は見え方について
お話をしたいと思います。





人に限らず万物には
影響力というものが存在します。

今はまだ目に映る力ではないので、
ある種ダークマター的な存在ですが
それは確実にそこにあります。

そして、この影響力は
その名の通り必ず「影響」を与えます。

影響を受ける側の

「受け取る度合い」

によって変動しますが、
それは様々な箇所に於いて発現しまして
その一つが「表情」です。

表情とは言っても、
造り拵えた時の表情ではなくて
素の時の表情であり基礎となる表情です。

例えば、
厳しい環境に居ればその影響で
厳しい表情となりますし、

緩い環境に居れば
だらしない表情となりますし、

信仰心と言いますか、
信望が強すぎる環境や状態に居れば
寛容の薄い表情となります。





ここで影響を与えているのは
善い影響力であり悪い影響力であり
その根源となるのが、
「想いの力」であり「念の力」です。

あまり難しく考えずに
思い返すと分かります。

子供は親に似ます。
成長すると周りの環境に影響されて
表情が変化していきます。

これは大人も同じです。
というか、誰でも同じです。

その時に、
何が最も影響を与えているのか
どんな力場が影響の根源なのか

その人の流され具合や
自分の内の堅さ、
つまり自も他も拒絶する度合いですね

これによって変化し推移していきます。

誰でも影響を受けるのは必至ですから、
言い換えれば
そこに注力させるだけでも

「危険というものは回避できる」

という事になりますし、

他を視て判断出来るのであれば、
応用して
自身の状態把握も比較的容易に出来る

という事になります。





そのくらい表情というのは
如実に出てくるものです。

皆さんの事だから
街中で色々と観察をしてると思いますが、

人を見ていて思いませんか
瓜二つの様に似てはいないけど
どことなく特徴が似ている人が居るなと。

目付き、皺の形、話し方、口の形、
笑い方、怒り方、泣き方...

身体的遺伝では説明のつかない類似点。
情報的遺伝で明らかに発現する類似点。

geneとmemeの相違性や相互作用を
自身も含めて客観的に理解をするだけでも

自分の状態を適宜把握させる事が出来ますし
セルフチェックも簡単になるという事です。

そして、これは人のみに非ず
万物総ての影響下にあるというのも
忘れてはいけませんね。

死霊に影響を受けてる人はそれに似るし
自然霊に影響を受け過ぎている人も
やはりそれらに似てくる。

動物からも然りです。
犬顔の人や猫顔の人...いますよね。

自分が自分で居る為のセルフチェック
どの様な影響を受けているかの指針。

想いの力や念の力そのものは
現状、可視光や数値で表わせませんが、

目線を変えれば「可視化」は可能
という事です。

ということは
遥か昔に
オリジナルが
存在した
という事だよね...

ロマンやな

2024年9月23日月曜日

表裏を意識させる(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





万物ありとあらゆる存在は
表裏一体となっています。

存在だけでなく、構成要素や
空間、思考に至るまで
ありとあらゆる事象が
表裏一体であり二身一体です。

これを基本原理として捉えた上で
いざ今回の考え方となるのですが、

日頃の業の中で、
善し悪しが多々あります。
良い事、嫌な事ですね。

この時に、例えば良い事というのは
その逆の嫌な事を知っていたり
経験済みでないと良い事だと
理解する事は出来ません。

ここで言う経験というのは、
何も「自分が実体験する」
という意味ではなくて

周りの経験からの追体験とか
仮想的な体験も含めます。

そして、これは嫌な事も同様です。





で、このバランスが崩れた時に、
どちらかに傾く訳ですね。
天秤と同じです。

但し、良い方に傾けば良い事が起きる
という訳ではなくて、

「どちらも知っている事」と
「同時に意識させる事が出来るか」

この二点です。

良い事が起きている最中に、
嫌な事を意識させる
またはこの逆。

これを進行形で行えるか否か。

良い事でも調子に乗れば
嫌な事の素となるし、

嫌な事でもちゃんと原因を理解して
修正点を確認出来れば
早期で良い事に軌道修正が出来ます。

これは感情も然りです。
嬉しい中に悲しみを忍ばせておいたり
楽しい中に怒りを潜ませておく
逆も然り。

そうする事で流されるという
最悪を回避させる事が可能です。
何かの一方のみを見つめるのではなく
その対となる方向も意識させる。

モノという事は無く
必ず相互作用があり
表裏一体なのだから対を見つめる。

小さい幸せを探す時もそうで、
対を意識するんです。

それが出来る様になるのが
1つの目標であり、
追わなければならない方向性の一つ
なのですからね。

難しく考えるから
難しくなるの!

簡単に考えすぎたら
それはただの馬鹿。

2024年9月21日土曜日

したらする(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





相手に対して何かをした時、
心配をかけたとか、相談をしたとか
その手の事というのは
誰でもやる行為だと思うのですが、

その後の報告と言いますか
結果をちゃんと教えたりしていますか

貴方が選んで話した相手というのは
誰でもいいからではなくて
ちゃんと意図を以って選んだ筈ですし

そこには想いが有る筈ですね。

で、
相手がそれに対して
答えてくれたり考えてくれたり
真摯に対処してくれたとしましょう。

自分がその立場となれば
分かると思いますが、
どうなったのか気になる筈です。

もし、
相手がどうでもいいと思っていたら
何も気にしないと思いますが、
その時は単に貴方の人選ミスですから
自分の目利きの悪さを呪って下さい。

話を戻しますが、

「この結果を教える」
「経過を教える」

というのは、
想いの遣り取りを完成させる上で
とても重要なものなのですね。

話を通じて想いを紡ぐ
これが想いの遣り取り
つまり、思い遣り

けれども、
しただけで終わってしまったら
相手への一方通行となりますから、
これは自分本位という事になります。

そうなると、
多かれ少なかれ恨みを買います。

これでは元も子もないですね。





こうやって書くと、
どういう訳かご報告が一気に増えそうなので
先に言っておきますが、

「皆さんの普段の生活の中で
当て嵌める事ですからね!!!」

自分の生活の中で
蔑ろにしている事はないかどうかを
ちゃんと視てみましょう
振り返ってみましょう。

ちょっとした事で貧乏神化は始まります。
というか、
誰でもいつでも貧乏神にはなれます。
という事は、

誰でも自分本位思考になれる
というよりは、
「そのセンスを既に持っている」
という事です。
(地獄行きの切符の話を思い出して下さい)

ですからね、
誰にでも彼にでもではないですが、
普段の中で一体どうなのかを
改めて考えてみて下さい。

これが
「普段の業の善し悪し」であり、
貧乏神化防止策の一つなんですね。

逆に言うと、
貧乏神はこれが出来ねぇって事ね。
それどころか、
こうして言われても
全然分からねぇって事よ。



2024年9月19日木曜日

ご先祖さんへ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





今日は彼岸入りです。
お彼岸と言えばお墓参りとか、
色々とありますが、

何をするにしても
ご先祖さんを相手にしたり、
ご自身の大切な存在を相手にしたり、
そういった事がメインの行事です。

ここではご先祖さんに対して、
的を絞ってみたいと思います。

既に亡くなっているから
ご先祖さんな訳ですが、
この方々に生きている自分達が
出来る事は果たして何なのか

これ、結構多く戴くご質問です。

言い回しは回答する人によって
色々とあると思うんですが、

あにきに言わせればですが、
結局のところ出来る事は2つで、

1,感謝
2,生きる事

どこまでいっても、この二つです。





感謝と言うと、
生前に山積していた想いとか
思い出とかに沿ったものを
浮かべてしまいますが、

そう難しく捉えるのではなく、

「産んでくれてありがとう」

が、主だった感謝です。
貴方が相手するご先祖さんが
親御さんでなくても
祖父母さんその上であろうが、

これは変わりません。
だって、産んでくれた訳ですし、
よく読んでほしいのですが、

「主語、付けて無いでしょ」
何に関しても、これが全てです。

そして、何よりも

「自分が生きる事」です

ここに尽きます。

苦しみも有れば悲しみもあるし、
愉しい事だけではないけれど
紡いでくれた霊体の絆であり、
たった一つの肉体なのですから

生きて還すしか
気持ちを物質化する方法はありません。

それに、貴方のその姿を
一緒に居る人達が視て
それをまた紡いでいく。

例えその存在が血族で無くてもです。

なので、この二つが
ご先祖さんに出来る事となるのです。



2024年9月16日月曜日

基準を考えよう(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回も考え方について
お話をしたいと思います。





何でも良いのですが、
向こうの世界に関する事を
考えたり知ろうとしたり
ましてや、
その力を使おうとする時に

最も大切になってくるのは
「基準」です。

何の基準かというと、
思考の基準になります。

現世とは
まるで世界や価値観が違うけれども、
すぐ傍にあるのが向こうの世界です。

まさに別世界。
であるならば、
使う側の思考というのも
こちらの基準ではなくて

「向こうの世界の基準」

でなければ
思う様には使えませんし
理解などには程遠いものとなります。





これは逆も然りです。
向こうの世界の住人が
こちらへアクセスしてくる時、

その者の格や立場によって変わりますが
それでもほぼ100%齟齬が生まれます。

亡くなりたての存在が
善くも悪しくも一番この世的です。
肉体は無いけれど意識上で
まだ肉体に依存していますからね。

それ以外の霊界の存在や幽界の存在は
この世の思考基準で捉えると
決まってぶっ飛んでます。

善悪の基準だけでなく、
想いの基準がそもそも違うのですね。

これは、皆さんを補助してくれてる
補助霊さん達にも言える事ですし、

皆さんが神秘神秘と喜び奉っている
自然霊さん達にも言える事です。

向こうの存在からすれば、
同じ事が言えますね。
「何でわからねぇんだよ...」みたいな。





この世の存在、
とりわけ人が人として造りし物を
扱ったり考えたり知ったりするのであれば
別に現世基準で良いですけども、

向こうの世界の存在や思考、
明らかにそれらを基準にして造られし物や
向こうの世界に通ずる物や通ずる者に
触れたりする際に現世基準ですと

パラドックスだらけとなって混乱し、
結果として自身が滅する流れとなります。

大切なのは、ちゃんと向こうの世界基準で
対応する事です。

その為には、
絶対的な知識が必要となります。

見たまま聞いたままの不思議や謎ではなくて
世界観から個々の価値観に至るまで
それらを総合的に俯瞰的に知る事が必要です。

そして、あくまでも自分は
現世にいる現世の存在なのですから
その基準と向こうの世界の基準とを

適切な場面でハイブリッドに使い熟す。
現世に居ながらにして
向こうの世界を想うのですから

これが出来る様になる事が
何よりもまず重要なのです。
でないと、いくらやっても分かりませんよ。



2024年9月14日土曜日

可愛がろう(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回も動き方について
お話をしたいと思います。





自分に対して無闇に厳しかったり
甘やかす人は普通に多いですが、

「ちゃんと可愛がる」

という事をする人は少ないです。

人はストレスを常に感じています。
ストレスというのは、
圧迫する力に対する反発する力を指します。

このストレスを溜め込んでしまうと
後々えらい事になってしまいます。
心的にも身体的にもです。

このストレスやフラストレーションを
どうやって流したり散らしたりするか
そこがポイントとなるのですが、

圧迫する力が何であろうとも、
どこまでも自分のストレスですから
まずは自分をどうにかしてあげないと
お話にならない訳ですね。





ここで意味を成してくるのが、

「自分を可愛がる」

という点です。

様々な可愛がり方があります。
どうしても文字からして、
可愛がるというと

「いーよいーよ」
「楽しよう」

みたいなニュアンスとして
受け取られがちですが、
決してそうではありません。

例えばですが、
日頃から運動している人であれば
たまには運動をしない日を作る。

運動すると乳酸というストレスが
溜まります。適度ならば良いですが、
過度となれば怪我の素です。

また、あまりに運動に没頭すると
目的そのものを見失います。
そして、更にストレスが溜まっていく。

なので、運動しない日を作って休む事が
運動している人にとっての可愛がり。

逆に普段から
全然身体を動かしていない人であれば

運動をして身体を動かしたり、
外の空気を取り込んだり
陽に当たったりして
身体の機能を目覚めさせたり
気を解したりする事が可愛がりとなります。





この様に、
必ずしも休んだりだらけたり、
楽をしたりする事が可愛がりではないのです。

誰でもそうですが、
ずっと甘やかしていたら
どうしようもない我儘な奴になるでしょ

何でもやってあげたら、
頭を使う事をしないから口先ばっかりの
ただの馬鹿にしかなりません。

それと同じ事が自分自身にも起きます。
なので、適切な厳しさを以て
自分自身を可愛がる事が大切です。

頭を使っていないなら、
頭を使う事をするのが可愛がり。

考えていないのであれば、
考える様にするのが可愛がり。

何かをやり過ぎているのであれば、
完全脱力させてあげるのが可愛がり。

優しさは厳しさです。
自分に対して自分で優しさを発動出来ない人は
他人に対しても優しさは使えないし、

可愛がる事に関しても同様です。
自分に対して適切にやれるから
他者に対しても行える。

そして、それがストレスの解消へと繋がり
自身だけでなく周りの存在にも
同じ事が出来ますから結果として善くなっていく。

これが善い影響力であり正の循環です。
ルーズになるのでもなく
嚴に思考し過ぎるのでもない。

ちゃんと自分を可愛がって
愛情の理解度を高めること。
その為に動く事が幸せを呼び寄せるんです。

つまり、
自分で動いて初めて掴めるという事です。

可愛がるとは「可して愛でる」と書くのを
お忘れなく。


2024年9月10日火曜日

せめてもの業(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





人は誰でもそうですが、
油断をすればいつでも自分本位な思考や
行動をしてしまいます。

なので、常日頃から
気を付けていないといけない...
という結論に至ります。

けれども、
その気を付けるにしても
なかなかどうして難しいものです。

実際のところ、
どこに気を付ければいいのか
それが分からないと思うんですね。

ぶっちゃけ、
「どこ」ではなくて
「全て」に於いて
気を付けないといけないのですが、
それが出来れば苦労はしませんよね。

ですから、
せめてここは、
この業(おこない)だけは
押さえておきたいよね。

という点をお話しします。

色々とあるのですが、
1つだけ選抜するとするなれば、

「相手の気持ちを考える」

という点に尽きます。





何故かと言うと、

どんな時でも何をしていても、
これが一番の盲点となり得るからです。

嬉しくても悲しくても
怒っていても楽しんでいても

どんな感情の場合でも、
自分本位という状況に陥れば
かなりの確率で相手の気持ちを忘れます。

それが災いを盛大に呼び込むのです。
恨みを買うという意味ですね。

なので、
自分本位になっちまうのはダメだけど
そうなるのは仕方ない。
人の性だと割り切った場合、

せめて、
「相手の気持ちを考える」
という業を事後で良いですから
実行できる様にすれば、

かなり前向きに流れは変わります。
もっとも、その際に

「(相手も)自分と同じはず」
「同じ思考だろう」

みたいな感じに考えていたらアウトです。
人は一人として同じではないですからね。

最低限この業を意識する事を
忘れなければ、少歩だとしても
前に進んではいけます。

そして、
その相手とは「人に限らずに」
という点もお忘れなく...