2026年2月3日火曜日

脱肥大化(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




きつい事や辛い事、
殊更、自分自身が
やらかしてしまった時など
意識の方向は内側へと傾きます。

自分本位の発動です。

そうなってしまうと
外界の情報を遮断してしまうので、

自身の中では
同じ情報が更新をされずに
単一のまま巡り繰り返されます。

この繰返しの中では積極性思考よりも
消極性思考の優先度が上がります。

繰返し過程での思考内の事実は
最新の内容へと更新が出来ませんから、

「事実」から「想像」へと
変化していきます。

そこでは、消極性思考が積極性思考より
優先される状態となっていますから、

「想像」へと変化した内容に
自分本位の要素である、
「都合の良い解釈」が加わります。

すると、想像は完全に自己完結する
異形となりますので「妄想」へと変わります。

この妄想への変化を
「肥大化」と言います。

意識の方向を認識していない状態で
肥大化を起こしてしまうと
自己解決は非常に困難なものとなります。

内側へ向き過ぎた意識を
外側へと向ける為には、

少なからず外界の協力が必要になります。
つまり、「周りの協力が必須」という事です。

ここで述べている「周り」とは、
人限定ではなく「存在」を指します。




動物かも知れませんし、植物かも知れません。
自然霊や補助霊などを始めとした
視えない存在かも知れません。

それら「周りの存在」の協力を経た上で、
意識の方向が外側へと向く事が出来れば
肥大化から脱する事が可能となります。

人で気が付ければ一番早いですが、
必ずしもそこに協力者が居るとも限りませんし
塞込んで人をシャットアウトしている
場合も多々あります。

そうなってしまった際に、
その他の存在が手助けをしてくれます。
動きやイメージ、音、縷々様々な方法で。

その些細な変化や動態に気が付ければ
意識が外側へ向くきっかけとなって、
脱肥大化が始まります。

これが「最速最短の事後」です。

肥大化は誰にでも起こりますし、
決して気分の善いものでもありません。

そして、脱肥大化をする為には、
多かれ少なかれ「気付き」が必要です。
自身が気が付こうにも、
気が付く為には感覚の手触りが必要です。

これが「五感の強化」です。

その感覚というのは、
普段から使ってその手触りを認識していないと
使おうと思って使えるものでもありません。

なので、日頃から五感を研ぎ澄まして
感覚を養う事が鍵となってくるのですね。

五感を軽視するのは
気付きを得る上で
本当に愚の骨頂
事実は動きを経て
事後となり
それは五感で
感じ取るんやで

2026年2月2日月曜日

前提の揚げ足(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は考え方について
お話をしたいと思います。




何かをする時や動く時、

自身の中で何を考えているのか
どういった思考をしているのか

それ自体を考えた事がありますか。
これを「前提」と、言います。

自身がやれる前提なのか
やれない前提なのか
やろうとしない前提なのか
やらない前提なのか

一体どういう思考で動いているのか。

今、ここを視て聴いている段階では
何も問題が無い「平時」ですから、

非常にポジティブに捉えて
やれる前提しかないと
思考している筈です。

しかし、いざ何かが起きたり
例えば、僕の様な存在にアドバイスや
何かを教えてもらったり、

自身で何かを見聞きして
歩みを進めようかと思ったその時に、
先程の前提が動き出します。

これら前提が動き出す時の鍵となるのが
「素直さ度」です。




素直さ度が一定よりも高いと、
前提は「やれる」一択となります。
この時に、失敗を考慮しないかと云うと
当然に考慮します。

寧ろ、失敗する事ありきであると
言っても良いほど、失敗を考慮します。

それでも前提は「やれる」と思考する。

反面、素直さ度が一定よりも低いと、
前提は「やれる」以外の選択となります。
この時は、失敗を考慮ではなく

失敗を恐れたり、その影響から生じる恥を
恐れる様になります。

結果、せっかく見出したヒントも
相手からの厚意も、周りの純朴な努力も
一瞬にしてあっさりと棄て去ります。

「どうせ出来ないし」とか
「難しいことを言われた」とか

何もかもを無碍にする言葉を
平気で口にしたり、頭に思い浮かべたりする。
実際に、僕自身も言われた事が多々あります。

問題の解決へ向けたやり易い方法や
最速で最短な方法を提供しているのに、
何もする前から拒否反応を優先させる。




自身で揚げ足を取って否定をする。
非常に下らない考え方の一つですが、
何故この様な事をするのか。

原因自体は素直さ度の低さなのですが、
そこを起因とした「楽依存」が
この意思決定をさせています。

早い話が、自分の事なのに

「自分は何もせずに解決をしたい」とか
「傷1つ負わず、息1つ上げずに」とか

他力本願で無責任な思考に
普段から溺れているからなのですね。

何をしなくても只管に
拝んでいれば幸せになれるという
お花畑思考です。

今後、自身が何かを決断する際に、
前提をどの種で捉えているのかを
自分自身でチェックしてみると、
己の素直さ度の高さが分かりますよ。

やれると前提したって
何でもやれる訳ではないですが、

やる前から揚げ足を取って
何もやらないのであれば
黙ってその場で一生伏して
生活していればいいのですよ。

無理にでも
前へと進むのか
自に堕ちて
地獄巡りに
興じるのかは
刹那の決断で
決まるんやで

2026年2月1日日曜日

ストイカル(実戦シリーズ)

皆さんこんにちは、あにきです^^

今回は動き方について
お話をしたいと思います。




愉しみを得ると嬉しい気持ちになります。
と、同時に
そこからの努力をしなくなっていきます。

愉しみを得る事は目的になりますが、
終着点ではなくて通過点です。

その愉しみを如何に
「維持継続」させるか。

ここが重要になってきます。

1つの目標、1つの目的を
達成させたいがあまり、
そこで力尽きてしまう。

本末転倒な話ですが、
往々にして繰り広げられている現実です。

本来のスピリチュアルに於いて
少なくとも、この現世には
ゴールというものが存在しません。

強いて云うなら、
自身の得た「愉しみ」や「想い」を
永年で維持させていく事こそが終着点です。




愉しみや想いというのは
サイズの違いに関係なく基本的に

「持続性を有した一過性のもの」です。

但し、その持続性を発揮させるには
日頃からの努力を
続けていかなければなりません。

それが出来なければ、
単発の一過性で終わるのです。

つまり、貴方が今の今
愉しみや想いを得たとしても
そこで安心して動きを止めてしまったら

その愉しみや想いというものにある
持続性は雲散霧消するので、
そこまでで立ち消えてしまいます。

この持続性は非常に繊細で、
思い遣りや徳の表現型でもある

「日頃の業」を通じてでしか

養う事も強化する事も、
ましてや、使い熟す事も叶いません。

そして、日頃の業というのは、
自分本位を代表とした己の念によって
常に掻き消される状態にあります。

これを「相殺(そうさい)」と言います。

だからと言って、己の念というのを
消す事は叶いません(表裏一体の原則)。

なので、念を理解し、認め
上手に付き合っていくしかないのです。

如何にその「付き合い」を
柔軟に熟し続けるか。
日頃の業を続けられるか。

どこまでも柔軟にストイックに
制御をし続けていく。それこそが、

愉しみや想いを維持継続させる
唯一の方策なのですね。

終わりなど無く
途上でしかない
自分に甘え
続けている内は
真の幸せなど
手に入らないんやで