2023年4月30日日曜日

誰のための?(人の見極め方)

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回も人の見極め方についてです。
(やはり各種先生方向けの内容となります)




ー今までの当たり前が間違いだと気付けるかー


人の話を聞く際に、ただ漠然と話を聞くのは
時間の無駄になります。
ですが、それをしてしまっている先生方も多いはずです。

そんな事はないです!
と、お叱りの言葉を戴きそうですが、

この、漠然と聞く。
という中には、「感情を込めて聞く」という点も
含まれています。

話を聞く際に、感情を込めて聞くのはご法度です。
その瞬間に話の方向性が決定付けられてしまい、
客観的な目線での判断が出来なくなるからです。

話を聞く際は、相手が大人でも子供でも
どんな時でも

「心は冷静に...」
見た目は寄り添って...」

が、基本となります。




ー常に観察、常に分析、常に冷静にー


その話を聞いている中で、
先生方がやらなければならない事は、
『話の主体と目的が誰なのか?』という点の精査です。

相手が話しているから、その人の話なのだろう!
と、決め付けてかかるのは危険です。

どんな場合でもありますが、
『他人の経験を、さも自分の経験の様に話す』
これが出来るのが人です。

これが自分の目の前で起きたことでも、
ネットでの拾得物でも、人は同じ様に話します。

そこで、きちんと前振りをしてくれる人であれば
話の中でとても信用が出来ますが、
では、自己顕示欲に駆られた人であればどうでしょうか?

この場合だと、まず前振りはしません。
「僕(私)すごいでしょー」
と、されたい訳ですから。

その時に、先生方におかれましては、
『必ず話の主体と目的が誰なのか?』
を常に精査しながら聞いてなければいけません。

でないと、悪戯に相手に振り回されてしまって、
先生方の本領も発揮できなくなってしまうのですね。




ー感情よりも見た目の寄り添いー


この様な状況下で、感情移入をして話を聞くことを
想像してみて下さい。
それが不純物以外の何物でもないのは、
先生方が一番ご理解されていると思います。

目に映る全てのものがメッセージではなく、
目に映る全てのものが偽りと化すからです。

しかしながら、世間的には
「ちゃんと寄り添って聞きましょうね☆」
という教え方が一般的だと思いますし、
これを忠実に守られている先生方も多いと思います。

よく考えてみて下さい。
寄り添えとは言ってますが、感情移入しろとは言ってない。

寄り添う=優しくする=感情をぶっ込む

この間違った流れを勝手に決めているのは、
誰でもない、先生!あなたです。

寄り添うのはあくまでもフリでいい。
頭の中では常に解析、分析。

優しさは大切だけれども、
優しさの用法用量を間違えると、
あっという間に視界が遮られてしまう
色眼鏡だと思って下さい。ついでに、思考も毒されます。




ー最初から無かった裏切りー


先生方が仮に感情移入をして話を聞いてしまっていた場合、
最初から間違えて事を進めていた訳ですから、
結果もご自身の思惑に沿った内容となることは皆無です。

そこで、先生方はきっと自己嫌悪や
自己憐憫に陥るでしょう。

「どうして言う事を聞いてくれなかったんだ...」
「なんで私を裏切ったんだ...」
「私なんてどうせこんな程度なんだ...

こういった具合ですね。

けれども、よく考えてみれば分かりますが、
最初の出だしで躓いている訳ですから、
相手の裏切りも何も端っから存在していないんです。

寧ろ、裏切ったのは、
先生方が先生方ご自身を裏切っていただけ。

往々にしてこういった結果となる訳ですから、
感情は疎か、優しさの分量を間違えてはいけないのです。




ー己の感情の大切さを知る 感情の安売りは厳禁ー


どんなに感情が揺さぶられても、
まずは冷静に話を聞く。客観的に分析をする。

『いつ?誰が?どこで?どうして?何が?何で?』

を、兎にも角にも時系列順に纏めながら
されど見た目はしっかりと寄り添って
話を聞いてあげる。

そうするだけで、
どこが問題で、何がポイントなのか?
話の偽りの有無や虚構なども、ある程度は見極められます。

先生方が感情を入れるのは、ここから先なのです。
分かりますか?
相手の話をこの様な感じで冷静に聞いて、
先生方がご意見を述べる番となって、
初めて先生方の感情が必要になってくるんです。

ここで出る感情は、決して相手に即した感情ではなく、
先生方が独自で得られた感情の筈です。

これが、あにきが常々話している

『相手の土俵に入るのではなく、自分の土俵に引きこむ』

という見極めの手法となります。

つまり、日頃より

怒るのはダメ!泣くのはダメ!
笑っていなきゃダメ!綺麗な事を言ってなきゃダメ!

などの、感情の偏りが激しかったり、
感情を殺す、押し殺す事がどれだけ罰当たりな事か!
というのが、こういった点から先生方には、
ご理解して頂けるものと思っています。

綺麗事に惑わされずに頑張っていきましょう!


2023年4月28日金曜日

時の流れを把握する(人の見極め方)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は人の見極め方についてです。
(各種先生方向けの内容となります。)




人を見極める!というと、
何だか堅っ苦しい響きで難しそうに聞こえますが...

確かに難しいですwww

ですが、誰しもが大なり小なり普段から行っているし、
その場で体験や経験をしている事でもありますね。

また、見極めるとは言っても、
ポイントがいくつかあります。

その中でも今回は『話の聞き方』の
簡単なポイントです。




先生方は日々、様々な方々とお話をされると思います。
この時に、

「ご自分の思った通りの反応が得られない」とか、
「話が通じない」とか、
「そもそもが聞いてくれない」とか、

色々と難に直面されていると思います。

こういった時に、
どうしても相手(生徒さんやお子さん)基準で考えがちに
なってしまいますが、
まずは、ご自分の姿勢を今一度ご自分に問いかけてみましょう。

シャキッとさせるの?(・ω・`)ワカリマセン...

まぁ、それも良いですけど、ここでいう姿勢とは
『聞く姿勢』になります。

相手の話を聞く際に、自分がちゃんと時間というものを
意識しているのかを考えてみて下さい。

相手が

『現在』の心情で語っているのか?
『過去』の心情で語っているのか?
『未来』の妄想で語っているのか?

ここを認識する必要があります。




現在や過去は分かるとして、
未来ってのは?何ぞ?!
そんな奴いないでしょ?
と、思いますよね。

ですが、これは結構あります。
こうします!やります!できます!
やりたいです!やってみます!がんばります!etc...

これらは全て未来の妄想。
その時の正規の心情ではないです。
何故か?まだ何もやってないからですよ。

ただの未然形です。

これを現在の心情だと勘違いして受け取ってしまうと、
「あんなにやる気があったのに...」
など、後々にガッカリ系な感情を抱いてしまう原因となる。

先生方によっては、真面目さが災いして
自己嫌悪に陥ってしまう事もあるかも知れません。

なので、相手と話をする際には、
必ず時の流れを把握することが大切になります。




聞く姿勢というのは、こういう観点から見直します。
相手が大人だろうが子供だろうが、
この視点を間違えると、その先の結果にも影響が出ます。

例えるならば、
ほんの数ミリのズレが到達点では数メートルのずれとなる
射撃や砲撃と同じです。
(地球の自転とかが関わらないだけマシですがねw)

人は写し鏡です。
相手の問題が顕著な場合は、まず自分からチェックする。
その方法の一つが今回の内容って事ですね。


2023年4月27日木曜日

悩みを相談するタイミングと人選や心構え

皆さんこんばんは、あにきです^^

今回は悩みを相談する時の事について
お話していこうかと思います。




ー相談するタイミングー

自分の抱えている悩みっていうのは、
実際に相談をするタイミングを気に掛ける事で
自身の心を軽くする事が出来ます。

では、どういったタイミングで
相談すべきなの?って、事なんですが、

悩みが小さい内に相談をするんですね。

とは言え、自分で何にも考えないで
最初っから相談へ走るのも駄目な事ですから、
それはやってはいけない。

自分でも考えてみる!
という事が必要。

例えば、何かしらの悩みがあったとします。

一度考えてみる → 答えが出ない

もう一度考えてみる → 何か薄らぼんやり...

再度考えてみる → 何かモヤモヤ...

このタイミングで相談をする!!!

悩みってのは、一人で考えれば考えるほどに
どんどんと大きくなっていきます。




ーどういう人を選べばいいー

よく、
「吐き出せば楽になるよ!」
とは聞きますが、

これも落とし穴で、悩みの内容によっては
吐き出す相手を間違えてしまうと
取り返しがつかない程に悪化してしまいます。

身近な人だから、友達だから、家族だから
そう言った「見た目の枠」だけで人を選んで相談すると、
ただ悪戯に問題の種を肥大化させてしまう...
という事が多いです。

自分の悩みについて、

「客観的に捉えて意見を言ってくれるのか?」
「解決に向けて同情無しで意見を言ってくれるのか?」
「聞こえの良い言葉であやふやにしないか?」
「悩みを受け止めてくれる器の大きさがあるのか?」

少なくともここら辺を考えて相談する人を選んで
吐き出さないと
失敗したり、遠回りになったり、
望んだ結果が生まれない...なんて事が多いわけです。

言い換えれば、ここをクリアしていれば、
別に身内でも誰でもイイ!って事になります。




ー悩みと慰めの違いー

ここで少しだけプロ視点に変えてみて、
人の内側を視る旅に出てみましょう。

悩みや相談を受ける人に向けた話です。

まず、
「優しい言葉や優しい接し方を第一に望んでる時」は、
悩んでいるのではなく、慰めを欲しています。

何で慰めを欲しているのか?
その原因が悩み...という点はありますが、
この場合、
基本的に現状での問題そのものは「薄い」です。
もしくは、
漠然とし過ぎていて、「自分でも気付いていない」です。




自分でも気付いていて、悩みとして認識をしている時は、
優しさよりも「客観的な視点での分析や解析」を望みます。

モヤモヤしている時に、
同情を受けたり、優しい言葉や綺麗事を並べられて
逆にイライラしたりする…

ちゃんと悩みを聞いていたり、相談を聞いてるのに
相手のイライラが増していく…

こんな経験をされた方も多いはずです。

これは、相手も自分も悩みと慰めの違いを
しっかりと認識していないからこそ起こる齟齬です。

相手が使っている言葉の持つ意味を考えながら
意識しながら理解しようと話をしっかりと聞く。

相手が何を求めているのかを考えずに、
自分の意見や思考を押し付けるから齟齬が生まれる。

人を見極めると言えば簡単ですが、
要は、先入観を捨ててちゃんと聞いてごらん!
という事。




ー相談する側の心構え "踏み込む勇気” ー

相談する側に目線を戻してみましょう。
悩んでいる人は、その名の通り悩んでいる訳ですから
「たすけてーー(;ω;)」となっています。

ですが、その時でも自分自身でやれる事はあります。
これをやるのとやらないのでは、大きく差が出ます。

自分に向けた愛情はしっかりと保ちつつも、
悩みに対してどこまでもドライに捉える事を意識する。

まずは、それを自分自身で実践する。
これが「考える」という心構え。

先述したタイミングに戻りますが、
自分で考えてみた結果、何かモヤモヤまで進んだら、
ここで人に相談をする。

考える回数は人によって異なります。
必ず3回考えろという意味でもないし、
一回でモヤる人もいる。

大切なのは、必要以上に長引かせて悩みを拗らせない事。
そうすると自分で考えるのは、3回くらいまでが良いよね
限界だよね?という指標なんですね。

また、考えるにしてもポイントがあります。

「自分とその周り、問題点の中心は何なのか?」
「様子見をして平気なのか?」
「即時行動すべきなのか?」
「解決させる!という点に向かって自分は動いているのか?」

これらのポイントを踏まえつつ、視点をちゃんと固定して
「楽という悦に浸らない」様に考える。

人は悩んでいる時に限って、やたらと周囲を意識したり
気に掛けたりし始めます。
そうする事で自分が楽になるからです。

「これ以上、口を出したらしつこいかも知れない…」
「非常識だと思われるかも知れない…」

問題があって悩んでいる時、相談している時、
相談した後で浮かんでくるこれらの言葉は、
大概の場合、全てあなたが勝手に描いた妄想です。
つまり、「楽という悦」。

これに浸った時点から事態の悪化は加速を始めます。
察して止めてくれる人も居るとは思いますが、
なかなかどうして難しいです。

楽という悦に浸りそうになったら、
踏み込む勇気を忘れずに!



2023年4月21日金曜日

本音と建前(気付きの応用)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は本音と建前についてです。
日頃から人と話をする時に、
日本人は黙ってこの技を駆使しますよね。

良い文化だと思います。
実際にあにきも使ってますし。

ですが、この本音と建前。
使い方を間違えると
ただの恨み製造機にしかなりません。




どういう風に使うとマズいのか?
端的に言うと、誰にでも使うもんじゃない!
って、事ですね。

イマイチ要領の掴めない相手とか、
距離のある相手、一期一会な相手、
どうでもいい相手、とかに使うのは
持ってこいですし、攻撃性が無くなって
とても善きだと思います。

けれども、これを
親身になってくれてる人、
とても近しい人、分かり合えている人、
などに行った場合、

攻撃性が無くなるどころか、
相手から数倍になって返ってきます。
何が? 恨みが^^




親身になってくれてる人に対して、
本音を言わないというのは、
少々飾り過ぎですし、失礼に当たります。

何でもかんでもそうしろとは言いませんよ。
ですが、ポイントを間違えると、
確実に亀裂が生じます。

角が立たない様にしたいから、

買うつもりがないけど、購入をチラつかせたり
行くつもりがないけど、行くのをチラつかせたり、
遊ぶつもりがないけど、遊ぶのをチラつかせたり、

それでいて断ったり、安易な選択や安価な選択をする。




身近な人や親身になってくれる人ほど、
相手の心を見透かします。
ただ一緒にいるだけなら誤魔化せますが、
そうでない人を相手にこれを使うには
相当なテクニックが必要です。

今まで色んな方々を視てきましたが、
これで恨みを爆買いしている人は相当数います。

ここでのポイントは何かというと、
誰に向かった想いで建前を述べているのか?
という点です。

(相手に)角が立たない様にしたい!

違うよね。

(自分に対して)角が立たない様にしたい!

だよね。




そんなだから見透かされてしまう。
角を立たせたくなければ、本音を言えばいい。
買うお金がない。行きたくない。遊びたくない。
これこれこうだから...ごめんなさい!

と、素直に話せばいい。

にも拘わらず、それが出来ないのは、
ちっぽけな自分のプライドを守りたい。
マウントを取りたい取られたくない。
なんていう、矮小な想いが邪魔をするから。

つまり、自分の弱点を視ていないで
周りばっかりを気にしているから。
お金が大好きで、価値観をそこでしか見出せないから。
まだその感覚を引き摺っているから。

自分の価値観なぞ、自分で決めればいい。
人に決められたり、周りに流されたりして
決めるものではないんです。

なので、素直にこれが出来る様になった人は
本当に素晴らしいです^^b




また、本音と建前ってのは便利な反面、
強い中毒性もありましてね、

本音を言わずに
イイ子ちゃんぶったり、
イイ男ぶったり、聖人君子ぶったりしてると、
周りにいる烏合の衆にチヤホヤされますから、

どんな時でも本音を言えなくなってくるんです。
こうなると、自分の周りにいる大切な人から
消え去っていく。
本音を言わないんだから当然です。

逆に本音しか言わない人の場合は、
棘だらけですから、途端に人は居なくなる。

そして、両方とも最後に残るのは
カス同然の上っ面大好き人間のみ。

そこからの道筋はテンプレ通りの流れになって、
ステレオタイプの貧乏神が爆誕して終了。




人への説明が面倒臭いから、建前で濁す。
面倒臭いから本音しか言わない。
どちらもNGです。
何でも面倒臭がるのは愚かすぎます。

その面倒臭い部分に意味があるんですからね。

面倒だから楽をする。
端折って楽をしまくれば、そりゃ爆誕しますわw

便利な代物だから、
時と場合と人を視て使うの。
用法用量を守って正しく使うの。

通り一辺倒だったり、馬鹿の一つ覚えってのは、
痛い思いに直結しますから、お気を付けあそばせ^^



2023年4月15日土曜日

かまって系人間(気付きの応用)





皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は自分の弱点についてです。
誰にでも弱点は存在します。
それが人間味ってやつでもあります。

この自分の弱点を知るんじゃなくて、
ちゃんと視る。理解する。
というのが、今回のテーマです。




まず、何で『知る』ではなくて
『視る』なのかというと、
自分の弱点などは、
とっくに御存知だろうからです。

少なくとも今回はそう仮定して話します。
(めんどくさいんでwww)

人には色々な弱点があります。
肉体的にも心的にもね。
ここでは心的な弱点を主観に捉えたいのですが、
気付きを得る事において、自身の弱点を
しっかりと据えて視るのは必要不可欠な行動です。

これが出来ないと、多くの気付きを逃す事になります。
どうしてか?




簡単な話で自分の事すらちゃんと視ようとしない人が、
他人はもとより、周りの事なんて気にすることなど
絶対に出来ないからです。

自分自身の弱点や弱みを晒すのではなくて、
ただ自分で理解して直視する。

それすらも何やかんや言い訳をして、
臭い物に蓋をする事宜しく、行わない、
やる勇気を持たない人が、
他者の事など直視出来るはずがありません。

精々、上っ面だけを見て知ったか振るのが関の山です。




泣こうが喚こうが、自分の事くらいちゃんと視る。
その努力をする。それができなければ、
どんな人からアドバイスを貰っても
活かすことは疎か、活かし切る事など到底出来ません。

トラウマだから…
     怖いから…
        嫌な思い出だから…

逃げ口上は幾らでもありますよ。
作りたかったら作ればいいし、言いたきゃ言えばいい。

けど、それに甘えていたって前には進めないんです。



辛い経験をしたのは分かります。
実際にあにきだってそりゃ辛い思いをしてますよ。

でもね、どんなに辛い経験をしたとしても、
そこへ甘えていいなんて事はないんです。
いずれは乗り越えなきゃ意味がない。

では、どうしてそれが出来ないのか?

人にもよりますけど、
辛い思いをしてる姿を見せたら、
人が優しくしてくれる。
その優しさに甘えて楽をしているからです。

言わば他力本願なだけ。




人の厚意を逆手に取った楽というのは、
本当に厳しい時、初歩の歩、
回復に向けた最初の一手では有効ですし、
お言葉や優しさに甘えるのは良い事だと思います。

困った時はお互い様ですからね。

ならばこそ言いたいのですが、
では、あなたは何を助けたのですか?
その恩に報いて何かをしたのですか?
ちゃんと前を向いて弱点を視て理解したのですか?

していないから、周りも呆れる。
そして、一人また一人と離れていき、孤独に苛まれる。

それを補うために可哀そうな自分をまた演じて、
安っぽい辛さを餌に新たな恩を貪っていく。

これが、かまって系人間の正体。




かまって系人間の行き着く先は何でもない
言わずと知れた貧乏神です。
更にその手の人が亡くなった後に行く所は、
イイところな訳が無い。

人は死んだら終わりじゃないです。
記憶が無くなる?!まさか^^
肉体が無くなるだけで、記憶は保持します。

亡くなってからが長いんですよ。
生きてた時の倍以上はそのままの人格で
過ごすことになります。

イイところじゃない場所へ行ったとすれば、
その糞長い時間を今のあなたが
そのままの状態で過ごす事になるんです。
しかも、今度は逃げられませんからね。
助けてもくれません。どこまでも続く苦痛です。

そうなるのは嫌でしょ?
だから、自分の弱点をちゃんと視なきゃいけない。




自分の弱点を視る。理解する。
人に晒すのではなく、ただ自分で理解をすればいい。
克服をするのでもない。ただ視るだけ。

そこから反省と学習をして、
次にどうやって繋げるのかを思考すればいい。
そして、実行に移す。当然に失敗だってする。
そしたらまた反省と学習を繰り返す。

こうやって自分を紡いでいく。
その過程の中でヒントになるものが転がっている。
それが【 気付き 】であり【 小さい幸せ 】。

こういう流れに持って行かなきゃならないから、
自分の弱点をちゃんと視て理解しないといけないんです。




ま、壮大な話だし、死んだ後の事なんて
映像とかで証明が出来るものでもない。
元々、眉唾物だと思われてるから
信じる信じないなんてどうでもいいけど。

せっかくだから、
かまって系を拗らせた人間が亡くなった後に
どうなるのかをチラッとだけ書きましょか...

いずれ寿命を全うしたらお迎えが来ます。
(狭間で彷徨わなければ)誰でもお迎えに乗ります。
そのあと一瞬真っ暗になったら、その後に視界が開けます。

目の前に広がる荒涼とした空間。
そこで初めて真実を知って、すべてを思い出します。

後悔先に立たずです。

2023年4月8日土曜日

褒める(気付きの応用)

皆さんこんにちは、あにきです^^




今回は褒めることについてです。
褒めると言っても一体何を?
自分自身をですね。

人は、自分を褒めるよりも
自らを謙ったり、蔑んだり、
褒めるよりも悪く言う事の方が多いです。

では、どうして悪く言ってしまうのか?

一つカギになってくるのは、
謙虚さという概念です。




元々は自ら謙って、相手に(気持ちを)譲るための
謙譲がベースになっている概念ですが、
これをちゃんと考えないで使い過ぎてしまうと、
謙るという部分だけが独り歩きしてしまって、

人の悪口や陰口を言っている時の様な
高揚感や中毒性が出てきてしまうんですね。

そして、その中毒性に気が付かないまま
使い続けてしまうので、
自分を悪く言い続けてしまい、
結果として自己嫌悪や自己憐憫に陥ってしまう。




謙虚さを忘れるな!
謙虚さは大切だ!!

自己啓発系の話や、精神論的な話題だと
必ずと言っていいほど出てくるフレーズですが、
これはあくまでも初歩の心構えで大切なもの。

自己嫌悪や自己憐憫に陥っている人に
この心構えを強要すると、確実に悪化をします。
また、行き過ぎた謙虚さは、人を不快にしますし、
果ては自分を失います。

自己の意見を言えなくなるんですよ。
自発的に言わないのではなく、言えなくなる。
せがまれても言えなくなる。言わなくなる。

言葉遣いもドンドンとおかしくなっていって、
果ては感情が無くなっていく。




誰に対してもおかしな丁寧語を使う人がいるでしょ?
一見すると丁寧に聞こえるけど、
聞けば聞くほど話せば話すほど耳に衝いて
得も言えぬ不快な思いになってしまうアレ。

綺麗な言葉、丁寧語を使っていれば良いと勘違いして
使い続けている結果、自分を見失っているから、
いつの間にか、嫌みや不信感を与えてしまっている。
(そして、そのまま貧乏神へ退化...)

ここの根本は、じゃあ一体何なんだ?!




謙虚さってのを通り一辺倒に覚えているからです。
つまりは、馬鹿の一つ覚え。
考える、意識するを忘れてしまって、
その場限りの耳障りの良い言葉に対して
自分を売った結果の一つです。




では、どうすれば良いのか?
謙虚さを捨てれば良いのか?

いやいや、謙虚さを捨ててはいけません!
これはとても大切です。

それよりも、謙ること蔑むことに侵されて
すっかり忘れてしまっている行為を
ちゃんとやってやればいい!

しっかりと褒めるんですよ。自分をね^^

心の中で言うんじゃなくて、声に出して言う。
「私、よく頑張った!」「さすが私!」みたいな。




これもやり過ぎたら増長や傲慢、
自己研鑽、自己満足に毒されるから、
加減ってやつが必要になってくるけど、
何事もバランスが大切だと、
あにきはいつも言ってるよね^^

ちなみにですが、過剰な謙虚さで妙な丁寧語を
乱発している人って、自分は疎か他人も褒めません。
褒めたとしても必ず一言付け加えてダメ出しをします。
まぁ、クソみたいなイヤミですね。

ですからね、謙虚さを保持、維持するのであれば、
必ず自分も人も褒めるを忘れてはいけないのです。

さぁ、何だか色々上手くいかない人は、
とりあえず声に出して自分を褒めてみよっか☆

どうやって褒めるとか難しく考えないで
あにきに会ったことのある人は、口癖を思い出してみ?
「良いじゃーん☆」
「善きじゃーん^0^☆」