2024年11月29日金曜日

感情に流されない(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





人は相手に何かを伝えようとしたり
同意や共感を得たい時などに

感情を揺さぶったり
刺激したりする手法を使います。

折に触れて目にするニュースや
友人知人同士などの会話
少々怪し気なご商売の中に
よくよく組み込まれますが、

これは物凄く稚拙な方法です。

本来は理に則した内容でなければ
物事や事象の正しい判断というのは
出来ないものなのですが、

話をする際に
感情を入れて聴いてしまうと
あっけない程に相手の感情と
同期してしまい流されます。

ここで注意しなければならないのは

「無感情になる」

訳ではないという点です。





感情を入れないと聞くと
感情を無くすと解されがちですが、

これは、

「俯瞰で聴く」
とか
「事実を纏める」

といった意味となります。

感情を最優先にして話をすると
時系列や事実関係を有耶無耶にして
本質を見失ってしまうのですね。

どうしても感情移入しがちですが
ここで悪戯に感情を入れてしまうと

大きくミスリードを
してしまう場合があります。





ここで注意すべきは
話をちゃんと聞くために

「感情を入れているフリ」

をすること。

その中で、やらないといけないのは
事実関係の精査です。

誰でもそうですが、
「自分は悪くない」とか
「自分の主張」を全面に押し出します。

けれども、
そこには必ず相手がいます。
話す側が感情的になっている
という事は、事実が相違している
といった場合もある訳です。

なので、あくまでもフリをして
内容を徹底的に聞き出すのが
大切な業となります。

その上で、
内容を纏め上げる。

この方が確実に真意に近付きますし
何よりも自身が冷静になれて
正常な判断を下す事が出来ます。





これが活かされる場は
思っている以上に多いです。

誰かと話をしている時も然りですが、
先述したニュースなども
ほぼ間違いなく感情を揺さぶる
手法で流されています。

そこで流されてしまった場合、
損をするのは確実に貴方です。

怪しげな商売などに
騙されてしまうケースも
ほぼこのパターンですね。

特殊詐欺なんかは
この典型的な例ですね。

何にしても、
「日頃から俯瞰で見聞きする」
というのを徹底していれば
認識力も上がりますし、

人の話もちゃんと聴けて
理解する力や想像する力も
大幅に上がります。

覚えておいて下さい、

「聴く時は感情を入れたフリ」
「話す時に(自分の)感情を入れる」

俯瞰で見聞き
多角的な視野
いつでも
どこでも
訓練出来るもの
なんやで

2024年11月24日日曜日

きっかけを活かす(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





人は善き流れの時ですと
あまり運気を意識しないですが、

少しでもおかしくなったり
明らかに悪い流れだったりすると
途端に運気を気にする様になります。

そういう方が多いですね。

この時に、流れ改善の方法は
人それぞれ数多あると思いますが、

問題は方法よりも
その「きっかけ」を活かせるか
もしくは、活かそうとするか

という点です。

あにきの様な人に聞きに行くも然り
何となく気が晴れる事をするも然り
人と話したり出掛けるも然り

何をやったとしても、
その業を活かせるかどうかで
その先が決まります。





例えば、
あにきの所へ来たとして
話を聴いてそれで満足とか、

何かきっかけを
教えてもらったとしても

「言われたからやる」

みたいな心持ちでは、
活かしているとは言い難いです。

自分の意思で
行動を起こすのではないですし、

その構えですと平たく言えば
もし、
上手く出来なかったとしたら

「あにきの所為」

にも、出来るという保険を
自身に掛けている訳ですからね。





活かすというのは、
「自身の覚悟」の問題です。

「きっかけ」はどこまでもきっかけ
ただのスターターです。

背中をポンッと押してもらうとか
ケツを蹴っ飛ばしてもらうとか
そういうものが「きっかけ」です。

ただの後押しなのですから、
それを活かすには

「自分の覚悟」
という気持ちしかないです。
自明の理ですね。

にも、関わらずそれすらも

覚悟を決めない
自己判断しない
人の所為にする

のであれば、善くなるものも
善くならなくて当然です。

そして、
そのきっかけというのは
基本的には

「自分で創るもの」

ですからね。

そういう類のものなのですから、
どんな相手から得たきっかけだとしても

反故にしたらそりゃエライ目に遭って
当然なのですよ。


自分の覚悟を
決められるのは
自分だけなんやで

2024年11月23日土曜日

明るく振る舞う(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





人と会った際に明るく振る舞う
恐らくは、
皆さんやっていると思いますが、

例えば、パッと見で
自分しかいない状態だから

やってはダメとか
やらなくて良い

なんて事はありませんからね。

独りだと思っているのは
貴方だけですし、

万物という捉え方をすれば
種々様々な存在が

ご自身の周りには
常に居るのは確かです。





そして、
これは「人限定」でやるべき事
という訳でもありません。

確かに、誰に対してでも
明るく振る舞うというのは、
些か違いますが

人以外の存在、霊ではなくて
例えば、
植物とか動物とか虫とか

見渡せば色々な生きている存在が
身の回りには居ますよね。

その存在に対しても
行った方が善い所作なのは
間違いが無いです。

実際のところ
どんな存在だとしても、

「明るく振る舞う」のと
「暗く振る舞う」のとでは

反応が変わってきます。

ある意味、
人よりもダイレクトに
感情をぶつけて来るので、

「幽体で触れ合う」

という業に関しては、
物凄く勉強になると思いますよ。

また、五感も鍛えられますからね。
人限定で行っていた方は、
やってみる価値ありますよ。

幽体の触れ合いは
感情の触れ合い
なんやで

2024年11月22日金曜日

言葉の意味を理解する(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





あまり堅く考え過ぎずに
少しは緩く考えましょう。

よく聴く台詞です。

ですが、
これを鵜呑みにしていいのは、
堅く考えている人だけです。

元々緩い考えの人が、
それ以上に緩く考えても
酷い結果しか生まれません。

人は元々楽をしたがる生き物です。
その最中で、こんな台詞を聞いたら

「もっと楽をして良いんだ」

と、
ひと際怠惰となってしまいます。

元々緩く考える人は、
堅く考える事を覚えないといけません。

堅すぎても駄目、
緩すぎても駄目、

その中間を目指す事が大切です。





では、実際に緩く考えるとは
一体どういうものを指すのでしょうか。

「アバウトに捉える」
「大体で考える」
「ボケっとする」

どれも微妙に不正解です。
正解は、
「考え過ぎない」ですね。

堅く考えてしまう人というのは、
基本的に悩み過ぎのケースが
殆どとなります。

悩まなくても良い場面で悩んで
勝手に圧し潰されてるか、
身動きを取れなくしてしまう。

「まだ何も起きていないのに悩む」
というパターンです。

このケースの人を表現する際に

「石橋を叩いて渡る性格」と、

形容する事が多いと思いますが、
根本的な解釈を間違えている場合が
よく見かけられます。





この諺は、
「慎重に慎重を重ねる」
という意味となります。

つまり、慎重を喫すですから
心情としては
「考える」という解釈です。

では、先述した
「まだ何も起きていないのに悩む」
というのはどうでしょうか。

記述してある通り、「悩む」です。

「考える」と「悩む」は、
全く別の状態です。

様々な解釈があると思いますが、
完結に言うならば、

考えるは、「前向きな姿勢」
悩むは、「後向きな姿勢」

であると、表現出来ます。

ある物事を解決に向けて思考する
これが「考える」。

逆に、
どうしたら良いのかワケワカメな思考
これが「悩む」。





堅く考えてしまう人というのは、
この二つの言葉の意味を
同一視しているケースが多いです。

実際には、だいぶ違う意味であるのに
そこが微妙に理解出来ていない状態。

ですから、
この手の相談を受けた際には、
言葉の意味を教える点からスタートします。

その上で、序段で示した
「緩く考える」という文言へ導かないと
しっかりとした解釈が響かないのですね。

では逆に、元々緩い人は
どういう傾向なのかと言うと、

「必要以上に悩まない」
「必要以上に考えない」

となりますので、
「もっと考えろ」「もっと悩め」
と、いったアドバイスとなる訳です。

心のバロメーターがどちらかに
振れ過ぎると問題が起きやすくなります。

そのバロメーターをなるべく中間点に
位置付けさせる事が重要です。

そこでは、
言葉の意味を知る、理解する。
というのが、
解決へ向けてかなり大きな
割合を占めるという事を
忘れてはいけません。

理解力や
認識力には
基礎学力と
日々の触れ合いが
不可欠なんやで

2024年11月18日月曜日

認識力と世界の狭さ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





つまらない
面白くない
楽しくない

何を理由にしても
概ねこの3つを起因として
人は人を傷付けます。

引きこもりも然りですし、
暴力も然りです。

この手の人達は、言い訳として
刺激が少ないから...と必ず言います。

ですが、それは
「自分の世界が狭すぎる」事による
認識力の低さが原因なのですね。

言い換えると、
「世界の広さの誤認」です。

今や、ネットを覗けば
色々な物を見れますし知れます。

地球の裏側ですら、
この瞬間にも見る事が出来ます。

確かに便利ですが、
それが自分の世界と
イコールで結び付いてしまって
自分は全てを知っている風になってしまう。





けれども、その手の状態に陥る人の
実際の行動範囲は驚く程に狭いです。

行った事のあるエリアは
それなりに有ったとしても
日常の中では
近所の路地裏すら知らない狭さ。

事実、一人では何もしない
誰かと一緒でないと動けない

人に声を掛ける事も
その辺を出歩く事も

簡単な手続きすら聞く事が出来ない程に
自分の世界が狭いのです。

その中で、ネットやSNS等を見ると

皆が幸せそうにしていて
成功している様に見えて

自身の至らなさと
抱えている現実を照らし合わせて
異常な迄に過度な憧れを抱く様になる。

その殆どが欺瞞で創られた事実だと
知る事も無く、知ろうともせずに
憧れに溺れていくのですね。





実際には、

世界はそんなに狭くないし
世間はそんなに甘くないし
大衆はそこまで幸せに満ちていないし
人々はそこまで楽をしていない

自分の世界が狭いから
映し出されたものが

「理想と建前」

だという事に
気が付けずに鵜呑みにする。

恐れや不安、甘えや我儘に溺れて
自分で何かをするという
最小単位の努力を放棄して

現実から逃避しているから
実生活の真実を理解していない。

これ程までに認識力が低く
自分の中で世界を狭く捉えているのが

貧乏神であり、
それに近しい存在なのですね。

ですからね、

何でもやってあげる事も
何でもやってもらう事も

程々にしておかないと
当たり前に堕ちてしまう訳です。

かわいい子には
旅という名の
経験をさせて
世界の広さを
理解させるんや


2024年11月16日土曜日

未完の許容(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





日常の中で、
中途半端というのが
宜しくない事というのは、

ここを読んでいる方々ならば
誰しもが理解されている事だと
思いますが、

では、完全や完結が
自然界や万物に当て嵌まるのか

日常の中に自然と嵌るのかというと
それは些か違います。

現実の中を生きている我々にとって
通常の状態は「未完」です。

それをそのまま受け取ってしまうと
何もかもが中途半端で善いものと
捉えてしまいそうですが、

それは絶対的に間違っていて、
未完の事実は許容しつつも、
先へ進む為には
意図的な完結や完全を作る必要がある。

何故かと言うと、
「目的や目標」を策定した方が
万物は動き易くなるからです。





現実を生きるという事は
そこにはどんな形であれ
時間という概念が影響します。

つまり、
「事象を進めるのは有限」
という事です。

決して無限ではない。

それを如何に効率的且つ合理的に
推し進める事が出来るか

その渦中に於いて必須となるのが

「完全」と「完結」

という意図的な所作です。

これがそのまま
「目標」及び「目的」となります。

ですから、
歩みを先に進ませる事が出来る。
意欲が湧くという事ですね。





けれども、
これは未完の最中の一所作に過ぎなくて

段落を変えたり、呼吸を吐くための
差し詰め、
「句点」としての役割の一つに過ぎません。

完璧主義という動き方がありますが、
これは、先に述べました

完全や完結といった
散りばめられた一事象のみに
視点を定めて固定する様な
視野狭窄を是とする考え方となり得るので

自分本位や自分優位といった
手前味噌な動きには良いですが
視野が広がった瞬間から

未完の広大さに溺れて挫折を味わいます。

例えば、
宇宙宇宙と言いながら
地球やそこらの星だけを
眺めているのと同じです。

その先には太陽系があり、
他の恒星系があり、
それらが無数に集まった銀河系があり
銀河系が集まった銀河団や銀河群がある。

私達の生活も同じです。
長大な人生という時間の中で
膨大とも言える「未完」の渦中を
我々は過ごしているのですから、

その未完を如何に許容しつつ
どれだけ繊細且つ大胆に

「完全」や「完結」といった
「句点」を駆使出来るか。

という事が重要となる訳です。

考えるんやが
考え過ぎない
思考回路
柔軟性が
大切なんやで


2024年11月12日火曜日

優しさとは(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





今までに何度となく
優しさについては
お話をしてきました。

褒めるのも優しさですし、
叱るのも優しさです。

それだけでなく、
拾い上げるのも優しさですし、
切り捨てるのも優しさです。

要は、
その場面場面に適合した
選択をしてあげるのが

本来の優しさとなります。
TPOというやつですね。

例えば、
現実を理解しないといけない場面で
そこから逃避させる様な
言葉を投げかけるのは
優しさではないです。

逆に、現実を知ったら気の毒な場面で
現実を知らしめるというのも
やはり優しさではないです。





言葉にすると重たいですが
こういう場面は
日頃の生活の中で多々あります。

可愛くないのに可愛いと言ったり
恰好良くもないのにイケメンと言ったり
美味しくないのに美味しいと言ったり
大して面白くもないのに馬鹿笑いしたり

かと言って、
常に本音をぶちまけるのは
人としての程度が低いです。

本音と建前を使い分けて
上手に生きるのが
人が連綿と続けてきた社会文化です。

適宜場面の構成を捉えて
上手に本音と建前を使い分ける。

それを考えながら愉しんだり
共有したり、笑ったり泣いたりするのが
本来の優しさのあるべき姿です。

皆さんは優しさを駆使していますか
甘やかしに依存していませんか

どんな時でも
考える事が
大切なんやで

2024年11月7日木曜日

自に堕ちる(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。





貧乏神の入口に属する人や
貧乏神方向へ向かいつつある人

というのは、
パッと見ですとまともに見えます。

少なくとも素人さんでは
判断するのが極めて難しいです。

その手の人の特徴の一つとして、

「仕事や趣味、金に逃げる」

と、いうのがあります。

どういう事かと言いますと、
自身にとって嫌な事や
都合の悪い事実があった時、

それに立ち向かうのではなくて
目を逸らす為に

「仕事に打ち込む」とか
「趣味に没頭する」とか、
それらを通じて
「金勘定に逃避する」
とかを指します。

これらの行為を
「遮断」と言います。





例えば、
叱られたり指摘を受けた際に、
目を背ける人っているでしょ。

それが「遮断」です。
とても分かり易いケースですね。

これに自身の言い訳を追加すると
一人の空間や時間を
突如として欲するので、

仕事や趣味に入り込むのです。

ですが、
こういった場合で入り込む時というのは

「(仕事や趣味を)やってる風」

なだけなので、
周囲へのアピールが多かったりします。

要は、中身が伴っていない
という意味です。

この手の人の場合ですが、
お金への執着も大きいです。

けれども、貧乏神ガチ勢程の
執着でもないです。

ガチ勢と比べてぶっ飛んでいない分、
その執着に対しても
言い訳を重ねるという
小者臭さが出てきてしまう関係で、
主語を「仕事や趣味」に言い換えて
表現してしまう訳です。





このケースの人は、
総じて人への想いが希薄なのと

人や周りに対する想いというのが
理解出来ない状態に
陥っています。

ですので、
何度となく同じ指摘をされますし、
その都度に遮断を繰り返すので
自身で前に進む事が出来ません。

では、どうしたら良いのか。

まずは、逃げ道を無くします。
話に向き合わさせる様にするのです。

難しく考えずに目を合わせましょう。

その上でやるのはただ一つで、
こちらの意見を述べるのではなくて

相手の意思を同じ目線で
理解している事を伝え続けます。

上からの蔑みでもなければ
下からの媚でもなく、
同じ高さで話すのですね。

単に、分かるよと言うのでもなく、
ちゃんと理屈を説明します。
これこれこうだよね。と...

ここで、話す側が冷静さを欠いたら
負けとなります。そうなると、
相手は塞込んで戻ってきません。
耳にも心にも栓をしてしまいます。

かと言って、無表情無感情でもなく
寧ろ、感情豊かに接するのが大切です。

瀬戸際の人というのは、
貧乏神ではないですから
一度こちらへ振り向かせられれば
戻って来させるのは可能です。

ですが、
引き戻す側の人が激情に操られたら
相手は確実に自に堕ちます。

救いたいのであれば、
冷静さと根気、意地と根性が必要です。

これは自分自身にも
セルフでやれる
救出法なんやで

2024年11月2日土曜日

明るく愉しく元気よく(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




実践する為の心構えとか
心持ちそのものをお話しようと
思って始めたこの実践シリーズも

早いもので始めてから
半年が経過しました。

皆さんが実践する時の
後ろ盾となれていれば善いなぁと、
改めて思います。

さて、
実践には欠かせない

「明るく愉しく元気よく」

という心構え、気概ですが
これはあくまでも

「周りへ対する想い」が

乗じてこそ機能するものです。

例え一人でいる時であっても、
如何に自分以外の周りへ対して
想いを募らせ馳せる事が出来るか。

その想いを胸に動く事が出来るか。

その想いがあるからこそ、
明るくなれるし、
愉しくなれるし、
元気よく振る舞えるのですね。

それらの意識の方向は、
自分ではなく周りに向いてます。
外側です。

外側から受け取る想いが
「明るく愉しく元気よく」を
形にしてくれるのですね。

想いの逆輸入みたいなもんです。






これに反して、
自分本位だったり自分勝手だったり
自分中心だった場合、

どんなに善い事を想ったとしても
それは自分の「俗欲」を満たす為だけの
「念(恨み)」にすぎません。

その状態でどんなに
明るく愉しく元気よくしようとも
それは恨みを抱えるだけですから

自分を蝕むだけの毒でしかありません。

そして、その毒は外へ放出されます。
自分の中の恨みが一定量を超えると
想いの入る隙間すら無くなってしまい、

いずれは恨みだけを抱える様になります。

この状態となると、
恰も悪霊生霊によって憑依されている状態と
酷似している事から
あにきは便宜上
「自己憑依」と呼んでいます。

こうなってしまうと、
回復させるには一人ですと難しいです。
少なくともプロの手助けが必要ですし、

その後のケア、要は同じ轍を踏まない様に
自身の事を見つめ正す作業も
必要となります。





風邪を治癒したとしても、
その罹患原因を理解して
自分で正さなければ

また同じ様に風邪を引きますよね。
それと同じです。

これは本当に大変な作業となります。
こうして文字で読むだけでは
実感が湧かないと思いますが、

相当苦しい作業なのですよ。
自分を視れない人が
自分を直視するなんて、
拷問と言っても憚らないですからね。

ですから、
「明るく愉しく元気よく」の
心構えを実践する時は、
必ず周りへの想いを意識して下さいね。

効果のある物事には
絶対に副作用がある事を
忘れてはいけませんよ。

正しく使えば
ええだけの事
なんやで