皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、お墓参りについて
お話をしたいと思います。
お盆やお彼岸、
ご命日や年末年始などなど
気の向かれた時に、
皆さんお墓参りに行かれると思いますが、
この時、皆さんはどこに意識を向けて
お墓参りをされていますか?
こうやって聞くと殆どの方が
「ご先祖さん達に向けて!」
と、仰ると思います。
まぁ、そうですよね。お墓参りですもの。
では、お墓参りに行かれた時に
お掃除をされると思いますけど、
その時は何を思っていますか?
隅々まで綺麗にしようとか
ちゃんと考えてやっていますか?
汚れている所を見付けても、
「まぁ、いっか!」
みたいに思ってたりしていませんか?
お墓参りの後のスケジュールが
気になってしまってたり、
歩き疲れたりしてしまってたり、
また、来れるしみたいな感じだったりして、
「そんなに細かい部分まで
やらなくていいよ」
とか、言ってやってなかったり
やらなかったりしていませんか?
では、もう一度質問をしますね。
その時の意識は、
「誰のためにやってるんですか?」
ご先祖さんですか?
違いますよね。
ほぼほぼ自分に意識が
向いていると思います。
お墓はお家と違って、
毎日お掃除が出来る訳では無いです。
誰かが足を運ばないと
お掃除が出来ない場所です。
それなのに、自分を優先させるのって
何か少し違っていませんか?
色々な事情で足を運べないなら
いざ知らずですが、
行けるのにやらない。
行ってもやらない。
というのは、
本性が出てしまっていますよ。
それなのに、
自分は日頃から感謝してるとか
口にしたり大っぴらに言ってても
何ら説得力はありません。
本当に感謝しているのであれば、
その時に全力を出すのが本筋です。
それもせずに口先ばかりだから、
上手くいくものも無理だったりする。
まさに自明です。
お墓にご先祖さん達が
住んでる訳ではないですが、
少なくともお骨等はある訳です。
それを目に視える形にしているのが
お墓です。
宗教宗派によって捉え方は様々だと
思いますが、
そんなに小難しく考えないで、
少なくともそこにはご先祖さん達が
「存在した証がある」訳ですよ。
それだけは間違いないのですから、
自分達の意識もそこへ向けないと
人としてどうなのかなと
思いませんか?
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、幸せの得方について
お話をしたいと思います。
偏に幸せと言っても多々ありますが、
大枠で見た場合の幸せという点に
絞って話しますね。
ここでの幸せの得方は
意外と簡単です。
と言いますのも、
何か小難しい事をするのではなく、
「思い遣り」を使うだけだからです。
独りよがりで済ますことなく、
「自分以外の何かのため」
という思いを胸に秘めて行動出来るか否か。
これに尽きるのです。
なので、仕組みはとても簡単。
ただ、実際に実行するとなると
余計な考えが邪魔をしてくるので
難易度が一気に上がって難しくなるのです。
その余計な考えの代表格が
「欲」です。
誰しも心のどこかで、
「自分が一番…」
と、思ってしまっているものです。
これを消す事は叶いません。
人の中に元々セットされている
プログラムなのですから、
消せる訳が無いのですね。
但し、自身での制御は出来る。
自分が自分がと、
前に出てきてしまいそうになるのを
グッと堪えて敢えて自分は後回しにする。
後回しにするだけであって、
ここで気を付けてほしいのは、
自分を無くしたり
殺したりするという意味ではない点です。
あくまでも後回し。
もっと言えば、
自分で手を打たなくても
自分の事は何とかなるだろう!
みたいな考え方です。
それよりも、
目の前やその先にある相手に集中する。
そのために業(おこな)う。
なんやかんやで、
幸せを得る為のきっかけは
ここから産まれてくるものです。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は、
補助霊との向き合い方について
お話をしたいと思います。
日頃から挨拶したり感謝したり
各々様々な形で補助霊さん達に
触れている事と思いますが、
大抵の方々は、
挨拶と感謝止まりですよね。
それがそもそもの間違いで
向き合い方としては
完全にやっちまっている状態です。
補助霊さん達が如何なる存在か?
そこを考えると過ちに気が付きます。
根本的に補助霊とは
補助つまりサポートをする存在です。
誰も「貴方を護る存在」とは、
言っていません。
では、
何をサポートしてくれてるのか?
貴方が人として間違わない様に
人らしく生きるために
現世でしか学べない事を
学ぶための最低限のサポート
これを一生懸命にやってくれているんです。
朝起きた時、夜寝る時に挨拶をする
良い事があった時に感謝する
何か抜け落ちてはいませんかね?
これだと、良い面ばかりなのですよ。
つまり、綺麗事って意味です。
先述した通り、補助霊さん達は
サポートしてくれているんです。
別に貴方を
「おーよしよしヾ(・ω・`)」
と、護っている訳ではないのです。
貴方に必要ならば痛い思いも
ちゃんとさせます。
怪我をさせる事もあれば、
人と別れさせる事もあるし、
苦しめたり哀しめたり
特大級の大失敗をさせる事もある
皆さん的には「嫌だなぁ」と
思われる事だって
それが最善と判断すれば
必要だとするならば
しっかりとやってのけます。
そんな存在が補助霊さん達なんです。
では、聞きますが、
嫌な事があったりした時に補助霊さん達へ
「自分が悪かったです」
とか
「気付かせてくれてありがとう」
とかって言ってますか?
言ってないですよね。
「何で私が...」
「どうして私だけ…」
「ひどい...」「辛い...」「悲しい...」
って、事は心で思っているでしょ。
そういうのを自分本位思考というのです。
どんな時でも補助霊さん達は
貴方の最善を考えてサポートしてくれます。
ですが、
「貴方の最善」=「貴方に好都合なこと」
ではないのですよ。
良い時だけの感謝など、所詮は綺麗事。
駄目な時の反省や謝罪、その上での感謝。
そういう部分も鑑みないといけません。
そして、
補助霊さん達を愛しい存在
家族の様な存在、パートナーとしての存在
そういう目線にならないといけません。
間違っても崇め奉る存在ではないのです。
貴方とは、もっともっとフランクな間柄。
それが補助霊さん達ですからね。
貴方自身が補助霊を
務めてると思えば分かりますよ。
ありきたりな感謝よりも
日頃の会話や過ちの反省や
前向きな姿勢からくる言葉の方が嬉しいでしょ。
皆さんこんにちは、あにきです^^
今回は信じるバランスについて
お話をしたいと思います。
運気UPや単に日々を善くしたいと
色々な事を模索されていると思いますが、
その方法は世の中に多々あれど
中々に倦ねいてしまっている。
これは、手段に頼り過ぎていて
中身をちゃんと考えていないから
起きてしまっている現象です。
実際にちゃんと効果を
発揮するものであったとしても
そこに意識が乗じなければ
どんな事であっても
上手くはいきません。
その意識の中で最も重要なのが
「信じる」というものです。
信じるというのは、
とても簡単ですが凄く難しいです。
物事をしっかりと考えずに
盲信してしまえば自分を見失いますし、
逆に信じなくても自分を見失います。
信じる事は簡単でも、
そのバランスを取る事が難しい。
よく、「自分は何も信じない」と、
公言している人が見受けられますが、
それはとても短絡的で
薄い意思でしかないです。
自分は何も考えません。
自分には何もありません。
自分という個もありません。
と、言っているのと同じです。
そして、
自分を信じてほしい時が来ても
当然ですが信じてもらえる事はないです。
何も信じないと言っている人を
信じる人など居ません。
裏切られたとか辛い過去などが
原因で不信に陥る事は理解出来ます。
実際に、あにき自身にも
そういう時期がありましたからね。
ですが、それでは何も解決しないし
結局、人が善くなる事も無ければ
必然的に自分が善くなる事もないのです。
その状態で、何かをやろうとしても
何かをやっていても
気持ちが載らないのですから、
何一つ効果など発揮しません。
では、
信じるバランスを維持するには、
何が必要になるのかと言いますと、
「考える」
という行為が必要になります。
言われただけの事をやるのではなく、
その理屈を自分もちゃんと思考する。
理解出来なければ、理解に及ぶまで
ちゃんと解説をしてもらう。
一辺倒な解説を見たり聞いたりして
分かった振りで済まさずに、
ちゃんと声に出して質問をする。
こういった基本的な事、
考えて理解するという基礎を用いて
初めて信じるというのが
バランスよく機能します。
その上で、
間違っていたなら訂正をすれば良いし
合わないのであれば辞めれば良い。
「信じる」という行為は
いつだって自由ですし、
押し付けられたり
自分で決め付けたりする様な
類の代物ではないのです。
自然と信じられる様に
ちゃんと考える。
何をやるにしても
そこから本当の効果効能が
発揮されるのです。