2024年4月28日日曜日

おどおどしない(実践シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は変える時の事について
お話をしたいと思います。





変えると言っても色々ありますが、
とりあえず、ここで書く話ですから
自分を変えるという点に絞ります。

今現在の自分が特段嫌では無ければ
変える必要は無いですよね。

ですが、自分を変えたい!
と、切に願うという事は
自分自身に何かしらの嫌な点がある
という事かと推察します。

こういう時に、
おどおどしてしまったり
安全に安全に...
ちょっとずつちょっとずつ...

とかやっていると、
絶対に変えられません。
と言いますか、
途中で変える事自体を忘れます。

それであるならば
そんな事やらない方がマシですし、
やるだけ時間の無駄です。





自分を変えたい時は、
一気に変える動きをします。
極端なくらいが丁度良いです。

あれやこれやと考えたりするより、
形から入らずにまずは動く。

動きながらよく考える事が大切です。

動く前に考えて分かる事よりも、
動いてから初めて分かる事の方が大きいですし、
分かる数も圧倒的に多いです。

まずはやってみて、自分の限界値を知る。
そこから維持継続が可能なポイントを探る。

事前に考える事が100%ダメとは言いませんが
考えれば考える程、身体は動かなくなります。

人は面倒がる生き物なのですからね。

動く時はまずは一気に動いて、
動きながら考える。
動いてみてから考え省みる。

自信が無くてもおどおどはしない
ハッタリで良いから堂々とさせる

自信なんてものは
後から付いてくるものですし、
おどおどして助けてくれるほど
この世は甘くないですからね。

間違っていたらとか
ミスをしたらとか
続けられなかったらとか

余計な事は考えない。
間違ってたりミスったら
誤ればいいじゃない、直せばいいじゃない。

やってみて続けられなそうなら
続けられそうな方法を探ればいいじゃない。

他力本願になったり
出来損ないの完璧主義に
捉われる必要はないんです。

兎にも角にもやってみる!
やりながら考える!

大胆かつ繊細な業が重要なんですよ。



2024年4月23日火曜日

善くなる考え方(知識UPシリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は危機感について
お話をしたいと思います。





日頃を生きている中で、
危機感を得て動くのか、
ただ何となく動くのかで
日常というのは大きく変わります。

特に何か問題が起きた時、
自分がどういう動き方をするのか?
何をすればいいのか?

その時の最善の選択肢を
判断をしなければならない状況へと
陥った際に行動を左右します。

普段から他力本願で動いていれば
当然に自己判断など
出来る訳もないですし
ほんの少し孤立しただけで
パニックに陥ります。

こうなるのを避ける為の考え方は
割と簡単でして、
普段の何気ない行動の際に
どういう考え方をしているのか

その考えを少し改めるだけで
自身の中身が変わっていきます。





よく見かける駄目なパターンの
考え方は、

「~だろう」という考え方です。

「やれるだろう」
「やってくれるだろう」
「してくれるだろう」
「させてくれるだろう」

これですね。
自動車教習所で一度は耳にする言葉です。
「入れてくれるだろう」
「譲ってくれるだろう」
そういう予測は立てたらいけませんよと、
習っている筈です。

これは他力本願になる怖さを
象徴する代表的な考え方です。

車という一歩間違えば
死に直結する道具を使う際に
無自覚さを無くさせる事を念頭に置いて
教えてくれる考え方ですが、

運転時はそんな風には考えていないと
自覚してる人が多いと思いますが、
それ以外の普段の生活内ですと
どうですか?

結構やってしまっていませんか?

ここの中枢にある意識が危機感です。
危機感が無いもしくは
薄いからやってしまう。

人と話すだけとかなら
死に直結はしませんからね。
けれど、人間関係などは須らく悪化します。
それで悩むというスパイラル。





では、どうすれば良いのかと言うと、

「~かもしれない」という考えに
切り替えてみましょう。

「~だろう」は、
相手が何かをしてくれる前提なのに対し、

「~かもしれない」は、
相手が何かをしてくれない前提です。
もしくは、逆パターンをしてくる前提ですね。

先述の様に車で例えると、

「止まってくれない かもしれない」
「入れてくれない かもしれない」
「譲ってくれない かもしれない」

この思考ですと、貴方側としては
当然に警戒しますよね?
これが危機感です。

では、普段の生活でしたらどうでしょう?

「ご飯仕度をしてくれない かもしれない」
「仕事の手伝いをしてくれない かもしれない」
「話を聞いてない かもしれない」

こう考えれば危機感を覚える訳ですから、
貴方は当然に何かしらの行動を始める筈です。
事前に聞くとか、言伝を残しておくとか、
放りっぱなしにはしませんよね?

また、自分にこれを当て嵌めると、
全てとは言い切れませんが
自分本位な行動を抑える事も出来ます。

「これを話したら傷付く かもしれない」
「勝手にやったら怒る かもしれない」

などですね。





事象の全体像が視えていたり、
常に危機感を持ち得ていれば
こんな考え方をする必要はないのですが、

実際に視えていなかったり
危機感を覚えていないから、

陳腐なトラブルを乱発して
妙な悩みを抱える訳です。

ここで書いた方法が全てではないです。
やり過ぎたり考えすぎたりすれば
逆効果に転じますからね。

ですが、目に視えて他力本願だったり
自分本位だったりして
危機感がとても薄く感じられるので
基本的な考え方としての
「かも知れない精神」を
文字に起こしてみました。



2024年4月15日月曜日

何を望むのか

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、
ステップアップについての
お話をしたいと思います。





未来や将来の事を語る人は
大抵の場合、
不安や恐怖を煽るタイプが多いです。

理由は簡単で、
その方がセンセーショナルですし、
人々の目に留まりやすいですからね。

ですが、その結果
当然の様に人々の中には
不安や恐怖、絶望といった気持ちが溢れ
その次に
「自分だけは助かりたい」
という考えが芽生えてきます。

どこに行けば助かる?とか
何をすれば助かる?とか

主語が完全に自分のためという
自分本位な思考回路に陥ります。

防衛本能として備わっているものですから
確かにその通りですが、
あまりにも本能的過ぎる思考です。

以前から話している
ステップアップというのは、
この様な本能的思考を脱する事を指します。

皆が皆、自分を中心に据えているから
争いも絶えませんし、卑屈な形となっていく。

争いは嫌だと言いながらも、
いざ自分が何かに巻き込まれたら
直ぐに自分本位となるでしょ?

そこが問題でそれを変えないとダメ
と、言ってるんですね。





人々は平和を望むと言いながらも
思考回路は既存のまま。
根本や根幹が変わっていないから
平和や安寧というものが来ない。

常に何かに怯えて、何かに震える。

それを打破させる方法は、
人々の意識や考え方そのものを
変えないといけません。

この流れは既に始まっていて、
と言いますか、既定路線なのです。

前回も話しましたが、
今が二年目というのはその既定路線の中での
転換期という話です。

この既定路線そのものは
大昔から続いているものなのですよ。

そこで、人々が何を望むのか...
それが改めて問われる時期が始まっていて
今もその只中にある。
というのが事実です。

この先の近い将来に何かは必ず起こります。
天変地異、人災、戦争、
言い出せばキリがないですが、
何も起きないという方が不自然なのです。

人ですから何が起きるのかを気にするのは
当然の事ですし、それは自然な思考です。

ですが、問題はそこに固執するのではなく、
その時をその先をちゃんと生きられるか?
人として自分ではなく誰かの為にという
思考をちゃんと持ち得て行動できるか?

その誰かという枠の中を
人だけでなく万物に当て嵌めて思考できるか?

そこが確実に問われます。





その中で死も起きれば生もあります。
大量死にばかり視線が向けられがちですが、
そこには確実に「新たな生」もあるんです。

生きたい死にたくないという
本能的過ぎる思考ではなく、

果たして自分は何の為に誰の為に
目の前に広がり視えるものだけでなく
これから目の前に現れる今は視えぬ者へ
一体何が出来るだろうか?

という思考への変貌変化を理解して
日頃から実行に移す事が出来るかどうかが、
鍵となるんです。

とても抽象的な話の羅列となって
申し訳ないのですけどね、
この中心にあるのが愛や愛情であり
思い遣りであるんです。

実行へ移した人は自然と意味が身に入ります。
頭ではなく自然と理解が出来ます。

これが本当に問われるのはもう暫く先ですが
だからこそ、今から話しているのですよ。
ギリギリのタイミングですからね。

神さん仏さんや先人さん達の苦労が
本当に身に沁みるよ。


2024年4月13日土曜日

足りていなかったもの

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回はインスタの補足として
お話をしたいと思います。





本日の#にて、
縄文時代云々と書きましたが、
あの時代
何が足りていなかったのでしょうか?

単純に想いや想いの力、
意識の力とも言いますね、
中今力とも表現できます。

言い方は何でもいいですが、
人の繋がりや想いの繋がりといった
視えてるけど視えない力は

あの時代に確かに存在していました。

ですが、問題はそれが一部の人に
集中していたという点と

それを理解する為の知能と
広める為の知能
この双方が足りていなかった。

これは、とても致命的な問題でした。





一部の人に力が集中するという点は、
これですと、例えその人が善人であっても
時間が経てば間違いなく滅します。

神頼みの様な、一極集中型となるからです。
また、それを見て理解するよりも先に
拝み倒してしまうその他の人の知能の低さと

広めようと努力はしたいけど、
やはり基本的な知能の低い能力者側。

敢えて知能と書きましたが、
これは文化力や科学力、
つまり、
物質的な作用から生じる知能の事を指します。

ここが何よりも大問題だったのです。

これを解消させる方法は二つでした。
1つは自滅。
1つは力を忘れる代わりに科学面の知能を付ける。

ご先祖さん達は、後者を選んだという訳です。
子々孫々が追々に知能を高めて、
自分達の持ち得る力を
ちゃんと発揮できる様に祈って。





ご先祖さん達の目的は、
一部の能力者が力を独占する事ではなく、
誰もが自由に力を使える世を目指していました。

そこで広めたいのですが、
物も語彙も、科学も医療も何もかもが
今とはレベルが違いますから、

大切にすべき点なども教えるに教えられず
伝えるに伝えられない状態。

なので、過去の教えに則って
重要な選択をした。
という訳ですね。

ここまで話しましたので、
視野を現代に戻しますと...

今現在、科学の最先端は
人の意識という面の解明と解析、
新たな局面に入っています。

既存の物質思考な文明社会から、
シンギュラリティを通過し
精神的物質的なハイブリット文明に
移行しつつあります。

ここで、重要になるのが想いそのものです。
「想いの力」ですね。
「意識の具現化」とも言えます。
つまりは、ご先祖さん風に言えば中今力です。





既知の価値基準から新たな価値基準への移行。
その流れはもう既に始まっています。

以前の投稿でも書きましたが、
今はその最初の10年の二年目です。
この10年は淘汰の10年です。

従来の価値基準から
本来の価値基準へ移行出来る人と
難しい人との選別淘汰。

これが明確に行われる10年間。

その先の10年は移行期です。
淘汰が完了した上での秩序形成期。

本来の価値基準は言うまでもなく
想いそのものです。
そこへ向かって、
アナロジーな霊性やスピ関係の非科学側面も
デジタルな最先端科学の結晶も
進み方は違いますが、
ベクトルは同じ方向を向いています。

そして、行き着く先も同じです。
アナログやデジタルで分けない世界が
今の人類(フェーズ3)が目指す
最終到達点です。


2024年4月7日日曜日

常に全力で愉しむ

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回はちょっとした事を
お話をしたいと思います。





人は常に自分との戦いです。
それが嬉しい時も悲しい時も
怒っている時も楽しい時も
いつだって自分との戦いです。

自分が調子に乗れば痛い目を見ますし
自分に閉じ籠っても痛い目に合います。

その中で、悲観に暮れてしまって
何も思考しなかったり
人に頼ってばかりだったり、

何かに全力を傾ける訳でも無く
ただ何となく生きる様になると
ちょっとした事で憐憫の闇に誘われて
渦を巻く様に自に堕ちていきます。





何故にそうなるのかと言うと
そこには人を信じたり慈しんだり
思い遣る気持ちが欠けているからです。

以前から話していますが、
自分が何かをする時に、

「何に対しての思いでやるのか?」

という事を考える事が大切です。
この時に、自分ではなく

「自分以外の誰か何かの為にやる。」

これこそが思い遣りの初想です。





この感覚が無ければ、
瞬間一瞬を愉しむにしても
自分の檻を抜け出す事が叶いませんから
掴めるものも掴めませんし、

それが一人で行う事にせよ
人と行う事にせよ
参観日の後の懇談会よろしく
だんまりで固まって何も得られない。

人の為にという思い遣りさえあれば
ここぞの時の踏ん張りも効けば
何に於いても全力で愉しむ事が出来ます。
例えそれが嫌な事だったとしてもです。

どうにも皆さん忘れがちですが
瞬間一瞬というのは、
永遠ではありません。

その後の刻には確実に続いていますが、
永遠が保証されているものではないです。

貴方が自分本位に浸っているその瞬間にも
何の前触れもなく終わってしまうほど
脆くて壊れやすいのが瞬間一瞬なのです。

だから、無駄には出来ないのです。





何事に於いても、

思い遣りを以て常に全力で愉しむ
思い遣りを以て瞬間一瞬を愉しむ

人として悔いなく生きる為には
どこまで行っても
人への想いが必須になってくるのです。

それが分からないとか、
あーだこーだと屁理屈述べたり
自分が一番
という大義を成就させる幻想を抱くから

「悔いても悔い切れない程の悔い」を

持つ様になる訳です。

人を想いながら何かをやってみれば
それが普通の事だと認識さえすれば
貴方の世界はガラッと変わりますよ。


2024年4月2日火曜日

緩さと堅さ

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は、
ちょっとした考え方について
お話をしたいと思います。





この仕事をしていると
日々多種多様なお客さんに
お会いするのですが、

やはりと言いますか
良くも悪くも
堅めの思考の方が多い感じがします。

まぁ、仕方ないと思います。
こんな商売ですから、
お客さんもあにきの所へ来る前に
他所さんへ行かれてたり

興味を持たれているから、
自分で色々と調べたりしていますからね。

押し付け...とまでは言いませんが、
この業界は、人への言い方的に
それに近いものがありますから

「こうじゃなきゃいけない...」

という様な、決め付け型の堅さを
抱きやすいですからね。





ですが、それは同時に思考停止を
誘いやすいという欠点もあります。

良く言えば、真面目ですが
悪く言えば、思考停止です。

生きていく上で大切なのは
人として愉しむ事です。
そこには、真面目さも必要ですが、
柔軟さや緩さはもっと必要です。

何が起きても臨機応変に対処したり、
人としての器や懐を大きくする、
つまり、
自分を拡げる為にも緩さは必要です。





今日は4月1日エイプリルフールでした。

普通にインスタもUPしましたが、
気が付きましたか?
#は、縦読みだったんですよ?

内容はそれっぽく書きましたが、
ハッキリ言ってテキトーです。
エイプリルフールですものwww

ネタで釣るつもりでしたので、
釣りしてる可愛いAAまで入れました。

それに気が付けていれば良しですし
教えてもらってから気が付いたのであっても
それはそれで良し。ギャグですからねw

#の内容に釣られた人が居れば
それは釣る側のギャグ的にはもっと善しww

ずっと真面目にするのも良いですけどね、
そんなのは続かないし、
気が付いたら思考までもが
堅物になってしまって

見えるものも視えなくなったり
分かるものも分からなくなります。

以前にも話しましたが、背伸びと同じですよ。
ずーっと背伸びをしていたら
足が攣っちゃうでしょ?

真面目さを装い続けて見栄を張っていても
その反動ってのは必ず起こるんです。





それを無視して堅さの固辞に拘ると
挙げ句の果ては
世界がどんどんと狭くなってしまって
器量も大きくするどころか

自意識過剰になったり
被害妄想を引き起こしたり、
自分の内側に閉じ籠る様になって
終いには人として、
とても小さくなります。

百害あって一利無しです。

ですからね、
そうなってしまっては
何も面白くないですから、
思考停止を避ける為にも

「緩さという名の遊び心は
常に持っていなきゃ駄目ですよ!」

と、
あにきは日頃から教えているんです。
それを単に実演したのが、
今日のインスタね。

まぁ、ともあれですが、
あの内容に釣られている様ですと、

かなり堅く考えている状態か
本当に自意識過剰な状態とか
被害妄想状態だと思うので
だいぶ危険ですね。