今回は動き方について
お話をしたいと思います。
褒めるという業はとても大切です。
周りに対してもですし、
自分に対してもです。
褒めるに値する動きをしたなら
ちゃんと褒める。
これまでも、
そうやって教えてきていますが、
この褒めるという業を
何でもかんでも褒めれば良いと
思っている人が居るのも事実です。
先にも触れましたが、
褒めるに値する動きをしたのであれば
褒めるというだけで、
特段それに該当するものでもないのに
「良くなりたい」とか
「(自分が)褒められたい」とか
「良く思われたい」など
努力もしていない上に不純な動機で
褒めたところで、そこには何一つ
プラスの効果など生じません。
如何せん同期の段階が「念」ですからね。
先述したのは褒める側の話ですが、
受け手側にも気を付けるべき点がありまして。
褒められたいが為の動きを
してしまう人が居ます。
例えばですが、
子供が何かをした時に
「こんだけやったよ」みたいな事を
言ってきますよね。
あれと同じ様な事をやる人の話を
今ここで話しています。
子供でしたら、
そりゃ余程御門違いな事でなければ褒めます。
ですが、今は大人の話です。
そんな承認欲求剥きだしで来る人を
褒めてしまったら、
褒めた人の負けになります。
ここでの負けとは、
「相手のためにならない事をした」
という意味です。
そもそも論で、そこまで承認欲求を
振りかざして来る人というのは、
その先の事を何一つ考えていないので
褒めたら最後、ほぼ確実に調子に乗ります。
また、褒められたいという点が
目的となってしまっているので、
その先に繋げる事自体が出来なくなる。
つまり、褒められるも何も
それは単なる通過点であり、
「手段」であって「目的」ではないのです。
例えば、
これだけ自分は頑張ったとか
わざわざ「自分」で言ってくる人など
褒めなくて良いんです。
それよりも、褒めずに次へ繋げるための
経過観察と指導が必要になります。
どういう動きをするのか。
不貞腐れるのか、努力をするのか。
貴方が視るべきポイントはそこであり、
受け言葉に買い言葉で条件反射的に
褒めてあげる事ではないのですね。
想像以上に多いですからね、
褒めてほしくて仕方がない
いい歳をした「大きなオトモダチ」は。
やる勇気と
やらない勇気を
きちんと使い分け
せなあかんで


