2024年8月27日火曜日

耳を傾けよう(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回も考え方について
お話をしたいと思います。





人の話をよく聴く大切さは
従前よりお話をしていますが、
今回は耳を傾けるにしても
他人様ではなくて

「自分の心の中の声」です。

いつでもどこでも
何をしている時でも、
心の中は自分の声でいっぱいです。

その時にしている事に関する声
これから何かをするのに向けた声

歓喜、怒り、哀しみ、楽しみ、苦しみ

様々な声が自分の中で響いている筈です。

一聴すると戯言雑言な内容に思える
心の中の声ですが、
よくよくちゃんと聴くと
物事の芯を突いていたりします。





どうしても眼前の問題や
出来事に圧されてしまって
心の声を軽薄にしがちですが、

ピンチをチャンスにする人や
巡りが良い人とか
そもそも危機が少ない人等は、

自然とこの「声」を重聴しているものです。

と、
ここまでは割とやってる人が多いです。

ここからがあまりやらない事ですが、
その声を何でも聞いて実行するのではなく

ちゃんと「選別」をする。

自分の想像妄想なのか願望なのか
善い自分の声なのか
駄目な自分の声なのか
支援してくれてる存在の声なのか
干渉している存在の声なのか

よくよく聴くと
かなりのレパートリーに別れている事が
ハッキリと分かる筈です。

その内容をしっかりと聞き分けて
出処をソートする。

これをやる事で、
どうしても自身に都合の良い部分だけを
聴いてしまうというのを回避出来ますし、

駄目な自分の誘い、つまり欲の暴走ですが
それを制御(コントロール)する事も
可能となります。

所謂、
「常に真逆の感情を思考する」を
実践可能にするという事です。





自分の声にも真摯に
耳を傾ける事が出来ない人が

他人様の声に耳を傾ける事が
出来る筈もありません。

自身では人様の話を聞いているとは
思っていても、話を終えた後に
恨み節を口にしたり思ったりする。

ちゃんと聞いてて選別が出来れば、
口を挟む事も出来るし、
途中で切り上げたり、
後に引導を渡す事も出来る。

禍根を最小限度に留める事が可能なので
徒に運気を下げる様な真似をせずに済む。

けれども、それは日頃から使っていないと
中々どうしていざ使えるものでもないです。

なので、その練習も兼ねて
自分の心の中の声をちゃんと聴いて
選別をするという業が必要となるのですね。

こういう地味な努力を重ねる事で
自身の周りから貧乏神が離れていきます。

また、貧乏神化する要素でもある、
自分の中の「駄目な自分」についても
抑制する事が出来る様になります。

そして、
運気は上がって維持できる。

心も身体(脳みそ)も使いますから
想像以上に疲れますけど、
やってみましょう。

努力無くして幸は無しですよ^^


2024年8月24日土曜日

価値基準を持つ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。





物事の判断をする価値基準として
どうしても金銭という点に
固執してしまいがちです。

ですが、一にも二にも
金銭価値で判断するというのは
人として愉しく生活をする
それを目標とする点に於いては
ちょっと道を逸れているかと思います。

金銭以外の価値基準を
自分の中でしっかりと持つ。
それは
偏に「想い」という事になります。

例えば、
日頃の生活の中でお金に対して
必ず意識はしますが、

お金の為に仕事をしたり、
家事をしたりという事は無い筈です。

家族の為、大切な人の為、
愉しみの為…

動機は様々であっても、
そこにあるのは「想い」ですよね。





生活が困窮したり
辛かったりする人からすれば
そんな事言ってられない
詭弁だ綺麗事だとなると思います。

あにきもそういう大ピンチを
経験した事がありますから、
意味は分かります。

けれども、そのピンチの中でも
心を助けてくれたのは
お金ではなくて人からの想いでした。

金銭価値に振り回されたあまり、
「想い」という大切な要素を
しっかりと理解する事が出来なかった。

結果として大変な経験をしましたが、
だからこそ、人の想いの大切さを
理解する事が出来て今があります。





普段の生活の中で、
自分の価値基準をしっかりと持つ。

これは、
「想いを形にする」という事に
他なりません。

本当に大切なのは「想い」です。
そこに気が付くと、
自然と危険回避が出来る様になります。

金銭価値だけを基準としてしまうと、
そこに目を付けた同類が寄ってきます。

つまり、
貧乏神に付け入る隙を
与えてしまうという意味です。

そうなってしまうと、
幸運も幸福も果ては運気そのものも下がり、
手持ちの生活費さえも無情に流れていきます。

金銭というのは生活の手段であって
決して目的に成り得るものではありません。

何かを判断する時に
金銭から目線を離して、
ご自身の大切とする想いを芯に据えた

「自分だけの価値基準」

で判断してみて下さい。

面白い程に結果はすぐに出ますよ。
安物買いの銭失いもしなくなりますよ。



2024年8月21日水曜日

愉しむ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、考え方について
お話をしたいと思います。





瞬間瞬間を愉しむとか
人として愉しむとか
常に全力で愉しむとか

と、
事ある毎にあにきは話していますが、
どうして「楽」ではなくて
「愉」を使っているのかと
思われた方も居ると思います。

これは、想いに起因しています。

人が何かを行って気持ちが高揚した時に
嬉しさや楽しさと言った
感情が心内に芽生えますが、

その時に、想いはどうでしょうか
という部分なのですね。





例えば、
子供の頃、無邪気に遊んでいて
デカい蟻の巣を見付けたとします。

男の子あるあるですが、
水没させたり掘って破壊してみたり
色々やります。

ウキウキして楽しいです。

同様に、
昆虫やザリガニをケースに入れて
飼って観察する事もします。

色々発見出来て楽しいです。
捕まえて満足して後は親御さん管理
というケースの方が多いでしょうけどw
ここでは例え話なのでそれは割愛。

さて、
ここで注視するべきは、
何を基準として満たしているか
という点です。

水没破壊の場合は、単純な欲です。
破壊願望という名の欲ですね。
支配欲とも言えるかも知れません。

この行為そのものは悪ではないです。
ただ、欲に忠実というのは宜しくも無いので、
その後に大人が諭す必要はありますね。

なので、この場合は想いよりも
欲が起因となっているので
「楽しむ」となります。





飼って観察の場合は、
殺すのではなく活かして観る事になります。

興味という欲が出だしとはなりますが、
活かして観るという点が
飼っている存在に対して
愛着を沸かせていきます。

つまり、想いが発生増幅します。

その想いの力の中で、
心を諭していく様になります。
それが故に楽しいという事になるので、

この場合は「愉しむ」となります。

ちょっと分かり難かったかも知れませんが、
人は楽しむ感情が生まれる時に
意外と心を意識しないものなのですね。

詰まる所、想いです。
想いが有っても無くても「楽」という
一括りで済ませてしまう。

そこを敢えて掘り下げて
「楽」という点を因数分解した時に
想いのありかが視えてきます。

想いのある「楽」と無い「楽」では
実は全くの別物であって
自身や周りに与える影響力も
全く違うものとなる事が覗えます。

ですから、どうせなら
想いが載っていた方が善きじゃん。
善きに決まってるじゃん。

それに学びも得るものも多いです。
という経緯から
想いを以て心を諭すという
「愉」を使っている訳です。

日頃色んな愉しみがありますが、
皆さんも想いをいざ意識すると

視聴きする世界も人や子供に対する
接し方も諭し方も変わってきますよ。



2024年8月20日火曜日

生き生きとしよう(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は善い事について
お話をしたいと思います。





幸運やら幸福やら
言い方は何でも良いですが、
詰まる所、好転させたいと
考えている人は多いと思いますが

その為には
必要な物事というのがあります。

物を身に着けるだの、
パワースポットやら寺社仏閣やら
縁起を担ぐ方向へ考えてしまいがちですが

それよりも日々の生活の中で
常に実践出来る事の方が
何百倍も好転へ繋がります。

新しいものを見付けたり、
新しい事をやってみたり
大きな事じゃなくて良いんです。

目標と目的を立てて、
それに向かって地味に動く。
本当に何でも良いです。

子供の夏休みの宿題の様に
虫や花の観察でも良いし、
自己観察でも良いです。

その観察の中で、
気を付けてほしいのは、

「いつもと同じ」

とは、決して思わない事。





いつもと同じだと思ったりすると
決め付けや思い込みが先行して
新たな発見から遠退きます。

また、ルーティン化してしまうので
観察ではなくて
「作業」となってしまうのです。

これでは、
続けられるものも続きません。

好転に必要なのは「活力」です。
最も身近な活力は、
「発見」「観察」「分析」「報告」

何でも良いです。知らない事
つまり、謎ですね。

それを発見した時、
それを観察して内容を分析して
話せる人に報告をする。

堅苦しい書き方だとこうですが、
思い出して下さい。
子供の頃、何かを見付けた時に
親御さんとか友達とか兄弟とかに

「〇〇って〇〇なんだよー!」

みたいに話したりしませんでしたか。
それです。活力。

今思えば、
結構どーでもいい事でしたよね。
だけど、大興奮☆

大切なのは、その気概なのですよ。
これは幾つになっても
おっさんおばさんになっても
じじばばになっても変わりません。





好転させるには何よりもまず
生き生きとする方向へシフトさせるのが
必須事項なのですね。

大人になると「目標目的」という言葉に
負けてしまって大層な事をぶち上げて
大きく大きく捉えてしまって
長続きしない。

ですが、恥を忍んで童心に帰って
小さい物事ならどうですか
幾つも同時に出来ますし負担も少ないです。

ですからね、
常々申し上げているんですよ
小さい幸せを見付ける努力をしましょうと。

では、逆を見た時に、
生き生きしていない人はどうでしょう。

大抵の場合、
日頃からルーティン化を重視します。
ある程度のルーティン化は大切です。
大人は忙しいですからね。

けれども、それは場面場面で
切り替えられる筈です。

それすらもしないで、何でも固定。
そうなると全てが作業です。
それでは生き生きとするどころか
疲弊感しか募っていきません。

そうやって活力は減少していき
幸運やら幸福やら皆さんが大好きな
運気と言うのは下がっていくんです。

好転させるのは何よりも自身の努力です。
難しく考えないで、まずは行動。

小さい物事を上手く使って
小さい幸せを沢山見付けましょう。


2024年8月10日土曜日

苦しみと厄災(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は予知や予期について
お話をしたいと思います。





この業界で切っても切れないのが
予知や予期です。

そりゃそうなんですよね、
こうした方が良いとか、
あーした方が良いとかって話そのものが
大枠では予知や予期ですから。

その中でも、災厄というものについて
聞かれる事があります。

これに関してはとても難しくてですね
来るか来ないかという話で言うと

「必ず来る」

という答えになってしまいます。
そりゃそうなんですよね、
地球が相手なんですから。

風邪を引きますか引きませんか
怪我をしますかしませんか

って、質問を
地球レベルで聞かれてるのと同じです。

しかも、地球規模で言うならば
地震や津波も、人で例えるなら

風邪やささくれ程度の怪我と
同じ様なもんです。
地殻なんてのは人で言うなら
皮の部分みたいな話ですからね。

それを何時いつなんて
ハッキリとは言えませんよ。
言える人がそれをやれば良いし、

あにきは言えません。
何故ならば、
時間の感覚が地球は人と違うし
人なら数分の違いが、
地球なら数日や数ヶ月はたまた数年
数十年なんてのはザラになるからです。

それに、意識の観点から鑑みても
あまり乗り気にはなれません。

意識をするとその瞬間から
物質化が始まります。

災厄が来る来ると意識すれば来るんです。
少なくとも、そこへ向かって進んで行く。

それを助長する様な真似はしたくない。
なので、言えないしやらない。





また、聞いてくる皆さんは、
恐怖心や遊び心から
聞いてくる人が大半です。

それは、自分の欲を満たす為だけの
下らない動機です。
リテラシーがあまりにも低すぎる。

そんな恥知らずの為に、
人を犠牲にしてしまうかも知れない様な
話をするほど愚かではないです。

どうせ話をするなら、
災厄の予測を外す為の話をしたいですからね。
その方がハッピーになれるでしょ。

でもって、
「外れた」「外してやったぜ」と
笑いながら万歳をしたいですもの。

けれども、事象としては
必ず来るのが決まっている。

で、あるならば、
災厄に備えたり、何せその後を生き延びる
という考えを大切にした方が
どう鑑みても間違いないのです。

災厄そのものにフューチャーしても、
それは一過性の事象に過ぎません。
その後の事の方が数百倍は大変です。

詳しい事を決してここでは書きませんが、
秘密結社あにきの会合では
かなり詳細に話しています。

身近な所で言えば、
近々で起こるであろう地震などの災厄も
数ヶ月前に図解付きで話していますし、
時期などについても同様です。

そして、何よりもその後の展開と
自分達の動き方、必須な思考など、
非科学だけではなく超現実的に捉えて
皆さんと意見を交わしています。

世の中には当たるよりも
外れた方が良い事もある。

避けられる事もあれば
決して逃れられない事もある。

その後に生きるのも
その後に活かすのも
何をするにも自分達
「受け止める側」次第なのですからね。


2024年8月7日水曜日

嫌な事と善い事(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は大切な考え方について
お話をしたいと思います。





日頃の生活の中で、
嫌な事というのはどんなに小さい事でも
記憶に残ります。

例えば、
今朝から今の今に至るまでの間でも
キレたりムカついたり

純粋に嫌だと思う事の方が
頭の中を占めている人が多いと思います。

ですが、
少し疑問に思いませんか?

本当に嫌な事ばかりでしたか?
善い事なんて一つも無かったですか?

嫌な事は覚えているのに
善い事は覚えていない?

そんなに嫌な事だらけでしょうか?

半々とかならいざ知らず
全く覚えていない
全くないというのは、
普通に考えておかしいと思いませんか?





ぶっちゃけた話、
1(嫌な事):9(善い事)の割合で
実際には善い事の方が多いです。

では、どうして善い事というのは
覚えていないと錯覚するのか。

それは、善い事があまりにも小さいのと
本当の意味での善い事というのは
俗欲に属さない事だからです。

あまりにも小さくてあまりにも多いから
感覚がバグっていて視えなくなっている。

森の中に居ながら
「木はどこにある?」と、
間抜け面して探している様なものです。

普段の生活の中で、
特段の嫌な事が無い状態が普通なのに、
どういう訳か嫌な事を作ろうとする。

少なくとも自分には善い事尽くめだなと
思う事が出来るのなら、
ほんの少しの嫌な事などは
気にも留めない筈です。

ですが、気に留めるどころか
気になって仕方ないレベルまで
嫌な事を記憶してしまうのは、

思っている以上に善い事に
囲まれているから。





善い事というのは想像以上に小さいです。
当たり前の事が当たり前に行える。
それが本当の意味での善い事の典型。

この理の中に属しながら
この理屈が理解出来ない。

だからこそ、

(欲を芯に据えた)
自分にとっての善い事
皆が羨むような善い事

を探そうとする。

けれども、それは欲中心ですから
善い事ではなく嫌な事の方に
属するものなのですね。

つまり、
善い事=小さい幸せ
という事に気が付けないと、

嫌な事を忌避すると言いつつ
嫌な事を望む様になっていき

本当に嫌な事が重なっていって
貧乏神の入口に立ち、
やがては地獄堕ちする。





欲と言うのは消せません。
寧ろ、この現世で生きていくのに
必須のものです。

欲は手段でありきっかけです。
決して目的とするものではないのです。

だから、制御をしなければいけないし、
欲というものを理解しないといけない。

自分は幸せな環境にいる
というのを理解しないで、

もっともっと moer and more と
あれやこれや欲し続ける。

結果、善い事が分からなくなって
嫌な事ばかりが目に付いていく。

もっと周りを視て、
もっと自分を覗いてみましょう。

足るを知る事に注力すれば
善い事の数や輝きがハッキリと視えますよ。
善い事を決して忘れる事はありませんからね。




2024年8月6日火曜日

その身一つで(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は想いの繋がりについて
お話をしたいと思います。





スピ系の仕事をやっていますと
自分以外の誰かを視たり
知ったりする為に

写真が必要ですかとか
何かしらの物が必要ですかとか

その手の台詞をお客さん側から
質問される事があるのですが、

その手の物は一切必要無いです。

何故かと言うと、
その物から視えてくる事よりも
ターゲットはそのお客さんと
何かしらの想いや念で
直接繋がっているのですから

それを汲み取った方が確実なのですね。

おまけにですけど、
いきなり物から入ってしまうと
お客さんにとっても不利になります。

つまるところ能力者側の
逃げ道を作ってしまう事になるからです。
貴方の持ってきた物のせいにすれば
言い訳が作れてしまいますからね。

それに、根本的な事ですが、
物で左右する能力なんて素人レベルです。

そんな輩に時間を使う事自体が
お客さんにとって損だと言えます。

ですから、

「責任を以て相対する」

という意味合いも込めて
あにきは物に頼らずその身一つで
やっている感じです。





同時にこれはお客さんにも言える事で、

「人の想いの繋がりを大切にする」

という事の「基本概念及び基礎所作」
となります。

一にも二にも物に頼るというのは、
想いそのものを無碍にする愚行です。

「想いを保持させる」
「増幅させる」「抑える制御する」

という様な目的で持つのが最適です。

物先行となってしまうと、
想いは減衰して念が増加します。
つまり、恨みが増えるという事です。

考えてみて下さい。

貴方に大切な人が居て、
その人と共通の物を持つ。
指輪とか何でも良いです。

それは、大切な人との想いが
お互いに繋がっていて示し合わせたから
持つ訳ですよね。

この順番が逆ならどうですか?
想いの矛先は人ですか物ですか?

物ありきで繋がっている事が分かった時、
その人が貴方に向けるのは
想いですかね?念ですかね?

こういう事になる訳です。

なので、物は後回しで
想いや念の検索を最重要事項とするのが
正しいやり方なのですね。

それを応用しているのが霊視や遠視です。
会ってもいないのに分かるってのは
これを常にやっているからなのですよ。

皆さんも慣れれば出来ますからね。


2024年8月4日日曜日

知らない怖さ(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は無知による恐怖について
お話をしたいと思います。





先日のインスタにも少しだけ
書きましたが、

霊や霊らしい存在を見たり
感じた時に怖いと思うのは
霊という存在の事だけでなく

霊の居る世界観など基礎的知識を
知らないからです。

ある程度の情報を知ってしまえば
恐怖心など無いに等しくなります。

少なくとも従前の様な怖さは消えて
本当に恐怖を感じなければならない点を
しっかりと踏まえる事が出来ます。

そうでないから、
矢鱈めったら怖がるだけで
そうなれば一方的にやられてしまうし

善い霊や自然霊に相対しても
悪霊だと断じてしまって
結果として罰を受けます。





生きてる人や動物が相手でも
同様の事が言えますよね。
視えていれば対策が取れるけど、

いきなり出くわすとなると
例えそれが虫の一匹でも
ひえっ!ってなるでしょ?

同じことなんですよ。霊も。
それに、皆さんが思っているほど
霊は憑いてきません。

それを駄目な事だと認識しているから。
非常識な事だと分かっているから。

それでも憑いてくる奴というのは、
生きてた時から普通じゃないです。

普通に罪人とか
そういう目に視える奴も居ますが
それよりも、普通に生きていた貧乏神
なんかの方が多いです。

要は、そこら辺に居る人って事です。

そういう人はね、生きてる時から
片鱗が出ています。





けど、それよりも圧倒的に多いのが
普通に良識のある霊。
つまり、善い霊。

どうしてそんなに多いのか
なんでそんなに少ないのか
そもそも何処に居るのか
成仏ってなに

そういった情報を知らなすぎるから
怖い。

世に出回っている下らない些末な情報
稚拙な話、中途半端な能力者の話
そんなのに踊らさせれいるから怖い。

実際に知ってしまえば
本当に徒な恐怖心は消えます。

現に、あにきのお客さん達。
とりわけレクチャーを受け続けている方々は
そういう陳腐な恐怖心は消えています。

今更悪霊なんてと、
鼻で笑うレベルになってるという事です。
知るというのはこういう意味ですからね。

それとね、憑依される人。
憑く悪霊が悪いと断罪しているけど、
憑かれる原因を作っているのは

される側の人間ですからね。
それを理解出来なければ、
どこまでも憑依は続きますからね。